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大聖樹の悪童物語  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第4章 虎と龍
33/47

その33 奈落の底






 真っ暗な闇の中。

 道なき道をただひたすら、月明かりを頼りに走り続けるレインツェル。

 身体の負担を考えて、既にブースタースペルは解除して普通の状態だ。

 屋敷を飛び出してから、まだそれほど時間は立っていない筈だが、ブーストアップによる最初の加速のおかげで、普通に走るより随分と距離を稼いでいるだろう。視界も暗闇に慣れてきたこともあり、感覚が元に戻っても何とか走ることが出来た。


 ただ、何分初めて通る場所だ。

 土地勘が無いどころか、この先に何があるかもわからない。

 ハオシェンロンの言葉通りなら、そろそろ彼女の仲間と合流出来る筈なのだが。


「大丈夫なのかよ……って言うか、道合ってんのかぁ?」


 流石に不安になり始めた時だった。

 ちょうど真横にある斜面、その上にある藪から飛び出るように、馬が一頭目の前に降り立つ。

 唐突に現れた馬は大きく嘶くと、進行を遮るかのよう真正面で立ち止まった。

 馬上には武装した、長髪の男が手綱を握り座っている。


「――何者だッ!?」

「待て」


 咄嗟に停止したレインツェルが、腰の剣に手を伸ばすと、馬上の男は右手を突き出して、争う気は無いことを示す。

 暗がりの中、突然現れたのでわかり難かったが、確かに男は襲撃者と恰好が違った。


 警戒心は緩めずに柄を握る力だけ緩めると、男は手綱を操り向きを此方に変える。

 差し込んだ月明かりが男を照らして、ようやくハッキリと顔を判別することが出来た。


「貴様が、若が言っていた協力者か?」

「その若ってのは、ハオシェンロンの姉ちゃんのことか?」

「質問に答えろ」

「答えて欲しけりゃ、まずは名前くらい名乗って欲しいモンだな」


 そう言いながら、一度は緩めた柄を握る手に、再び力を込める。

 見下ろす男の視線は細まり、背中がざわつくような殺気を醸し出すが、直ぐにため息と共に霧散する。


「……確かに、あの若が気に入るわけだ」


 呟いてから、睨み付ける視線を僅かに緩める。


「俺の名はガエン。若、ハオシェンロンの臣下の一人だ」


 それだけ言ってガエンと名乗る青年は馬を操り、レインツェルに背中を向ける。

 ガエンは顔を此方に振り返ると、


「長々と話をしている暇は無いのだろう。乗れ。虎の次女が誘き出された場所まで案内してやる」

「……オッケー」


 頷くと今度こそ柄から手を離してぴょんと跳躍すると、ガエンの背後へと跨った。


「飛ばすぞ、確り掴まっていろ」

「おう。全速力で頼むぜ」


 ガエンがハッ! と掛け声を一つ。

 その声に反応した馬は大きく嘶いた後、力強く地面を蹴り、道なき道を走り始めた。




 ★☆★☆★☆




 暗く、狭い洞窟の中を、蝋燭の灯りを便りに前へ進む。

 壁や天井は岩肌が剥き出しになっており、落盤を防ぐ為、木材で補強されていた。

 組み上げられた木材は、僅かに斜面になった奥深くへ、ずっと続いている。

 つまりは、ここは天然の洞窟では無く、人の手を入った人工的な物なのだろう。


 随分と長い間、使用されていた形跡は無いようで、洞窟の隅では作業員が使用していたであろう、採掘用の道具や衣類、ボロボロの木箱が、無残にうち捨てられ真っ白な埃を被っていた。

