その35 諦める女、諦めない悪童
「……リザードマンって奴、なのか?」
水辺から姿を現したのは、巨大なトカゲ人間。
疑う余地無く、魔物と呼ばれる種族だ。
表面をぬめりのある鱗で覆い、手には何処から手に入れた物なのか。錆び付いた剣や槍を握っている。
縄張りに踏み込んだからなのか、既にレインツェルを敵と定めている様子。
長い舌をチロチロ見せながら、虎視眈々と此方の隙を狙っている。
グルリと楕円形に総勢八匹のリザードマンが、レインツェルを取り囲む。
「……ぐっ」
横たわったままのエリザベスが、蛇矛に手を伸ばすが毒に蝕まれた身体では、戦うことはおろか、握り締めることも出来なかった。
代わりにレインツェルが、庇うように前に立ち、腰の剣を抜き放つ。
「どうやら、ゆっくりと探索している暇は無さそうだな」
切っ先をリザードマン達に向け、動きを牽制。
少しでも怯んでくれれば儲けモノと思ったのだが、体格差があるからか、リザードマンはそんな様子を全く見せず、ペタッと間合いへ踏み込んでくる。
包囲網が狭まり、胃が重くなるような緊張感が増す。
「……ここまで、ですか」
既に心が折れかけているエリザベスが、諦めに満ちた声を出す。
それを笑い飛ばすよう、レインツェルは鼻を鳴らした。
「馬鹿を言うな。俺は、俺達は絶対にここから抜け出すんだよ」
そう言ってレインツェルは、一歩前へと踏み出す。
動けないエリザベスを、後ろで守ったまま戦いうのは難しい。
相手の方が数的に有利な以上、危険でも此方から攻勢に出た方が良いだろう。
軽く腰を落とし、胸の紋様に意識を集中する。
「ブーストアップ。レベル1」
心臓が大きく高鳴り、身体にじんわりと熱が宿った。
漲る力が胸の奥を蝕む恐怖心を覆い隠し、レインツェルは小さく呼吸をすると、力強く右足を踏み込んだ。
二足。
たったそれだけで、レインツェルは正面にいるリザードマンとの間合いを縮めた。
「――ギギッ!?」
素早い動きに、リザードマンは驚きの泣き声を漏らすと同時に、ブラックミスリルの刃が脇の下から斬り上げるようにして、左腕を叩き落とした。
甲高い絶叫に似た鳴き声が、地下道に反響する。
「――ふっ」
短く息を吐き、身体をクルリと横に半回転。
すぐ真横にいたリザードマンの胴体を、真っ二つに斬り裂いた。
どす黒い血を撒き散らし、リザードマンは崩れ落ちながら、その場で絶命。
返す刀で腕を落とされたリザードマンの首に、刃を叩き込み、二匹目の息も容易く止めてしまう。
この間、一秒にも満たない出来事だ。
早い。
傍目に見ていたエリザベスは、素直にそう感想を思い浮かべた。
「あれが、ブースタースペル……確かに物凄い力ですが、それ故に危険過ぎます」
大きさの割に俊敏な動きを見せるリザードマン相手に、圧倒的な力で斬り伏せるレインツェルに、エリザベスは危惧を抱いていた。
鍛え上げられた武では無く、常人を超えた身体能力による戦闘。
言うなれば、本能と直感で戦う獣と同等だ。
人の身が操るには、暴力的過ぎるその動きは、骨格や筋肉、そして精神に大きな負荷をかけるだろう。
常人を超える力というのは言い換えれば、常人には扱えない力なのだ。
あの力を行使し続ければ、遠からずレインツェルは自滅するだろう。
力の制御や有無では無い。使い続ける度に、肉体に致命的なダメージを残す。決して癒すことの出来ない見えない傷は、小さくとも確実に肉体と精神を蝕み、いずれは限界と共に崩壊してしまう。
ブースタースペルが禁術とされているのは、そういった理由があるからだ、
「……けれど、私には関係の無いことですね」
ため息と共に、エリザベスは小さく呟いた。
戦いの場において、戦うことはおろか、蛇矛を握ることも出来ない。
毒に犯されいるだなんて、ただの言い訳。自らの不甲斐なさに、割れた心の罅が更に大きく亀裂を広げた。
沈み込むように、心にぽっかりと虚無が広がる。
消え去りそうな意識に身を任せてしまえば、どんなに楽だろう。
