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大聖樹の悪童物語  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第1章 悪童とお人好し
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その7 旅立ちの朝






 突然の凶行に、広場は水を打ったかのよう静まり返っていた。

 あれほど高まっていた熱も冷え、張り詰めていた空気は全く別の緊張感にすり替わる。

 刃を交えていたレインツェルとジョセフも動きを止め、その場にいる全員の視線が一点に集まった。


 十歳ほどの幼いエルフを後ろから拘束するクラフトは、引き攣った薄笑みを浮かべた。

 散々蔑にされてた故、衆目が集まったことにご満足の様子だ。

 右手には小さなナイフを握り、鈍く光る刃を首筋に添える。

 胆が冷えるような光景に、絹を裂くような誰かの悲鳴が沈黙を破った。


「なにやってんだよこのクソ馬鹿がッ!」

「おっと、動くなよ小僧。動けば、怪我するよ……この娘がな」

「……ぐっ」


 激昂するレインツェルを牽制するよう、クラフトはナイフの刃で少女の頬を叩く。

 転生を繰り返すエンシェントエルフだけあって、少女は見た目こそ幼いが、中身は立派な大人。だから、取り乱す様子は無く落ち着いてはいるが、やはり瞳には恐怖の色が滲んでいた。


 人質を取られては迂闊に動けないと、レインツェルは歯を噛み鳴らす。

 他のエルフ達も非難の視線を向ける中、折角お膳立てした決闘に水を差されジョセフが、この蛮行に怒りの滲む声を張り上げた。


「迂闊なことをしてくれたな旦那ぁ。これじゃ、全部ぶち壊しじゃあないか!」

「ふん。貴様が思った以上に頼りないから、僕が手伝ってやろうと言うのだ。感謝しろ、この役立たずがッ!」

「ふざけんなッ! こんな真似が、許される筈が無いだろう!」


 怒気の籠った声にも、人質を取って余裕なのか、クラフトは笑みを浮かべながらふんと小馬鹿にするよう鼻を鳴らした。


「ふざけてなどいない。貴様がそこのガキをさっさと殺さないから、わざわざ僕がこんな真似をしているのだ。総帥からの指示は、何事よりも優先される。違うか?」

「そ、それは……」


 総帥。

 その名を聞いた途端、ジョセフの表情に動揺が浮かぶ。


「手段を選んで任務に失敗する貴様と、手段を選ばず任務に成功するこの僕。果たして、総帥はどちらを支持して下さるかな?」

「……ぐ、ぐぐっ」


 反論出来ないのか、ジョセフは言葉が続かない。

 善人であるとは断言できないが、今までの言動からジョセフは、非人道的な行為を進んでやるタイプでは無いことはわかる。現に人質を取る行為を非難していたのだが、総帥と呼ばれる名称を聞いた途端、威勢の良さが成りを潜めてしまった。

 ジョセフは悔しげな表情で、チラリとレインツェルに視線を送る。


「……すまん」


 短くそう謝罪した。


「アンタの所為じゃない。あの補佐官様が、下種野郎だったってだけさ」


 そう聞こえるように吐き捨て、レインツェルは人質を連れたまま、傭兵達の後ろまで下がるクラフトを睨み付けた。


「何とても言え耳長のガキが。此方の要求は……いや、命令は一つ。聖女レインツェルとやらとさっさと連れてこい。僕は我慢もう限界なんだ……時間が過ぎるごとに、この娘の指を切り落とすぞ」


 クラフトの脅しに、リリーシャを初めとしたエルフ達の口から、悲鳴じみた声が漏れる。

 人質にされた娘も気丈さを装っているが、身体が小刻みに震えていた。

 見下すような視線。クラフトは本気だ。本気であの娘の指を切り落とすだろうし、そのことに関しての罪悪を、一切感じていない。耳長とエルフ達を形容するように、彼にとって人間とエルフは、全く別の存在なのだろう。


