特別な友達
体育館に集まった生徒はそれぞれのグループに分かれていた。姫子は二人三脚に出場することになっていたため、その中で自分のパートナーである百合を探していた。1年生全員が体育館に集められていたので、渋谷のスクランブル交差点みたいだ。なかなか百合を見つけられないでいると、不意に肩を叩かれた。「姫子さ、大丈夫?」真琴はこの喧騒のことを言っているのだろうかと考えていると、姫子の返事も待たずに続けた。「百合とパートナーになったって話聞いたけど、今からでも代えてもらったらどう」「どうして?」「百合の噂聞いたことない、レズだって」「そうなの?」「夏休み中に女とキスしてるところ見たって、あぁ姫子はその時海外にいたんだっけ」そこまで話すと真琴は顎で後を指すと踵を返して歩いて行ってしまった。振り返るとまだ姫子を見つけられていない百合が、周りを見回しながらこちらに歩いていた。
入学以来百合のことを意識したことはなかった。半年くらい同じクラスにいたが特に印象に残らない、強いて言えばいつも一人でいる子だったと思う。体育祭の前後で百合と一緒に過ごしたが一人でいることが不思議なくらい、いい子だった。茶色のショートボブは百合の小さい顔によく似合っているし、大きな目は若干内斜視だが、かえってかわいらしく感じる。背が高ければ本田翼のようにみえるのではないかと思う。また頭の回転が早くてこちらの意図を良く理解してくれる。
学校からの最寄り駅である東西線の早稲田駅までは10分もかからない。最近百合と下校することが多くなったが、寄り道をしたことはまだない。「今日はいつもより早いのに乗れそうだね」百合は早足で改札を通って階段を下り、向かいのホームを目指す。「何か予定でもあるの?」百合は曖昧に頷くと買いたいものがあるのだと答えた。百合と会話をしていると、時々二人の間に薄い膜のようなものがあると感じる。百合を守るかのような膜は、姫子を拒絶するメッセージのようにも感じられた。そういうところが百合を孤独にしているのだろうか。あるいは敢えてそうしているのだろうか。
電車に入ると百合はドアの横に立ったので、姫子もその隣に並んだ。足を交差させたり太ももに手を置いたりと、今日の百合はどこか落ち着きがない。百合の様子を観察しているとこちらの視線に気が付いて、寒くなってきたと言った。電車が動き出しても相変わらず百合はそわそわと、膝の少し上から伸びる黒いストッキングに包まれた細い足を、交差させてはまた戻すという動きを繰り返していた。トイレを我慢しているのならもう一本遅らせれば良かったのに、百合はどうして急いだのだろうか。姫子が百合の足を見つめていると、百合は交差していた足を戻して手すりにつかまり姫子に向き直った。姫子に我慢していることを隠したいようで、手すりを握る手にはかなり力が入っている。それでも注意して見ていると腰が少し引けているし、電車が揺れると片足の膝を曲げる動きをしている。途中で降りてトイレに行こうかと提案しよう、そう思ったのだが百合の紅潮した頬と少し潤んだ瞳に見上げられると、姫子は黙って暗い地下鉄の窓に視線を移した。百合は降車する駅でドアの前で手を振って別れると、ちょこちょこと早足でエスカレーターに向かった。
自分の部屋に帰り、百合はどうしてトイレを言いださなかったのかと考えていた。ふと思えば百合の方から姫子を何かしら誘うということはほとんどなかった。下校を一緒にするようになったのも姫子が言ったことだし、百合とお昼を食べる時はいつも姫子が声をかけている。単に恥ずかしいからなのか、あるいは案外仲良くなったというのは姫子の一方的な思い込みで、百合はただ姫子が言うことに従っているだけなのかもしれない。そう思うとここ数週間の自分が急に馬鹿らしく思えてきた。
真琴の忠告を無視してまで百合に近づいたのは何のためだったのか。レズ疑惑の真偽を確かめるため?最初はそうだったかもしれない。一度恋愛話をしたことがあって、その時百合は片思いをしていると言っていた。姫子が相手のことを聞いてもあまり答えようとせず、叶わない恋だと繰り返すので姫子はそれ以上聞くことが出来なかった。もし百合が女の人に片思いをしているのだとしたら・・・そうだとしても百合とは友達でいたいと思う。
百合が誰を好きになっても、姫子が百合に感じている友情はきっと変わらないし、百合にも同じ気持ちでいてほしいと思う。仲間同士で空気を読むことが普通だった姫子にとって、百合は新鮮だった。様々な物事に自分の意見を持っていて、美術大学に進学して教師になるという夢もある。百合と会話をするときは、相手の考えていることを理解して、それに自分の考えを返答するという作業を強く意識させられる。流行りのアイドルやファッションの話をしている時とは違って、百合との会話を通して自分自身の存在が整理整頓されていくのをはっきりと感じることが出来る。今はまだ姫子の一方通行だが、例えば一度したきりの片思いの相手の話のような、百合との間にある薄い膜をいつか百合が取り払ってくれると、そうであったらと思わずにはいられなかった。