その40 王権を斬れ
火薬庫に火花が散ったかのような、背筋がゾッとする緊張感。
それを霧散したのは火薬庫自身、マルコット王だ。
「あはははは! 中々、面白い冗談を言うなぁ、エルフ君」
後頭部をポリポリと掻きながら、マルコットは破顔した。
レインツェルが放った暴言に対して、怒るでも嘆くでも無く一笑の下、笑い飛ばす。
マルコットはスィーズ王国の王であり法。ルール自体に刃向うなど、彼にとっては笑い話でしかないのだろう。
同じようにマリーゴールドも、口元を扇子で隠し笑っていた。
それのみならず、控えているショコラ以外の兵士達も、クスクスを漏れる笑みを堪えるのに必死だった。
だが、レインツェルは至って真面目な表情で、笑うマルコットを睨み続ける。
「冗談なんかじゃないさ、マルコット。アンタは勘違いしている」
「勘違い? 何がだい?」
笑顔のまま、マルコットは疑問を口にする。
僅かに細めた視線は、笑ってはいなかったが。
正直いって、勝算は低いかもしれない。けれど、ここが勝負どころと割り切って、レインツェルは覚悟を決め、心のアクセルを全開に踏み込む。
作戦など無いに等しい、ゴリ押しの出たこと勝負だ。
ある程度の仕込みはしてあるが、武器はハッタリと虚勢を通し続けられる度胸のみ。
「勘違いも甚だしい。アンタはこの国が絶対王政だなんて安心しきっているようだが、世の中そんなに甘くは無い。絶対の事柄なんて、絶対にあり得ない」
「……ほう?」
興味深げな色が、マルコットの瞳の奥に宿る。
反対に気分を害したマリーゴールドは、目を吊り上げて声を荒げた。
「無礼すぎるわ! 亜人種風情が、陛下に意見を申し立てるだなんて! ショコラ。構うことはありません。即刻、そこのエルフを無礼討ちに……」
「まぁまぁ、いいじゃないか」
激昂するマル―ゴールドを諌め、マルコットはソファーに身体を預けた。
背中を柔らかいソファーに沈ませながら、笑みを湛えたマルコットはゆっくりと足を組み、レインツェルに対して、話を続けるよう手を差し出し促した。
仕方なくマリーゴールドは黙るが、向けられる視線は怒りに燃えている。
「続けてよ。君の話は、実に興味深い」
ニコニコと笑いながら、余裕の表情。事情を知らない人間が見れば、何と物分りの良い、話の通じる王様なのだろうと、感心するのかもしれない。
けれど、この余裕は、自分の優位が絶対に崩れないと、信じて疑わないからだ。
最後に勝つのは自分だと、心の底から信じているから、こうしてマルコットは心乱すこと無く、レインツェルの暴言に笑顔を保っていられるのだろう。
その鼻っ柱を、徹底的に粉砕してやる。
再度心に決意を固め、レインツェルは言葉を発する。
「国を治めるのは確かに、王様であるアンタだ。好みの女を、力づくで奪い取れるんだから、絶対王政ってのはかなりの力があるんだろうさ」
「ま、当然だよね。僕は有能な王だから」
自慢げな言葉に、エリザベス達は表情を顰める。
「有能なのは確かだ。無能な王様ほど、始末に負えないモノは無いからな。現にアンタはそれを証明するように、反対派閥を見事に抑え付け、国と政治を見事に自分のモノとして扱っている」
「へぇ、意外だね。よく知っている」
感心したように、マルコットは頷いた。
これは、事前にドロッセルがこの別邸に留まっている間に、カタリナと共に調べておいてくれたモノだ。
元々はエリザベスの結婚話を潰す為、ひっそりと情報収集をしていたのだが、まさかこんな場面で使うとは思ってもみなかった。
だが、所詮はただの情報。他国の人間であるドロッセル達が、簡単に聞き出せてしまっている内容なのだから、マルコットにとって都合の悪い話があるわけも無い。あったとしても、容易に握り潰せる権力を、マルコットは保有している。
余裕の態度は変えず、マルコットは足だけを組み替えた。
