その28 危険な薔薇
結局のところ、レインツェルのエリザベスと仲良くなろう作戦は、失敗に終わった。
原因としてはからかい過ぎた、というのもあるだろうが、散策中に出会ったあの謎の少女。存在感と共に奇妙なまでの圧力を持ち合わせる少女を前にした所為か、その後のエリザベスは無駄にピリピリと張り詰めた空気を醸し出し、流石のお気楽者レインツェルも、簡単に話しかけることがままならなかった。
そのまま、特に見るべき珍しい物の無い町をグルリと一周し、二人が別邸へと向かった頃には、既にエリザベス達を迎え入れる準備が完了していた。
ドロッセルとカタリナも、打ち合わせが終わり二人の帰還を待っていたのだが、どうやら一緒に行動することで、何か切っ掛けを掴み、友好的な関係になっているものだと思っていたのだろう。
到着時と変わらぬ嫌われ具合に、ガッカリとした顔をされてしまった。
その後、晩餐会の準備や打ち合わせやらで、エリザベスとカタリナを含む、黄金の虎の面々は忙しく立ち回り、関係修復はおろか、話をする時間が無いまま、あっと言う間に時間は過ぎていく。
カタリナのサポートで、ドロッセルも働いていたので、何もしていないのはレインツェルだけ。
一人寂しく夕食を取り床に就くと、何も無いまま一日は終わっていった。
★☆★☆★☆
翌日。
晩餐会当日となり、着々と参加者が集まりつつある。
そうなると、広い別邸も大勢の人々が行き交うようになり、当然、中には使用人達とは違う煌びやかな服装をした、見るからに貴族といった風の人間も、自らの使用人を引き連れ屋敷の中を闊歩していた。
貴族連中は時間まで、特にやることが無いらしく、サロンに集まりお茶をしながら談笑に花を咲かせていた。
人が三人以上集まれば、そこから社会構造が見えてくる。
貴族達の中にも、明確な序列や身分差、そして派閥が存在する。
サロンを一目見るだけでも、身分が高い貴族を中心に、幾つかのグループに分かれて座っていた。
傍目からは楽しげに、仲良さげに談笑をしているように見えるが、聞こえてくるのはお世辞やおべっかなどの美辞麗句。グループのボスをどれだけ楽しませられるか。取り巻き共は、そのことだけに必死になっている。
何とも浅ましい光景だ。
そうとしか感じられないのは、レインツェルが貴族社会とは無縁の生活を、送ってきたからなのだろうか。
やるべきことは昨日の内に終えたレインツェル、ドロッセル、カタリナ、そしてエリザベスの四人は、建前的に和気藹々としている輪から外れるよう、サロンの片隅でお茶とお菓子を頂いていた。
見た目も恰好も場違いな四人に、事情を知らない貴族達は、不愉快そうな視線を向ける。
時折、談笑を止めてこそこそと、何かを囁き合っているのが、僅かに視界に入る。
もしかしなくても、陰口の類なのだろう。
特に視線は、レインツェルに対して突き刺さるような嫌悪を込めて、向けられる。
「ふぅむ。居辛い」
ズズズッと音を立ててお茶を啜りながら、レインツェルは呟く。
「このチクチク、チクチクとこそばゆい視線。やはり俺が超イケエルフだから、貴婦人からは恋慕の、貴公子からは嫉妬の眼差しが……」
「似通ったネタを二度やるのは、寒いとしか言いようがありませんね」
クールのお茶を口に運びながら、エリザベスがバッサリと切る。
ボケを潰されたレインツェルは、不満げに唇を尖らせた。
「でも、うざいのは確か」
自分達に向けられる嫌な視線に、うんざりといった表情で、カタリナはテーブルに頬杖を突き、掴んだクッキーを一つ口に中に放り込んだ。
「んぐんぐ……ねぇ。こんなところにいても、胃に悪いだけだって。外にでも繰り出さない? 何も無いって言っても、今のこの状況よりマシでしょ」
「駄目ですよ、カタリナさん」
咀嚼しながらの言葉を、ドロッセルがやんわりと窘める。
「もうすぐ、スィーズ王国の国王様がお出でになられるんですから、ご挨拶の為に待っていないと。失礼に当たります」
