その27 虎の女王と覇道の龍
大平原を南方に下った森林地帯。
北から吹き抜ける風が無い分、太陽光が空気を暖め、汗ばむ気温が周囲を包み込む一帯では、木陰の下にいるだけで、十分に心地よい風を楽しめる。
大木の根元。ちょうど、背を預けるには良い角度で湾曲したそれに、もたれ掛かるようにして一人。若い女性が長い脚を組んで、木漏れ日を楽しむかのような笑みを湛え、微睡みを堪能していた。
寄りかかる木は大きく、根本付近は覆った木々の作り出す影が濃く、女性の顔は確りと確認は出来なかった。
直ぐ側には、一本の太刀が立てかけてある。
戦士や傭兵、武芸者と呼ぶには、恰好があまりにもラフ過ぎる。
ぴっちりとしたタンクトップは丈が短く、寝そべる女性の腹部が丸出し。デニム生地のズボンはダメージ加工が施されている。等と言うと、おしゃれっぽく聞こえるが、ただ単純に破れているだけだった。
彼女こそが、武神の長女。クィーン・フランシーヌ。
黄金の虎のエースであり、最強の鬼札と呼ばれる女性だ。
現在は遠征中で、この地方には魔物退治の為に訪れている。
ここの森林地帯は、人の手が殆ど入っていない未開の地なのだが、どうやら戦争によって、この地方一体の気脈の流れが乱れてしまったらしく近年、森には瘴気が充満し、魔物が湧くようになってしまったのだ。
面倒だった大物はあらかた退治し、森の浄化もだいぶ進んだので、フランシーヌは後のことを部下に全て押し付け、自分かこうして木陰で休んでいるというわけ。
まぁ、サボっていても文句を言われないだけの働きを、十分果たしているのだが。
眠っているような、起きているような。
曖昧な眠気の境界を楽しんでいると、風に乗って鈴の音色が聞こえてきた。
「……ん?」
僅かに意識が引き戻されたかと思うと、腹の部分にストンと、何かが飛び乗ってきた。
フランシーヌは特に驚いた様子も見せず、薄く瞳を開く。
自分の腹の上に乗っていたのは、一匹の艶やかな毛並をした黒猫で、フランシーヌの瞳が薄く開いたのを確認すると、ゴロゴロと気を引くように喉を鳴らした。
「……先生?」
眠い目を擦りそう呟くと、黒猫は答えるように小首を傾け、首輪に付いた鈴を鳴らした。
靄のかかっていたフランシーヌの視界が開けると、黒猫は何やら、封書のような物を口に咥えていた。
寝ぼけ眼で、フランシーヌは頭をボリボリと掻く。
「あ~……面倒な予感しかしないから、無視していい?」
読め。とでも言うように、黒猫は加えた封書を揺らす。
フランシーヌは舌打ちを鳴らすと、やれやれと言った風に頭を掻く。
「はいはい、わかりましたよ先生。読ませて頂きます」
差し出された封書を指で挟み受け取ると、乱暴に封を千切って、中に入っている手紙を取り出した。
破いた封書を投げ捨て、折り畳まれた手紙を開き、寝そべったまま目を通す。
書かれている文字を視線が追うごとに、眠気で半開きになっていた瞼は開いて行き、身体をズルズルと引き摺って、フランシーヌは姿勢を正した。
腹に乗っていた黒猫は、ひょいと地面に飛び降り、熱心に手紙を読む姿を見上げる。
「なるほどなぁ……大平原は、随分と面白いことになっているみたいね」
そう言って手紙を折り畳むと、フランシーヌは楽しげに含み笑いを漏らす。
「暗愚かと思ってたけど、アタシや先生がいない隙を狙える程度の、頭の回転はしてたってわけか」
「……にゃ~ん」
「ん? どうするのかって?」
問いかけるような黒猫の鳴き声に、フランシーヌはそうだなぁと、視線を宙に彷徨わせてから、持った手紙をぽいと放り出し、また大木を背にして寝そべってしまう。
「ま、なるようになるさ。弟妹達にはいい経験になるだろう」
「にゃ~。にゃにゃっ、にゃ」
「先生は、意外に過保護だよなぁ。普段は達観している癖に、こういう場面だと途端にそわそわとし出す。こうなること、先生なら読めてただろ?」
「にゃ、にゃ~」
困ったように、黒猫はか細い鳴き声で尻尾をペタッと地面につける。
「星見で予見したのは、先生の方だからな?」
「にゃあ。にゃにゃにゃ、にゃっ」
何やら偉そうな調子で鳴くと、黒猫は空を見上げた。
釣られて、フランシーヌも空を見る。