 埃の積もり方から見て、年単位で放置されていることが予想される。


「古い鉱山か何か、なのでしょう」


 燭台に乗った蝋燭で周囲を照らし、坑道を歩くエリザベスは呟いた。

 右手には蝋燭の乗せられた燭台を持っているが、左手には愛用の蛇矛が何時襲撃を受けても対応出来るよう握られていた。

 自分が誘われていることは、十分に理解している。


「外に出れば、追って来やすいように馬が用意され、坑道の入り口では蝋燭と燭台が準備されていた……笑えないほどの用意周到ぶりですね」


 恐らく主犯は、スィーズ王国の内部関係者なのだろう。

 様々な状況を顧みて、エリザベスはそう予測を立てていた。

 エリザベスとて黄金の虎の一員として、様々な修羅場を潜っているし、似たような危機も今まで何度となく体験している。

 罠だとわかっていても、打ち破れる自信と経験はあると、本人は自負しているのだ。

 実際、並大抵の罠でエリザベスを嵌めることは難しいだろう。


「何者の仕業か知りません。どのような企みがあるか興味もありません。けれど、私と力無き者に刃を向けた蛮行、嫌という程、後悔させて見せましょう」


 進む足取りに一切の恐れも無い。

 自信と経験。何よりも、武神の娘という誇りが、エリザベスから一切の恐怖を打ち払っていた。

 だが、プリンセス・エリザベスも一人の人間、一人の少女だ。

 彼女には父ホウセンや兄シュウから、散々指摘され続けた欠点が存在する。

 それは、一途さ、思い込みの深さだ。


「待っていてください、マリーゴールド殿。直ぐに襲撃者達の手から、貴女をお助けしましょう」


 人一倍警戒心が強い彼女は、人一倍博愛の精神も強い。

 受けた屈辱は忘れないが、受けた恩も決して忘れない。

 純粋過ぎるが故に時として、聡明である彼女の目を曇らせてしまうことを、父と兄は心配しているのだ。

 プリンセス・エリザベスの心の弱さ。

 まだ誰にも、肉親にすら真の意味で心内を晒さぬ孤独な姫君は、一人奈落の底を下りて行く。




 ★☆★☆★☆




 緑が多かった景色は一転して、ゴロゴロとした岩山に変化していた。

 引き続き周囲は真っ暗闇で、人影や人の気配はおろか、獣の気配すら感じられなくなっていた。

 唯一感じ取れるのは、時折吹き抜ける風の音くらいのモノだ。


 その中を、レインツェルを後ろに乗せた一頭の馬が走る。

 柔らかい土や草の上から、硬くでこぼことした砂利道に変わったからか、走る馬の揺れが一際上下している。こうして改めて、他人の背中に乗ってみると、シュウやカタリナの馬術が、如何に秀でていたのかがわかる。

 彼女らならば、悪路でも揺れを最小限に抑えられるだろう。

 そんな感想を素直に口に出すと、ガエンは怒り出すと思いきや、落ち込んだ様子で僅かに背中を丸めた。


「……チッ。草原の騎馬民族と一緒にするなッ! あれはあれで、特殊な技術なのだ」


 と、一言。

 ちょっぴりだけ、悪いことを言ったなと後悔してしまう。

 馬を飛ばし続けて三十分ほど。

 気絶していた時間を合わせれば、既にエリザベスが出て行ってから、二時間近くが経過している。


 進む道は砂利の悪路だが、今までとは違い、明らかに人の手が入っていた。

 長らく放置されていたような荒れ具合だが、確かにここは道。人の手で舗装された、道路だった。

 斜面になった道をジグザグに進み、岩山の合間をすり抜けると、ようやく馬は停止した。


「到着だ。降りろ」

「ようやくか」


 ガエンの言葉を受けて、レインツェルは馬上から飛び降りる。

 見回すと、ここは岩山の中腹辺りだろうか。

 人の侵入を防ぐ為に設置されたボロボロの柵を乗り越えると、小さなオンボロ小屋が建てられた、開けた空間が岩山を背にして広がっていた。

 朽ち果てた資材などが転がっていることから、工事現場のようなイメージを一瞬抱いたが、転がっている道具や岩山を見て直ぐに考えを訂正。ここは、鉱山か何かかと納得しながら、物珍しそうに周囲を見回す。


