因縁はつらいよ
「――ん、ぅ……痛って……」
軋むような痛みが奔る。
目を開ける。体に思いものがのしかかっているのを感じた。見慣れない天井と壁。隙間を作らない、しっかりとした作りだった。少し暑いほどに暖かい。
さて、これはどういう状況だったか。
確か、そう――雪崩だ。雪崩をディーが起こしちゃって、で、飲み込まれる寸前にディーとはぐれないようにしっかり捕まえて、それきり、そこまでしか覚えてはいない。
「ディー!」
ハッとして体を起こし、重かった正体が眠りこけたディーが俺の腰らへんを枕にしていたのだと分かった。ほっとして青いさらさらの髪を撫でる。ぷにぷにほっぺを軽くつまんでみる。かわいい。天使の寝顔とはこのことだ。
雪崩から記憶がないが、意識のなかった間に誰かがここへ運んでくれたのか。
それともディーが俺をここまで運んでくれたとかだろうか。
ディーを起こさないようにそっとベッドを降りて、俺が寝てたところへディーを寝かせてやる。
室内は静まり返っている。部屋の中央には囲炉裏とも暖炉とも違うが、薪を燃やしているところがあって、その熱気で暖かいらしい。
荷物はぱっと見だが、全てちゃんとあるらしい。追いはぎには遭っていない。床にはフィリアが作り直したニゲルコルヌの片割れがある。
あったかいコートを羽織り、手袋もして小屋を出てみる。
外は凄まじく寒かった。雪も降っている。しかしその雪景色の中に1人の男の姿があった。
「……こりゃ、夢か?」
思わず呟いて頬をつねってみるが、あまりの寒さで早くも感覚が麻痺しかけていて大して痛みはない。が、確かに寒いから夢ではなさそうだった。
雪の中、地面にくわを振り落としている男はとても農民には見えない。
エドヴァルド・ブレイズフォード――ディオニスメリア王国の元騎士団長様だ。随分と老けて見えるが、しかし一目でそうと分かった。元騎士団長様が俺に気づいたらしく、農具を下ろして俺を見る。
「目が、覚めたのか」
「世話になったらしいな」
「雪がやんだら、帰れ」
「……ああ」
俺とこいつは仲良くできる間柄ではない。
きっと、この男にとって俺は見るにたえない絶望の象徴だ。過ぎたことだと今になって思えているかどうかは、当人にしか分からないが。
俺とてあまり人の好き嫌いをするつもりはないが、親しくしようとは思えない。
だが、どうやら世話になったらしい。
俺だけでなく、ディーまで。――となれば、過去のことはどうあれ、筋は通さねばならんだろう。
エドヴァルド・ブレイズフォードに歩み寄る。
「魔法でざくっとできねえのか」
「研究の一環だ。……自然の湧き水と、魔法で生成した水に、違いがあると考えている」
「違い?」
「サンプルはまだ多くない。だが自然の湧き水で育てた野菜と、魔法の水だけを与えて育てた野菜では生育に差があり、味わいが異なる傾向にある。自然の中で育てたものの方が味は良い。魔法では無味のつまらん味わいになる。だからこうして、体を動かし、自然の中に身を投じて食うことにしている」
考えたこともなかったことだった。魔法でやるとうまくないってのか。本当だとしたら、ちょっとした発見かも知れない。が、いくら元騎士団長とは言え、もう老体なのに雪の下の土を耕そうだなんて見ていられない。
「貸せ」
「何をする気だ」
「息子が世話になった礼だ」
くわを取り上げるように手にし、魔鎧を使って振り下ろす。
硬かったらしく、エドヴァルド・ブレイズフォードではわずかに削るのみだった土が一撃で割れる。何度か振り下ろせば地面はそれなりにほぐれた。
「こんな雪ん中で耕して何になる?」
「この下に芋がある。それを掘り起こすだけだ」
「芋か。分かった。どれくらいとればいい」
「……2株分もあればいいだろう」
土の中には確かに根っこらしいものが砕けて混じっていた。もう少し掘ってみると芋にいきついて、それを土の中から引っこ抜く。1つずつのサイズはそう大きくないし、何だか色も黒ずんでうまくはなさそうだった。
だがそれをエドヴァルドは小屋の外にある作業場めいたところで丁寧に土を落とし、小さなナイフで皮を剥き始める。
「中でやらねえのか? 冷えるぞ」
「ゴミを捨てる手間が省ける。この芋の皮も、大地の糧になる」
「……そうかよ」
仕方なしに、俺も携行してるナイフで皮むきをしてやった。
俺が勝手に手伝うのをエドヴァルド・ブレイズフォードは何も言わなかった。
「……俺の、ほんとの親父の方のオッサンはどこか行ったのか?」
「やつは雪深くなるとふらりと消える」
「渡り鳥みてえだな……」
元気そうならそれでいいんだが。
しかし、この男は老けた。けっこう前に、騎士団長を退いた後だったか――エンセーラムにきたころはまだまだ死にそうにないジジイだったが、今は枯れ枝めいた細さに見えてしまう。全盛期を知っているからこそ、そのギャップに目を見張る。
だが、気勢が削がれているという印象もない。
底の知れないジジイになりつつある。
芋を剥き終わると大きめの鍋へ全て入れ、そこに踏まれていない雪を山盛りにしてようやく小屋へと入っていった。鍋を火にかけたかと思うと、また出ていこうとする。
「今度は何するつもりだ? 年寄りのくせに落ち着きやしねえな」
「狩りだ」
「んなもん、俺が行ってきてやる。よぼよぼジジイは大人しくしてろ」
「分かっておらんようだな、レオンハルト」
「あ?」
「日に日に、足腰が立たんようになっておるのだ。動いておらねば、すぐ動けなくなるとは体が一番理解をしている」
偉そうに言うことじゃねえだろうと思って反応に困っていたら、出て行ってしまった。
もういいやということにしておいて、火に近づく。雪が崩れて水になり、それで芋を茹でるつもりらしかった。岩塩を削って鍋の中へ入れてやる。しかし、まあ、腹が減った。早く、芋が茹で上がらないもんか。
「お父さん……?」
「ん、おう、ディー。おはよう」
火にあたっていたらディーが起きた。寝床を出て俺の方へくる。
「体、もう大丈夫? 雪崩で気絶しちゃって、ここまで運ぶの、すっごい大変だったんだよ?」
「そうかそうか、悪かったな。ありがとよ、もう平気だ」
「軽っ」
「ほら、ここ座れって。あったかいぞ」
「エドさんは? あの……いなかった? おじいさん」
「おじいさんて……あー、うん、狩りに行くってさ」
「狩り? 1人で? 大丈夫なの?」
「知らん」
「お父さんさあ、そういうの……」
「大丈夫だろ、しぶとそうなジジイだったし」
「分からないじゃん、お父さんだってしぶとそうなのに雪崩で半殺し状態だったんだから。俺、心配だから見てくる」
「え、嘘、ディー?」
てっきり、俺とのんびり、まったり、ぬくぬくしてくれるもんだと思ったのにディーも行ってしまう。
あいつが他人を心配するだなんて珍しい。年寄りにはやさしいということなんだろうか。だとすれば、俺の老後は明るい。
しかし、ディーがいないと寂しい。
俺は飯でも見守っててやるとしよう。




