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大聖樹の悪童物語  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第4章 虎と龍
27/47

その27 虎の女王と覇道の龍






 大平原を南方に下った森林地帯。

 北から吹き抜ける風が無い分、太陽光が空気を暖め、汗ばむ気温が周囲を包み込む一帯では、木陰の下にいるだけで、十分に心地よい風を楽しめる。


 大木の根元。ちょうど、背を預けるには良い角度で湾曲したそれに、もたれ掛かるようにして一人。若い女性が長い脚を組んで、木漏れ日を楽しむかのような笑みを湛え、微睡みを堪能していた。

 寄りかかる木は大きく、根本付近は覆った木々の作り出す影が濃く、女性の顔は確りと確認は出来なかった。


 直ぐ側には、一本の太刀が立てかけてある。

 戦士や傭兵、武芸者と呼ぶには、恰好があまりにもラフ過ぎる。

 ぴっちりとしたタンクトップは丈が短く、寝そべる女性の腹部が丸出し。デニム生地のズボンはダメージ加工が施されている。等と言うと、おしゃれっぽく聞こえるが、ただ単純に破れているだけだった。


 彼女こそが、武神の長女。クィーン・フランシーヌ。

 黄金の虎のエースであり、最強の鬼札と呼ばれる女性だ。

 現在は遠征中で、この地方には魔物退治の為に訪れている。


 ここの森林地帯は、人の手が殆ど入っていない未開の地なのだが、どうやら戦争によって、この地方一体の気脈の流れが乱れてしまったらしく近年、森には瘴気が充満し、魔物が湧くようになってしまったのだ。