 対してエルフ達も「これだから人間は」と、クラフトの非道さに怒りと憐れみの視線を向けていた。

 人でありエルフであるレインツェルにとって、クラフトの行動は理解し難く、そしてエルフの仲間達が人間に対して、敵愾心を抱いてしまうことが、とても悲しかった。


 だが、今はそんなことを悲しんでいる暇は無い。

 クラフトは広場にいるエルフ達をグルリと見渡し、勝ち誇った声で叫ぶ。


「さぁ! さっさと、ここに聖女を連れてこいッ!」

「俺が……」

「駄目」


 後ろからグッと肩を掴まれる。

 レインツェルが振り向くと、神妙な顔をしたオリカが何時の間にか背後に立っていた。

 自ら名乗り出ることに対して、自制を促すように、唇に人差し指を添える。


「……オリカ姉」


 驚くよう目を見開いてから、レインツェルは直ぐに視線を険しくして睨み付ける。


「何で止めるッ? 今名乗り出なきゃ、アイツが……」

「わかってるのです。わかっているけど、駄目、絶対」


 真剣に、真っ直ぐと、オリカはレインツェルの瞳を見つめる。

 レインツェルも負けじと、目に力を込めて見つめ返す。


「だが、相手は正気じゃない。本気でやるぞ」

「私も同意です。けど、短気は起こさないで。相手の目的が分からない以上、レインツェルを、聖女の身体を引き渡すのは、危険すぎるのです」


 エンシェントエルフという存在では無く、名指しでレインツェルを指名してきた以上、ギルド側には何らかの意図があるのだろう。ましてや、今のレインツェルは特殊な状況下にある為、何が起こるが予測が出来ない。


 しかし、人質にされたエルフの少女も、見捨てたくは無い。

 狭いコミュニティの中で転生を繰り返し、悠久の時を生きるエンシェントエルフは、非常に仲間意識が強い。だからこそ、長であるリリーシャは決断に迷い、すぐに返答出来ないのだ。


 少女も、レインツェルも助けたい。

 エルフ達は皆、同じジレンマを抱き、広場が奇妙な沈黙に包まれた。

 その中で一人、クラフトだけが金切り声を撒き散らす。


「さぁ、さっさとしろ! 僕は忙しいんだ。何時までもこんな薄汚いところに、留まっているつもりは無いぞ!」

「……ッ」


 リリーシャは小さく唇を噛むと、額から一筋の汗が流れ落ちる。

 その強張った表情と佇まいから、リリーシャの激しい葛藤が見て取れる。

 急かすように、クラフトは少女の頬をナイフで叩く。


「クソッ……どうする。どうする……?」


 何か手を打とうにも、レインツェルはクラフトの視線上にいる為、迂闊に動くとこも出来ない。

 焦りから心臓は激しく鼓動を刻み、剣を握る手は汗でべっとりだ。

 今にもクラフトがナイフで少女を傷つけかねない緊張感に、レインツェルの精神は古代熊との戦いや、決闘で剣戟を演じた時以上に、ガリガリと削られていく。

 だが、幾ら考えたところで、結論は出ている。

 方法は無い。


「駄目だ。限界だ……二者択一なら答えは簡単だろ」

「待ってです。まだ、まだもう少しだけ……」

「もう無理だ。俺はあの娘を守るぞ!」


 オリカの制止を振り切り、レインツェルが大きく息を吸い込んだ。

 次の瞬間、空気が震えるほどの大声が、広場に響いた。


「――おやめなさいッ!」


 名乗り出ようとしたレインツェル。それに気づき、制止しようとしたリリーシャの声をもかき消して、凛とした少女の声が沈黙と緊張を切り裂いた。

 ざわめく人々の視線が、声の主を探して彷徨う。

 すると、広場の右手側から、颯爽とした足取りで歩み寄る少女の姿が。


「……アイツ、ドロッセル?」


 現れたのはドロッセル・ラウンゼットだった。

 今朝からの一連の騒動ですっかり忘れていたが、確か今日も懲りずに、集落を訪れると言っていた。


 だが、現れたドロッセルの姿に、レインツェルは驚きに息を飲んだ。

 夜の闇が怖くて泣いていた情けない姿からは想像もつかないほど、気高く引き締まった表情で、背筋を伸ばし広場へと歩み入れる。ただ、昨日の一点違っていたのは、頭を耳の辺りまで、布をターバンのように巻きつけていたことだ。


