005一日目・旅の始まり
微風が頬を撫でるとともに、草木の香りがふんわりと鼻をくすぐる。
背中には先ほどまでのベッドとはまた違った、それでいて優しく身体を包む感触。
俺はゆっくりと目を開ける。
そこはまさに異世界だった。
「おお~!これはまた空気の綺麗そうなところだね~!」
「うわぁ……すごいです……。」
横から聞こえる浅尾さんと都築さんの声。
俺たちは今緑に覆われた丘の斜面に寝転がっている状態だ。
よっと、身体を起こして辺りを見渡せば、一面に広がる草原とその奥に見える深い色合いをたたえた森林。そこになだらかながら広がる丘陵の起伏が変化を加える。
正面には耕作地と農村が見えるので、きっと人も住んでいるのだろう。
なにやら例の丸ひつじ(バルーンシープ)らしき物体もちらほら見かけるが、モンスターというよりただの家畜にしか見えない。……いや実際にはモンスターなんだろうけど。
右手遠方から後背までぐるりと海岸地帯が広がっているので、大陸というよりは小さめの島なのかもしれないな。
絵に描いたような牧歌的な自然風景であり、どことなくインド洋のリゾート地を連想させる美しさもある。まさにファンタジーの世界というにふさわしい光景だ。
しかしゲーム化が進んでいるという証左なのか、すうっと俺の視界の下部にHP/MPバーが浮かび上がり、あわせて視界の左上には索敵用の円形のレーダーが、左側にはシステムメッセージ用ウインドウが表示された。
いかにもなシステムに浅尾さんが「まあしょうがないか~」と苦笑する。
確かにせっかくの『おとぎの国』には無粋な気もするが、これが現代の風潮なのだろう。冒険には必要な情報ばかりなので慣れるしかないが、メニュー画面の設定でOFFにもできるようなので景色を楽しみたい時には消せばいい。どうやら円形レーダーの有効範囲は半径100mほどらしく、丸ひつじと思われる赤のカーソルが点在している。
ひるがえって俺たち自身を見てみれば、当然寝間着姿ではなく、チュートリアルで選んだ冒険者然とした服装に身を包んでいた。PTメンバーだからなのだろうが、浅尾さん都築さんの頭上にはHP/MPバーも見える。多分彼女たちの視点では俺の頭上にも表示されているのだろう。
相変わらず都築さんは眼鏡をかけていないのだが、シェルハによれば今の俺たちの肉体は生身のものではなく魂の端末らしいから、現実の視力は関係ないのかな?
都築さんに尋ねてみると案の定「え?あ、あれ?」と眼鏡がないことに気付いていなかったようだ。普通に見えていたらしい。魂の端末に現実の視力は関係ないのでは無いかと述べたところ「ふぇ~、そうなんですかぁ」と納得としたようだ。
「よっし!じゃあ高津くん、都築さん、とりあえずあそこに見える村に行ってみようか!」
じゃきん、という効果音が聞こえそうなノリで手に持った剣を農村方向にむける浅尾さん。その表情はまさにわくわくという表現がぴったりくるほど高揚してる。
「浅尾さん、楽しそうだね。」
「あったり前じゃん、高津くん。おとぎの国だよおとぎの国!寝ている間にこんな素敵な世界に来れてるんだもん!楽しくないわけ無いじゃん!」
ニカッと笑顔を向けてくる浅尾さん。
ほんとにこの人はブレないな。
ただその陰のない明るさは、ともに行動していて非常に心地よい。
さすが純真S。
俺も自然と浮かぶ笑みを向けて肯定の意を表すと、横の都築さんの手を取って助け起こし、歩き始めた浅尾さんの後に続く。
「よお~し、待ってろよ~アルフ・ライラ!私が隅々まで遊び倒してあげるからね!」
浅尾さんが声高らかに宣言し、俺たちの旅が始まった。
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「ん?なんじゃ?見かけない顔だが、お前さん達一体どこからおいでなすった?」
農村の近くの畑で見かけた農夫に声をかけると、いかにもな返答が帰ってきた。
よくあるゲーム的な村人Aの会話のような感じだが、それでも浅尾さんは初めての異世界人との接触に興奮し、都築さんは逆に緊張しているようだ。
ちなみにレーダーに映る農夫のカーソルカラーは緑。メニューのHELP機能によれば安全を保証する色で、NPCやPTメンバーなど、この色で表示される相手から攻撃を受ける心配はないので安心して良いらしい。
一方通常のプレイヤーなど中立の存在は青、モンスターなど敵対的な存在は赤で表示されるらしいが、今のところまだ青のカーソルは見ていない。
「おじさん、私たちあっちの丘の方からやってきた冒険者なんだけど、この辺のことが全くわからなくて。何でもいいので教えてもらえますか??」
目をきらきら輝かせながら、俺たちがやってきた丘の方を指さし、語りかける浅尾さん。聞き方がだいぶ雑な気がするが、おとぎの国ならまあこれでいいのかもしれない。
案の定農夫は「ああ、なるほどあっちから来たんか。ここはウル島というてな……」と話し始めた。他のプレイヤーが来たこともあるんだろう。特に警戒した様子もなく、普通に浅尾さんの質問に答えていく。
俺はその間周囲を見渡し、注意を払うことにする。レーダーにはモンスターを表す赤いカーソルは映っていないが、一応念のためだ。
例の丘からここまで来るのに要した時間はおよそ30分。
持ち物やメニューを色々と確認しながら、丸ひつじ(バルーンシープ)やもぐらのような小動物系のモンスターをちょこちょこ狩りつつ歩いてきた。
