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大聖樹の悪童物語  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第1章 悪童とお人好し
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その5 商業ギルド・ディクテーター




 早朝の森は清々しい空気に満ちていた。

 森全体の目覚めを促すように、小鳥達が囀る。差し込む陽気はポカポカと暖かいが、まだ明け方の涼しさが残っているらしく、吹き込む風は少しだけ肌寒い。けれど、ひんやりとした空気が、朝の爽やかさを際立たせてくれている。


 朝露に濡れる木々をかき分け、人が一人やっと通れる細い獣道を、数人の集団が足早に進んでいた。

 人数は六人。その内、四人は武装した傭兵風の男達だ。

 もう一人は、深緑のフード付きマントを被った若い優男で、最後の一人は身なりの良い服装を着込んだ、商人風の青年。


 傭兵達は統一感のある恰好で、先導するように道を進むことから、この森の道先案内人として雇われた者達だろう。その後ろを並んで残りの二人が、特に商人の青年はしかめっ面で、不機嫌さを全身から滲ませつつ歩いている。


 見るからに他の者達と比べて、貧弱な体格をしている商人は、歩くだけでもしんどそうだ。

 なるべく歩き易いよう、足元を踏み固め、藪などを取り除くフードの優男が、軽い口調で商人を気遣う。


「旦那。大丈夫かい? 顔色が真っ青だぜ」

「こ、こんな獣道を歩かされて、大丈夫なわけ無いだろっ!」


 商人は優男をギロッと睨み付け、そうヒステリックに怒鳴る。

 怒鳴られた優男はさほど気にする様子も無く、軽く肩を竦めた。


「全く……これだから未開の地に住む野蛮人共は嫌なんだ。こんな文明の欠片も無い場所で、暮らしていける神経が僕には理解不能だよ……ああっ、クソッ! 虫ッ! なんでこんなに虫が多いんだッ!」


 イライラした様子で、目の前を飛ぶ羽虫を払うよう手を振り乱した。


「そりゃ、森の中だかんね。虫くらいいて当たり前っしょ」

「クソッ、クソッ! 総帥の命令でなければ、こんなところに来るモンか! そもそも総帥は何故、あんな耳長共のことを気に掛けるんだ……理解不能だッ!」

「クラフトの旦那」


 ブツブツと不満を呟くクラフトの耳に、優男は神妙な顔を近づける。


「それ以上は、不味いぜ?」

「グッ……い、言われずともわかっているッ!」


 途端に顔を青ざめたクラフトは、優男を押しのけ、さっさと先を進んで行く。


「行くぞジョセフ! 遅れるなよ! 我ら商業ギルドは何より時間厳守だ!」

「はいはい」


 肩を竦めつつ、ジョセフと呼ばれた優男はクラフトの後ろに続いた。




 ★☆★☆★☆




 エンシェントエルフの集落への来客は極端に少ない。

 立ち入る許可が殆どの場合降りないことも理由の一つだが、一番の理由は訪れる意味が無いということだろう。


 数時間かけて深い森を進み集落へ辿り着いたところで、金銀財宝や神秘に触れる秘術などがあるわけでは無く、娯楽施設も無ければ美味い名産品、特産品があるわけでも無い。唯一、見目麗しい美女達が存在はするが、笑顔で愛想よく出迎えてくれることなど、ことさらありはしない。


 そんな土地柄と風土の所為か、外からの来客を迎え入れられるような、応接間的な部屋や建物は、集落には存在しないのだ。

 なので、外からの来客は、外の広場に迎え入れるのがこの集落の通例となっている。

 集落のちょうど中央。村人達の憩いの場となっている広場の真ん中に、大きな長いテーブルと、幾つかの椅子が設置されていた。


 既にテーブルの周りには、人が集まっている。

 テーブルを挟んで、難しい顔を突き付けあう二つの異なるグループ。

 長のリリーシャを代表とする、エンシェントエルフ達の一団。対面には外からの来客である、商業ギルドの面々が座っていた。正確にはリーダー格の痩せ型の男だけが椅子に座り、他の護衛らしき男達は、背後に控えるよう立っていた。