 ドロッセルはレインツェルに視線を止めると、軽く微笑んでからクラフトに厳しい視線を向けた。


「これは一体、何の騒ぎですか」


 普段の甘い声色とは違い、低めの威厳ある声が発せられる。

 厳しい口調で問いかけるドロッセルを、クラフトは戸惑いながらも、訝しげな目付きで睨み付けた。


「なんだぁ貴様は? 下がっていろ。僕が用があるのは、聖女レインツェルだけだ」

「ならばちょうどいいです」


 そう言って、ドロッセルは自分の胸に右手を添えた。

 誰もが状況を上手く飲み込めない中、ドロッセルは堂々と言い放った。


「わたしが貴方の仰る、聖女レインツェルよ」

「――はぁ!?」


 思わぬ発言に、レインツェルは度肝を抜かれた。

 何処から聞いていたのかは知らないが、どうやらドロッセルは、この状況を理解しているらしい。その上で正体がバレぬよう、わざわざ耳を隠す布まで巻きつけて、身代わりになる為、この場に名乗りでたのだろう。

 お人好しと言うか馬鹿というか、とにかく直ぐに言葉が見つからない。


「……アイツ、膝が笑ってるじゃないか。怖がりの癖に、無茶しやがって」


 ちょうどレインツェルの前の方に立つドロッセルの足は、小刻みに揺れていた。

 古代熊に追い回されたり、夜の闇が怯えてしまうなど、ドロッセルは人より怖がりで臆病、そして泣き虫だ。理想ばかりで現実が見えてない、お人好しの夢想家ではあるが、それでも人の為に何かしたいと思う気持ちには、一切の迷いも偽りも無かった。

