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大聖樹の悪童物語  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第1章 悪童とお人好し
4/47

その3 ドロッセル・ラウンゼット





「長はレインツェルに対して、過保護だとオリカは思うのですよ」


 湯呑に注がれたお茶をズズッと啜りつつ、オリカは平坦な口調で言った。

 途端、対面に正座で座るリリーシャは、とても渋い顔をする。

 長として行うべき昼の業務を終え、オリカと共に一端自宅へと戻ったリリーシャは昼食を取り、食後の温かいお茶で一服していた。


 本来なら、レインツェルに勉強を教える為、丸一日予定を空けていたので、この後の予定は皆無。なので、午後からどうしようかと考え始めたところ、何の前振りも無く唐突に、オリカはそう切り出してきたのだ。

 眉間に思い切り皺を寄せつつ、平然とした面持ちでお茶を一口含む。


「そんなことはありません。私はあの子の保護者として、厳しく誠実に、接しているつもりです」

「はぁ。だったら、剣術とか森に関する知識とか、ちゃんと教えてあげれば良いのに」

「剣術? 森? 危ないじゃないですかっ。あの子が怪我などをしたら、可哀想だとは思わないの!?」


 何を馬鹿なことを言っているんだと、リリーシャは大きく目を見開いた。

 過保護丸出しの姿にオリカは、やれやれと小さく肩を竦め、お茶を啜る。


「その割には、私や他のエルフ達に、教えるよう指示を出しているようですが」

「何も知らない内に無茶をして、怪我をしたら大変では無いですかっ! それにあの子は、やれば何でも出来てしまう優秀な子ですから」


 一転して今度は自慢げに、ふふんとリリーシャは鼻を鳴らす。


「……めんどくさっ」


 目を三角にして、オリカは小さく呟いた。

 複雑な親心と言えば聞こえは良いのだろうが、リリーシャの場合はその自覚が薄い。

 甘やかすなら甘やかす、厳しくするなら厳しくすると、どちらかの教育方針に統一して欲しいのだが、それが出来ないのが親心。この、何とも不器用な優しさが、リリーシャらしいと言えば、らしいのだろう。

 ここまで複雑になってしまうのは、レインツェルのことに関して限りなのだが。


「まぁ、それはさてと置きまして、今朝方は、随分と興味深いお話をしてらっしゃったようですが?」

「えっ? ああ、前世の記憶とかいうお話ですか?」

「ですです」


 頷くオリカに、リリーシャは訝しげな視線を向ける。


「……貴女、何処で聞いていたのですか?」

「そんなことより、どうなのでしょう。レインツェルは、冗談を良く口にしますが、今朝のそれは冗談の類と違うような気がします」

「…………」


 誤魔化すようなオリカの言葉に、リリーシャは疑うような視線を向けるが、直ぐに表情に真剣な色が宿った。

 少し考えてから、硬い口調で唇を開く。


「……レインツェルの存在は、様々な意味でイレギュラーです。それに、聖女様……レインツェル姉様のことを考えれば、あり得ない話では……」


 聖女レインツェル。

 多くが森の奥で一生を終えるエンシェントエルフの中で、その生涯を外の世界の活動に費やす異端なる女性。女神の如き慈愛と、英雄の如き冒険心をその身に宿す伝説的エルフで、多くの逸話を外の世界に残しているそうだ。


 彼女は十五年前に死亡し、今の悪童と呼ばれるレインツェルに転生した。

 聖女レインツェルの死には謎が多い。

 本来、死期を察したエンシェントエルフは、死ぬ直前、または死した亡骸を、大聖樹の元に帰すことにより、肉体と魂が浄化され、新たなる肉体に転生する。しかし、聖女レインツェルは大聖樹には帰らず、外の世界で死亡している。


