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大聖樹の悪童物語  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第3章 武神の娘たち
23/47

その23 策謀の種火






 日が落ちると、大平原の気温はグッと下がる。

 吐く息が白く染まる程では無いが、日中と比べると温度差がある為、より一層寒く感じられる。かといって、まだ暖炉に火を入れるような季節では無いので、寒さを凌ぐのに厚着をしたり、身体を動かして暖を取っている。

 シュウもまた、人気の無い屋敷の庭に出て、一人黙々と槍を振るっていた。

 もっとも、暖を取る為の運動では無く、日課の訓練なのだろうが。


「――フッ。シッ!」


 扱いの難しい長い槍を、シュウは手足の如く自在に振り回す。

 流れるような動きは一切制止すること無く、一つの演武を見ているかのように、シュウの動きはリズミカルで、それでいて美しかった。

 人を傷つける為の暴力では無く、これこそが人が研磨する武というモノなのだろう。


「――ハッ!」


 最後に一突き。

 気合を込めて、正面の空間を穿ち、シュウは動きを制止させる。

 いわゆる、残心というヤツだ。

 呼吸を止め二秒ほど研ぎ澄ました意識を持続させると、踏み出した足を戻しながら、槍を振るい石突きで地面を突いた。

 ゆっくりと息を吐き出し、徐々に全身から力を抜いて行く。


「ふぅぅぅぅぅぅっ」


 息を吐き切ると同時に、脱力した身体からドッと汗が溢れた。

 湯気が立ち上りそうな程、大量の汗。それを拭こうとして、側に置いてあった手拭いに手を伸ばすと、暗闇の向こうから拍手をする音が聞こえてきた。


「むっ?」


 手拭いを拾い、音の方向に細めた視線を向けると、そこにはレインツェルが立っていた。

 顔の汗を拭いながら、シュウは問いかける。


「何時からそこに?」

「五分くらい前から。ほれ」


 言いながら、レインツェルは手に持っていた物を、シュウに投げつける。

 手拭いを地面に捨て、その手で受け止めたのは、水の入った瓶だった。


「すまない」


 礼を述べるとシュウは槍を地面に置くと、瓶の口に嵌めてあるコルクを指で引き抜き、中の水を乾いた喉へと流していく。

 発汗して失った水分を補給するよう、一気に瓶の半分まで飲み下していった。

 唇を離すと、シュウは満足そうに息を吐き、視線をレインツェルに戻す。


「それで? 俺に何の話があるんだ?」


 一発で会いに来た理由を見透かされ、レインツェルは苦笑気味に頬を掻いた。


「いきなりそれかよ? 俺としては、ワンクッション置きたかったんだけど」

「回りくどいことは苦手でな……要件は恐らくカタリナのこと。正確には、エリザベスの結婚に関してのことだろう?」

「……説明の手間が省けて結構だ」


 レインツェルは肩を竦める。

 もう一口、水を口に含んでから、シュウは答える。


「カタリナに何を言われたかは知らんが、この結婚話を覆すのは難しい。大袈裟に言えば国家間に関わる問題なのだからな」

「それはわかってる。だが、アンタは今難しいと言った……不可能では無く」


 口を付けようとした瓶を持つ手が止まる。

 僅かに間を空け、


「揚げ足取りだな」

「アンタは真面目だ。上に馬鹿が付くくらいな。その上で聞くぜ……本当に、この結婚話はどうにもならないのか?」

「……ッ」


 シュウの瞳が、戸惑いに揺れる。

 表情は変わらないが、見つめる視線の揺れは、確かに逡巡を表していた。


「……不可能では、無い」


 迷った末、シュウはそう答えた。

 だが、浮かべる表情は渋い。

 よしっと、安堵の息を吐きかけるレインツェルに忠告するよう、シュウは言葉を続ける。


「……親父殿は非常に身内には甘い人だ。もしも、エリザベスが結婚することに否定的ならば、そもそもこの話を受け入れはしなかった……だが、エリザベスは決して、この話を断ることは無いだろう」