「それで? だから、どうしたっていうのさ? まさか、反王政派を抱き込んで、僕を王権から引き摺り下ろそうって?」
自分で言ってから、マルコットは朗らかに笑った。
「無理だよ、無理無理。そもそも、反対派閥の人達は殆ど出席してないし、多少騒がれた程度で、僕の王権を崩すことなんて不可能だよ」
「そりゃ、現状の反対派閥だけだったらな」
「……何だって?」
僅かに。ほんの僅かだが、マルコットの声色が低くなる。
「もしも、反対派閥の力が、今より大きくなったらどうなると思う?」
意味深に聞こえるよう、ゆっくりと言葉に間を持たせながら、レインツェルは不敵に微笑んでみせる。
その迫力に飲まれてか、マルコットの表情から余裕の笑みが揺らいだ。
「数は力だ。アンタの王権が絶対的なモノだとしても、それを支えるのは有力貴族達の支持があるからだ。愛人を使ったコネクションを最大限に利用して、国内の重要人物だけでなく各国の著名人達とも太い繋がりがある。それがアンタの絶対王政が絶対である理由だ、違うか?」
更に迫力を持たせるように、口調はゆっくりだがハッキリと。語尾に行くにつれ、単語を強調しながら声のトーンを大きくしている。
大声で恫喝しているわけでは無いので、兵士達も止めるタイミングを外してしまう。
じっくりとかけられる圧が煩わしく感じられるのか、マルコットは急に落ち着かない様子でソワソワし始めた。
組んでいた足も、何時の間にか解いている。
「だ、だからどうしたのさ? それを証明したところで、僕が優位なのは変わらないだろう」
「だったらもしも。アンタを支持する有力貴族達が鞍替えしをして、反対派に回ったらご自慢の絶対王政はどうなるのかな?」
「――そ、それはッ!?」
思わず、反射的にマルコットは大きな声を張り上げてしまう。
直ぐにハッと気が付き、取り乱したのを取り繕うよう咳払いをしてから、浮かしかけていた腰をソファーへと戻した。
「そんなことはありえない。僕は、彼らに信頼されているからね!」
自信を持つように、マルコットは胸を張って言い切る。
横のマリーゴールドも同調するよう、何度も首を縦に振って頷いていた。
だが、その言葉を更に攻める。
「その信頼が今回の一件で揺らいでしまったとしたら?」
「――何を証拠にそんな馬鹿げたことをッ!」
堪らずマルコットは、テーブルを叩いて大声を張り上げた。
負けじとレインツェルも立ち上がり、真正面からマルコットを睨み付けた。
「今回の件で別邸が襲撃を受けた時や、死霊に建物を囲まれた際、怪我人、死傷者が多数に出ている。そいつはアンタも認めているよな?」
「だからどうしたと言うんだッ!」
「負傷した人間の中には、王権を支持する貴族の身内も存在する。それをぞんざいに扱うのなら、アンタを王様の資格無しと判断してもおかしくは無いだろう?」
「おかしいだろッ! おかしすぎる、馬鹿げた話だ!」
声を荒げ、マルコットは否定する。
しかし、レインツェルは言い聞かせるよう、首を左右に振って、否定の言葉を更に否定した。
「いいや、アンタは見限られる。いや、既に見限られているんだよ」
「な、なんだって? 出鱈目を言わないでくれッ!」
虚勢を張るように、マルコットはテーブルを手の平で叩く。
大きな音が室内を木霊するが、この期に及んでそんなこけおどしに怯む人間は、目の前には存在しない。
「今までは実績があったから、アンタがどんだけ無茶しようとも、アンタの派閥の貴族達は王家を擁護し続けてくれた。勿論、権力に擦り寄ってる連中が大半だろうが、中には心ある貴族も存在する筈だ。特にその連中が、今回の件に関して眉を潜めアンタの王都しての在り方に疑問を示している」
「何を馬鹿な。冗談だとしても笑えない、くだらないにも程があるッ!」
「ドロッセル」
視線を向けると、突然話を振られた彼女は、「ひゃい!?」と身体をビクンとさせる。