チュートリアルでもそうだったが、この世界のモンスターは倒すと緑の塵と化して消滅する。負の感情の集合体だそうだから、その肉体は仮初めのものなのだろう。斬ったところから血を流すこともないので、女性陣もあまり抵抗無く狩れるのはありがたい。さすが『おとぎの国』といったところか。
倒せば経験値の他、お金と場合によってはアイテムが手に入るのだが、この辺はいかにもゲーム的で、お金もアイテムも可視状態でドロップされるのではなく直接格納庫(ストレージ)に収納される仕組みだった。経験値も含め、獲得したものの情報はシステムウインドウに表示されるので、その確認さえ怠らなければ便利なシステムと言える。
ちなみに格納庫(ストレージ)は左手の手のひらを上にかざしながら「格納庫」と念じれば、バレーボールほどの大きさをした黒い球形の空間が現れ、そこに手を入れてお金やアイテムの出し入れができる。
サイズは器用と純真のどちらか高い方の値がそのまま適用されるので、器用Sの俺が43、純真Sの浅尾さんが42、純真A+の都築さんが35だ。シェルハ曰く一般的な初期サイズは7~14らしいので、かなり破格の大きさだ。
なので俺はシェルハの許可を得て、チュートリアルの武器防具のうちめぼしいものをいくつか予備を入れておいた……のだが、先ほどこちらに来てからのドロップ品の確認がてら中身を見てみたところ、それに加えて見覚えのない品が多数詰め込まれていてびっくりした。
どうもシェルハからのプレゼントだったらしく、HPポーションやMPポーション、毒消しなどの状態回復薬に、保存食、果ては探索用のマーカーと思われる光る小石など冒険に役立つアイテムがてんこ盛りだ。そこに「ささやかなものですが皆さんの無事をお祈りして」と書かれた手紙や「レベル15になったときのお楽しみ!」と書かれたプレゼントボックスまで入っていた。
……こういった心遣いは本当にありがたい。浅尾さんもじーんとしてたし、都築さんに至って手紙を読みながら涙ぐんでいたな。もらったアイテムはシェルハへの感謝を忘れないようにしながら大切に使わせてもらおう。
なお、HP/MPとも一定時間ごとに少しずつ回復するようだが、一方隠しパラメーターなのかスタミナの概念があるらしく、ここまで30分間歩きっぱなしで都築さんのHPが少し減っている。
俺と浅尾さんに比べて都築さんの体力の値はだいぶ低いから、その辺りをいたわりながら旅をする必要があるな。
HELP機能によればMPバーは青色で固定なのだが、HPバーは半分以上なら緑、半分を切ると黄色、2割を切ると赤で表示されるらしい。今のところ緑以外を見たことはないが、HPバーが黄色、さらには赤で表示されるような事態は避けたいところだ。
都築さんのHPも減っているとはいっても1,2目盛りほどなので、まだそこまで気にするものでもないと思う。表情を見てもまだ余裕があるし、あまり気にかけてはかえって都築さんに精神的に負担をかける可能性もある。
気遣いはさりげなく、が基本だ。
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「おじさんありがと~、またね~!」
浅尾さんが手を振ってNPCの農夫に別れを告げる。
ずいぶん話し込んでいたが、その分有益な情報を得られたようだ。
まずこの島の名前はウル。
この辺り、バースラ海一帯に点在している島の1つとのことで、同じような島は周りにごまんとあるらしい。特に何か目立ったものがあるわけでもなく、人口もまばらで、村と呼べるのは目の前のものくらいだそうだ。
5日に一度、定期船が島を訪れるらしく、それに乗れば『大陸』の港町ユーフラというところに行けるらしい。
俺たちが降り立った丘は村人から『冒険者の丘』と呼ばれているらしく、たま~に「どこからともなく」冒険者を名乗る連中がそちらの方からやってくるとのこと。
彼らが島に滞在する期間はまちまちだが、最終的にはみな定期船に乗って港町ユーフラまで行くそうだ。
ふむ。
MMO的に解釈すると、おそらくこの辺りの海域にウル島のような初期ステージとなる島が数多く設定されていて、各プレイヤーはそのうちのどこかの島にランダムで配置されるのだろう。まずはMO的な閉鎖空間に近い中である程度冒険に慣れ、そこから本格的なステージである港町に移動する、ということになるのかな。
先ほど聞いた話では定期船が次に来るのは2日後らしいから、この2日島を探索してみて十分慣れたのならば港町へ、不足があればあと5日島に滞在する、というのが基本戦略になりそうだ。
浅尾さんと都築さんにそのことを話すと2人とも理解をしてくれた。
農夫によれば「島のことを詳しく知りたければ村のものに聞け」とのことなので、あとは村に入ってから情報を集めることにしようか。
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近くで見ると、村は木で組まれた柵で周りをぐるりと囲み、家々が比較的密集した状態で立ち並んでいる。
おそらく外敵に対する備えなんだろうな。耕作地は村の外に広げ、村自体は生活空間をコンパクトにまとめている。外で農作業をしているときにモンスターに襲われたら村に逃げ込む、ということなんだろう。
見れば兵士、というレベルではないが、武器らしきものを持った若者が入り口の辺りに立っている。モンスターへの備えかな?