 面倒だった大物はあらかた退治し、森の浄化もだいぶ進んだので、フランシーヌは後のことを部下に全て押し付け、自分かこうして木陰で休んでいるというわけ。

 まぁ、サボっていても文句を言われないだけの働きを、十分果たしているのだが。


 眠っているような、起きているような。

 曖昧な眠気の境界を楽しんでいると、風に乗って鈴の音色が聞こえてきた。


「……ん?」


 僅かに意識が引き戻されたかと思うと、腹の部分にストンと、何かが飛び乗ってきた。

 フランシーヌは特に驚いた様子も見せず、薄く瞳を開く。

 自分の腹の上に乗っていたのは、一匹の艶やかな毛並をした黒猫で、フランシーヌの瞳が薄く開いたのを確認すると、ゴロゴロと気を引くように喉を鳴らした。


「……先生?」


 眠い目を擦りそう呟くと、黒猫は答えるように小首を傾け、首輪に付いた鈴を鳴らした。

 靄のかかっていたフランシーヌの視界が開けると、黒猫は何やら、封書のような物を口に咥えていた。

 寝ぼけ眼で、フランシーヌは頭をボリボリと掻く。


「あ~……面倒な予感しかしないから、無視していい?」


 読め。とでも言うように、黒猫は加えた封書を揺らす。

 フランシーヌは舌打ちを鳴らすと、やれやれと言った風に頭を掻く。


「はいはい、わかりましたよ先生。読ませて頂きます」


 差し出された封書を指で挟み受け取ると、乱暴に封を千切って、中に入っている手紙を取り出した。

 破いた封書を投げ捨て、折り畳まれた手紙を開き、寝そべったまま目を通す。


 書かれている文字を視線が追うごとに、眠気で半開きになっていた瞼は開いて行き、身体をズルズルと引き摺って、フランシーヌは姿勢を正した。

 腹に乗っていた黒猫は、ひょいと地面に飛び降り、熱心に手紙を読む姿を見上げる。


「なるほどなぁ……大平原は、随分と面白いことになっているみたいね」


 そう言って手紙を折り畳むと、フランシーヌは楽しげに含み笑いを漏らす。


「暗愚かと思ってたけど、アタシや先生がいない隙を狙える程度の、頭の回転はしてたってわけか」

「……にゃ~ん」

「ん? どうするのかって?」


 問いかけるような黒猫の鳴き声に、フランシーヌはそうだなぁと、視線を宙に彷徨わせてから、持った手紙をぽいと放り出し、また大木を背にして寝そべってしまう。


「ま、なるようになるさ。弟妹達にはいい経験になるだろう」

「にゃ~。にゃにゃっ、にゃ」

「先生は、意外に過保護だよなぁ。普段は達観している癖に、こういう場面だと途端にそわそわとし出す。こうなること、先生なら読めてただろ?」

「にゃ、にゃ~」


 困ったように、黒猫はか細い鳴き声で尻尾をペタッと地面につける。


「星見で予見したのは、先生の方だからな?」

「にゃあ。にゃにゃにゃ、にゃっ」


 何やら偉そうな調子で鳴くと、黒猫は空を見上げた。

 釣られて、フランシーヌも空を見る。

 木の葉に遮られてはいるが、抜けるような青空が広がっていて、星を見るには随分と不釣り合いな明るさをしていた。

 先生によって教えられた星の位置は、フランシーヌの網膜に確りと焼き付いている。


「天下へと飛翔する龍の覇星が、輝きを帯び始めた。ようやく、戦争から立ち直った大陸を照らすには、随分と物騒すぎる星廻りだな……そして」


 右手を天に翳し、フランシーヌは片目を瞑る。


「世を廻し、天を荒らす乱星。愛に生き、愛に死ぬ一途な殉星。ここ数ヶ月、異様な程に輝いてる……って、先生、言ってたなっけ?」

「にゃ~ん」


 同意するよう、一際大きな鳴き声を上げる。

 そのまま、暫し何か考えに更けるよう、青空を見上げ続けていると、唐突に身体を起こして横の太刀を手に取った。

 フワッと、青色のポニーテールが揺れる。


「先生。部下連中に伝えておいてくれ。アタシはちょいと、出かけてくる。仕事が終わったら、待たずに帰っていいって」

「――にゃ!? にゃにゃにゃ、にゃうにゃっ!」


 驚くようにピンと尻尾を立てると、鳴き声を喚き立てる。

 が、黒猫の鳴き声に一切耳を傾けず、手に持った太刀を肩に背負うと、背を向けてさっさと歩きだしてしまう。

 立ち止まり、黒猫の方を振り向くと、


「妹が随分とお気に入りの様子の、その悪童ってエルフ。ちょいと面白そうだからね。からかってくるだけさ」


 そう言って、フランシーヌは手を振ると、その場から立ち去ってしまった。

 残された黒猫は、大きくため息を吐いて、首を前へと倒す。


『やれやれ、なのです』


 口から発せられた言葉は、明らかに、猫の鳴き声とは異なる、少女の可憐な声色だった。




 ★☆★☆★☆




 晩餐会が開催される王家の別邸は、小さな山の麓にある町の外れに存在している。

 スィーズ王国の首都に続く街道からは、離れた位置にある本当に何の変哲も無い普通の農村。畑による自給自足と、山から切り出される木材を売って、金銭を得ていると言った以外は、特出すべき箇所は無いだろう。

 人工も少なく木々に囲まれた静かな町は、避暑地としては中々に過ごしやすい。


 だが、典型的な田舎町と呼ぶには、外観が驚く程綺麗だった。

 仮にも王族の別邸がある町。あまり貧乏臭いのは困ると、別邸に続く通りの道だけを小奇麗に改装してあるのだ。

 見た目とは裏腹に人通りの少ない道を歩く、二人の姿がある。

 レインツェルとエリザベスだ。


「随分と静かなところだなぁ。ここ、この町の中心部なんだろ? 昼時だから、もう少し賑わっててもいいと思うんだけど」

「…………」


 キョロキョロと好奇心の赴くまま、周囲を見回しレインツェルは率直な感想を述べる。

 対してエリザベスは、ぶすっと不機嫌を滲ませて表情で、無言のまま少し前を歩く。


 ただでさえ、あまり良い感情を抱かれていなかったのに、散々レインツェルがからかってしまったからか、完全に嫌われてしまったのだろう。

 会話らしい会話など成立せず、殆どレインツェルの独り言だ。


「やれやれ。嫌われたモンだぜ」


 大げさに肩を竦めながらも、口調は全く反省していなかった。

 何故、関係が微妙な両者が、二人きりでぶらぶらと村を散策しているかと言うと、話は到着直後まで遡る。

 一向が町に到着したのは、今から一時間ほど前。

 到着してすぐ別邸に向かったのだが、そこで思わぬトラブルが起こってしまう。


 何と、スィーズ王国側のミスで、黄金の虎に送った招待状の日付が、一日ずれていたそうなのだ。その為、マルコット王を始めとして、まだ来賓客は訪れておらず、エリザベス達を迎え入れる準備も整って無いらしい。