 まさか、この場に自分達以外の人間がいるとは、思いもしないのだろう。

 クラフトはニンマリと笑うと、勝ち誇った様相でドロッセルの姿を見回した。


「お前が聖女か……大層な呼ばれ方をする割に、貧相な小娘じゃないか」

「ひ、貧相?」


 ちょっと傷ついたのか、僅かに足の震えが止まった。


「まぁ、いい。付いてきて貰うぞ聖女。僕達のギルドまでな……まさか、拒否はしまい?」

「わかりました……よろしいですね、リリーシャ」


 振り向き、ドロッセルはちょっと芝居かかった問いかけをリリーシャに向けた。

 問われたリリーシャは表情を一切変えず、


「……かしこまりました、レインツェル姉様」


 と、恭しく頭を下げる。

 リリーシャは、ドロッセルの芝居に乗ることにしたらしい。

 だが、レインツェルは納得出来ない。これでは、犠牲にする選択肢が、二つから三つに増えただけでは無いか。


「――ま、待て!」

「レイ君」


 呼び止める声と、ドロッセルが無理やり割り込む。

 こちらの方に顔を向け、ニッコリと満面の笑顔で微笑んだ。


「大丈夫ですから……お姉さんに、任せておいて下さい」

「……ッ!?」


 言葉とは裏腹に、レインツェルには全然、大丈夫そうには見えなかった。

 表情は青ざめ、肩や膝は震えている。相手は癇癪じみた行動で、子供を人質に取るような人物だ。一緒に付いていくという行為に、恐怖が付きまとわないわけが無い。

 けれども、ドロッセルはクラフトの方へ歩み寄る。


「そんなの、許容出来るかよッ!」

「――お止めなさいッ!」


 踏み出そうとする背中に、鋭いリリーシャの声が突き刺さる。

 すぐさま反論しようとレインツェルは振り返るが、言いかけた言葉は喉に詰まって出てこない。


 何故ならば、視線の先にいたリリーシャが、とても悔しそうな表情をしていたからだ。

 強張った表情で、ドロッセルの背中を見つめ、横に下ろした手は何かを堪えるように、硬く握り締められていた。

 何も出来ない。

 そんな無力さを実感している内に、ドロッセルはクラフトのところまで辿り着いた。


「……おい」


 視線を向けクラフトが短く指示を飛ばすと、傭兵達はクラフトとドロッセルを取り囲むような位置取りをする。

 ドロッセルを逃がさない。と、言うより、不意打ちで邪魔されない為の布陣だ。


「よ~しよし。聖女を捕まえたのなら、こんな場所に長いは無用だ。さっさと帰るぞ」

「……待てよ。その前に、その娘を離していけ」


 さっさと集落から立ち去ろうとする一同を、レインツェルは不機嫌な声で呼び止めた。

 足を止めたクラフトは、此方に視線を向け、侮蔑するよう鼻を鳴らす。


「僕は貴様らのような下等生物を信用していない。帰り道、妙な真似をされても困るからな。森の外まで出て、仲間達と合流したら解放してやる」

「んだと? 話が違うじゃないか!」

「違わなくは無い。そもそも、直ぐに解放するとは言ってないんだ……ゴチャゴチャいうのなら、このまま連れ帰って、好事家に売り払ってもいいんだぞ?」


 拘束されたエルフの娘が「ひっ」と身体を強張らせた。

 激しい怒りがレインツェルの、いや、レインツェルだけでは無く、集落のエルフ達全員の心情を高ぶらせるが、誰一人として行動に移すことが出来ない。

 ただ黙って、じっと怒りに耐えるレインツェル達を、勝ち誇ったように見下ろし、クラフトは高らかに笑う。


「ふっ。ふぅははははははッ! 所詮、耳長などこんなモノよ。最古の種族だと偉ぶってても、人間の、ましてや我らディクテーターにとっては、搾取する存在でしか無いのだよ。それが理解出来たのなら、自らの領分を弁えて、もっと従順な態度を学ぶのだな……行くぞ」


 笑い続けながら、クラフトは傭兵達を引き連れ、集落の外へと向かっていく。

 何も手段の無いレインツェル達はただ、その後ろ姿を見送るだけしか出来なかった。

 やがて姿が見えなくなり、足の止血が終わり一人残ったジョセフが、真剣な表情をレインツェルに向けた。


「すまん。旦那が無茶する前に、落としどころを付けたかったんだが……」

「言ったろ。アンタの所為じゃない」


 ジョセフはエルフ側の都合も考慮して、何とか穏便にことが進むよう配慮してくれた。

 それをぶち壊しにしたのはクラフト自身であり、ジョセフには咎は無いだろう。しかし、それはレインツェル個人の感想であり、集落のエルフ達にとっては彼も、ギルド側の人間という認識は変わらない。

 突き刺さるようなエルフ達の視線に、ジョセフは苦笑いを浮かべた。


「こんな状況で言うのも何だが、筋はキッチリ通す。あの二人には傷一つ、指一本触れさせない。女の子の方も、仲間と合流したらすぐに森へ返す。聖女さんにも、不埒な真似は絶対にさせない……これは俺が、このジョセフが男を懸けて約束するぜ」