「失礼って言うけどよ」
腕を組み、憮然とした表情でレインツェルが問いかける。
「普通は逆じゃないのか。晩餐会の主催は王様だろ? 何で俺達の方が王様の別邸で、王様をお出迎えしなきゃなんないんだよ」
「そうそう。礼儀礼節がなってないって、親父なら鉄拳が飛んでくるわ」
レインツェルの言葉に、そうカタリナが同調するよう頷く。
それは確かにと、素直で真面目なドロッセルは直ぐに反論出来ず、困り顔を浮かべていると、代わりに答えたのは全く別の人物だった。
「答えは簡単。王家とは、王族とはそう言うモノ。黒を白に変えることが出来る故に、王は民を従え、国を統治することが出来る」
声に反応した四人が、一斉に振り返ると、そこにいたのはレインツェル達に負けず劣らず、場違いな雰囲気を持った少女だった。
「……お前は」
「やぁ。またお会いしたな、エルフの少年」
赤い髪の毛に眼帯。龍の鱗を模した鎧を身に着けた、風変わりな少女が、淡い笑みを浮かべてレインツェル達の座るテーブルの、直ぐ側に立っていた。
途端、エリザベスの視線が無言のまま、険しくなる。
反対に彼女とは初対面の、ドロッセルとカタリナは誰? と顔を見合わせた。
「レイ君。お知り合いの方ですか?」
「ああ。えっと……」
どう説明したモノかと一瞬言いよどむと、眼帯の少女は悪戯っぽく笑った。
「昨日。我が彼を、ナンパしたのだよ」
「――うえッ!?」
何故か真っ先に反応したカタリナが、テーブルを叩いて立ち上がる。
エリザベスとドロッセルの、怪訝そうな視線にハッと我に返ったカタリナは、誤魔化すように咳払いをしてから、そっと椅子に腰を下ろした。
その様子を見て、眼帯の少女はくくっと楽しげに笑いを噛み殺す。
カタリナはからかわれたことに気が付くと、顔を真っ赤にしてから、射抜くような視線を眼帯の少女に向ける。
「……ッ!」
ギロリと睨み付けるカタリナを諌めるよう、眼帯の少女は両手を振った。
「失敬。ほんの、冗談よお嬢さん。誘ったのは本当だが、彼には断られてしまった……安心したかい?」
「べ、別にあたしは……」
僅かに頬を赤く染め、カタリナは視線を逸らした。
ごにょごにょと口籠る姿が思いの外愛らしく、眼帯の少女はまた笑いを噛み殺していた。
「わざわざ人をからかう為に此方へ? だとするのなら、随分と品の無い行為では無いのですか?」
お茶を飲みながらも、エリザベスが鋭い視線を眼帯の少女に向けていた。
普通の人間なら一睨みされただけで怯み、竦んでしまう眼光にも、眼帯の少女は笑顔を崩さない。
それどころか、芝居めいた大仰な態度で、恭しく頭を下げて見せた。
「これは失礼。まだ、名前も名乗っていなかった」
言いながら、少女は自らの眼帯を、親指で軽く撫でてから姿勢を正す。
「我が名はハオシェンロン。覚えてくれると、嬉しく思う」
「ハオシェンロン? 変わったお名前ですが、ご出身はスィーズ王国では無いのですか?」
「ああ。東方の小国群の出身よ」
「アンタも貴族はわけ? 東方の人間は、寛ぐべきサロンでも武装してんの?」
仕返しとばかりに、自らのことを棚に上げ、カタリナは皮肉めいた言葉を浴びせた。
昨日もそうだったが、ハオシェンロンと名乗る少女は、軽装とはいえこの場でも鎧を身に着けている。
下に着ている服も、獣の毛皮から作られた物で、装飾品とはまた違う派手さがあった。
カタリナの露骨な嫌味にも、ハオシェンロンは悠然と構え、態度を崩さない。
「ふふっ。諸君らが目にしている通り、談笑の場とは貴族にとって戦場も同義。ここでの立ち振る舞い次第で、自らの在り方が変わってくるだろう。なれば心構えでも、戦場に立つ心持でいるのは当然」
「比喩表現だろ? 一々、言うことが大げさすぎる」
「それは我が未熟故。こうして形から入り、周囲を威嚇し自身の優位を確立する。狡賢い臆病者の処世術だよ」
一々、舞台役者のような、堂々とした口振りで語る。
他の人間がやれば胡散臭く見える動作も、不思議のハオシェンロンがやると様になってしまう。