 だが、大聖樹は魂の帰還を告げる花の蕾を、その枝に付けた。

 そして桃色の花が咲き誇ると同時に生まれたのが、今のレインツェルだ。


「現在こそ、男子っぽい顔立ちになっていますが、紛れも無く聖女様の面影を残しています。それに、集落を調べても、同じ時期に転生を行ったエルフは無く、行方知れずなのは聖女様のみ」


 全ての証拠が、レインツェルの前世が、聖女であったことを示す。

 同時に髪の色の変化や、エンシェントエルフには存在しない男性個体であること、何よりも本来あるべきの、記憶や知識の引き継ぎが、全くされていないなど不可解なことは多く、未だにそれは解明出来ていない。


「もし、もしも、聖女様が此度のことを、意識的に行ったのだとしたら……あの子がこの地に使わされたことは、何か意味があることなのでしょう」


 聖女レインツェルと、悪童のレインツェルは、全く別の存在かもしれない。

 それが、長らくリリーシャが考えて、出した答えだった。

 意味はある。意味はあるだろうが、その意味が何を指し示すのか現在の段階では、皆目見当がつかない。


「では、長は今後、レインツェルをどう扱うおつもりで?」

「どうもしません」


 首を傾げる問いかけに、リリーシャは迷わず答えた。


「聖女様に意図があろうと無かろうと、レインツェルは我らが同胞、家族です。特別扱いはしませんし、今まで通り、普通に接し教育していきます」


 当初は戸惑いもしたし、色々と悩みの種は尽きなかった。

 けれど、どんなに手のかかる子供でも、いや、手がかかる子だかこそ、リリーシャは今のレインツェルととても愛しく思っていた。人間における親子関係が存在しないエンシェントエルフの中で、リリーシャは確かに母性の目覚めを実感していた。