「何でだ? エリザベスは、その王様に惚れてんのか?」

「まさか、馬鹿を言うなッ!」


 反射的に声を荒げてしまい、シュウはしまったと顔を手で覆い隠す。

 突然の剣幕にレインツェルは驚いた顔をするが、同時にそこまで否定的な感情を露わにすることに、違和感を覚えた。

 ならば今が攻め時と、取り繕う間も与えず、レインツェルは質問を重ねる。


「結婚は、スィーズ王国との関係を密にして、帝国を牽制する為の手段だって言ってたよな? もしかして、それ以外にも理由があるんじゃないのか?」

「…………」


 口を紡ぐが、シュウの表情は露骨に強張った。

 つくづく、嘘の付けない男のようだ。

 長考の末、何かを決断したシュウは、大きく息を吐き出した。


「……昼間、エリザベスがした説明には、不足している部分がある」


 その言葉に、レインツェルはやっぱりかと納得する。


「大平原、連邦都市との結びつきを強くする為に、スィーズ王国との政略結婚だと説明したが、実際の背景はもう少しばかり複雑になっている」

「その複雑な背景ってのは、どんなモンなんだ?」


 確信を率直に問いかけると、言いよどむように呻る。

 数秒、間を空けて、シュウは固い口調を発した。


「国家間の問題にまで発展したことの発端は、ほんの些細な出来事……切っ掛けは、スィーズ王国国王、マルコット陛下の一目惚れだ」

「……はぁ?」


 思わぬ発言に、レインツェルは思い切り顔を顰めた。

 まさかのまさか、国家ぐるみの陰謀かと思いきや、いい年下大人の純愛物語なのかと呆れかけたが、どうにもさえない表情を見せるシュウの様子から、これもまた言葉通りの意味では無いらしいことを察した。


 その理由は、直ぐに判明する。

 シュウの口から語られた、マルコット・スィーズという人間は、レインツェルの予想を斜めに超える人物だった。




 ★☆★☆★☆




 スィーズ王国は、連邦都市とエルゼバルド帝国の間に位置する小国だ。

 大平原と隣接しながらも国土の半分は山で、緑豊かで美しい山岳美からは、豊富な鉱山資源を有しているが、国の景観を何よりも尊ぶ王家の方針から、必要最低限の採掘しか行われておらず、人々は慎ましやかに暮らしていた。


 その豊富な鉱石を狙い、帝国側から度々侵略戦争を仕掛けられていたが、長い歴史上、一度たりとも国土への侵入を許したことは無く、それは十五年前の大陸戦争に置いても同様だった。

 帝国との国境沿いに存在する、世界でも最大規模の城壁都市。

 堅硬なる城塞都市は、帝国の大勢力を持ってしても、破ることが不可能だったからだ。


 分厚く、頑丈な城壁と城塞に阻まれ、幾度となく大敗した帝国軍は、大きく迂回して連邦都市に攻め込まざるを得なかった。

 その功績もあって、スィーズ王国は連邦都市と深い繋がりを持つことになる。


 もっとも、スィーズ王国が突出していたのは、防衛能力のみであり事実、自ら攻め込むことはおろか、帝国との戦争となった連邦都市からの応援要請に、国土防衛を理由に一度として援軍を送り事は無かったのだが。

 裏事情があるにしろ大陸戦争中、一度として本土に戦火が及ばなかったのは事実だ。


 戦前も戦後も、変わり映えのしない暮らしの中、病に倒れて後を継ぎ国王になったのが、息子であるマルコット。二十代後半とまだ若い人物ではあるが、勤勉であり時流を見抜く目も持ち合わせた、王として使命を全うするには、十分の資質を宿していた。


 ただ一つの欠点を除けば。

 マルコット王は、とんでもない女好きなのである。

 倫理観を逸脱し、国の財政が傾く程の。

 王侯貴族が女性を囲うことは、ままあること。しかし、マルコット王のそれは、まさに病的であり際限が無い。王族としての地位を、立場を、そして財産を惜しみなく注ぎ込み、多数の女性を口説き落とす。