エリザベスもそうだが、つくづく美形は特だなと思われる瞬間だ。
「……いや、俺も美形枠だから、イケエルフだから」
そう自分に言い聞かせる。
睨み付けるような視線を向けるエリザベスに続いて、カタリナも胡散臭げに目を細めた。
唯一、人の良いドロッセルだけが、わざわざ椅子から立ち上がり、ハオシェンロンに向けて深々と頭を下げる。
「申し遅れました。わたしはドロッセル。横の彼女が、エリザベスさんの妹の、カタリナさんです」
「……ども」
紹介された手前、無視も出来ずカタリナは仕方なく、軽く挨拶をする。
向ける視線にはありありと、警戒心が滲み出ていた。
そんな視線もどこ吹く風といった雰囲気で、ハオシェンロンは「よろしく」と優雅に挨拶を交わすと、視線をレインツェルに向けた。
「そういえば、君の名前を聞いていなかったなエルフの少年」
「おう」
何故か偉そうに腕を組んで頷いてから、レインツェルは口を開く。
「レインツェル。人呼んで、悪童のレインツェルだ」
「レインツェル? ……なるほど」
「ちなみに、聖女レインツェルとは別エルフなんで、そこんところはよろしく」
一瞬、怪訝な表情をした後、直ぐに得心がいったような笑みを覗かせたので、透かさずレインツェルはそう釘を刺した。
それに対してハオシェンロンは、
「ふむ、心得た。気を付けよう」
とだけ言って頷いた。
「挨拶も済んだところで話は戻るが、さっきのは一体どういう意味だ? 白が黒とかって話」
「どういう意味も、言葉通りの意味だ」
レインツェルの問い掛けに、堂々とした態度でハオシェンロンは頷く。
「国とは器のような物だ。そこに何をどう盛り付けるのかは、全て王の采配によって決められる。善きも悪きも、王が器を示せばどのように歪であっても、それが全てまかり通ってしまう」
言いながら、ハオシェンロンは腕を前に組む。
「要するに、王とは存在そのものが法なのだ。王が築くのは国のみでは無く、人の倫理観、常識、物の考え方にまで影響を及ぼす。そしてそれは、法という確かな拘束力を持って、国民を支配するのだ」
「おいおい」
朗々と語るハオシェンロンの弁に、レインツェルは疑問に満ちた顔で口を挟む。
「人様は大皿料理じゃないんだぞ。王様とはいえ、文字通りそんな大味な考え方が、本当にまかり通ってしまうのか?」
「まかり通ってしまうのが、貴族主義というモノだ。階級による支配構造とは、王侯貴族にのみ、都合の良い作りになってるのだから……それは、彼女達が一番、良く知っているのでは無いか?」
意味深に問いかけると、エリザベスの表情は変わらなかったが、カタリナは悔しげに唇を噛み締めていた。
現在進行形で、権力と言う名の暴雨に晒されている二人には、笑えない話だろう。
だが、ドロッセルは、
「そうかもしれません。けれど、それは正しい世の理ではありません」
と、強い口調で反論した。
「国は、国民は王や貴族達の玩具ではありません。強い権力や立場にいるからこそ、真摯にその役目を果たさなければなら無い筈です。ノブリスオブリージュは、貴族の自尊心を満たす為にあるのでは、絶対にありません!」
「素晴らしい、実に人道的だ。まさに、夢見がちな乙女の理想と言ったところか」
真剣なドロッセルの言葉を、ハオシェンロンは笑顔で、痛烈に皮肉った。
そして笑みを消すと、真っ直ぐハオシェンロンはドロッセルを見つめる。
「君の言うことは正論だ。しかし、正論が正しいとは限らない。だが、支配構造は貴族達のノブリスオブリージュに、間違った誇りと倫理観を与えてしあった。搾取される者と搾取する者、支配する者と支配される者は最早、同じ意味と認識されている」
苛立ちを覚える程、饒舌な語り口。
意味合いも含めて、不快感じか感じない筈なのに、何故だか引き付けられ、耳を傾けてしまう妙な説得力があった。
「現に貴族達の多くは、搾取する側に回っている。それに内部でもほら」