そんなことを思いながら、ゆっくりと瞼が落ちていく。
「――エリザベス!」
意識が落ちる寸前、レインツェルの声がそれを引き戻した。
声に反応するまま、無言でエリザベスが顔を向けると、断りを口にする前にレインツェルは左手で腰を抱え上げた。
そのまま楽々と、エリザベスの身体を持ち上げ、左肩に乗せて抱える。
身体が動かないのでされるがままだが、エリザベスは驚きに満ちた声で抗議した。
「な、何の真似ですかっ!」
「何の真似って、逃げるんだよ。見ろ」
抱えたエリザベスの顔を水辺の方に向けると、血の匂いを嗅ぎつけてきたのか、リザードマン達が更にゾロゾロと、陸に昇ってこようとしていた。
その数は軽く倍はある。
「あんなの一々、相手にしてられるか……とっとと逃げるぞ」
「逃げるって、一体どこにですか?」
ここは鉱山の下にある天然の地下道。
辛うじて足元を確認出来る程度の明かりはあるが。何処が何処に繋がっているかも定かでは無い。
そもそも、出口に通ずる道があるのかも疑問だ。
「だからってむざむざ、トカゲ共の餌になるのか? 俺はゴメンだね。ついでに言えば、目の前でお前が貪り食われるのもゴメンだ」
会話をしている内に、最初に水辺から上がったリザードマン達が襲い掛かってくる。
それを、喋りながらレインツェルは、回避し、剣で一撃を受け止め、すれ違いに反撃を喰らわせながら言葉を続ける。
「ブースタースペルだって万能じゃ無いは、俺も身に染みて知っている。だから、ここはさっさと尻尾を巻いて逃げるぞ、反論は?」
「……もし、逃げ場が無かったら?」
捲し立てる言葉に捨て鉢な態度を取っているが故つい、どうでもいい質問を口にする。
「だとしたら面倒だが、トカゲ共を一匹残らず駆除するだけだ。わかったら、行くぞ」
「ま、待って下さい!」
「あ~っもう! まだ何かあるのかよ!」
踏み出した途端、エリザベスの声に呼び止められ急停止。
そのタイミングを狙い打ち出された槍が、目の前ギリギリを掠め、冷っとしながらも刃を叩きつけるようにして乱暴に払う。
エリザベスは動かない身体を僅かに振るい、視線を地面に巡らせる。
「わ、私の蛇矛を……」
「ぬぐぐ……し、仕方が無い」
荷物になるので置いて行きたいところだが、蛇矛に関する曰くを聞いてしまった手前、捨て置くことも出来ず、仕方なしに転がっている蛇矛のところに戻る。
重心の真ん中に爪先を差し込み、蹴り上げるよう真上へ。
「――はぐっ!」
両手は塞がっているので、大きく開けた口で蛇矛の柄を噛み締めた。
かなりの重量がある為、ブースタースペルで強化されていても、噛み締める顎にずっしりと重い。
気を抜けば、顎が抜け落ちてしまいそうだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「ら、らいひょうぶらぁ」
そう強がってから、リザードマンに囲まれる前に、地面を蹴って脱兎の如くレインツェルは逃げ出した。
★☆★☆★☆
プリンセス・エリザベス。
何時頃から、そのような呼ばれ方をされ始めたのか、本人の記憶にも無いが、そう呼ばれて嬉しいと思った瞬間は、一時としてなかった。
元を辿るなら、長姉であるフランシーヌがクィーンなどと呼ばれているからだろう。
虎の女王の異名は、まさにフランシーヌに相応しいと、エリザベス本人も思う。
身内の贔屓目を差し引いても、姉の才能、才覚は本物。武神、英雄の資質を、他の誰よりも色濃く受け継いだのは、フランシーヌを置いて他にはいない。いや、父ホウセンをも超える大器では無いかと、一部では噂されている。
神に愛される存在とは、まさしく彼女のことを指すのだろう。
それに比べれば、エリザベスが天才と呼ばれることなど、恥ずかしいことだと本人は思っている。
カタリナは、エリザベスと比べられることに、辛さを感じていたと言う。
同じような感情を、エリザベスはフランシーヌに対して抱いていた。
物心ついた時から、長姉と勝負事をして勝てた試しは無い。