 決意の籠った言葉にも、周囲からの視線は冷たい。


「わかった。頼む」


 代わりに、レインツェルがそう言って、軽く頭を下げた。

 何も出来ない無力な自分に比べれば、目の前のジョセフの方がよっぽど頼りになるのだろう。

 そんな自虐に胸を重くしながら、レインツェルは唇を噛み締め、ジョセフを見送った。




 ★☆★☆★☆




 その後、約束通り人質にされたエルフの娘が戻ってきたのは、日が落ちて大分経ってからだった。

 見た目は幼子でも、転生を繰り返すエンシェントエルフ。森の構造は大体把握しているので、出口から集落までの道のりなら、真夜中の暗闇であっても問題無く戻って来られた。


 普段はのんびりとした空気が流れる集落内も、今朝の出来事の後は、ずっと重苦しい雰囲気に満ちていた。なので、少女が無事に戻ってきた時は、皆我がことのように喜んだし、誰もが安堵に胸を撫で下ろした。


 一人、レインツェルだけを除いては。

 少女は帰宅後真っ先にレインツェルの元へ訪れ、迷惑をかけてしまったことを謝罪した。

 別にそのことに関しては、悪いのはクラフトであって、少女に罪は無いと理解している。その上でドロッセルのことを聞いてみたのだが、どうやら森を出てすぐに、クラフトがまた余計なことを言い出す前に、ジョセフが森へと帰してしまった為、詳しい状況はわからないそうだ。


「約束、キッチリ守ってくれたか」


 口だけでは無かったジョセフの行動に、まずは一安心してよいだろう。

 彼が側にいるのなら、当面はドロッセルに危険は及ばない筈。

 問題は、彼女がレインツェルで無いとバレたその後のことだ。

 少女を見送った後、レインツェルは一つの決意を、胸に固めていた。


 翌朝。

 日の明け切らぬ薄暗い中、何時もよりずっと早い時間に起きたレインツェルは、一人身支度を整えていた。


「身支度つっても、剣とかナイフ以外は、大したモン持って無いんだよなぁ……金も無いし……まぁ、何とかなるかな?」


 自室の床に座り込み、周囲は部屋中を引っくり返して集めた私物がひしめき合っている。

 旅で使えそうな物を選別しつつ、レインツェルは旅支度を整えていた。

 そう。森の外へ出て、ドロッセルを助ける為に。


 とは言っても、元々そんな準備を整えていたわけでは無いので、持っていく物は極端に少ない。

 服も普段着だし、これで外の世界を旅していけるのかと疑問が無いわけでも無いが、グズグズしている暇は無いし、旅に使える持ち物も無い。遅くなれば手遅れになるかもしれない以上、悠長に準備をしている余裕は皆無だ。