先ほどの農夫同様、よそ者への警戒心はほとんどなく無く、浅尾さんが挨拶したところすんなりと村の中に通してくれた。
中央の通りを歩きながら村人達の様子を見ると、これから畑仕事に出るものが多いのか、男達が農具を準備していたり、牛や馬の世話をしている光景が目立つ。
「ん~、ザ・農村の朝、って感じだね!」
別段物珍しいものも無いと思うが、それでも浅尾さんにとって1つ1つが新鮮なのか、常に目を輝かせている。
「じゃあそこら中片っ端から声をかけてみようか!」
「あ、あの、浅尾さん、みんな忙しそうにしてるから迷惑になるんじゃ……」
「あちゃ~、それもそうだね。じゃあ村の中を探検しながら声をかけても良さそうな人を探すよ!」
都築さんの言葉を受けて浅尾さんが方針を決める。
まあ、それがいいだろう。情報収集は男達を送り出したあとの主婦層や、子供・老人を対象にすればいい。
村人達もそれぞれ自分たちの生活ルーティンの方が大事なのだろう。特に俺たちに注意を払うでもなく、ちらりとこちらを見てもすぐに興味を失って自分の作業に戻っている。この辺はなんだかゲーム的な感じだな。
「あ、おばさんおはようございます!ちょっとお尋ねしてもよいでしょうか?」
「うん?あらあら、あんた達見かけない顔だけどどうしたんだい?」
さっそく夫を送り出したあとらしき女性を見つけて浅尾さんが声をかけた。
行動力あるな~。さっきと同じように、「私たちあっちの丘の方から来た冒険者なんですけど、」と話し始めている。
物怖じせずにあっけらかんと話しかけるから警戒心もわかないのかもしれない。女性の方も浅尾さんの話を親身になって聞いてくれているようだ。
「それじゃあ村の中央にある二柱の女神像にいってごらんよ。ここに来る冒険者って人たちは、みんな村に来るたびに毎回必ず女神像のところに行っていたよ。」
「……あ、あの、ちなみにそれって一体どんな女神様の像なんですか?」
こちらの質問は都築さんだ。
「どんなって、あんたそれも知らないのかい?光の女神シェルハザさまと闇の女神ヤール=シャフさまの像だよ。この世界はこのお二人が創られたものっていわれているから、たぶんどこの村でも町でも必ず女神様の像をまつっているはずさ。」
「ほほ~、ん?シェルハザさま? あれ?ひょっとしてシェルハちゃ……」
「おおおおばさん、ほ、ほかに冒険者の方がよく立ち寄られるところはありますか?」
浅尾さんの言葉にかぶせるように慌てて都築さんが質問した。
うん、いい判断だと思う。
たぶん浅尾さんが思った通り、シェルハザという名前はシェルハの別名か何かだと思うが、さすがに創造神とあがめられている名前をちゃん付けで呼んではまずいだろう。
ヤール=シャフの方ははじめて聞く響きだが……シェルハに姉妹がいるのだろうか? 1人でこの世界を管理するのも大変そうだからな。
おばさんの方は都築さんの言葉の方に気をとられたのか、特に浅尾さんの発言を気にした様子もなく、「ん~、あとは酒場か村はずれの鍛冶場くらいかね~」と返事していた。
おや?
ふと視界の右上で「!(メニュー)」マークが浮かんでいることに気付いた。
なんだろう。目を閉じてメニュー機能を呼び出すと、「HELP機能に『アルフ・ライラの世界観』の項目が追加されました。以下の内容を閲覧可能です。『女神シェルハザ』、『女神ヤール=シャフ』、『女神像の役割』」とメッセージが流れた。
なるほど、こうして冒険の中で得た情報はHELP機能でより詳しく知ることが可能な仕組みになって居るんだな。浅尾さんと都築さんにも表示されているはずだが、おばさんとの会話に集中して気付いてないようだ。
あとで教えてあげよう。