毎日予習復習をし、万全の態勢で勉学に勤しんでも、手に血豆を作り、小便に血が混じるほど武術の鍛錬を重ねても、日々遊び歩き、訓練のくの字も見せたこと無いフランシーヌの足元、いや、髪の毛先程も及ばなかった。
だが、そのことで長姉を恨んだり、腐るようなマネを、エリザベスはしたことが無い。
長姉に及ばないのは、自分の努力が足りないから。才能が無いのならば、それ以上の努力で埋めればいい。
その一心だけを胸に秘め、エリザベスは何時しか、虎の姫と呼ばれるようになった。
辛いことも沢山あったが、カタリナという守るべき存在がいたからこそ、エリザベスは歯を食い縛り耐え忍んでこれた。どんな汚辱も屈辱も、鍛えに鍛えた鋼の精神力で、耐え忍ぶことが出来た。
だが、その結果がこれだ。
守るべき者からの反発を招き、心の弱さに漬け込まれ、マリーゴールドの罠に嵌められた。
恐らく、これが切っ掛けで結婚話は破談になるだろう。
娘を罠に嵌められて、父親であるホウセンが黙っている筈は無い。
結婚話を今更白紙撤回すれば、黄金の虎の立場は悪くなる。その上で、スィーズ王国が帝国と手を結べば、ますます状況は泥沼化すだろう。最悪の場合、停戦協定は破られ再び大陸は、戦火に包まれるかもしれない。
その時、真っ先に戦場となるのは、スィーズという盾を失った大平原。
そして、戦争の切っ掛けを作ってしまった黄金の虎に、周辺諸国が助けの手を伸べることは無いだろう。
毒で上がった熱の所為で、くらくらと意識が上手く定まらない。
揺れる身体の心地よさが、僅かに身体を楽にしてくれるからか、無意識に口が動いていた。
「……結局のところ、私の独りよがりでした。プリンセスなどと呼ばれ、浮かれて、結局はこの体たらく……何て無様だと、自分で自分に呆れてしまいます」
「お前ら、やっぱり姉妹だな。そのグズグズとした口調、カトリーナにそっくりだぞ」
独り言のように続く自虐的な言葉に、レインツェルはうんざりといった表情で堪らず口を挟む。
「――ッ!?」
レインツェルの声に、揺らいでいた意識が引き戻された。
ここは、先ほどの地底湖から横に伸びた洞窟。
リザードマンの群れから逃げ延びる為、偶然見つけた横穴に飛び込み、網の目状になっていた洞窟を適当に右へ左へ。何とかかんとかリザードマン達から逃げ切ることに成功はしたが、すっかり道に迷ってしまった。
その間に毒気から来る熱にやられ、意識が朦朧としていたのだ。
現在、エリザベスはレインツェルの背中に背負われ、顎にも限界が来たので、蛇矛は二人の腹の背中の間に差し込まれていた。
魔鉱石のボンヤリとした灯りを頼りに、レインツェルはひたすら、前へと進む。
相変わらず毒の影響で体調の悪いエリザベスの、荒い吐息が耳元を擽る。
「カタリナは、目の前の障害を乗り越えられる強い娘です。どんなに不器用でも、持ち前の反骨心がある限り、躓くことはあっても、決して心折れることは無いでしょう。その点、私は駄目です。周囲の言葉に唯々諾々と従っていた私は、あの娘のような柔軟さも強さも、思合わせていません」
「自分を貶めたいのか、妹を自慢したいのか、どっちかにしてくれよ」
ため息交じりに、レインツェルはそう言いながら、やっぱり似ていると心の中で呟いた。
まぁ、エリザベスもまだ若い女の子。こんな状況で弱気になるなと言う方が、難しいだろう。
格言うレインツェルも、不安で胸が一杯だが、ここで取り乱しては男が廃ると、必死で動揺を押し殺しているのだ。
今後の状況を想定した場合、レインツェルの意見は少しだけ違う。
このままレインツェル達が死亡した場合、戦争までは発展しないだろう。
下手な芝居まで打ってまで、マリーゴールドが自作自演の茶番劇を繰り広げたのだ。戦争に発展するまで、帝国と連邦の関係が険悪になるのは、スィーズ王国としても避けたいところなのだろう。
襲撃者達と相討ちになり、エリザベスは命を懸けて、マリーゴールドを救出した。