言いながら、ハオシェンロンは他の卓で談笑をする、貴族達のグループに視線を向けた。
「顔では笑いながらも、彼らの腹の中では虎視眈々と、他の者達を出し抜く算段を練っているのさ。隙を見せれば生き血を吸われる伏魔殿の中では、自分以外の誰もが敵であり、踏み台でしかない……それを知らぬ程、世間知らずでは無いのだろう、お嬢さん?」
「そ、それは……」
ドロッセルは口籠ってしまい、反論出来ない。
彼女も貴族の生まれ。
普段は能天気な世間知らずのお嬢様のように見えても、人の嫌な部分を多く、垣間見て来たのかもしれないドロッセルにとっても、貴族主義による根強い支配構造は、変え難い現実なのだろう。
変えることが出来るとすれば、それ以上の世間知らずか、大馬鹿だ。
「ま、面倒臭いってのだけは、理解出来たさ」
クッキーをバリボリと貪りながら、レインツェルが軽い調子で言う。
「世の中の小難しさなんざ、時代が移り変われば変わっていく。諸行無常。未来永劫、続くモノなんてありゃしないんだから、好き勝手生きるのは人の性って奴さ……だからよ」
唇に付いた食べカスを、親指で強く撫でつける。
冗談めかした言葉から一転して、声色に重さが宿る。
「好き勝手やった代償で、誰かの好き勝手に叩き潰されても、因果応報ってヤツで構わんのだろ……なぁ?」
「……その誰かが、貴公だと言うのかエルフの少年」
「いや。こっちの、夢見がちな乙女だよ」
レインツェルは、落ち込むドロッセルを指差す。
指を差されたドロッセルは、驚いたように身体を跳ね起こした。
「わ、わたしッ!?」
「世の清濁を飲み下せない真っ直ぐなドロッセルお嬢様が、人の世の生き血を啜る鬼どもを、バッタバッタとなぎ倒して、この天下に太平をもたらそうってわけ。俺はただ横に引っ付いて、状況を引っ掻き回すのが役目」
「引っ掻き回さないで下さい!」
ふざけた言葉に、ハオシェンロンは驚いたように、数回瞼を瞬かせた。
「つまりだ、龍の姉ちゃん」
言葉を一度切り、表情から笑みを消して睨み付ける。
「小難しことばっかりで、しゃらくさいんだよ」
「……ふっ」
軽く笑みを浮かべて、ハオシェンロンは自分の眼帯に指を這わせた。
数秒の間睨み合い、ハオシェンロンは直ぐに均衡を崩すよう、笑みを深くする。
「そう怖い顔をするな。軽い問答のつもりのだ……格言う我も、貴族主義が確立した支配構造は、吐き気を催すほど嫌いだ」
「……何なのよ、コイツ」
堂々と言ってのけるハオシェンロンに、理解が及ばないとカタリナが諦め気味に呟いた。
「レイくぅん」
困惑顔でドロッセルが助けを求めてくるが、「俺に聞くなよ」とレインツェルも半ば呆れた様子で肩を竦めた。
ただ一人、エリザベスだけが変わらず、厳しい眼差しをハオシェンロンに向けていた。
「許してくれ。別に君達の気分を害そうとか、そういうつもりは無く、単純に武神の娘に興味があっただけだ。他意は無い」
謝罪しながらも、堂々とした佇まいからは、悪びれた様子は見られない。
他意が無いという発言の真偽はともかく、武神の娘に興味があったという発言は、真実なのだろう。
初めて会った時、エリザベスの名前を知っていたし。
だが、それでもエリザベスの表情は冴えない。
微笑むハオシェンロンの顔をジッと睨み付けると、何かが記憶に振れたのか、僅かに息を吸い込む。
「……この娘。確かに何処かで見覚えが……?」
記憶の蓋が空きかかったその時、何やら騒がしい物音が、別邸の正面玄関の方から聞こえてきた。
何事かと談笑していた貴族達が怪訝な表情をしていると、血相を変えてサロンへ飛び込んできた数人の使用人達が、それぞれの主の下へと早歩きで駆け寄ると、挨拶もそこそこに耳打ちをする。
途端、耳打ちを受けた貴族達は、サッと顔を青ざめさせた。
急に騒々しくなってきた雰囲気に、レインツェル達が困惑していると、一人の執事服を着た人物が速足で、ハオシェンロンの下へ近づいてきた。
執事服を着ているが、紛れも無く女性だ。