 良識ある家臣達は嘆く。

 女好きの悪癖さえ無ければ、素晴らしい王に慣れたのだろうにと。

 だが、その嘆きは遂に天に届くことは無く、スィーズ王国を蝕む病理は、見えぬところで確実に、取り返しのつかない事態にまで進行してしまっていた。


 スィーズ王国の首都にある王城。

 その一室で一人の若い女性が、苛立つような態度で部屋の中を行ったり来たりしていた。


「不愉快。全く不愉快だわ!」


 ヒステリックに怒鳴り、持った扇子で自分の手の平を叩く。

 絢爛豪華な室内。天井には煌びやかなシャンゼリアが吊るされ、足元には細やかな幾何学模様が描かれた絨毯が敷き詰められている。他にも壁には何点もの絵画な並び、彫刻や美術品も所狭しと置かれていた。

 見るからに高そうな芸術品の数々だが、乱雑に置いてある所為か、酷く下品に思えた。

 これでは、折角の芸術も、魅力が半減してしまっているだろう。


「ああッ、もう苛々するッ! それもこれも、全部武神の娘とか名乗る、あの田舎者の所為だわッ!」


 そう叫び、女性はヒールの長い靴で、足元を踏みつけた。

 彼女の名はマリーゴールド。マルロットの正室、第一夫人だ。

 器用に編み上げた貴族独特の髪型をし、宝石が贅沢に散りばめられたドレスを纏い、ド派手に身を固めてはいるが、張りのある肌艶やその顔立ちは、誰も文句が言えない程に美しかった。

 美の維持と向上の為に、莫大な血税が王の二つ返事で注がれていようとも、だ。


「こんなに苛々したら、わたくしの美貌が損なわれるわ。喉も乾いたし……ちょっと、誰か!」


 叫ぶとすぐさまドアをノックして、一人のメイドが姿を現す。


「お呼びでしょ……」

「――遅いッ! ダラダラしないでよ、愚図ッ!」


 開口一番、罵声が若いメイドを鞭のように打つ。

 当然、遅いわけが無い。普通に常識ある人間ならば、逆に早すぎるだろうと驚く程だ。

 だが、メイドは余計な口を叩かず、直ぐに申し訳ありませんと頭を下げた。

 この程度の癇癪、妃付きのメイドにとっては日常茶飯事だ。

 頭を下げるメイドに目も暮れず、マリーゴールドは椅子に座ると、


「お茶」


 と一言。

 メイドは素早く、あらかじめ用意していたティーセットの準備を始める。

 動きは早く、正確に、丁寧に。

 遅れればまた罵声が飛ぶし、雫の一つでもテーブルに零せば、どんな目に遭わされるかわかった物では無い。

 緊張しながらも動きに淀みは無く、ご機嫌を損ねる前に、お茶を提供せねばならない。

 そこは長年、王城につとめるメイド。その手際はため息が出る程、素早く美しかった。

 一切の音を立てずにティーソーサーを目の前に置き、メイドは内心で安堵の息を漏らす。


「ふん」


 礼の一つも無く、マリーゴールドはティーカップを取り、それを口に運ぶ。

 一口お茶を含んだ瞬間、思い切り眉を吊り上げたマリーゴールドは、まだお茶の入ったティーカップを、メイドの顔面に投げつけた。

 避ける間も無くメイドは額にティーカップが当たり、ヒステリックな怒声が響く。


「――温いじゃないッ! 何をやってるの!」

「――痛ッ!?」


 固い陶器のティーカップが割れる程、激しくメイドの顔面に叩きつけられ、あまりの激痛にメイドは顔を押さえて床に蹲ってしまう。

 破片で切ったのだろう。押さえる指の隙間から、ポタポタと赤い血が滴り落ちる。

 だがマリーゴールドは、そんなことお構いなしに喚き散らす。


「メイドの癖にこのわたくしの部屋を、そんな汚い物で汚すなんてッ!? もう、最低最悪だわッ! 誰か、誰かッ!」


 流れる血に顔を顰めながら、マリーゴールドは怒鳴る。

 メイドは蹲りながらも、申し訳ありませんと謝罪を口にするが、痛みの為に直ぐに起き上がれず、それがマリーゴールドの怒りを逆撫でてしまい、額の傷口を押さえる上から罵詈雑言が浴びせ掛けられる。


