稽古はつらいよ
「あ、いた――」
小屋から奥の方へと進めば雪を被った森があった。
狩りをするならこのあたりだろうかと思って、エドさんの足跡を追って歩いていたら見つけ、言葉を失った。何ということのない、むしろそれで大丈夫なのかと心配になりそうな年季の入った弓を引いているところだった。
弓が発した僅かな弦の振動音だけを残して矢が放たれると、俺のところからは見えなかった得物に矢が見事に当たったらしい。矢に射られて驚き、逃げようと姿を見せたのは大きな鹿だった。矢は鹿のお尻の上に刺さっていた。物陰からパニックになりながら出てきた鹿が、次の瞬間に2本目の矢で仕留められた。
逃げ出す先を予見し、すでに2射目をエドさんは構えていたのだ。そして読み通りに仕留めた。
見惚れてしまうくらい鮮やかな手並みだった。
「エドさん、すごい!」
声をかけると鹿の方へ向かっていたエドさんが顔を向けてきた。しかし何も言わず鹿の方へ行ってしまう。それを追いかける。
「弓、上手なんだね。ていうか、あの位置からこんなところ狙ったの? 手前の木とかすごい邪魔……最初見た時、何で上の方狙ってるんだろうって思ったけど、落ちてくるのを計算に入れてたの?」
「口だけを動かすつもりならば小屋へ戻っていろ。邪魔だ」
「じゃあ、手も動かすって言ったら……何かお手伝いしてあげようか?」
「ここで血抜きをして内臓は取り出す。手伝え」
「えっ」
グロかった。お魚だって捌けないのに、どうして鹿の中身を取り出すなんて手伝わなきゃいけなかったんだろうか。お肉と皮になった鹿を引きずって小屋に帰ると、お父さんは呑気に火のそばでうたた寝してるし。
完璧に気が抜けてるなあ、なんて思いながら、ふといい匂いに気づく。お父さんの前にある鍋を見るとお芋が茹でられていた。でもそこに、お父さんが持ってきていた保存食やらスパイスやらが入れられていた。試しに味見してみると、すでにばっちり味が決まってる。
「エドさん、このスープに鹿のお肉入れてみない? きっとおいしいよ」
「……切って入れろ」
言ってみたら、切り出されたブロックのお肉を渡された。
料理なんてさっぱりしないのに、どうしろというのか。とりあえず、食べられるように、切り分けちゃえばいいのかな。そうするしか、ないよね。塊で入れても食べにくいもん。
苦労してどうにかこうにかお肉を切ってお鍋に入れておいた。
それにしてもお父さん、疲れてるのかな。
こんなにのんびり居眠りしてるってあんまりなかった。
ほんの居眠りだと思って、背中にのしかかってみたりしてもぐうぐう寝てて邪魔だから寝床に運んであげたのに、それでも起きてこなかった。
「ねえ、エドさんってここで1人で暮らしてるの?」
鹿肉が煮えるのを待って暇をしてたから尋ねてみる。
エドさんは鹿肉の一部を細長く短冊状に切ったものを紐に括っている。干して保存食とかにするのかな。
そんな作業をしつつ、顔を上げて俺を見る。
「エドさん?」
「基本的には1人だ。……季節によって、やかましいのが来ることもあるがな」
「ふうん。寂しくない?」
「1人は気が楽だからな」
「そうなんだ……」
俺だったら絶対、2、3日で音を上げる。楽して人によりかかって、ゆるーく楽しく、が俺のモットーだから孤独には弱い自信がある。
「ずっと1人なの? 隠居してからは」
「……いや。数年前までは、拾った子を育てていた」
「意外。子育てするの? あ、でもするか。今はおじいちゃんだけど若いころはあったんだもんね」
「ふっ……ジジイになり、初めてのことだったさ」
「え? じゃあずっと結婚とかもしなかったの?」
「いや、してはいたが家のことは全て妻に任せきりにしていた。今にして思えば、我が子の産まれた時にさえ立ち会わず、妻の死にも立ち会えず、家庭というものの中にいなかった」
「お仕事とかで? 大変だったんだね」
うちのお父さんも忙しくて家に――というか、王宮だけど――いなかったことはあったみたいだけど、でも思い出にはいつもいる気がする。
「槍の修練で来たと言っていたな」
「うん、そうだけど?」
「今は老いぼれた身だが、昔は剣で身を立てたことがある。稽古をつけてやろうか」
「ええ……? いいよ、別に。何かお父さんがはしゃいで、つきあいで槍の練習につきあってあげてるだけだったし」