 十五年もの間育んできた絆の前には、それらの事柄など些細なことに過ぎない。


「ふぅ~ん……でも」


 割と感動的な会話の流れだったのだが、オリカの次の言葉がそれを台無しにする。


「男の子なんだから、お嫁さん、必要ですよね?」

「――ぶふっ!?」


 思わずリリーシャは、口に含んでいたお茶を吹き出してしまう。


「ななななな、何を唐突に言うのですかっ!」

「何って、お嫁さんですよ、お嫁さん。今まではともかく、種族として性別が存在してしまった以上、自然な流れだと思いますけど」

「ひひひ、必要ありません! そんなっ、お嫁さんだなんてっ!」


 上ずった声で、リリーシャはバンとテーブルを強く叩く。

 何故、そんなに取り乱すのだろうと、オリカは一瞬眉を顰めるが、直ぐに答えに行きついたらしく、ああと納得するよう頷いた。

 そして、半笑いの視線を向ける。


「……子離れ、した方がいいんじゃないですか?」

「――誰が馬鹿親ですかっ!?」


 金切声で叫び、またテーブルを強く叩いた。


「まぁ、でも、レインツェルもお年頃ですからね。好きな女の子が出来たりしてたら、長に紹介したりするんじゃないですか?」

「何を馬鹿なことを。あのヤンチャ坊主にそんな甲斐性があるわけないじゃありませんか」


 鼻で笑いながら、リリーシャはグッと残っていたお茶を煽った。

 若干、湯呑を持つ手が震えていたのだが、オリカは見ない振りをして、何食わぬ顔でお茶を啜る。

 と、入り口の方から何やら物音が聞こえ、オリカはチラッと視線を其方に向けた。


『――ただいまぁ。リリーシャ、いるか?』


 ドアを隔てた向こう側から、レインツェルの声が届く。


「おや? 随分とお早いお帰りで」

「全く。勉強をさぼっておいて、随分と堂々としたモノですね……帰ってますよ!」


 呆れ半分で、リリーシャは大きく息を吐いてから、そう声を張る。

 しかし、レインツェルは何故か、直ぐにドアを開けようとはしなかった。

 二人が顔を見合わせ不思議がっていると、ドアを蹴る音と共にレインツェルは叫ぶ。


『すまん! 手ぇ塞がってんだ。開けてちょうだいな!』


 そう言って、ガンガンとドアを蹴る。


「ドアを蹴らないッ! 全くもう」

「あ、私が行きましょう」


 立ち上がろうとするリリーシャを制して、代わりにオリカがドアへと向かう。

 ドアを開いた先に立っていたレインツェルの姿に、冷静沈着なオリカも思わず言葉を失ってしまった。


「あれ? オリカ姉、いたのかよ……んじゃ、ちょうどよかった。怪我の手当してくれないかな? 結構、傷が深くてさぁ、腕上がんないんだよ」


 唖然とするオリカの横をすり抜け、家に上がり込むレインツェルの左肩は、指の先まで真っ赤に染まるほど、流れた血が固まっていた。

 思わぬ光景を目にしたリリーシャも、手に持った湯呑を床へと落としてしまう。

 怪我もそうだが、一番リリーシャを動揺させたのは、レインツェルが担いでるある物体に対してだ。


「あ、貴方? そそそ、その怪我は一体。それに、右肩に乗っけているのは……」

「あ、これ?」


 震えるリリーシャが指さす先には、スカートに包まれた女の子のお尻が。

 レインツェルが右肩に、人一人を担ぎ上げていた。

 気絶しているのか、ピクリとも動かない少女のお尻を、レインツェルは落ちないよう押さえている右手でパンパンと叩く。


「森で拾った」

「これは、予想外」

「……はうっ」


 冗談めかした一言を聞いた途端、眩暈と共にリリーシャは床に倒れ込んだ。

 その後、目を覚まして取り乱すリリーシャに、古代熊と戦ったことなどを話すと、再び気絶してしまい、ようやくまともに会話が出来るようになったのは、それから一時間以上経ってのことであった。




 ★☆★☆★☆




「は、初めまして。わたし、ドロッセル・ラウンゼットと申します……この度は、大変なご迷惑をかけ、申し訳ございませんでした」


 用意された藁で編まれた座布団に座り、淡いピンク髪の少女ドロッセルが、今にも泣きだしそうな表情と口調で、深々と頭を下げた。

 テーブルを挟んで正面に、頭痛を堪えるような表情で、リリーシャが座っている。

 そのちょっと後ろ、部屋の隅では、オリカから手当てを受けながら、話を聞いているレインツェルの姿があった。


 ドロッセルが目を覚ましたのは、つい数分前。

 気づいたら見慣れぬ場所だった所為か、当初は軽く動揺する様子を見せたが、直ぐに状況を理解したらしく、此方から諌めることなく、自ら落ち着きを取り戻してくれた。頼りなさげな外見ではあるが、順応力は意外と高いのかもしれない。

 そうして改めて、ドロッセルの口から、ここまでの事情を聴くこととなった。


「……ま、済んでしまったことを、今更あれこれ言っても仕方ありません。ここは、互いの無事を喜ぶだけにしておきましょう」

「本当に、ごめんなさいっ」


 額が床に付くほど深く頭を下げ、ドロッセルは情けない声で謝罪した。

 話を聞けば案内役を雇って集落を目指し、森の中に侵入したのだが、どうやらその案内役に騙されてしまったらしく、荷物とお金を持ち逃げされ、一人取り残されてしまったそうだ。