 まさか、外で話し合いをするとは思ってもみなかったのだろう。


「…………」


 リリーシャと向い合せに座る男クラフトは、不機嫌な様子を隠そうともえず、ジロッと此方を睨み付けていた。

 不躾な態度を受けて、エンシェントエルフ側も、不愉快そうに顔を歪めている。


 広場の隅の方では、外からの来訪者に興味があるのか、数人のエルフ達が遠巻きに様子を伺っていたが、表情を見る限り歓迎している雰囲気には見えない。

 エルフ側も武装した護衛を控えさせてあることから、この会談の険悪さと物々しさを物語っているだろう。


 挨拶をする前から張り詰める、このピリピリとした緊張感に、後ろで腕を組んで控えるジョセフは肩を竦めた。


「やれやれ。美人に睨まれるのは悪くは無いが、こうも敵意丸出しだと、どうも居心地が悪いねぇ……何よりも、口説きに行ける雰囲気じゃないのが悲しい。なぁ?」


 同意を求めるように横にいた男の肩を叩くが、叩かれた中年男は、困ったような表情で曖昧に頷いた。


「…………」

「…………」


 場を和ませる為のジョークも不発に終わり、ジョセフはもう一度肩を竦めた。

 給仕役のエルフがカップに淹れたお茶を、椅子に座るそれぞれの前に置く。

 その間も、無言の睨み合いは続く。


 本当は相手が名乗るまで黙っているつもりでいたが、この様子では何時までも話が進まないと判断したリリーシャは、やむ負えず自分が折れる形で、軽く咳払いをして、場の雰囲気に変化を与えた。