木の葉に遮られてはいるが、抜けるような青空が広がっていて、星を見るには随分と不釣り合いな明るさをしていた。
先生によって教えられた星の位置は、フランシーヌの網膜に確りと焼き付いている。
「天下へと飛翔する龍の覇星が、輝きを帯び始めた。ようやく、戦争から立ち直った大陸を照らすには、随分と物騒すぎる星廻りだな……そして」
右手を天に翳し、フランシーヌは片目を瞑る。
「世を廻し、天を荒らす乱星。愛に生き、愛に死ぬ一途な殉星。ここ数ヶ月、異様な程に輝いてる……って、先生、言ってたなっけ?」
「にゃ~ん」
同意するよう、一際大きな鳴き声を上げる。
そのまま、暫し何か考えに更けるよう、青空を見上げ続けていると、唐突に身体を起こして横の太刀を手に取った。
フワッと、青色のポニーテールが揺れる。
「先生。部下連中に伝えておいてくれ。アタシはちょいと、出かけてくる。仕事が終わったら、待たずに帰っていいって」
「――にゃ!? にゃにゃにゃ、にゃうにゃっ!」
驚くようにピンと尻尾を立てると、鳴き声を喚き立てる。
が、黒猫の鳴き声に一切耳を傾けず、手に持った太刀を肩に背負うと、背を向けてさっさと歩きだしてしまう。
立ち止まり、黒猫の方を振り向くと、
「妹が随分とお気に入りの様子の、その悪童ってエルフ。ちょいと面白そうだからね。からかってくるだけさ」
そう言って、フランシーヌは手を振ると、その場から立ち去ってしまった。
残された黒猫は、大きくため息を吐いて、首を前へと倒す。
『やれやれ、なのです』
口から発せられた言葉は、明らかに、猫の鳴き声とは異なる、少女の可憐な声色だった。
★☆★☆★☆
晩餐会が開催される王家の別邸は、小さな山の麓にある町の外れに存在している。
スィーズ王国の首都に続く街道からは、離れた位置にある本当に何の変哲も無い普通の農村。畑による自給自足と、山から切り出される木材を売って、金銭を得ていると言った以外は、特出すべき箇所は無いだろう。
人工も少なく木々に囲まれた静かな町は、避暑地としては中々に過ごしやすい。
だが、典型的な田舎町と呼ぶには、外観が驚く程綺麗だった。
仮にも王族の別邸がある町。あまり貧乏臭いのは困ると、別邸に続く通りの道だけを小奇麗に改装してあるのだ。
見た目とは裏腹に人通りの少ない道を歩く、二人の姿がある。
レインツェルとエリザベスだ。
「随分と静かなところだなぁ。ここ、この町の中心部なんだろ? 昼時だから、もう少し賑わっててもいいと思うんだけど」
「…………」
キョロキョロと好奇心の赴くまま、周囲を見回しレインツェルは率直な感想を述べる。
対してエリザベスは、ぶすっと不機嫌を滲ませて表情で、無言のまま少し前を歩く。
ただでさえ、あまり良い感情を抱かれていなかったのに、散々レインツェルがからかってしまったからか、完全に嫌われてしまったのだろう。
会話らしい会話など成立せず、殆どレインツェルの独り言だ。
「やれやれ。嫌われたモンだぜ」
大げさに肩を竦めながらも、口調は全く反省していなかった。
何故、関係が微妙な両者が、二人きりでぶらぶらと村を散策しているかと言うと、話は到着直後まで遡る。
一向が町に到着したのは、今から一時間ほど前。
到着してすぐ別邸に向かったのだが、そこで思わぬトラブルが起こってしまう。
何と、スィーズ王国側のミスで、黄金の虎に送った招待状の日付が、一日ずれていたそうなのだ。その為、マルコット王を始めとして、まだ来賓客は訪れておらず、エリザベス達を迎え入れる準備も整って無いらしい。
晩餐会前日で、まだ準備が完全に終わってないのも、どうかと思うのだが、土下座でもする勢いで、使用人達総出で謝罪されると、怒るわけにもいかない。
「暫しお時間を頂ければ、すぐにでも休めるお部屋をご用意しますので、お待ち頂けると幸いで御座います」
と、初老の使用人に頭を下げられ、エリザベス達は二つ返事で受け入れた。
旅の疲れを癒す時間が与えられたと思えば、そんなに悪いことでは無いだろう。
準備が整うまでの間、応接間にて待って貰う為に、使用人が案内しようとした時、エリザベスが唐突に切り出した。
「時間があるようなのなら、少し町を見て回りたいのですが」
エリザベスの申し出に、使用人は僅かに難色を示した。