 帰るにも道がわからないので、ならばと勘だけを頼りに一か八か、集落を探して森の奥へと進んでいる最中、古代熊の子供に出会ってしまった。


「それで、その……あまりの愛らしさに、つい」

「不用意に近づいてしまったと……」


 恥ずかしそうに、人差し指の先端を合わせて頷くドロッセルに、呆れ顔でリリーシャは額を押さえた。


「でも、気持ちはわかります。小熊さんは、びっくらこくほど可愛いですから」

「アレがどう育って、あんな凶悪な外見になるのか疑問だけどな」


 包帯を巻きながら同意するオリカの言葉に、上半身半裸のレインツェルも頷く。

 余計な茶々を挟むなと、リリーシャがジロッと睨み付けると、二人は素知らぬ顔で治療に集中する。

 ドロッセルの方へ向き直り、リリーシャは咳払いを一つ。


「その点は理解しました。運が悪かったと割り切って、これ以上の追及は無しにしましょう……ですが、ラウンゼットさんは我がエンシェントエルフの集落に、何用で? 失礼ながら、何か、国や組織を代表する特使には見えませんが……」


 エンシェントエルフの集落に立ち入るには、特別な手続きを踏んで、許可を得る必要がある。見た目だけの話では無く、何の事前連絡も無い時点で、彼女が正規の手続きを踏んでないのは明白だ。


 その場合、往々にして犯罪がらみの場合が色濃くなる。

 外の世界と交流がほぼ無いエンシェントエルフは、人身売買において破格の金額がつけられていると聞く。


 それ以外でもエンシェントエルフの秘宝とも言うべき、大聖樹を狙う悪しき者も後を絶たない。故に古代の森には何重の結界が施されており、許可を得た者か、エンシェントエルフ以外では、集落に辿り着けないようになっている。