「アレを王様に見せてやれ」
「あ、あれ? ……ああ、えっと」
立ち上がり、ごそごそと紙の束をテーブルに置き、マルコットに差し向けた。
「えっと。これ、何ですけど……?」
本人もそれをこの場に出すことに、何の意味があるのか理解していないのか、挙動不審に視線を泳がせ、発する言葉にも落ち着きが無い。
眉を潜めてマルコットが、テーブルの上に置かれた紙に手を伸ばそうとするが、直前でレインツェルが引っ手繰る。それを見易いように、マルコットの眼前に突き付けると、書かれている内容に驚愕した。
「な、何なんだこれはッ!?」
「今回のマリーゴールド王妃が起こした事件に関する、厳罰を求める貴族達の抗議文。これはその署名だ!」
「――なんですって!?」
「――ええっ!? そ、そうなんですかぁ!?」
「……何でドロッセルも驚いているのさ」
カタリナのジト目と小声のツッコミを受け、慌ててドロッセルは口を手で押さえる。
腕を組み、黙って様子を見守っていたフランシーヌが、ひゅうと口笛を鳴らした。
勿論、嘘だ。
これは事前に自前で用意した、偽の抗議文。適当な文章を並べた書類に、それっぽい適当な名前を、筆跡を変える為、皆で手分けして署名したモノだ。
じっくり見られるとバレる可能性が出てくるので、偽の書類はさっさとしまう。
もっとも、マルコットが貴族の名前を一人一人、確りと覚えているような律儀な人間ならば、チラ見しただけでもこの書類が偽物だと見抜けただろう。見抜けなかったのはそれだけ、マルコットが自身の権威に溺れ、足元が疎かになっていた証拠だ。
そして、疑問が浮かび上がる前に、更に強い口調で畳み掛ける。
「アンタを擁護する貴族達が反対派に回れば、確実に権力は弱体する。弱体すれば、甘い汁が吸えると擦り寄ってきた日和見の貴族達も、アンタから離れていくだろう。そうなれば、絶対を誇っていた王権も揺らいでしまいだろうな」
「――馬鹿なことを言っているんじゃないよ!」
テーブルを殴りつけて、マルコットは勢いよく立ち上がる。
温和だった表情は見る影も無く、鬼のような形相を晒していた。
「とんだ茶番だ! 付き合い切れないよ! 妻が迷惑をかけた詫びとして、話に付き合ってやってたのに……そもそも、君のような亜人種と王族である僕が会話をしてあげているのは、エリザベスの友人だからだ。そうでなければ、誰が君なんかと……」
「話をすり替えないで貰いたいな王様。それに、何も俺はアンタの王権を揺るがしたいわけじゃない。俺は」
そう言って、レインツェルは同じく般若の如き顔付きで睨み付けている、マリーゴールドを指差した。
「マリーゴールドに厳粛な裁きをして貰いたい」
「妻を裁判にかけろとでも?」
「それだけじゃない。この件を公にし、キッチリと関係各所に謝罪をして貰う……勿論、黄金の虎にもな」
その言葉に、カタリナとエリザベスはハッと息を飲み込んだ。
今、マルコットを追い詰めている証拠こそでっち上げだが、マリーゴールドが事件を起こし、多くの被害者を出したのは間違い無い。代理人でも書面でも、公式な謝罪が行われれば、立場が弱くてもそれを引き合いに、今回の結婚話を白紙に戻せる。
相手に非がある以上、同じ手で追い詰めることも、もう出来ないだろう。
それを嫌がったからマルコットは、この場だけの謝罪で済まして、事件を無かったことに仕立て上げたいのだ。
自国での出来事ということで、内々に処理出来ると高を括っていたのだろう。
人の良い雰囲気を装っても、根っ子に宿る傲慢さが仇となる。
「――ふざけるなッ!」
激昂したマルコットは、乱暴に目の前のレインツェルを怒鳴りつける。
だが、レインツェルは動じない。
怯まず、慎重さのあるマルコットを真っ直ぐ見上げて、トドメとばかりに追い詰める。
「ふざけてなんかいない。アンタの取るべき道は二つ。謝罪して許しを請うか、虚勢を張って形骸化する王権にしがみ付くかのどっちかだ!」