普通の来賓ならともかく、エリザベスはマルコット王の婚約者候補。町の散策中に怪我や、住人が無礼でも働けば、責任問題にまで発展してしまう。
とは言うモノの、待たせてしまうのは王国側の不手際。
駄目ですと言うことも出来ず、渋々ながら使用人は「よろしいですよ」と許可を出した。
その際に護衛をと言いかけるが、素早くエリザベスはそれをキッパリと断った。
「これは私事による、勝手な行動ですので、お手を煩わせるわけにはいきません」
流石にそれは出来ないと使用人も引かず、何度か押し問答を繰り返す中、仕方なしに仲裁に入ったレインツェルが、自分が護衛に付くと申し出たのだ。
勿論、王国側も直ぐには、良い顔をしなかったが、
「アンタらに迷惑はかけないし、アンタらの責任も問わない。別に面倒を起こそうってわけじゃないんだ、一回りしたら戻ってくるから、さ?」
持ち前の強引さに押し負け、使用人は再び渋々と、首を縦に振った。
その時、エリザベスは物凄く嫌そうな顔をしていたが、自らが拒否すれば、また話が元の戻ってしまうので、グッと言葉を飲み込んだのだろう。
そんなわけで、二人はこうして仲良く? 町を散策することになった。
人通りが少ないと言っても、皆無では無い。
買い物に来ていたり、仕事途中だったりと、それなりに人とすれ違う機会は多いのだが、その誰もが二人を見て、特にレインツェルに対して、驚くような、怖がっているような反応を見せていた。
露骨な視線を浴びるレインツェルは、腕を組み大袈裟に頷いて見せた。
「ふぅむ。やはり、左右で色の違う髪の毛は珍しいのか。いやいや、それともこの俺が、美形なイケエルフだからか」
「……単純に貴方が、エルフだから珍しがられているのです」
素っ頓狂な感想に、思わずエリザベスは真面目にツッコんでしまう。
言ってから、ニヤリと笑うレインツェルの顔を見て、「しまった。引っ掛けられた」と後悔する。
まぁ、正確に言えば、注目を浴びている原因の一つには、エリザベスの存在もある。
文句なしに、目を見張る程の美少女。これが、人目を引かないわけが無い。
その証拠に道行く男連中は、年齢問わずエリザベスに対して、見惚れるような視線向けては、だらしなく目尻を下げていた。
だが、次に視線が彼女の持つ得物に移されると、皆ギョッとして慌てて視線を逸らす。
波打つような特殊な刃を持つ、身の丈を超える大きな槍……いや、穂先の根元がソケットのようになっているので、矛と呼んだ方が正しいだろう。
美少女が持つには大きく、あまりに凶暴な外見をしている得物だ。
「……蛇矛か。虎の娘なのに燕人とはこれ如何に。いや、五虎将の一人だから構わんのか? ……関係ないな」
「何を訳の分からないことを言っているのですか」
じっとりとした視線を向けられ、誤魔化すように咳払いを一つ。
何でも無いと手を振る姿に、ふんと鼻を鳴らして、エリザベスは足を先に進める。
露骨に不機嫌さを撒き散らし、先を歩く背中からは、話しかけてくるなというオーラが、ありありと滲み出ていて、レインツェルはやれやれと嘆息しながら頭を掻き、彼女が気分を害さないギリギリの距離を保ち、後ろを歩いて行く。
「こりゃ、本当に嫌われているなぁ……まぁ、無理も無いか」
あれだけからかえば、こんな反応されて当然だろう。
しかし、レインツェル的には、悪くない反応だと思っている。
好きの反対は無関心。
嫌われているということは、それだけ此方を意識しているということだ。
今回の一件のように、黄金の虎に関わる厄介事を、全て一人で背負い込んでしまう性格から、どんなに此方が好意的に接しようとしても、その性格から来る頑固さの所為で、全て突っぱねてしまうだろう。
別に言い方をすれば、エリザベスは他人に対して、キッチリと一線を引いてしまう傾向が強い。
「厄介なのは、家族もその対象だってことだよな」
現に彼女の身を案じる、カタリナに対しても冷たい態度を取っている。
事態を一人で収束させようとする鉄の意思、と呼べば聞こえはいいが、実際は違うとレインツェルはここ数日、エリザベスを観察した結果として導き出していた。