 正面に座るリリーシャは厳しい表情を湛えたまま、軽く眼鏡を押し上げると、普段より一層鋭さを増した言葉を切り出す。


「私がエンシェントエルフの長を務めます、リリーシャです……早速ですが、本日、お伺いになった要件をお聞かせ願いましょう」

「随分と早急ですな。まずは、茶を一杯楽しんでからの方がよろしいのでは?」


 そう言ってクラフトは、持参した角砂糖を三つほど、目の前に用意されたお茶の中に放り込み、匙で軽く混ぜ合わせた。

 失礼な態度に、並ぶリリーシャ以外のエルフ達が顔を顰め、口々に不満を漏らす。


「失礼」


 柳眉を吊り上げる仲間達を、視線で制してから、リリーシャは短く謝罪すると、


「自らの紹介と挨拶も省いていたようですので、それほどまでに急ぎの要件かと気を利かせたつもりでしたが、些か浅慮だったようですね」


 冷静な表情で皮肉を口にする。

 クラフトは「ぐっ」と怒りを露わにするが、舌打ちを鳴らすだけで、余計な言葉は飲み込んだようだ。


「……商業ギルド・ディクテーターの補佐官を務める、クラフトだ。後ろの緑色のが護衛官のジョセフ。他の連中は、道案内の雇われ者どもだ」

「ども」


 軽くジョセフだけが、笑顔で手を上げるが、誰もそれに答えようとはしなかった。

 それに道案内などと言っているが、武装した格好から明らかに傭兵など、荒事に長けた男達。とてもじゃないが、話し合いの席に同席させるべき手合いには思えない。

 エルフ達が彼らに不信感を募る中、リリーシャだけが淡々と話を続ける。


「補佐官? 聞きなれない肩書ですね」

「我らディクテーターは、ギルドの形式を取っているモノの、他の有象無象とは違う独自の組織体系を持っている……ま、森の中に隠れ住むエルフの方々には、関係の無い話だ」


 先ほどの意趣返しか、クラフトはわざわざ嫌味っぽい言葉回をする。

 余計なひと言に場の険悪さが一際増し、背後でジョセフがしょっぱい顔をしていた。

 朝の爽やかな空気にはそぐわない、重苦しい緊張感の中、両者の話し合いはようやく始まる。


「では、改めて要件を聞きましょう。商業ギルドを営む人間の方々が、我らエンシェントエルフに何用かと?」

「なぁに、ビジネスですよ。難しいことでは無く、要件は二つ……売って頂きたいモノがある。それだけですよ」

「売って頂きたいモノ? はて? 我が集落に、外の方々が欲しがるようなモノがあるとは、思えませんが」

「大したモノでは無いよ。この森の一部を土地として、ギルドに売却して頂きたい。ただそれだけの、単純な話さ」


 両手を広げて、事も無げにクラフトは言う。

 途端、それまで平静を保っていたリリーシャの表情に、驚きが浮かんだ。

 同席するエルフ達も同様に、戸惑いの声を漏らす。当然だ。まさか、こんな馬鹿げた話を持ち出すなんて、想像もしていなかったのだから。

 正面に座るクラフトは、エルフ達の動揺を楽しむよう、薄ら笑いを浮かべた。


「……この男」


 明らかにエルフを見下しているのは、一連の態度で直ぐに判別出来た。一応は交渉の席故、体面上はギリギリ、本人の中では、公的な対応を取っているのだろが、厄介なのは腹の中に渦巻く、亜種族に対しての嘲笑や差別を、微塵も隠す気が無いということだ。

 当然、露骨にそれが伝わるのだから、場の空気は余計に険悪なモノとなる。


「話はわかりました……お引き取りを」


 湧き上がる動揺や怒りを押し殺し、リリーシャは短く返答した。


「この森は、我らエンシェントエルフが古来より守り受け継いでいます。人の理による土地の概念は理解しかねますが、それでも人に譲り渡す道理には無いことを、ご理解して頂きたく思います」


 慇懃無礼な態度のクラフトに対しても、リリーシャは長として言葉を選び、大人の対応で断りを入れる。

 何と広いお心だろうかと、同席したエルフ達は感嘆の声を漏らした。

 たが、そんな誠意ある態度も、クラフトには届かない。

 聞こえるように舌打ちを鳴らすと、思い切り表情を歪める。


「だからぁ。その道理とやらを金で買ってやろうと、こっちは言っているんだよ」


 脅しつけるように、クラフトはテーブルに手を叩きつける。

 エルフ側の主張が全く理解出来ないと、苛立ち交じりにクラフトは言葉を続けた。


「何も土地の全てを掠め盗ろうってつもりは無い。森の一部の所有権を、ギルドに渡してもらえれば、それで良いだけの話だ。たったそれだけで、アンタらは集落全体でも使い切れないほどの金を得ることが出来る。それの何が不満なんだ?」


 皮肉もあるのだろうが、クラフトは本気で理解出来ないのだろう。

 森の中で永久に変わらぬ暮らしを続けるエンシェントエルフと、常に変化し続ける世界情勢の中で生きる人間とでは、そもそもにして物の価値観が違いすぎる。

 中でも人間種は、その高すぎる向上心故に、他亜種族との折り合いが悪い。


 いや、傲慢とも言える向上心を持つからこそ、彼ら人間種はこの世界に文化を根付かせ、種族として大いに繁栄しているのだろう。

 クラフトは懐から書類を取り出すと、テーブルに置いてリリーシャの方へと向ける。


「こちらは契約書だ。ここに署名するだけで、みみな……ゴホン。エルフの方々は巨万の富を得ることが出来る……全く持って羨ましい限りじゃないか」


 そう言って笑うクラフトを軽く睨んでから、リリーシャは差し出された書類を手に取る。

 細かく文面をチェックする中、ひたすらクラフトは契約の有用性と自らの自慢話を、聞かれてもいないのに話続けていた。




 ★☆★☆★☆




「……と、言った感じで、今のところ交渉は続いているようですね」


 広場のちょうど正面にある、集落の中では一番大きい建物。長であるリリーシャの住む生家の二階にある、廊下の窓から、外の様子を伺っていたオリカが、横で同じく外を覗き込む、簀巻き状態で器用に立ち上がるレインツェルに、演技付きで状況を解説していた。