「今回は例外中の例外と思ってください」


 リリーシャの視線が鋭く、厳しさを帯びた。

 視線を受けたドロッセルも、唇を結び、強い眼差しを向ける。


「それで、ラウンゼットさん……貴女は何用で、我が集落に訪れたのですか?」

「聖女様……レインツェル様にお目通り願いたく、ここに訪れました」


 真っ直ぐと真剣に、ドロッセルは言葉を発する。

 リリーシャは僅かに驚くが、動揺を表情へは出さず平然とした顔を保つ。


「何故、そのことをご存じなのですか?」

「噂は少しですが、外の方にも流れています。聖女レインツェル様が、転生なされたと」


 期待の籠る視線に、リリーシャはほんの少しだけ、表情に影を落とし呟く。


「……人の口に戸はかけられないと言いますが、歯痒いですね」

「えっ?」

「いえ、此方の話です……それで、レイン……聖女様に御用とは?」


 チラリと背後に目を向け、レインツェルが勝手に名乗り出さないよう、視線で釘を刺してからリリーシャは問いを重ねる。

 すると、ドロッセルは何故か、言いよどむように口をモゴモゴとさせた。

 リリーシャの眉間に皺が寄る。


「? あまり、人に聞かれたく無い理由なのですか?」

「い、いえ!? そんなことは無いのですけれど……駄目よドロッセル。頑張るって決めたでしょ」


 アワアワと手を振り乱したかと思うと、急に真顔で独り言を呟きだす。

 挙動不審な態度に、一同の表情に困惑が浮かぶ中、ドロッセルは覚悟を決めるかのよう、両の拳を握りしめ「よしっ!」と気合を入れた。

 真剣な眼差しで真っ直ぐリリーシャを、見られた方が少し引くくらい強く見据えると、意を決して口を開く。


「レインツェル様にはわたしと……世直しの旅に出て欲しいんですっ!」

「……はっ?」

「……へっ?」

「ほう」


 冗談を言うなと笑い飛ばせないほど真面目な声色で、ドロッセルは言い切った。

 これにはリリーシャのみならずオリカも、反応に困った様子で、固まってしまう。

 ただ一人だけ、本人であるレインツェルだけが、興味深そうな顔をして、自由に動かせる右手で自分の顎を摩っていた。

 気まずい沈黙が流れる中、ドロッセルはドヤ顔で鼻息を荒くする。


「如何でしょうか? ぜひぜひ、レインツェル様にお目通りを……」

「暗くなる前にお引き取りください」


 言い終わる前に、冷めた口調でリリーシャは、バッサリと切り捨てた。

 今度はドロッセルの方が凍りつく。

 時間が静止したのかと錯覚するほど、何とも言えない雰囲気が広がる中、外から小鳥の囀りだけが聞こえてきた。

 十数秒の沈黙を経て、ようやくドロッセルの固まった表情がひくっと、痙攣する。


「なっ」


 両手を床に付いて、ドロッセルは身を乗り出した。


「何故ですかっ!?」

「いや、何故って、それはそうではなかろうかと……」


 おいおいと手を振りながら、オリカが平坦な声でつっこむ。

 けれど、ドロッセルの耳には届かず、彼女は必死の形相で目の前のリリーシャを説得する。


「結界に守られたエンシェントエルフの方々はご存じないかもしれませんが、昨今、外の世界は様々な問題に頭を悩ませています。最大国家と呼ばれた帝国の皇帝が崩御なされたことを切っ掛けに、長らく栄華を誇っていた帝国は分裂。表面化こそしていませんが、大きな争いに発展するのは時間の問題でしょう」


 危機感の滲む声で、ドロッセルは外の世界の近況を訴える。


「それに端を発し、連邦都市国家や同盟団、マグナ教団の野心家達も、虎視眈々と領土拡大の為、開戦の切っ掛けを探っていると聞きます。それだけではありません」

「長、長。お茶、飲みます?」

「頂きましょう……貴方は?」

「ああ。俺はいいや」


 熱弁が振るわれる中、エルフ三人は既にもう飽き気味だ。

 そんなことはお構いなしに、ドロッセルの演説はヒートアップしていく。


「人間優位主義者による亜人種への差別が横行し、都市部の華やかさとは対照的に、地方などでは貧困に喘ぐ箇所も少なくありません。それなのに、民を導くべき貴族や権力者はノブリスオブリージュを忘れ、汚職に塗れ私腹を肥やすばかり。いま、時代は英雄を必要としているのです!」

「あ、お茶どうぞ」

「ありがとうございます!」


 オリカから受け取った湯呑を持つと、早口で喋り倒して喉が渇いたのか、一気にそれを飲み干した。

 豪快な飲みっぷりそ見せ、ぷはっと口元を拭うと、潤ったことで急に冷静になったのか、ドロッセルは顔を真っ赤にして、肩を狭め身を小さく丸めながら、静かに湯呑を床へと置いた。

 引き攣った笑顔をして、上目使いでリリーシャの表情を伺う。


「……そ、それで、その。聖女として名高い、レインツェル様のお力を借りようと思ったのですが……如何でしょうか?」

「…………」


 リリーシャは無言のまま、ズズッとお茶を啜る。

 固唾を飲んで見守るドロッセルの視線を受け、軽く息を付いてから、リリーシャは真っ直ぐ目を見て口を開く。


「お帰りを、ラウンゼットさん。我々エンシェントエルフには、関わり合いの無いことでございます」

「し、しかし! 今、誰かが行動を起こさねば、取り返しのつかない事態になるかもしれません! 現に聖女レインツェル様はそれを危惧して、様々な問題にお取組みになった」

「その問題の全てを聖女様に押し付けようと、貴女はそう仰っているのですか?」


 真っ直ぐと突き刺すような視線に、ドロッセルは息を飲み目を見開く。


「そんなっ!? 違います!」


 辛辣な言葉を受けて、心外だと主張するようドロッセルは立ち上がった。

 しかし、直ぐに冷静になったのか、花が萎れるよう弱気な表情になって、その場に座り込んでしまう。

 バツが悪そうに、ドロッセルは顔を伏せる。


「す、すみません……つい、頭に血が上ってしまって。確かに、都合の良いことを言っているのは、重々承知です。ですが、ですがわたし一人では、何かしたくても何も出来ないんです。どうか、どうかお力添えを願います!」


 何度も、何度も額を擦り付けるようにして、ドロッセルは頭を下げ頼み込む。

 あまりにも真剣なその姿に、それまで黙っていたレインツェルが、思わず口を開いてしまった。


「……なぁ、アンタは……」

「貴方は口を挟まないで下さい」


 何故、そこまで必死になるんだ?