「カトリーナや虎の連中は、プリンセスってあだ名の通り、アイツを神聖化している節がある。果たして、ティーンエイジャーの女子が、んな達観した聖人君子のように、自分の感情を完璧に押し殺せるかぁ?」
そんな疑問が、レインツェルの中には前々からあった。
散々からかった結果を見る限り、エリザベスの根っ子の部分では、年相応の未熟な少女を宿しているのだろう。
この結婚、エリザベスが無理をしているのは明白だ。
だが、なまじ意思が強すぎるぶんだけ、本音を引き摺り出すのは難しい。
ならばと押し殺している感情を暴く為、あの手この手を使い、からかい、挑発し、セクハラ紛いなことをして、ドロッセル達に白い目を向けられながらも、今の今まで頑張ってきたのだが。
成果としては、後一歩踏み込んでいけないというところか。
「感触は悪くないと思うんだけどなぁ。不良が雨の日に子猫を拾うが如く、何か切っ掛けが出来れば、もう一段階エリザベスの心内に、踏み込めると思うんだけど」
言いながら、キョロキョロと周囲を見回すけれど、辺りは小奇麗な町並みが広がっているだけ。
「んな、好感度爆上げイベント、そうそう転がってないか」
結婚話を潰す具体的な策はまだ立っていないが、エリザベスの心情が変わらない以上、劇的に状況を変えることは難しい。
人の心情を変えるには、その人の抱く意思、想いを知らねばならない。
レインツェルにはもう一つ、エリザベスに対して疑問に思うことがある。
彼女が自らを犠牲にしてまで、マルコット王に嫁ぐ理由。黄金の虎を救う為、というのがシュウから聞いた話だが、どうにもまだ理由があるとしか思えないし、カタリナに対して冷たく接している理由も引っかかる。
「歳は殆ど変らんのに、どうしてエリザベスとカトリーナは、あんなにも差がつけられているのだろうか?」
才能の問題とカタリナは言っていたが、どうもそれだけとは思えない。
考えてもわかることでは無いし、思い切ってエリザベスに聞いてみよう。答えを教えて貰えなくても、リアクションから、何か読み取れるモノがあるかもしれない。
そう思い立ち早速問いかけようと、考え込んでいた顔を上げた瞬間、目の前にエリザベスの背中が迫っていた。
「――わぷっ!?」
避ける間も無く、レインツェルはその背中に顔を埋めてしまう。
倒れる程、勢いよくぶつかったわけでは無いが、赤くなった鼻を擦りつつ、何事だとエリザベスを見上げた。
「おい。急に立ち止まるなよ」
「し、失礼しました。しかし……」
何やら驚いた様子で、エリザベスは進行方向を指差す。
怪訝な表情でレインツェルは、指先を視線で追うと、そこで見た光景に、思わずおいおいと呆れ顔で目を細めた。
一人の少女が、人の往来する通りの真ん中に、大の字になって寝そべっていた。
通りを歩く人々は皆、眉を潜めて関わり合いたくないと、横を足早に通り過ぎていく。
「すげぇな、かぶき者か? 前田さん家の子か」
「誰ですかそれは……行き倒れや酔っ払いでは無いようですが、何故あのようなところに……?」
レインツェルは何やら楽しそうに、エリザベスは不審を募らせる視線で、それぞれ大の字に寝ている少女を見つめた。
「……どちらにしても、まともな人間では無いのでしょう。関わらない方が身のた……」
「――おい! そこのかぶき者! んなところで寝てると、踏んづけちまうぞ!」
関わり合いたくないという意見を、食い気味で無視して、レインツェルは大声で倒れている少女に向け声をかける。
この悪童はと、エリザベスは眉間を指で揉んだ。
声をかけられて直ぐ、大の字に寝ている少女はモゾッと軽く身体を動かした。
「カブキモノ。という聞きなれない単語は、我に向けての言葉か少年」
「そうだぞ少女」
「何用だ。我の邪魔をするな」
あまりにも不遜な言葉を返され、エリザベスは「なっ!?」と眉を吊り上げた。
が、レインツェルは口元に笑みを浮かべ、右手を腰に添える。
「邪魔なのはお前の方だよ。動けるんならさっさと退け。で、なければ落とし物として届けて、お礼に一割貰っちゃうぞこの野郎」
軽い口調で返すと、寝そべる少女から驚いたような気配が伝わってくる。
そして、くくっと含み笑いを漏らすと、
「面白い少年だ。だが、よく見てみろ少年。我の左右には、十分に人が歩いて通れる道が空いている。わざわざ我をどかさずとも、そこを歩いて行けばよかろうではないか」