 ガエンから聞いていたが、馴染みが無いだけに、頭の中ですぐに結びつかなかった。

 岩山の方には、木材で入り口が補強された鉱山への入り口が。

 いや、古ぼけた外観から、洞窟と呼んだ方がそれらしいかもしれない。

 その正面に、三人程の武装した男達が陣取っていた。


「――敵かッ!?」


 咄嗟に身構えるが、それより先にガエンが動く。

 馬から飛び降りると、男達の方へと歩み寄る。

 ガエンの姿に気が付いた男達は、敬意を払うようにその場に膝を付いた。


「これは、ガエン将軍」

「将軍は止めろ。今はただのガエンだ……それで、状況は?」


 ハッと返事をしてから、そのままの態勢で報告する。


「礼の一団は王妃を連れ、この坑道の奥へと入っていきました。それを追うようにして、プリンセス・エリザベスも中へと足を踏み入れた模様です」

「なるほどな。ご苦労」


 腰の手を当てて部下達を労うと、ガエンは此方を振り向いた。


「そういうわけだ。お前の連れは、中にいるらしい。残念だが、俺達がしてやれるのはここまでだ」

「なんだよ。中まで付いてきてくんないの?」

「勘違いするな」


 馴れ馴れしい物言いを煙たがるよう、右手を真横に払って否定する。


「我らが受けた指示は、襲撃者の追跡し、その場所に貴様を連れてくることだけだ。王妃や虎の女がどうなろうと、知ったことでは無い……そもそも、若は一体何を考えて、このような面倒なことをしているのだ? 我々にはやらなければならないことが……」


 腕を組み、不満げな表情で何やらブツブツと、最後は独り言を言い始めた。

 彼は彼なりに、頭の痛い人物に振り回されているようだ。

 断られたレインツェルは、残念そうに頬を掻く。


「そっか。アンタ強そうだし、一緒なら心強かったんだけど……まぁ、駄目なモンは駄目なんだから仕方が無いか」

「……意外とアッサリしているのだな」


 すんなりと引いたのが意外だったのか、ガエンは軽く驚いたような表情を見せる。


「ま、元々これは俺達の問題だからな……それに、よくわからん連中に、あまり借りを作るのはよろしくない」

「最もだ」


 ガエンは納得するよう、大きく頷いた。

 妙に熱が籠った声と態度から、個人的に何か思い当ることでもあるのだろう。

 何時までも、立ち話をしている暇は無い。

 早速洞窟内部に入ろう為、レインツェルが一歩足を踏み出すが、ガエンが「待て」と声をかけてくる。

 折角、気合を入れたのに。という表情で振り返ると、


「内部は暗闇だ、月明かりも差し込まん……これを持って行け」


 そう言ってガエンは、部下に視線を送る。

 一人が小走りに近づき、レインツェルに差し出したのは、小さなランプだった。

 ご丁寧に、既に中の灯りも点灯済みだ。


「借りを作りたくないのなら、突き返して貰っても結構だが?」

「意地の悪いおっさんだなぁ。当然、お借りしますよっと」

「お、おっさ……ッ!?」


 おっさん呼ばわりに、部下達は思わずぷっと吹き出してしまい、慌てて口元を押さえた。

 俺はまだそんな呼ばれ方をする年齢では無い!

 そうとでも言いたげな形相で、笑った部下をギロリと睨み付ける。実際に言葉に出さないのは、口に出せば余計に、気にしているように聞こえるからだろう。

 ガエンが部下を睨んでいる隙に、レインツェルは洞窟の方へと走っていく。

 ランプを右手に持って、入り口の手前で振り返り、


「んじゃま、行ってくる。戻ったらハオに礼を言っておいてくれ」


 そう言って軽く手を振ってから、洞窟の中に足を踏み入れて行った。

 微かに背後からため息と共に、「やれやれ。やはり、若が気に入るだけあって、変わった奴だな」と言う声が耳を掠める。

 こんなイケエルフを捕まえて失礼な。心の中だけで反論して、更に奥へと踏み込む。


 真っ暗な洞窟の中を、小さなランプが頼りなく照らし出す。

 崩落を防ぐ為に補強された木材が、一定間隔で組み込まれている坑道は、荒れてはいるモノの横幅が広く、歩き難いという印象は無かった。

 ガエンから聞いた話によると、ここは数年前に廃坑になった王家所有の鉱山らしく、内部から掘り出された鉱石を、何度も往復して運搬出来るよう、こうして道幅を大きく作っている。

 レインツェルは、酷く落ち着かない気持ちで、周囲に忙しない視線を向ける。


「洞窟ってのは初めてだけど、夜の闇とは違って何だか、こう腹の辺りが締め付けられる緊張感があるな」


 纏わりつく嫌な気配を誤魔化したくて、そんな独り言が口を付く。

 森や平原、建物の内部と違って、洞窟は周囲を岩壁に囲まれている閉塞感からか、妙な息苦しさを感じてしまう。落盤するかもしれないという恐怖もそうだが、この耳が痛くなる程の静けさがまた、不安と緊張感を煽る。