 そうレインツェルが問おうとした言葉は、リリーシャによって阻まれてしまう。

 咎めるような一方的な口調に、レインツェルはむっとした表情をするが、何かを口に出すより先にオリカが肩を掴み、怒りを宥めるような表情で首を左右に振った。

 レインツェルは舌打ちを鳴らし、無理やり不満を腹の奥へと押し込んだ。


「お願いします! お願いします! せめて、お話だけでもさせてください!」


 額を床に擦り付けて、ドロッセルは必死の声を張り上げる。

 その姿をジッと正座したまま、リリーシャは無表情で見下ろしていた。

 いや、無表情の中に宿る感情の揺らめきが、僅かながら感じ取ることが出来た。


 他人から見れば必死で頼み込んでいるのにと、無情な光景に映るだろう。しかし、リリーシャは決して冷血な人物では無い。ドロッセルが口先だけでは無く、本気で世の中を何とかしたいと思っていることは、ヒシヒシと伝わっている。

 だが、エンシェントエルフの長としての立場が、何よりもレインツェルの保護者としての心情が、ドロッセルの申し出を許諾することを許さなかった。


「……ラウンゼットさん」

「はい……ッ!?」


 顔を上げたドロッセルは、思わず目を見開いて驚いた。

 それは、後ろにいるレインツェルとオリカも、同じだった。

 先ほどまでのドロッセルのよう、額を床につけるようにして、リリーシャが頭を下げていたのだ。


 エルフの一族は、誇り高いことで知られる。

 その長となれば体面的にも相手に、ましてや物事の手順も踏まない無礼者相手に、頭を下げるなんてあってはならない。

 けれど、リリーシャは頭を下げた。何の躊躇いも無く。


「どうか、お引き取りを」

「…………」


 短いが、確実な拒絶の言葉に、もうドロッセルの口から、続く言葉は無かった。

 唖然とした顔に後悔が滲む。

 それは断られたことに対するモノでは無く、自分の主張を押し付けた上に、相手の方に頭を下げさせてしまった。そういう方法を取るよう、リリーシャを追い詰めてしまった自分の浅はかさに、後悔と共に悲しみに胸が押し潰されそうだった。

 固く唇を結ぶ姿から、ひしひしとその後悔が伝わってきた。


「随分とお人好しだな、あいつ」


 ポツリと呟くレインツェルは、口元を僅かに綻ばせた。

 目尻にジワッと浮かんだ涙を袖で拭うと、ドロッセルは再び頭を下げる。

 懇願では無く、謝罪の為に。


「わかりました。無理を言って、申し訳ありませんでした」


 そう言うと立ち上がり、肩を落としてドアの方へ。

 扉の前でもう一度此方を振り返ると、ペコリと頭を下げて、そのまま出て行った。

 皆の視線でドロッセルを見送ると、心配させない為か、扉を閉める直前、少し悲しげだが笑顔を見せて、そして力無く扉を閉めた。

 遠ざかっていく音が消えると、リリーシャは深々とため息を吐き出す。


「……これで、諦めてくれると助かるのだけれど」

「どうでしょうねぇ。ああいう、一本気な方は、往々にして諦めが悪いのが定番ですが、律儀な方のようですので、礼儀に背くことは、してこないと思いますよ」

「そうだといいのだけれと……ああ、それはそうと」


 既に終わったこととして、リリーシャは全く関係の無い業務の話を、オリカに切り出す。

 何だかんだと難しい話が交わされる中、左肩に巻かれた包帯の具合を確かめながら、レインツェルはジッとドロッセルが出て行った、扉を見つめている。

 その表情、その瞳には確かな、深い好奇心の色が宿っていた。





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