「冗談じゃない! 僕は王だぞ! 下々のモノに下げるべき頭など無いッ!」
「だったらせめて、アンタを支持し続けたのに、今回の件で被害を受けた貴族達くらいには謝罪するべきなんじゃないのか!」
「だから代わりに金を払うと言っているんだッ! 僕は王だ、このスィーズ王国の統治者なんだ! それはつまりこの国が僕の物であり、住む人間は貴族や庶民問わず、僕達王家の所有物なんだよ!」
怒鳴り散らしながら、マルコットは目の前のテーブルを蹴り上げる。
「陛下! どうか、落ち着いて下さ……」
「――お前は黙ってろショコラッ!」
止めようとするショコラの言葉にも耳を貸さず、怒りに呼吸を荒くするマルコットは、血走った目をレインツェルに向ける。
負けじと、レインツェルも強い眼力を返す。
「いい加減に認めろよみっともない。少なくとも、王権派の貴族達は、アンタが頭を下げて許しを請えば、まだ話に耳を傾けてくれるかもしれないんだぞ?」
「ゴチャゴチャゴチャゴチャと、エルフ風情が小賢しいんだよ!」
言葉の意味をキチンと理解しているのか、それとも感情だけが先走っているのか、マルコットは激しい口調で腕を振り乱している。
「絶対王政の中では王の意見が絶対なんだよ、真実なんだよ! 死ねと言われて死ねない貴族なんてなぁ、こっちから願い下げなんだよ!」
声が枯れるかと思う怒号が、室内に響き渡る。
あまりにもあまりな暴言に、誰もが絶句してしまい、奇妙な沈黙が訪れた。
その中で一人、状況が分かっていないマリーゴールドが、同調するように頷いていたのが、酷く滑稽な姿に思えた。
完璧な居直りだ。
だが、突き付けた証拠が偽物である以上、マルコットに頑なな態度を取ってしまえば、これ以上は追い落とすことが出来ない。
詰みに至るまでは、手数が足りなかったか。
ドロッセル達が悔しげに顔を顰める中、一人レインツェルだけがニヤリと口の端を吊り上げていた。
「……悪いがその言葉で、アンタは完全に詰んだぜ?」
「なんだと? どういう意味……」
意味を問い質す前に突然、部屋の扉が開け放たれた。
今は大事な話の途中だと、苛立ちながらマルコットが視線を向けると、そこには羽扇を持った幼い女の子が立っていた。
無駄に重そうな和装に似た服を着た、ボリュームのある真っ白い髪の毛の少女。
頭の上には明らかに髪の毛とは違う、猫耳っぽいモノがぴょこんと二つ飛び出ていた。
「だ、誰だ君は!?」
予想外の状況を叩きかけられ、すっかり動揺しきったマルコットは、上擦った声を張り上げる。
見知らぬ少女が突然、部屋を訪れれば、誰だって同じような反応を示すだろう。
少女は慌てること無く、羽扇をパタパタと扇ぎながら、自分の猫耳を指先で弄っていた。
「おお、おおっ? 失礼失礼、そういえば、ノックを忘れていたのですのぅ」
そう言って、少女は軽く頭を下げた。
のんびりとした口調と雰囲気に飲み込まれ、咄嗟に反応出来なかったエリザベスとカタリナは、互いに顔を見合わせてから、もう一度少女の方を見た。
呆気に取られた妹二人が面白かったのか、フランシーヌがぷっと吹き出す。
「「――せ、先生ッ!?」」
ようやく、カタリナとエリザベスが揃えて、驚きの声を漏らした。
一人、状況に置いて行かれているドロッセルが、目を点にして首を傾げる。
先生。
二人がそう少女を呼んだことで何かに気付いたのか、マルコットはサッと顔色を青くした。
「せ、先生って……まさか、ニルヴァーナ。神算のニルヴァーナか!?」
「ええ~~~っ!?」
そこでようやく、少女の正体に気が付いたドロッセルが、驚愕に声を張り上げた。
「し、神算のニルヴァーナと言えば、先の戦争で帝国軍と連邦が戦った際に活躍した、名軍師のお名前じゃないですかッ!?」
「えっ。そんな有名な奴の?」
「何でレイ君が驚いてるんですかっ!」