 ひんやりと冷たい空気がまた、それに拍車をかけているのだろう。


「エリザベス達は、本当にこの先にいるのか?」


 自然と無駄口も多くなる。

 追っ手に気取られる可能性があるので、あまり喋らない方が良いのだろうけど、ジリジリと迫る圧迫感から逃れたくて、ついつい余計な音を立てたくなってしまう。


 これではいかんと気合を入れ直し、緩やかな斜面になっている坑道を、無心で進む。

 途中、分岐らしき道もあったが、覗き込むと奥が崩落して進めないようになっていたので、実質は一本道のようなモノだった。


 どれくらい歩いただろうか。

 閉塞感から来る緊張で、正しく体内時間で計ることが出来ない。

 月や星さえ見えれば、位置でおおざっぱな時間経過くらい調べることが出来るのだが、残念なことにここは地の底。月や星はおろか、風すら感じ取ることが出来ない。


「……本当、何処にいるんだよエリザベス達は」


 ランプで足元を照らし、レインツェルはただひたすら足を動かす。

 進むごとに真っ直ぐだった坑道は変化を見せ、レインツェルの歩みを弄ぶ。長い段になった通路を上り下りしたり、身体を横にしなければ、通れないような細い道を通ったりと、段々と複雑になってくる。

 崩落による一本道でなければ、とっくに迷っているところだ。

 いや、逆に考えれば、一本道にしているのかもしれない。


「ってことは、この道は崩落後に、人の手で切り開かれたモンってわけか」


 計画の為にわざわざ切り開いたとしたら、何とも面倒な労力だと呆れてしまう。

 だったら意地でも阻止してやろうと、歩く足に力を込めた。

 更に奥へと進むこと、数分。

 進み続けて既に、今自分が岩山のどの辺りにいるのか、すっかりわからなくなった頃、ようやくレインツェルは目的地らしき場所まで辿り着いた。


「ここ、かな?」


 歩く足を止め、右手に持ったランプを掲げる。

 正面、進行方向には、木材で作られた大きな壁があった。

 壁の真ん中には、人一人がちょうど入れる扉が設置されている。

 随分と長い間放置されていたらしく、扉や壁や埃などで汚れていたが、ドアノブ部分だけが不自然に綺麗だった。

 恐らく、誰かが先に来て、ドアノブを手で触ったのだろう。


「この先も坑道の続きとか、そろそろ勘弁してくれよ?」


 歩き飽きてきたこともあり、祈るような気持ちで扉に手をかける。

 感触から鍵がかかっている様子は無く、捻れば思ったよりあっさりと、扉は開け放たれた。


 音を立てて開く扉の隙間から、オレンジ色の光が差し込む。

 扉の先は広い空間になっていて、内部は坑道と違い何か強い光源で、灯りが煌々と照らされているらしく、暗闇に慣れていたレインツェルは扉を開きながら、飛び込む灯りの眩しさに目を細めた。

 木材で支えられた坑道とは違い、壁や床には大きな石が敷き詰められ、頑丈な作りになっている。


 軽い運動くらいなら出来そうな、広くゆったりとした空間だ。

 天井も高く作られていて、他の坑道に続く中継地になっているのだろうか、入ってきたのと同じような扉が複数。その広い室内を、六方向にある火を使わない魔力灯が、眩いばかりに照らし出していた。