「悪いが、俺が進みたい道は俺が決める主義なんだ。それに……」
偉そうに、レインツェルは軽く胸を張る。
「退かない奴を退かす方が、面白いだろ?」
「……ほう」
感心したような声を漏らすと、少女は大きく足を上げる。
振り下ろす勢いで、上半身を起こすと、少女はその場で胡坐をかいた。
短く息を付き、思いの外鋭い視線を、レインツェルに向ける。
「ほうほう、エルフだったか少年。これは、ますます面白い」
そう言って、ニヤリと歯を見せて少女は笑った。
「――ッ!?」
赤い髪の毛に左目には眼帯。龍をモチーフにしたような軽装の鎧を身に着けた、ド派手な少女の外見に、エリザベスは思わず息を飲み込んだ。
いや、外見だけでは無く、少女から発せられる異様は気に、本能が警笛を鳴らしたのだ。
「……この少女は、一体?」
知らずに、蛇矛を握る手に力が籠る。
警戒する視線を向ける中、レインツェルだけは変わらぬ軽い口調で、眼帯の少女に語りかけた。
「こんなところで何をやってたんだ?」
「ふむ。空を見ていたのだ」
そう言って少女は、自分の真上を指差す。
釣られて、レインツェルも空を見上げた。
何の変哲も無い青空が広がっているのだが、少女には何か、変わったモノにでも見えたのだろうか。
「何だ。でっかい空でも見上げて、人間とはかくも矮小な存在よと、哲学的な考えにでも浸っていたのか?」
「いや、ただの趣味だ」
「……趣味か」
「うむ」
腕を組み、堂々とした態度で少女は頷いた。
「雪見酒、月見酒があるように、景観だけで十分に肴となる。残念ながら、我は酒を好まぬが故、こうして青空を両の目で味わっていたのよ」
「……変人、ですね」
関わり合いになりたくないという表情で、エリザベスは呟く。
しかし、レインツェルは興味深そうに、ほほうと頷いた。
「そいつは風流。粋なモンだな。確かに、青空を楽しむなら、寝そべって見上げるのが一番だ」
「ほう! わかるかエルフの少年」
嬉しそうに少女は、胡坐をかいた膝を、パシンと叩く。
「我の周りの連中は、どうも粋を介さない奴らばかりで辟易としていたモノだ。ならば一つ、少年も我と共に、青空を楽しまないか?」
「残念だが、俺は今、デート中なんだ。悪いけど、他の女の誘いに乗るわけにはいかんな」
「気色の悪いことを言わないで下さい」
エリザベスは否定するように、ジロッとレインツェルを睨み付ける。
断られた少女は残念そうに顎の下を指で掻いてから、もう一度膝を叩く。
「無念だが、先約があるのならば仕方が無い」
そう言って立ち上がると、服に付着した砂や埃を払い、レインツェル達に背を向ける。
「なんだ、もう青空鑑賞は終わりか?」
「ああ。黙って抜け出して来た故に、小うるさい奴らが騒ぎ出す頃合いだからな……それに、蒼天は見上げるよりやはり、掴み取るのに限る」
最後は、妙に意味深な含みを持たせる。
意味が分からないとエリザベスは怪訝な表情をするが、レインツェルな何となく、言葉の意味を察してしまった。
「蒼天、ね。何処を比喩しているのかは知らんが、随分と物騒な言い回しじゃないのか?」
「ふふっ、蒼天は蒼天よ。他意は無い」
振り向いた少女は、怪しげに微笑んだ。
「では、我は失礼するよ、エルフの少年。短い間だったが、実に愉快な会話であった……プリンセス・エリザベスも御機嫌よう。では、またのちほど」
そう言って、少女は意味不明な謎だけを振り撒いて、通りを歩いて行ってしまった。
何とも言えない不思議な雰囲気の少女に、二人は無言のまま去りゆく背中を見送る。
特にエリザベスの視線は険しく、警戒するような色が滲み出ていた。
「……あの少女、何故、私の名前を知っていたのでしょうか」
「またって、言ってたな。何者なんだ?」
「さて。もしかしたら……ハッ!?」
顎に指を添えるエリザベスは、つい会話が成立してしまったことに気が付き、慌てて口を閉ざすと、誤魔化すようにそっぽを向いてしまう。
どうやら彼女の中では無視は止めても、会話を交わすことは駄目ならしい。
ここまで来ると、逆に子供っぽくて可愛らしいと思ってしまう、精神年齢三十五歳であった。