右目にモノクルを付けた長身の女性は、少し慌てた様子でハオシェンロンの側まで来る。
レインツェル達を一瞥してから、そっと唇をハオシェンロンの耳元に近づける。
「でん……ハオ様」
「イライザか。何事だ」
「はい。その……」
イライザと呼ばれた女性は、レインツェル達の方をチラチラと見ながら口籠る。
「構わん。我の知人だ、話せ」
「はい……今し方、王家の馬車が到着しまして……」
「なんだよ。やっと王様が到着したのか」
「……ッ」
話の途中で腰を折られ、イライザはレインツェルを睨み付ける。
「続けろ」
「は、はい」
有無を言わせずハオシェンロンに先を促され、イライザは咳払いをしてから話を続けた。
「確かに王家の紋が入った馬車なのですが、どうやら情報によると、マルコット王は所用でまだ数刻程遅れると」
「では、馬車に乗っていたのは?」
ハオシェンロンの問いに、イライザは一拍置いてかあら、声を更に潜めた。
「……第一夫人のマリーゴールド様と、護衛のパヴェ・ド・ショコラ将軍です」
言ったと同時に、サロンの貴族達は慌ただしく、一斉に席から立ち上がった。
今度は何だとレインツェル達は、立ち上がった貴族達を視線で追うと、メイド数人に案内されて、サロンの入り口から一人のド派手なドレスを着た女性が姿を現し、瞬間、大きな歓声と拍手が室内に溢れた。
ド派手なドレスの貴婦人は、熱烈な歓迎に満足そうな笑みを浮かべ、手に持った扇で顔を仰いだ。
貴婦人の姿を見たエリザベスが、驚いた様子でポツリと呟く。
「あの方は、マリーゴールド王妃? わざわざ、別宅で開かれる晩餐会に出席なさるなんて」
「って言うか貴族連中のこの態度、露骨すぎるだろ」
騒がしい喧噪に両耳を塞ぎ、レインツェルは表情を顰めた。
その中で、視界の端を何かがスッと動き、反射的にレインツェルは視線を其方に向ける。
「……ハオ様、此方へ」
「うむ」
まるでマリーゴールドを避けるよう、ハオシェンロンはイライザに導かれ、サロンの反対側の出口へと向かっていく。
注目はマリーゴールドに集まっている為、レインツェル以外誰も気が付かない。
レインツェルの視線に気づいたハオシェンロンは、サロンを出て行く時、此方に軽く笑みを覗かせると声は出さず、唇だけを動かした。
ま・た・あ・と・で。
「……アイツ。何か物騒なこと、やらかすつもりじゃないだろうな」
「れ、レイ君、レイ君!」
目的が全く読めないハオシェンロンの行動に、首を捻っていると、横に座っているドロッセルが、慌てた様子でレインツェルの服の袖を引っ張る。
「はいはい、今度は何だよ」
視線を戻すと、何やら三人は動揺した様子を見せている。
ドロッセルはあわあわと混乱し、カタリナは表情をように強張らせ、エリザベスはより緊張感が漲るように、背筋をピンと伸ばしていた。
「お、王妃様が、此方に向かっていますっ!」
「はぁ?」
視線を追ってハオシェンロンが出て行った扉の、反対側へと視線を向けると、媚を売るようにすり寄ってくる貴族達をかき分けて、マリーゴールドはド派手なドレス姿を揺らしながら、レインツェル達の座る卓へ、一直線に向かってきた。
正確には、真っ直ぐとエリザベスの顔を見据えて。
笑顔で喋りかける貴族達を押しのけながら、此方へと歩み寄るマリーゴールドに、エリザベスは一瞬、戸惑いの表情を浮かべるが、流石に相手は王族なので椅子から立ち上がると、自ら彼女を迎えるよう進み出た。
「ベス姉……」
「貴方達はここで」
責任者として挨拶するべきかと、腰を浮かせたカタリナに、素早くそう言ってその場で待たせた。
立ち上がりマリーゴールドの正面に立つと、エリザベスは恭しく一礼する。
その姿を見たマリーゴールドは、ニタァと唇の端を吊り上げて笑った。
「お初にお目にかかります。マリーゴールド王妃」
「あら。あらあらあら。貴女が、黄金の虎のエリザベスさんね?」