 微妙に似ていない物まねで、熱演し続ける様は、ある意味で賞賛に値するだろう。


「別に口調まで再現せんでも……ってか、何で聞こえてんだよ」

「読唇術なのです」

「……リリーシャは背を向けてるから、ここからじゃ見えないけどな」

「長の言いそうなことくらい、相手の受け答えを聞けば、何となくわかりますから」


 と、オリカはシレッとした顔で言った。

 この女性の場合、本気なのか冗談なのかわかり辛いのと共に、それ位の芸当を容易くこなす、謎スペックの持ち主なので侮れない。

 まぁ、そんなことは、今はどうでもいいことだ。


「しかし、土地の売買ねぇ……随分と泥臭い話を持ってくるじゃないか。あのお堅いリリーシャが、そんなことを許可するわけ無いと思うけど」


 確かに巨額の富、と言われる金額の提示が、どれほどかは興味あるけれど、森の奥で暮らすエルフにとって、金銭の価値が外と等価かと言われたらそうでもない。勿論、あって困る物では無いし、年に数回訪れる行商人から、森では手に入らない品物を入手する場合に、金銭を使用する場合もある。


 けれどそんなもの、微々たる金額で十分に賄えている。

 土地を買うということに、意味が見いだせないのか、オリカは不思議そうに首を傾げていた。


「そんな物に沢山のお金を払うなんて、外の人の考えることはわかりませんね。そもそも、森なんか手に入れたところで、何の得も無いでしょうに」

「……いや」


 思い当る節があり、レインツェルはオリカの言葉に首を振った。


「狙いがあるとすれば、樹木だ」

「樹木?」


 此方を向いたオリカは、首を傾げた。


「この森に生えてる木って、外の世界には無い、特別なモノなんだろ?」

「そうですね。大聖樹の恩恵を受けてますから、大聖樹の祝福が無い森の外では、育てることは出来ません」

「それだ」


 指を鳴らしたり出来ないので、レインツェルは大きく顎を上下させる。


「実際触ってみてわかったんだが、ここの木って軽いんだけど、驚くほど丈夫だろ? 乳白色の縞模様が鮮やかだし木目も複雑、上手く加工すれば、ちょっとした高級インテリアにもなる。何よりも、成長が普通の樹木に比べて、異常なほど早い」

「……はぁ」


 いまいちピンとこないのか、オリカは眉根を潜めている。

 ここらの感覚は、生粋のエンシェントエルフであるオリカには、理解し辛いのかもしれない。


 向こうの世界で高級木材と呼ばれる物は、数百万単位で取引されることもあるらしい。そしてそれで作られた家具も一級品とされ、市場に並べば一般家庭には縁遠い値段がつけられる。


 もしも、古代の森の樹木が、高級木材としての価値があれば、一定の土地を得て樹木を採取することによって、莫大な利益を生む可能性がある。

 その常識がこの世界でも、通用すればの話だが。

 だが、オリカには納得いったようで、興味深そうに顎を摩る。


「なるほど。確かにあり得ない話ではありませんが、結局のところ、長が納得しないでしょうね」

「だよな」


 二人は頷いて、窓からリリーシャの後姿を見つめた。

 前例があるとか無いとかの問題では無い。そういうモノなのだ。

 暫く無言で眺めていると、書類から目を離したリリーシャはそのまま、何も記載せずクラフトに返してしまった。


「どうやら、断ったみたいですね」

「だろうな……オリカ姉」

「はい?」

「俺の縄、解いてくれ」


 振り向いたオリカを、至って真面目な表情で見上げる。

 驚くよう僅かに言葉を止めてから、オリカは神妙な顔つきをした。


「長には話し合いが終わるまで、解くなって言われてるんですけどねぇ」

「頼むオリカ姉……ちょっとばかり、嫌な予感がしやがるんだ」


 簀巻き状態から抜け出したい一心の虚言では無く、レインツェルは本当に一連の流れに、妙な違和感を抱いていた。

 人間の中には亜人種の存在を、快く思わない者達もいると聞く。しかし、商いを営む商業ギルドの人間、それも交渉役を任される人物か、ここまで高圧的な態度に出るのだろうか?