何の証拠も無ければ、どんなにグレーゾーンでも、ホウセン達はそれ以上スィーズ王国側を糾弾出来ないだろう。
下手を打てば、戦争になる可能性を秘めているのだから。
「……ま、こんなこと、エリザベスには話せないけどな」
話したら最後、これ幸いとこの場で腹を斬りかねない。
それに、この程度の推測に意識が回らないということは、エリザベス自身かなり参っているのだろう。
そういう意味でも、あまりエリザベスに負担をかけるべきでは無い。
いや、もしかしたら、ある程度の予測がついているからこそ、こうまで諦めが早いのかもしれない。
どちらにしても推論。わざわざ、口にする必要は無いことだ。
「とにかく、笑えとまでは要求しない。こんな状況だ、湿っぽい雰囲気になるのも仕方が無い。けれど、諦めたようなことはゴクッと腹に飲み下しなさい。俺も泣いてしまうから」
「…………」
返事はしなかったが、コクッと頭を上下させる気配があった。
そしてエリザベスは、脱力するように、身体をレインツェルの背中に押し付けた。
慎ましやかだが、確かに感じる二つの膨らみに、レインツェルは無言のまま上半身を前に傾けた。
「……特に意味は無いよ?」
「は?」
いや、何でも無いと、レインツェルは首を左右に振った。
その後は特に会話も無く、黙々と洞窟を進む。
流石は天然の地下道だけあって、真っ直ぐ平坦な道が伸びているわけでは無く、急に道幅が狭くなったり広くなったり、下ったり上に昇ったりと様々。中でも頭を悩ませるのが、頻繁に発生する分かれ道だ。
目の前で二股に分かれた道を見て、レインツェルは足を止めて息を吐く。
「これで何度目だよ」
道を選ぶといっても、判断基準がほぼ無いので当てずっぽう。
だが、下手な選び方をすれば、同じところをグルグルと回るだけなんて自体も。
最悪、リザードマンの巣窟だった、地底湖の広場に逆戻りしてしまう恐れもあるだろう。
視線を、全く同じ二つの通路、左右を交互に見る。
「風でも感じ取れれば、選びやすいんだけどな……エリザベス、どう思う?」
「…………」
背中のエリザベスは無言のまま、何のリアクションも取ってはくれない。
やれやれと肩を竦めてから、レインツェルは仕方なしに独断で、左手の通路に足を向けた。
特に理由は無い、勘だ。
また再び、黙々と歩き始める。
山歩きで多少、人より体力があるとはいえ、レインツェルは小柄だ。一晩で戦闘を二度もこなし、死霊の群れを突っ切り、夜道を延々と走る。その上で、エリザベスを背負って地下道を、出口を探して彷徨い歩くのは、精神的にも肉体的にも負担がかかるだろう。
ひんやりと空気は冷たく湿っているのに、レインツェルは全身にびっしりと、脂汗をかいていた。
それを不自然に思ったのだろう。
唐突に、エリザベスが口を開く。
「……重いのですか? そんなに汗をかいて」
「ん? ああ、その。俺ってば新陳代謝が良い方だから」
「重いのでしたら、別に私をその辺に置いて行っても構わないのですよ」
「だから、違うってばさ。そういう、後ろ向きな発言禁止!」
「……ごめんなさい」
少し強めに叱りつけると、エリザベスはシュンとした様子で声を細めた。
何時もだったら、もっと手厳しい言葉が飛んでくる筈なのだが、何だか拍子抜けしてしまう。
「はぁ……やれやれだぜ、っと」
言いながら、背負ったエリザベスの位置を直そうと、お尻の方に回す腕に力を込め、身体を上へと持ち上げる。
「あっ」
持ち上げた時の反動で、身体と背中に間に隙間が出来てしまい、挟んでいた蛇矛が滑り落ちそうになるのを、エリザベスは反射的に上半身を前のめりに押し付け、無理やり落下を止めようとする。
その際、蛇矛の柄がゴリッと、レインツェルの腰骨辺りを強く押し込んだ。
「――痛ッ!?」
「……えっ?」
思わず足を止め苦痛に顔を歪めたレインツェルは、慌てて漏れかけた言葉を噛み殺すが、エリザベスは気が付いてしまった。
リザードマンとの戦いで、怪我を負っていたのか?