 晩餐会前日で、まだ準備が完全に終わってないのも、どうかと思うのだが、土下座でもする勢いで、使用人達総出で謝罪されると、怒るわけにもいかない。


「暫しお時間を頂ければ、すぐにでも休めるお部屋をご用意しますので、お待ち頂けると幸いで御座います」


 と、初老の使用人に頭を下げられ、エリザベス達は二つ返事で受け入れた。

 旅の疲れを癒す時間が与えられたと思えば、そんなに悪いことでは無いだろう。

 準備が整うまでの間、応接間にて待って貰う為に、使用人が案内しようとした時、エリザベスが唐突に切り出した。


「時間があるようなのなら、少し町を見て回りたいのですが」


 エリザベスの申し出に、使用人は僅かに難色を示した。

 普通の来賓ならともかく、エリザベスはマルコット王の婚約者候補。町の散策中に怪我や、住人が無礼でも働けば、責任問題にまで発展してしまう。


 とは言うモノの、待たせてしまうのは王国側の不手際。

 駄目ですと言うことも出来ず、渋々ながら使用人は「よろしいですよ」と許可を出した。

 その際に護衛をと言いかけるが、素早くエリザベスはそれをキッパリと断った。


「これは私事による、勝手な行動ですので、お手を煩わせるわけにはいきません」


 流石にそれは出来ないと使用人も引かず、何度か押し問答を繰り返す中、仕方なしに仲裁に入ったレインツェルが、自分が護衛に付くと申し出たのだ。

 勿論、王国側も直ぐには、良い顔をしなかったが、


「アンタらに迷惑はかけないし、アンタらの責任も問わない。別に面倒を起こそうってわけじゃないんだ、一回りしたら戻ってくるから、さ?」


 持ち前の強引さに押し負け、使用人は再び渋々と、首を縦に振った。

 その時、エリザベスは物凄く嫌そうな顔をしていたが、自らが拒否すれば、また話が元の戻ってしまうので、グッと言葉を飲み込んだのだろう。


 そんなわけで、二人はこうして仲良く? 町を散策することになった。

 人通りが少ないと言っても、皆無では無い。

 買い物に来ていたり、仕事途中だったりと、それなりに人とすれ違う機会は多いのだが、その誰もが二人を見て、特にレインツェルに対して、驚くような、怖がっているような反応を見せていた。

 露骨な視線を浴びるレインツェルは、腕を組み大袈裟に頷いて見せた。


「ふぅむ。やはり、左右で色の違う髪の毛は珍しいのか。いやいや、それともこの俺が、美形なイケエルフだからか」

「……単純に貴方が、エルフだから珍しがられているのです」


 素っ頓狂な感想に、思わずエリザベスは真面目にツッコんでしまう。

 言ってから、ニヤリと笑うレインツェルの顔を見て、「しまった。引っ掛けられた」と後悔する。


 まぁ、正確に言えば、注目を浴びている原因の一つには、エリザベスの存在もある。

 文句なしに、目を見張る程の美少女。これが、人目を引かないわけが無い。

 その証拠に道行く男連中は、年齢問わずエリザベスに対して、見惚れるような視線向けては、だらしなく目尻を下げていた。


 だが、次に視線が彼女の持つ得物に移されると、皆ギョッとして慌てて視線を逸らす。

 波打つような特殊な刃を持つ、身の丈を超える大きな槍……いや、穂先の根元がソケットのようになっているので、矛と呼んだ方が正しいだろう。

 美少女が持つには大きく、あまりに凶暴な外見をしている得物だ。


「……蛇矛か。虎の娘なのに燕人とはこれ如何に。いや、五虎将の一人だから構わんのか? ……関係ないな」

「何を訳の分からないことを言っているのですか」


 じっとりとした視線を向けられ、誤魔化すように咳払いを一つ。

 何でも無いと手を振る姿に、ふんと鼻を鳴らして、エリザベスは足を先に進める。

 露骨に不機嫌さを撒き散らし、先を歩く背中からは、話しかけてくるなというオーラが、ありありと滲み出ていて、レインツェルはやれやれと嘆息しながら頭を掻き、彼女が気分を害さないギリギリの距離を保ち、後ろを歩いて行く。


「こりゃ、本当に嫌われているなぁ……まぁ、無理も無いか」


 あれだけからかえば、こんな反応されて当然だろう。

 しかし、レインツェル的には、悪くない反応だと思っている。

 好きの反対は無関心。

 嫌われているということは、それだけ此方を意識しているということだ。


 今回の一件のように、黄金の虎に関わる厄介事を、全て一人で背負い込んでしまう性格から、どんなに此方が好意的に接しようとしても、その性格から来る頑固さの所為で、全て突っぱねてしまうだろう。

 別に言い方をすれば、エリザベスは他人に対して、キッチリと一線を引いてしまう傾向が強い。


「厄介なのは、家族もその対象だってことだよな」


 現に彼女の身を案じる、カタリナに対しても冷たい態度を取っている。

 事態を一人で収束させようとする鉄の意思、と呼べば聞こえはいいが、実際は違うとレインツェルはここ数日、エリザベスを観察した結果として導き出していた。


「カトリーナや虎の連中は、プリンセスってあだ名の通り、アイツを神聖化している節がある。果たして、ティーンエイジャーの女子が、んな達観した聖人君子のように、自分の感情を完璧に押し殺せるかぁ?」