「――くっ。誰か、いるのか?」


 許容量を超える光に視界が奪われる中、ぼんやりとだか空間の中央に、人の倒れている影が浮かび上がる。

 徐々に視界を取り戻し、影の輪郭がハッキリしてくると、レインツェルは息を飲んだ。


「――エリザベスッ!?」


 広い空間のちょうど真ん中には、エリザベスがうつ伏せで倒れていた。

 扉を弾き飛ばすようにして、レインツェルは急いで駆け寄る。


「大丈夫か? おい、確りしろ!」

「うっ……あっ。ぐぅぅぅッ」


 抱き起すエリザベスの身体は、まるで燃えているかのように熱かった。

 意識が混濁しているようで、状況を正しく認識していないのだろう。

 青白い表情で額、いや全身からダラダラと汗を流し、苦しげな息遣いをしている。

 明らかに異常事態だった。


「この熱、尋常じゃないぞ……でも、今日は体調の悪そうな素振りも見せなかったし、幾ら何でもこのタイミングで唐突すぎる」


 急な発熱と言われればそれまでだが、明らかにこの状況は不自然だ。

 服の袖で顔を流れる汗を拭いながら、額に手を当てると、思わず驚いて手を引いてしまうほどの高熱だった。

 何の前兆も無く、これだけの高熱が急に出るなんて、ちょっと考えられない。


「なんだってこんな時に……?」


 偶然では無いとすれば、作為的に引き起こされたモノなのだろうか。

 医学知識が無いレインツェルに、急病に関しては判断が出来ない。しかし、人為的だと仮定した場合、原因だと予測されるのは何らかの魔術か呪術、それか……。


「毒、か」


 呟いて、レインツェルは露わになっているエリザベスの肌に、丹念に視線を這わせる。

 足から太腿、腕から肩。

 そして、首筋から胸元にかけて。


「……あった!」


 首筋の肩との境目の辺りが、小さくだが紫色に変色していた。

 よく見れば、小さな針で刺したような跡もある。


「ここから毒を注入しやがったのかッ!」

「あらあら、正解ですわ。中々に賢い亜人種ですこと」


 突然聞こえた女性の声に、緊張感が走る。

 倒れたエリザベスを抱きかかえながら視線を向けると、複数ある通路の一つから、嬉々とした表情を浮かべるマリーゴールドが姿を現した。

 後には、襲撃者達と同じ格好をした連中を、複数人従えている。

 襲撃者達に囚われているとは、明らかに言えない光景だ。


「少し席を外している間に、とんだドブネズミが迷い込んだようね」

「……やっぱり、アンタの罠だったか。マリーゴールド」


 睨み付けてやると、途端にマリーゴールドは表情を険しくする。


「無礼者! 下等生物に様をつけろ、などと理知的な物言いをするつもりはないわ。視線を向けられることすら汚らわしいッ」


 そう吐き捨て、睨み付ける視線を遮るかのよう、顔を広げた扇子で覆い隠す。


「エリザベスに毒を盛ったのも、アンタの仕業か?」

「……ふん。まぁ、いいわ。わたくしは今、気分が宜しいから、答えて上げる。寛容な心遣いに感謝なさい」


 怒気を滲ませる声にマリーゴールドは難色を示すが、言葉通り上機嫌らしく、口元に笑みを張り付けると、広げた扇子で顔を軽く仰ぐ。

 そして、けらけらと心底楽しそうに笑い出した。


「武神の娘、虎の姫君などと大層な呼ばれ方をしていても、所詮は平民。大平原の蛮族ですわ。ちょっとわたくしが親切に、優しく接してやっただけで、分を弁えない勘違いを犯し、わたくしを友達か何かと勘違いしたのでしょう」


 にんまりと笑い、見下すような視線を苦しげなエリザベスに向けた。


「本来ならば、怖気がするほど無礼な事柄なのだけれど、ここまでわたくしに都合よく踊らされているのを目の当たりにすると、滑稽で滑稽で……」


 堪えられなくなったのか、口元を扇子で隠し、身体を震わせて笑い声を噛み殺す。

 後ろに控える襲撃者達も、小馬鹿にでもするよう、くくっと笑みを漏らしていた。

 不愉快な連中の態度に、レインツェルはギリッと奥歯を噛み鳴らす。


「道化は王族、貴族を笑わせる為に存在するのなら、そこな娘はまさに道化だわ。わたくしの一言一言に、コロコロと表情を変える姿は、笑いを誘う百面相。騙されているとも知らずに、何度吹き出しそうになったか、数えるのも面倒だわ」


 何度も笑い声に言葉を遮られながら、マリーゴールドは楽しげに語る。


「おまけに最後は、必死の形相でわたくしを助けなどに来て……これはもう、面白いとか呆れるを通り越して、悲しみすら感じられます……この女の、頭の中の茹であがり具合には。そう思いません?」