 これでは、まとまる交渉もまとまらないだろう。

 オリカも同様の違和感を抱いたようで、難しい表情をして口をへの字に曲げた。




 ★☆★☆★☆




「書類にサインする必要はありません。お引き取りを」


 明快な口調で、リリーシャはそう言った。

 話し合いの余地は無いと、暗に示すようにキッパリとだ。

 それは例えクラフトが物腰の柔らかい、礼節を重んじる人間だったとしても、リリーシャの返答は変わらなかっただろう。


 論じるまでも無く、この商談は元々、話し合いの体をなしていなかったのだ。

 今までのクラフトの言動から、商談を断ったことに怒りを感じ、ヒステリックに喚き散らすかもしれない。リリーシャはそう考え、次にどう彼らを諌め森の外へと送り出すかと思考を巡らせていたのだが、クラフトの反応は全く意外なモノだった。


「そうか……断るというのなら、仕方が無い。この件に関しては、無理強いはよそう」


 思いの外、アッサリと引き下がったことに、リリーシャは僅かな不信感を抱く。

 ニヤリと意味深に笑いながら、次に発せられた言葉に、リリーシャ達の表情はより一層強張った。


「では、第二の要件、これが本命さ……聖女レインツェル。彼女に、我がギルドまでご同行願いたい」

「――ッ!?」


 リリーシャの瞳が、大きく見開かれる。

 まさか、昨日に引き続き、ここでもレインツェルの名を出されるとは。

 だが、わからない。

 先ほどの要件は一応、ビジネスとしての体をなしていた。しかし、商業ギルドを名乗る彼らが、何故レインツェルの名を出したのか。意図がさっぱり読めず、リリーシャは警戒心を滲ませる。

 だが、本命と切り出して来たことで、把握出来たこともある。


「なるほど。先ほどの土地売買の件は、連邦都市から許可を取り付ける為の方便ですか。聖女様に会いたいというそれだけでは、幾らお金を積んだところで、許可はおりませんからね」


 恐らく、言うほど簡単な作業では無かっただろう。

 連邦議会を納得させる為に、綿密な計画書や見積もり、様々な資料を万全に取り揃えなければ、許可は下りない筈。架空の計画の為に膨大な費用と時間をかけ、納得させるだけの資料を制作したのだ。

 レインツェルに会う、ただそれだけの為に。


「いやいや、苦労したし、金も大分使った。だからさ、失敗出来ないんだよ……どんな手を使おうとね」


 クラフトが片手を上げると、後ろに控える傭兵達が武器に手をかける。

 俄かに沸き立つ剣呑な空気に、席に座るエルフ達を含め、遠巻きに見ていた者達からもどよめきが起こった。

 ただ一人、構えなかったジョセフが慌てた大声を張り上げる。


「おい、旦那! 力押しに訴えるには、タイミングが早すぎだろ。もう少し穏便に……」

「黙れジョセフ。僕はな、もうこれ以上、この耳長共と同じ空気を吸っているのが、我慢ならないんだよ……それに、総帥は手段を選ぶなとも申された。その意味、貴様ならわかるだろう?」

「そ、それは……くそっ」


 総帥。その名を引き合いに出された途端、威勢が良かったジョセフの態度が、急激に萎れていく。

 ジョセフは舌打ちを鳴らし、それ以上言葉を続けなかった。

 せめてもの抵抗なのか、一人だけ戦闘態勢を取らなかったが。


「ふん。邪魔をしなければ、いい。貴様はそうやって黙っていろ」


 すぐさま護衛役の武装したエルフ達も駆けつけ、場は一触即発の雰囲気に包まれる。

 人数ではホームだけあって、エンシェントエルフ側の方が断然有利。しかし、クラフトは余裕の態度を崩さない。


「下手な真似はよすんだな。我らに手を出せば、外の仲間達が黙っていはいない。人数制限の所為で連れてはこれなかったが、森の外には百人以上の仲間がいるのだ。指定の時間までに我らが戻らねば、森を焼き打ちするよう指示を出している」