いや、目を離していた時もあったが、手傷を負ったような場面は無かった筈だ。
だとすると、レインツェルが怪我をするような時は、一つしか思い当らない。
「もしかして、落下する時、私を庇って……?」
「……少し、強く打っただけだよ」
誤魔化しきれないと悟って、レインツェルはぶっきら棒な声で認めた。
スッと、エリザベスが鼻から大きく息を吸い込む音が聞こえた。
「……馬鹿ッ」
そう言って、辛うじて動かせる頭で、コツンとレインツェルの後頭部を叩いた。
「う、動けない私なんかを庇って怪我をして……貴方は馬鹿です、大馬鹿です」
「俺は、そうは思わないけどなぁ」
「いいえっ、馬鹿に決まってます」
断言されて、レインツェルは困り顔で唇を尖らせる。
エリザベスは鼻を啜ってから、震える口調で問いかけた。
「他に、痛い場所は無いんですか?」
「ん? ああ。そのぉ……んん?」
「正直に、答えて欲しいです」
真剣な問いかけに、深々と息を吐いてから答える。
「さっき触れた場所と肩ら付近……後は、脇腹かな。手足もそれなりに痛いが、怪我の度合いは最初の箇所の方が痛い。呼吸時に痛みが走るから、下手したら肋骨に罅くらいは入っているかもな」
言った途端、背中から息を飲む声が聞こえる。
同時に、ポタポタと首筋に熱いモノが当たる。
「ご、ごめ、ごめんな、さい……わた、私の、所為で……ッ」
「お前の所為ってわけじゃない……ああ、クソッ。こうなるのが嫌で、黙っていたのにッ!」
ぐすぐすと、必死で鳴き声を殺す声に、レインツェルは苛立つように唇を噛み締める。
泣いていることでは無く、泣かせてしまった、自分に対する苛立ちだ。
自分で自分が情けなくなってくる。
泣かせてしまったことだけでは無く、罠に嵌められてしまったことも含めて、レインツェルは自分の未熟さを痛感していた。
「ブースタースペルで力だけ強くなっても、意味ないじゃないかこれじゃあ」
マリーゴールドが敵だとわかった時点で、罠を張られていることは予測できた筈。追い駆ける為に時間が無かったとはいえ、打てる手段はあった。手を貸して貰えないからと割り切るのでは無く、保険として強引でもガエン辺りを巻き込んで置くべきだったのだ。
それをしなかったのは、自分一人で何とか出来ると思い込んでいた、自分の未熟さから。
「……もっと強く賢しくなれよ、悪童ッ」
背中のエリザベスに気取られぬよう、奥歯と共に噛み締める。
だが、泣き言を言っている暇は無い。身体が痛いくらい、何だと言うのだ。
声を押し殺して無くエリザベスに、大丈夫だと知らせるかのよう、レインツェルは力強く地面を踏み込み、前へ前へと進んで行く。
しかし、人生とはままならないモノだ。
現在の状況が最悪だと思っている時に限って、容易くそれを上回る最悪が来訪する。
この時は文字通り、目の前を塞ぐ壁がレインツェルの行く手に立ち塞がっていた。
「……おいおい、マジかよ」
行き着く先は、地下道の行き止まり。
散々歩いた揚句、これでは重い疲労がドッと肩にもたれかかってくる。
背中のエリザベスも、無言だが絶句している気配が伝わった。
「……いや、まだだ」
ドロリとした嫌な気分を、無理やり腹の底に押し込めて、レインツェルは睨み付けるよう壁の上、天井部分を見る。
見上げるところに天井は無く、ぽっかりと空いた穴が上へと続いていた。
「まさか、ここを、昇るつもりですかッ!?」
驚きに満ちた声が、すぐ耳元に響く。
目の前の壁はほぼ垂直。ゴツゴツした岩壁とはいえ、容易く登れるようなモノでは無い。
地下道を歩いている途中、様々な場所で崩落していた跡があり、この壁も脆くすぐ崩れてしまう可能性だってある。
「……他を探しましょう。ここを上るなんて不可能です」
そうエリザベスは、当然の忠告をする。
だが、レインツェルは首を左右に振った。
「駄目だ。エリザベスだって、気づいているだろ?」
「そ、それは」
言葉を詰まらせる。
レインツェル達は、上にある鉱山から落とされたのだ。つまり、外に出る為には上へと向かう必要がある。
マリーゴールド達も馬鹿では無いから、最初に落とされた穴は塞がれているだろう。
つまり、この上に続く通路が、外へと通じる道になっている可能性が高い。
不安げな気配を背中に感じつつ、レインツェルは数回深呼吸をしてから、そっと目の前の壁に手を添える。
指先で表面の出っ張りを引っ掻き、感触を確かめる。
「なんとか、なりそうかな?」
「ば、馬鹿なッ!? 無理です、無理に決まってます!」
「無理でもやるんだよ。ちなみに、お前を置いていくって案は無しだからな」
「……うっ」
言おうと思った提案を先に潰され、エリザベスは口を噤んでしまう。
壁に手を添えたまま、見上げる天井に果ては見えない。
負傷している上に、人一人を背負って上るのだがら、ロッククライミングの経験など皆無のレインツェルには難しいだろう。
ブースタースペルの稼働時間も、そろそろ限界が近い。
「悪童ってのは諦めが悪いんだ。実力や経験が足りないぶんは、無茶と無謀で補ってやる」
そう自分に言い聞かせ、早速レインツェルは、目の前の絶壁を素手で登る為の準備を開始した。