「……」
答えるとエドさんは表情は変えず、でも何か思うところのあるらしい感じに固まった。
「ならば、いい」
ちょっと寂しそうなのは、気のせいだろうか。
でもほんとに正直、どうでもいいしなあ。エンセーラムは平和だし、物騒なところへ行くんなら1人になるつもりはないし、身を守るんなら魔法で事足りちゃうし、魔技があればけっこう雑に解決できることが多いし。
「…………エドさんが、どうしても俺に稽古つけたいっていうんなら、教わってあげるのも、やぶさかじゃないよ?」
悩んでから、そう言っておいた。
鼻から息を吐いてエドさんは立ち上がり、お肉を外へ吊るしに行ってしまう。すぐ戻ってくると、壁に立てかけられていた、年季の入った木の棒を取った。剣みたいな形に削り出された木製のものだ。
「表へ出なさい。手ほどきをしよう」
「……はあーい」
大丈夫かなあ、おじいちゃんなのに。
とりあえず黒短槍ニゲルコルヌを持って外に出る。まだ雪は降ってる。エドさんは少しだけ移動してから足を止め、向かい合った。
「老骨とは言え、手加減は無用だ……。怪我の心配をするのであれば、己の身だけに留めるがいい」
大人には短い木剣を下げ、半身になったまま構えもせずにエドさんはそんなカッコイイことを言う。けど、はい、分かりました、ってかかっていける気にはならない。
「じゃあ……そんな、感じで」
やりづらいなあ。
ほんとに思い切りやって、万一、骨折とかさせちゃったら後味が悪すぎる。
だから遠慮がちに、ニゲルコルヌの穂先を向ける。とは言え、ポーズだけでもこっちからかかっていかないと。外す形でとりあえず、顔の横らへんに、グッと――
「遊びは怪我の元だ」
外すつもりで繰り出した槍が木剣で叩かれて軌道が逸れた。前へ出ていた俺の顔に、さらに木剣の柄尻が叩き込まれてひっくり返る。
「痛ったい!? 何、えっ? 嘘でしょっ!?」
ニゲルコルヌはグラビマイト製だ。あの姉ちゃんが手こずるくらい良質な、重くて丈夫なものだ。重量は凄まじい。なのに、あんなおじいちゃんそのものって感じの体で、あんな見るからに適当に作られた軽そうな木剣で、あっさりと軌道を変えられた。エドさんは一歩も動いてない。俺が動いて、返り討ちに遭ってひっくり返った。
何このご老体、強すぎる。
「言ったはずだ。
手加減は無用。
怪我の心配は、己の身のみに留めよ、と」
世の中の不思議を思い知った気がした。
きっと俺の年齢よりもエドさんの寿命の方が短い。
そのはずなのに、こんなにも強い。強すぎる。あんまり不思議で、逆に面白くって笑みがこぼれちゃう。
「一体、何者だったのか気になるけど……ちょっと、挑戦したくなっちゃうよね」
こうなったら本気だ。
エドさんなら俺なんかの本気でぽっくりなんてないだろう。
槍を拾って構え、じりじりと距離を詰めていく。相変わらずエドさんは静かに佇んでいる。スピード勝負をしてみようかな。瞬発力で一気に攻め立ててみよう。息をゆっくり吐きながらエドさんの様子を窺う。
隙のようなものは見えない。というか、隙が何なのか、いまだによく分かってない。
とりあえず、だったらこっちのタイミングで勝負!
「とうっ――ととと!?」
ニゲルコルヌで薙ぎ払いながら攻めようとしたら、俺のタイミングを読んだかのようにエドさんは踏み込んできて、俺の踏み出していた足を蹴るような足払いをしてきていたのだ。いきなり体勢を崩され、さらにちょんと木剣で上体を押されるとニゲルコルヌの重みでひっくり返ってしまう。
「全ての基本は、呼吸にある。疎かにすればつけこまれる」
「こ、呼吸? それが何? どうして、分かったの?」
「呼吸を読めば自ずと答えは見える」
「文字が書いてるわけでもないのに……?」
「膂力に任せて獲物を振り回すのは野蛮人だけでいい。
体に染みついた技を、適時、適所に、考えるまでもなく繰り出すことができて、始まりだ。
それができぬ内はただひたすらに、体へ動きを染み込ませることだ。槍を持ち、立て。長物の基本的な動作を教えてやる」
「いや、そんな本格的には……」
「立て」
「はい……」
雪の降る中でエドさんに手取り足取り、教えられる。
あれかな。寂しくないとか言ってたけど、でも人がいるのは嬉しいのかな。分かりづらいけど、そんな気がする。