足を止めると、マリーゴールドは扇子を開いて口元を隠すと、僅かに細めた視線で頭を下げたまま上げないエリザベスを、ジロジロと値踏みするように見定めた。
マリーゴールドが言葉を発したからか、貴族達は邪魔をしてはいけないと、喋りかけるのを止めて、遠巻きに様子を眺めている。囁き合って、驚いたような眼差しをエリザベスに向けていることから、今ようやく、彼女の正体を知ったのだろう。
卓に座ったままのレインツェル達も息を殺し、二人の様子を見守る。
「お、おい。あたし達も平伏した方がいいんじゃないのか?」
「無礼者! 頭が高い。とか言われたりしてな」
貴族や王族に対する礼儀に疎いカタリナは、エリザベスに恥をかかせるわけにはいかないと、心配げに問いかける。
レインツェルはただ、この緊迫した状況を、面白がっているだけだが。
「公式の場ならそうですけど、サロン内はリラックス空間ですから。直接、対話をするのでなければ、過剰に平服しなくても大丈夫だと思います……多分」
最後は若干頼りなかったが、マリーゴールドや他の貴族達が何も言ってこないので、ドロッセルの言う通りこのままで平気なのだろう。
路傍の石ころ程度の認識しか、持たれていないのかもしれないが。
暫しエリザベスを値踏みし続けていたマリーゴールドは、扇子を閉じると一拍置いてから、満面の笑みを覗かせて、更に距離を縮めた。
「水臭いわエリザベスさん。頭を上げてちょうだいな」
「……えっ」
言いながら近づいてきたマリーゴールドは、戸惑うのも構わず、エリザベスの手を強引に取り握手をする。
周囲からは、何故か信じられないと言った風の歓声が漏れる。
「……ん?」
その歓声が気になり、レインツェルは視線を巡らせていると、手を取られ動揺するエリザベスの声が耳に届く。
「あ、あの、マリーゴールド王妃」
「そのような他人行儀な呼び方は止してちょうだい。わたくし達は共に、陛下に愛される資格を持った女として同格。いわば、家族も同然なのですから、もっと気軽に接して頂けるとわたくしも嬉しく思いますわ」
押しが随分と強いようで、笑顔で強引にぐいぐいと迫ってくる。
流石のエリザベスも、相手が王族ということもあり、レインツェルに対するような乱暴な振る舞いは出来ず、恐縮すると同時に対応に困ったような表情を浮かべていた。
その様子を見て、ドロッセルはほっと胸を撫で下ろす。
「どうやら、良い方のようですね」
「……それはどうかな?」
周囲の反応と、好意的ながらも何処か芝居じみたマリーゴールドに、レインツェルはそこはかとない胡散臭さを感じて、反射的にそう答えてしまったが、どうやらドロッセルの耳には届かなかったようだ。
そんなことを考えている内に、マリーゴールドの切れ間の無い会話に、エリザベスは困惑を深めていく。
「自分で行くと言っといて、対応に困ってんじゃねぇよ。ったく」
仕方なしにどう助け舟を出すか思案し始めた時、やたらと渋い声色がやんわりと、マリーゴールドを制止する。
「王妃様、その辺りでよろしいかと」
低い男性の声に、サロンの雰囲気がガラリと変わる。
ざわつきが水を打ったかのように静まるサロン内に、一人の男性が優雅な足取りで姿を現した。
開かれた扉の外から流れる緩やかな風に乗って、微かに薔薇の香水が鼻孔を擽る。
誰もが、姿を現した人物を一目見て、息を飲み込んだ。
褐色の肌に、顎髭の生やした筋肉質の美丈夫。
腰に細身の剣を装備した騎士風の男性だが、身に着ける服装は、足を露わにしたホットパンツに腹筋丸出しの、丈の短いジャケット。無駄な脂肪の無い引き締まった光沢のある筋肉を、惜しげも無く晒していた。
むんむんとした男臭さが漂う見た目ながら、妙に中性的な雰囲気を持つ濃い顔の男性は、自分に衆目する人々に対して礼儀正しく一礼する。
「お初に、お目にかかる方々もおりましょう……わたくしの名は、ショコラ。パヴェ・ド・ショコラで御座います」
甘く、良く通る声色を響かせ、ショコラは顔を上げた。
「以後、よろしくお見知りおきを」