「おい、マジかよ!? 俺ぁ聞いてないぞそんな指示ッ!」

「だから貴様は黙っていると言っている!」


 振り返ってクラフトが怒鳴ると、視線で傭兵達に指示を出す。

 すると、指示を受けた傭兵達は、ジョセフが暴れ出さぬよう、肩を押さえて「まぁまぁ」と諌めた。

 にわかにどよめきが増し、クラフト達に対する非難の声が飛ぶ中、リリーシャだけは冷静な対応を崩さない。


「正気ですか? 連邦都市の許可を受けている以上、集落で無用な騒ぎを起こせば、無事では済みませんよ?」

「そんなものどうとでもなる。たかだた、亜人の村が一つ地図から消えるだけではないか」

「おい、いい加減にしろよ旦那ッ! アンタ、私情で喋りすぎだッ……なぁ、長老さん」


 肩を掴む傭兵達を振り払うと、ジョセフは焦りの滲む視線をリリーシャに向ける。


「騒ぎを起こすのは俺達だって本望じゃない。だが、俺達にもメンツがある。別に取って食おうってわけじゃないんだ。その、レインツェルって人に、話だけでもさせて貰えないか?」

「ジョセフ! 貴様、余計な口を挟むなと……もがっ!」


 これ以上、喋らせると話が余計拗れると判断して、ジョセフは後からクラフトの口を抑え付けた。

 そして、視線をリリーシャに戻し、頼み込むような愛想笑いを浮かべた。

 彼がこれ以上、騒ぎを大きくしたくないのは伝わる。

 だが、


「お断りいたします。お引き取りを」


 リリーシャは真っ直ぐ背筋を伸ばし、頑なに拒否する。

 それは彼女一人の意思では無く、他のエルフ達も同じのようで、敵意の籠った視線をクラフト達に向けていた。


 こりゃ、駄目だ。

 完全に敵対してしまった状況に、ジョセフは後悔が入り混じるよう、表情を顰める。。

 その所為で、口を押えていた手の力が緩んでしまった。


「――え、ええいっ!」


 首を振り、押さえられていた手を振り解くと、激昂したクラフトがテーブルを叩いて立ち上がる。


「交渉決裂だッ! 構うことは無いッ。腕の一本も斬り落としてやれば我々の……!」


 ヒステリックに怒鳴り散らした瞬間、正面に座っていたリリーシャが顔を真横に傾ける。

 同時に、背後から投擲されてきた木製のカップが、一直線に飛んできて、真っ赤に染まるクラフトの顔に直撃した。


「――ギャン!?」

「おっと」


 投擲されたカップが顔面に直撃し、クラフトは大きく後ろに仰け反る。

 衝突して上に弾かれたカップを、反射的に手で受け止め、驚いたジョセフが後ろに一歩下がってしまった為、支えてくれる人も無く、クラフトは椅子ごと地面へ、背中から落下していった。

 皆がどよめく中、一人リリーシャが大きくため息を吐く。


「……出てこないでと、言い含めておいた筈ですが?」

「寝ている内に簀巻きにしといて、よく言うぜ」

「だ、誰だ無礼者ッ!」


 鼻を押さえクラフトは顔を上げるが、椅子に座ったまま倒れた所為で、上手く立ち上がることが出来ない。

 代わりに、ジョセフが驚きに満ちた声を漏らす。


「お、男? エンシェントエルフの、少年?」


 ジョセフの視線の先には、手の平でポンポンと木製のカップを弄ぶエルフの少年が、此方に向かい歩いてきていた。

 少年……レインツェルは、クラフト達に視線を向けると、ニヤリと不敵に笑う。


「その喧嘩、俺が買わせて貰うぜ?」


 僅かに怒気の混じる声色で少年は、腰のベルトに繋げた剣を、威嚇するようにカチャッと鳴らした。






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