 そんな疑問が、レインツェルの中には前々からあった。

 散々からかった結果を見る限り、エリザベスの根っ子の部分では、年相応の未熟な少女を宿しているのだろう。


 この結婚、エリザベスが無理をしているのは明白だ。

 だが、なまじ意思が強すぎるぶんだけ、本音を引き摺り出すのは難しい。

 ならばと押し殺している感情を暴く為、あの手この手を使い、からかい、挑発し、セクハラ紛いなことをして、ドロッセル達に白い目を向けられながらも、今の今まで頑張ってきたのだが。

 成果としては、後一歩踏み込んでいけないというところか。


「感触は悪くないと思うんだけどなぁ。不良が雨の日に子猫を拾うが如く、何か切っ掛けが出来れば、もう一段階エリザベスの心内に、踏み込めると思うんだけど」


 言いながら、キョロキョロと周囲を見回すけれど、辺りは小奇麗な町並みが広がっているだけ。


「んな、好感度爆上げイベント、そうそう転がってないか」


 結婚話を潰す具体的な策はまだ立っていないが、エリザベスの心情が変わらない以上、劇的に状況を変えることは難しい。

 人の心情を変えるには、その人の抱く意思、想いを知らねばならない。


 レインツェルにはもう一つ、エリザベスに対して疑問に思うことがある。

 彼女が自らを犠牲にしてまで、マルコット王に嫁ぐ理由。黄金の虎を救う為、というのがシュウから聞いた話だが、どうにもまだ理由があるとしか思えないし、カタリナに対して冷たく接している理由も引っかかる。