 それにこんなこと、リリーシャが許可してくれるわけが無い。


「絶対にバレないようにしなくちゃな」

「そう思うのなら、もう少し慎重に行動した方がいいのではないかしら?」

「――いっ!?」


 不意に声が聞こえ顔を上げると、扉を上げてリリーシャが、何やら呆れた様子で此方を見下ろしていた。


「い、いいい何時の間にっ!?」

「……ドア、開いてましたよ。悪巧みをするなら、もっと周囲に気を配りなさい」


 手痛いツッコみに、レインツェルは顔を顰めた。

 驚いた様子が無いところから、リリーシャはこのことを想定済みだったのだろう。

 だったら話は早い。どちらにしろ、もうレインツェルに引くつもりは無いのだから。

 決意を決めると、床の上に胡坐をかいて、リリーシャを真剣な表情で見上げた。


「止めるなよ、リリーシャ。俺はドロッセルの奴を助けに行く」

「止めませんよ。どうぞ、勝手に行ってきてくださいな」

「……そうは言うけどな。俺にも男の意地ってモンが……あれ?」


 言いかけたところで、意外な言葉を耳にしたことに、レインツェルは両腕を組むリリーシャを二度見した。

 軽い口調で許可を出され、思わずレインツェルは正面に両手を突き、身を乗り出す。


「えっ? マジで? 可愛い可愛いレインツェルくんが、集落を出て行っちゃうんだよ?」

「自分で言いますか、それを……」


 軽く息を付いてから、リリーシャは眼鏡を押し上げた。


「助けられた恩を返さぬままでいるほど、我らエンシェントエルフは薄情ではありません。行って御上げなさい、レインツェル」

「……いいのか?」

「よくはありません」


 キッパリと、リリーシャはそう答えた。

 言いながら見下ろす視線には、僅かに悲しげな色が宿っている。


「ですが、これは運命なのかもしれません。貴方はこの狭い森の中に、閉じ籠っているべき者では無い。その運命が今日、この時なのかもしれません。不意に、そう思ってしまったのですよ」

「……それは、俺がレインツェルだからか?」

「違います。貴方が、男の子だからです」


 言い切って、ニッコリと笑顔を浮かべた。


「男の子は何時だって、外を目指して旅立っていくモノ。お行きなさい、レインツェル。貴方が行くべき道は、貴方が足を向けた先にこそ存在するのだから」

「リリーシャ……ありがとう」


 両手を床に付いたまま、レインツェルは頭を深々と下げた。

 その行動に照れたのか、リリーシャはゴホンとワザとらしく咳払いをする。


「それと、これを」


 膝を下ろし、レインツェルの目の前に何かを差し出す。

 それは服だ。旅装束と簡単な装備一式を、リリーシャが用意してくれたらしい。


「これって」

「一応、来るべき日に備えて、用意して置きました……お金も少々ありますので、無駄遣いをしてはいけませんよ?」

「何から何まで、すまないリリーシャ」

「本当ですよ」


 困ったような笑顔を向けるリリーシャ。


「さぁ。早く着替えてしまいなさい。時間はあまりありませんよ」

「わかった」


 頷き早速、服を脱ぎ始めたレインツェルを見て、リリーシャはそっと立ち上がり、部屋の外へと出た。

 扉を閉め暗い廊下に出ると、リリーシャは笑顔を消し、深く息を吐く。

 すると、すぐ横に、誰かが立っているのに気が付く。


「お疲れ様です」

「……オリカ、ですか」


 立っていたのはオリカだ。

 オリカは気遣うような視線で、表情に力の無いリリーシャを見上げた。


「よろしいんですか? 本当に、レインツェルを行かせてしまって」

「良くはありません。良いわけ、無いじゃないですかっ」


 表情をくしゃっと顰め、部屋に中に聞こえぬよう、小さく心情を吐露する。


「十五年間、一緒に暮らして来たのですよ……あの子のいいところも悪いところも、私が一番良く知っています。人間で言うのなら、本当に息子のような存在なんです……それを、危険とわかっていて、外の世界に送り出すなんて、嫌に決まってるじゃありませんかっ」