驚いたのは、マルコット達だけでは無い。
現れた少女の名前に驚愕したのは、ショコラや警備担当の騎士達も同様だった。
神算のニルヴァーナ。
武の神がホウセンならば、知の神はニルヴァーナと称さされる軍略の天才。その神算鬼謀故に、戦時中は暗殺の危険から身を守る為、複数人の影武者を立て、決して正体を明らかにすることは無かった。
それがまさか、十歳程の少女だったとは驚きだ。
いや、彼女の獣耳を見れば、ニルヴァーナがただの、年端もいかぬ少女では無いことがわかるだろう。
賢猫種。
獣人の中でも数が少なく、長寿で知られる特殊な亜人種だ。
驚く視線を一身に浴び、ニルヴァーナは照れ笑いを浮かべながら、羽扇で自分の顔を扇いだ。
長らく行方知れずと噂されていたが、まさか黄金の虎に身を寄せていたとは、スィーズ王国側には思いもよらなかったのだろう。
「ほっほっほ。そのように見つめられてしまうと、照れ照れしてしまうのです。しかし……」
羽扇の動きを止め口元を隠しながら、ニルヴァーナは視線を細めた。
「年寄りの愛らしさに目を奪われる前に、王達は自らの足元を顧みるべきなのですのぅ」
言いながら、ニルヴァーナは開かれた扉から室内に足を踏み入れると、誰かを招き入れるように視線を廊下側に投げ込んだ。
誰を呼んだんだ?
マルコットが疑問に眉根を寄せていると、数人の男達が神妙な表情で姿を現した。
「き、君達は……」
現れた五名程の、身なりの良い中年男性達に、マルコットは見覚えがあった。
それも当然。彼らは、スィーズ王国で重要な役職に就く、貴族の要人達だ。
王権派で知られる彼らは、皆一様に黙り込み、厳しい顔付きで王であるマルコットを見つめていた。
その冷たい視線に、マルコットはたじろぐ。
「何だ? どうしたって言うんだい君達」
「…………」
笑顔を浮かべ、マルコットは友好的な態度で接しようとするが、貴族達は皆、表情に困惑を深めながら、互いの意思を読み取るかのように顔を見合わせていた。
マルコットには、彼らが何故このような反応を示すのか、理解出来ていないようだ。
それを教えるように、レインツェルが口を開く。
「さっきは随分と大層な口を叩いていたじゃないか。死ねと言われて死ねない貴族なんて、此方から願い下げだ。なんてさ……随分とデカい声で。廊下にいても聞こえたんじゃないか?」
「――あっ!?」
そこでようやく、マルコットは自分の失言に気が付き、顔色を青くする。
何とか取り繕うとマルコットが言い訳を並べるより早く、貴族達の中で最年長の一人が、おずおずと申し訳なさげな顔で前に進み出た。
「……陛下。我々は、王国に忠誠を誓いましたが、陛下の使い捨ての道具ではありません。お国や民の為に命を捨てる覚悟はあれど、今回の件は些か、我々としても王室との関わり合い方を、考え直さねばなりません」
「そ、そんな……待て。待ってくれ!」
遠回しに、王権の支持から離れることを告げられ、マルコットは慌てて説得しようと身を乗り出すが、最年長の一人が一礼したのを切っ掛けに、他の面々も謝罪の言葉を口にしながら頭を下げ、早々に部屋を出て行った。
偽装だった王権派の離反が、本物になった瞬間だ。
「待て……待てと言っているだろうッ!」
「みっともないぜ、お・う・さ・ま?」
慌てて追いかけようとするマルコットの行く手を阻むよう、今まで黙っていたフランシーヌが開かれたドアの前に立つ。
獣の如き鋭い眼光で射抜かれ、マルコットはうっと怯んだ様子を見せる。
「う、裏切りだわっ! これは、酷い裏切りよっ! 即刻、即刻今の連中の首を撥ねなさい! 撥ねろ!」
顔面が蒼白になったマリーゴールドが、ヒステリックに喚き立てるが、警護役の騎士達も状況に対応仕切れず、オロオロとした様子を見せていた。
二人の縋るような視線を受けたショコラは、冷静に首を左右に振る。
完全に詰みだ。