「歳は殆ど変らんのに、どうしてエリザベスとカトリーナは、あんなにも差がつけられているのだろうか?」


 才能の問題とカタリナは言っていたが、どうもそれだけとは思えない。

 考えてもわかることでは無いし、思い切ってエリザベスに聞いてみよう。答えを教えて貰えなくても、リアクションから、何か読み取れるモノがあるかもしれない。

 そう思い立ち早速問いかけようと、考え込んでいた顔を上げた瞬間、目の前にエリザベスの背中が迫っていた。


「――わぷっ!?」


 避ける間も無く、レインツェルはその背中に顔を埋めてしまう。

 倒れる程、勢いよくぶつかったわけでは無いが、赤くなった鼻を擦りつつ、何事だとエリザベスを見上げた。


「おい。急に立ち止まるなよ」

「し、失礼しました。しかし……」


 何やら驚いた様子で、エリザベスは進行方向を指差す。

 怪訝な表情でレインツェルは、指先を視線で追うと、そこで見た光景に、思わずおいおいと呆れ顔で目を細めた。

 一人の少女が、人の往来する通りの真ん中に、大の字になって寝そべっていた。

 通りを歩く人々は皆、眉を潜めて関わり合いたくないと、横を足早に通り過ぎていく。


「すげぇな、かぶき者か? 前田さん家の子か」

「誰ですかそれは……行き倒れや酔っ払いでは無いようですが、何故あのようなところに……?」


 レインツェルは何やら楽しそうに、エリザベスは不審を募らせる視線で、それぞれ大の字に寝ている少女を見つめた。


「……どちらにしても、まともな人間では無いのでしょう。関わらない方が身のた……」

「――おい! そこのかぶき者! んなところで寝てると、踏んづけちまうぞ!」


 関わり合いたくないという意見を、食い気味で無視して、レインツェルは大声で倒れている少女に向け声をかける。

 この悪童はと、エリザベスは眉間を指で揉んだ。

 声をかけられて直ぐ、大の字に寝ている少女はモゾッと軽く身体を動かした。


「カブキモノ。という聞きなれない単語は、我に向けての言葉か少年」

「そうだぞ少女」

「何用だ。我の邪魔をするな」


 あまりにも不遜な言葉を返され、エリザベスは「なっ!?」と眉を吊り上げた。

 が、レインツェルは口元に笑みを浮かべ、右手を腰に添える。


「邪魔なのはお前の方だよ。動けるんならさっさと退け。で、なければ落とし物として届けて、お礼に一割貰っちゃうぞこの野郎」


 軽い口調で返すと、寝そべる少女から驚いたような気配が伝わってくる。

 そして、くくっと含み笑いを漏らすと、


「面白い少年だ。だが、よく見てみろ少年。我の左右には、十分に人が歩いて通れる道が空いている。わざわざ我をどかさずとも、そこを歩いて行けばよかろうではないか」

「悪いが、俺が進みたい道は俺が決める主義なんだ。それに……」


 偉そうに、レインツェルは軽く胸を張る。


「退かない奴を退かす方が、面白いだろ?」

「……ほう」


 感心したような声を漏らすと、少女は大きく足を上げる。

 振り下ろす勢いで、上半身を起こすと、少女はその場で胡坐をかいた。

 短く息を付き、思いの外鋭い視線を、レインツェルに向ける。


「ほうほう、エルフだったか少年。これは、ますます面白い」


 そう言って、ニヤリと歯を見せて少女は笑った。


「――ッ!?」


 赤い髪の毛に左目には眼帯。龍をモチーフにしたような軽装の鎧を身に着けた、ド派手な少女の外見に、エリザベスは思わず息を飲み込んだ。

 いや、外見だけでは無く、少女から発せられる異様は気に、本能が警笛を鳴らしたのだ。


「……この少女は、一体?」


 知らずに、蛇矛を握る手に力が籠る。

 警戒する視線を向ける中、レインツェルだけは変わらぬ軽い口調で、眼帯の少女に語りかけた。


「こんなところで何をやってたんだ?」

「ふむ。空を見ていたのだ」


 そう言って少女は、自分の真上を指差す。

 釣られて、レインツェルも空を見上げた。

 何の変哲も無い青空が広がっているのだが、少女には何か、変わったモノにでも見えたのだろうか。


「何だ。でっかい空でも見上げて、人間とはかくも矮小な存在よと、哲学的な考えにでも浸っていたのか?」

「いや、ただの趣味だ」

「……趣味か」

「うむ」


 腕を組み、堂々とした態度で少女は頷いた。


「雪見酒、月見酒があるように、景観だけで十分に肴となる。残念ながら、我は酒を好まぬが故、こうして青空を両の目で味わっていたのよ」

「……変人、ですね」


 関わり合いになりたくないという表情で、エリザベスは呟く。

 しかし、レインツェルは興味深そうに、ほほうと頷いた。


「そいつは風流。粋なモンだな。確かに、青空を楽しむなら、寝そべって見上げるのが一番だ」

「ほう! わかるかエルフの少年」


 嬉しそうに少女は、胡坐をかいた膝を、パシンと叩く。


「我の周りの連中は、どうも粋を介さない奴らばかりで辟易としていたモノだ。ならば一つ、少年も我と共に、青空を楽しまないか?」

「残念だが、俺は今、デート中なんだ。悪いけど、他の女の誘いに乗るわけにはいかんな」

「気色の悪いことを言わないで下さい」


 エリザベスは否定するように、ジロッとレインツェルを睨み付ける。

 断られた少女は残念そうに顎の下を指で掻いてから、もう一度膝を叩く。


「無念だが、先約があるのならば仕方が無い」


 そう言って立ち上がると、服に付着した砂や埃を払い、レインツェル達に背を向ける。


「なんだ、もう青空鑑賞は終わりか?」

「ああ。黙って抜け出して来た故に、小うるさい奴らが騒ぎ出す頃合いだからな……それに、蒼天は見上げるよりやはり、掴み取るのに限る」


 最後は、妙に意味深な含みを持たせる。

 意味が分からないとエリザベスは怪訝な表情をするが、レインツェルな何となく、言葉の意味を察してしまった。


「蒼天、ね。何処を比喩しているのかは知らんが、随分と物騒な言い回しじゃないのか?」

「ふふっ、蒼天は蒼天よ。他意は無い」


 振り向いた少女は、怪しげに微笑んだ。


「では、我は失礼するよ、エルフの少年。短い間だったが、実に愉快な会話であった……プリンセス・エリザベスも御機嫌よう。では、またのちほど」


 そう言って、少女は意味不明な謎だけを振り撒いて、通りを歩いて行ってしまった。

 何とも言えない不思議な雰囲気の少女に、二人は無言のまま去りゆく背中を見送る。

 特にエリザベスの視線は険しく、警戒するような色が滲み出ていた。


「……あの少女、何故、私の名前を知っていたのでしょうか」

「またって、言ってたな。何者なんだ?」

「さて。もしかしたら……ハッ!?」


 顎に指を添えるエリザベスは、つい会話が成立してしまったことに気が付き、慌てて口を閉ざすと、誤魔化すようにそっぽを向いてしまう。

 どうやら彼女の中では無視は止めても、会話を交わすことは駄目ならしい。

 ここまで来ると、逆に子供っぽくて可愛らしいと思ってしまう、精神年齢三十五歳であった。





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