 先ほどまでの余裕とは打って変わって、リリーシャは早口で捲し立てる。

 それでも声が聞こえないよう、感情を制御するのは、長としてのケジメなのだろう。


「でも、それでも、私はあの子を見送らねばならないのでしょう。長として、聖女レインツェルの名を持つあの子を送り出す義務が、私には存在する……けれど、けれど」


 ポタポタと、雫がリリーシャの瞳から溢れ出る。


「今だけは、今、この瞬間だけは、レインツェルの親として、息子が旅立ってしまう寂しさに浸らせてください」

「……長。私も、お気持ち、わかりますよ。だから……」


 オリカもぐすっと、大きく鼻を啜る。


「ほんの少しでいいんで、私にも同じ気持ちを共有させて下さい。あの子の、姉として」


 暗い廊下の中。レインツェルが着替えをする、ほんの短い時間の間、二人のすすり泣く音だけが静かに響いていた。




 ★☆★☆★☆




 準備を整え外に出た頃には、森に白々とした日の光が差し込み始めていた。

 集落の入り口まで来たレインツェルが振り向くと、見送りに来てくれた二人、リリーシャとオリカが、同じタイミングで足を止めた。


「その恰好。似合っているですよ」

「そうかい? へへっ。サンキュ」


 オリカに褒められ、レインツェルは嬉しそうに指で鼻の下をなぞる。

 リリーシャの用意してくれた旅装束は、思った以上にしっくりと身体に馴染む。

 フード付きのゆったりとしたマントには、エンシェントエルフ特有の、防御魔法縫製で作られており、短弓程度なら軽く弾き飛ばせるだろう。


 小柄なレインツェルに合わせている為、鎧などの重苦しい装備は無く軽装。防具らしい防具は、心臓部分を防御する胸当てくらい。他の装備も動きやすさ重視で、手にはフィンガーレスグローブ、足は膝まで覆う金属付きのブーツだ。

 どれもただの布地や革では無く、全てに魔法による特殊な縫製が施されている。

 軽くて丈夫。何よりも、着心地が抜群だ。


「本当は剣も用意したかったのですが、申し訳ありませんね」

「いや、構わんさ。錆ちゃいるが、使い慣れてるこれで頑張ってみるよ」


 言いながら、腰の古びた剣をポンと叩いた。

 いよいよ旅立ちの時が迫る。

 妙な感慨深さがレインツェルとリリーシャ、二人の間に漂う。


「レインツェル」

「おう」


 名前を呼ぶリリーシャ。

 その姿は何時もと変わらない、厳しさと深い優しさが宿っていた。


「森の外でも、何処の地にいても貴方はレインツェル。私の家族です。どのような状況下にあっても、それは忘れないように」

「わかってるって」

「……それと」


 短く言葉を切ってから視線を落とし、決意の籠った瞳を戻す。


「石と鉄の国」

「はい?」

「レインツェル姉様……聖女レインツェルは彼の地に向かい、その消息を絶ったと風の噂に聞きます」

「石と、鉄の国?」


 脳裏にフラッシュバックするのは、遊佐玲二として過ごし、生きた日本の街並み。

 鉄と石。確かにこじつければ、そう言えないことも無いかもしれない。


「昨日、貴方が言ったことが事実だと仮定するならば、貴方が聖女様の変わりに転生し、この場にいる意味は、聖女様の旅路を辿れば、判明するやもしれません」


 そう言って、リリーシャは困ったように笑う。


「どうせ、あの娘を助けても、真っ直ぐ帰ってくる気は無いのでしょ?」


 図星を突かれて、レインツェルは苦笑だけを返した。

 これより先は、遊佐玲二だった頃を含め三十五年間、見たことも聞いたことも無い世界が広がる未開の地。ドロッセルを助け出さなければいけない状況で、不謹慎かもしれないが、わくわくとドキドキが止まらない。

 そんなレインツェルの姿がおかしくもあり同時に、リリーシャは言いようの無い悲しみを感じていた。


「でも、でも忘れないで……貴方が何処の何者でもレインツェル。貴方は我らの同胞であり、かけがえのない家族なのですから」

「辛かったり、寂しかったりしたら、すぐに帰ってきてもいいんですよ」

「サンキュ、二人共……ちょっくら、行ってくるわ……いや、行ってきます」


 こそばゆい感覚にはにかみながら、レインツェルは手を振って、最初の一歩を踏み出す。

 集落に向ける背に、暖かな視線を感じていた。

 十五年育った場所を旅立つのだ、何の感慨も無い筈は無い。


「……レインツェル。ぐすっ」


 常に冷静で落ち着いていたオリカが、遠ざかる背中に涙を浮かべる。


「見送りに涙は止めなさい……男の旅立ちよ、笑顔で見送るのです」

「……はい」


 真っ直ぐレインツェルの背中の見つめるリリーシャの言葉に、オリカは目尻に浮かんだ涙を拭い、力一杯右手を振り乱した。

 深い森を抜ければ、目の前には大地が広がる。

 いよいよ、旅の始まりだ。






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