これでもう、マルコットはマリーゴールドに罪を償わせ、今回の一件を謝罪する以外に道は無くなった。
それでも諦めの悪いマルコットは、未練がましくも喚き散らす。
「何故だ! 何でこんなことに……僕ぁ、ただ。エリザベスを愛しているだけなのに……」
嘆くよう両手で自分の顔を抑え付け、マルコットはエリザベスの方に視線を向ける。
「なぁ、何で僕の愛を受けいれてくれない。一目会った時から、僕の気持ちは君にこんなにも恋焦がれてしまっているのに……乱暴な真似をしたことは謝ろう。でも、それは君を愛するが故、何とか君の愛を僕の手元に置きたかったからだ」
身振り手振りを駆使して、マルコットは全力で自らの愛を語る。
聞いている方が恥ずかしく思うくらいの熱弁だが、この場にいる誰にも、その熱が伝わることは無い。当然、エリザベスにも。
これが一途な思いならば、あるいは心を動かされるかしれない。けれど、マルコットの行いは度が過ぎている。そもそも、ただ一人、エリザベスを愛するが故に一途な思いでは無いのだ。
好色な王様が、小娘一人に執着している、情けない様相に過ぎない。
詩集でも読み語るかのような言葉が、一つも心を震わせていないのは、冷めきったエリザベスの表情を見ればわかるだろう。
そんなことにも気づかず、マルコットは必死で語りかけた。
「今回の件は全て謝罪する。そっちの申し出も受ける。大平原にも、黄金の虎とも良い関係が築けるよう特別に取り掛かろう……だから、だからエリザベス。どうか、どうか君だけでも、この僕の気持ちを受け取ってはくれないか?」
そう言って手を差し伸べるマルコット。
何を馬鹿なことを。言いかけるカタリナを、エリザベス自身が制止した。
「……申し訳ありません、マルコット王」
まずは謝罪してから突然、エリザベスはカタリナが腰に吊るしてある剣を抜き放った。
光る刃に緊張感が走り、反射的にショコラや騎士達が臨戦態勢を取る。
「――ひっ!?」
斬り付けられると思ったのだろう。
驚いたマルコットは後ずさるが、バランスを崩して床に尻餅をついてしまう。
しかし、エリザベスは剣を右手に持つと、左手で自分の後ろ髪を束ね、その根元に刃を添えると、躊躇うことなく切り裂いた。
「……へぇ」
「……ほむ」
フランシーヌとニルヴァーナは、感心したように頷く。
一方のカタリナとドロッセルは、あっ!? と驚きの声を上げていた。
様々な感情の入り混じる視線を浴びながら、エリザベスは切り裂いた髪の毛を投げ捨て、高らかに言い放った。
「髪が女の命ならば、プリンセス・エリザベスはこの瞬間に死にました。その命を持って謝罪しましょう……私は、貴方の物にはならないことを」
「な……何故だっ!」
「黄金の虎のプリンセス・エリザベスは死んだ。この身は既に、ただのエリザベスです。そしてその身、その命、その魂魄は既に一人の殿方に生涯を捧げます」
そう宣言して、チラッと視線をレイツェルに向ける。
「今、この瞬間より私は我が主、悪童のレインツェル様の槍。我が命、我が身体、我が魂、我が武。その全てが燃え尽き、血の一滴までもが渇き切る瞬間まで、全てをレインツェル様に捧げることを誓います! ……我が生涯はレインツェル様の物。故にもう二度と、私を妻にするなどという妄言をおっしゃらないで頂きたい!」
高らかなエリザベスの言葉に、誰もが呆気に取られた。
要約するに彼女は、自分はレインツェルのモノになったから、もうマルコットを含めた他の男の下に、嫁に行くつもりは無い。そう言っているのだ。
「……中々、ダイナミックな振り方、振られ方だな」
当事者の一人でありながら、何故かレインツェルは他人事のような素振りで、感心しながら自分の顎を摩っていた。
誰もが絶句し言葉を失う。
その中でアングリと顎を落としたマルコットは、真っ白に燃え尽きたかのよう、膝から崩れ落ちた。