 涙を拭う動作をしてから、問いかけるよう、マリーゴールドは首を傾げる。

 怒鳴りつけたくなる衝動を必死で抑え、レインツェルは大きく鼻で呼吸をした。

 怒りに震える様子に気づかないのか、それとも気づいていて楽しんでいるのか、マリーゴールドの楽しげな語りは続く。


「今の貴方ように、倒れているフリをしているわたくしを抱き上げたところを、隠し持っていた毒針でプスリと」


 言葉を一度切って、クスクスッと不気味に笑う。


「このような汚らしい行い、本来ならばわたくしが行う必要はありませんのですが、責任感は強い方でしてよ? 騙すなら最後までキッチリと……平民の手で抱き上げられた時は怖気が走りましたが、針を刺した瞬間の、あの驚きよう。我慢した甲斐がありましたわ」

「……もういい」


 流暢に語る言葉を遮るよう、レインツェルが低く呟く。

 感情を抑えた所為で声が小さくなり、それはマリーゴールドの耳にちゃんと届かなかったようだ。

 不思議そうな表情で、マリーゴールドは問い返す。


「なにか、言ったかしら?」

「もういい。黙れと言ったんだ」


 低い、ドスを利かせた声と共に、殺気に満ちる眼光でマリーゴールドを射抜く。


「――ひっ!?」


 視線の迫力に、それまで嬉々として喋っていたマリーゴールドは、悲鳴を口から漏らして後ずさる。

 透かさず、後ろの襲撃者達が武器を構え、マリーゴールドを守るよう前へ出た。

 マリーゴールド達は、室内の隅っこに立っていて、ここからでは間合いが遠い。

 グルリと襲撃者達を一瞥してから、また視線をマリーゴールドに戻す。


「ぶった斬る前に教えろ……アンタ、何でこんな馬鹿げたマネをした? 仮にも王様の結婚相手で、アンタの家族になる相手だろ?」

「そう。まさにそれよ!」


 同意するよう、勢いよくマリーゴールドは扇子をレインツェルに突き付ける。


「わたくしの陛下に寵愛されようとしているだけでも腹立だしいのに、平民風情がわたくしと同じ王室に入るなんて、我慢がなりませんわ!」

「――なッ!?」


 レインツェルは絶句する。

 陰謀や怨恨。色々と予想は張り巡らせていたのだが、まさかここまで私怨に満ちた、ちっぽけな理由だったとは、予想していなかった。

 いや、貴族や平民という概念が気薄なレインツェルには、想像出来なかったのだろう。

 途端に、更なる怒りが沸々と湧き上がり、首を左右に振る。


「……もういい。馬鹿の馬鹿げた考えに付き合う気は、今まさに、欠片も無くなった」


 そっと抱きかかえたエリザベスを床に下ろし、腰の剣に手をかける。


「問答無用って奴だ。ここまで大事を引き起こしたんだ、多少やり過ぎても文句は言われないだろう」


「……ふん。わたくしに、王族に剣を向けると言うのですか無礼者めが」

 この後に及んで権力を振り翳すが、そんなモノはレインツェルには通用しない。


「安心しろ、殺しはしない。アンタの罪はお天道様の日の下で、洗いざらいぶちまけてから、その後で相応の罰を受けて貰うぜ……それじゃ、覚悟しな!」

「いいえ、致しません」


 ニッコリと笑い、マリーゴールドは否定した。

 その右手を、壁にぶら下がっている鎖に伸ばしながら。

 瞬間、レインツェルの直感が警笛を鳴らすが、間合いが遠すぎて間に合わない。

 マリーゴールドは、口元を愉悦に歪める。


「さようなら、お二人様。お国元には、わたくしを助けようとして名誉の戦死を遂げたと、ご報告して差し上げますわね」


 掴んだ鎖が下に引っ張られると、ガコンと足元で何かが外れる音が聞こえた。

 嫌な予感が足裏から脳天まで突き抜け、足がどう動くべきか迷う。


「――ッ! エリザベス!?」


 一瞬悩んだ後、飛びつくよう足は地面を蹴り、未だ意識が混濁しているエリザベスを、両腕で抱き締めるように抱え込んだ。

 直後、石造りの床は底が轟音と共に抜け、一気に崩落した。


 足元は深く暗い闇で、底が全く確認出来ない。

 咄嗟に何とかエリザベスを庇うことには成功したが、それ以上は何も出来ずに、レインツェルはただ、ぽっかりと開いた闇の中に飲み込まれるようにして、成す術無く奈落の底へと堕ちていった。





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