「な、何事で御座いますか、お妃様!」


 怒声に何事かと飛び込んできた、別のメイドは衛兵を引き連れ室内に足を踏み入れると、視界に飛び込んできた、血を流して蹲る若いメイドの姿に驚き、困惑顔をマリーゴールドに向けた。


「お妃様。こ、これは一体……」


「うるさいッ! さっさとその使えないメイドを、この部屋から摘み出して! それと、汚いからこの部屋の絨毯焼却して、新しいのに変えておいて!」


 蹲る若いメイドを衛兵が助け起こす。

 心配そうな衛兵に、若いメイドな何度も繰り返して、謝罪の言葉を口にしていた。

 一方の、マリーゴールドが指さした先を見た新しいメイドは、絨毯に染みついた、ほんのちょっぴりの血の痕に困惑を深めた。


「えっ? こ、これだけ……?」

「何よ。文句でもあるの?」


 睨み付ける視線に、怯えた様子を見せながらも、王城に努めるようになって日の浅いメイドは、つい反論を口にしてしまう。


「で、でもこの絨毯、一枚でかなりのお値段が……」

「……貴女、このわたくしに意見をする気?」


 低く脅しつけるような声色に、メイドはひっと顔色を青くする。


「い、いえ……わ、私は……」


 貴族の、王族の持つ独特の威圧感に、動揺するよう視線を彷徨わせるメイドは、二の句が告げない。

 同じく気圧された衛兵も口を挟めず、ただオロオロと状況を見守るしか出来なかった。


 重くなる空気に比例するよう、マリーゴールドの表情がどんどん険しくなり、今まさに怒りを爆発させようとした瞬間、落ち着きのある男性の声が、それを遮った。


「まぁまぁ、マリーゴールド様……その辺になさったら、どうですか?」

「……あ、あらぁ? 貴方様は……」


 部屋に現れたのは、小柄で小太りな中年貴族。

 頭髪の無い卵形の輪郭に、柔和な笑みを湛えているが、少しばかり装飾過多な衣装が不釣り合いな中年貴族は、マリーゴールドに対して一礼した。


「目下の者に対しても厳しく接するその態度、感服致します。しかしながら、マリーゴールド様のようやんごとなきお方にお叱りを受けては、下々の者は恐縮してしまいます。ここは一つ、この爺めの顔に免じて、ご容赦頂けぬでしょうか?」


 彼の名はモルグ。このスィーズ王国の、大臣の一人だ。

 ヒステリックに騒いでいたマリーゴールドは、一転して満面に笑顔を覗かせる。


「まぁ。まぁまぁモルグ卿。お恥ずかしいところをお見せしたわね」


 口元を扇子で覆い隠しながら微笑むと、マリーゴールドは衛兵やメイド達に冷たい視線を送る。


「何をしているの? 割れたカップを片付けて、さっさと新しいお茶を準備なさい」


 冷徹だが怒りを納めた言葉に、衛兵は一礼して怪我をしたメイドを連れて行き、もう一人のメイドは納得がいかないと言った表情をしながらも、新しく来た数名のメイドと共に、割れたカップを片付け新しいお茶を用意し、そそくさと室内を後にした。

 去り際にメイド達は、感謝を示すよう、モルグに対して深々とお辞儀をしていく。


「本当に嫌になるわ、役立たずばっかりで」


 マリーゴールドは不機嫌に鼻を鳴らすと、再び椅子に腰を下ろす。

 扇子で正面の席を差し、モルグを座るよう促した。


「ほっほ。いやはやお妃様。ご機嫌、麗しく無いようで御座いますな」

「……当然だわ」


 今度はちゃんとお茶を飲みながら、マリーゴールドは不機嫌に眉根を寄せた。

 先ほどの一件もそうだが、ご機嫌が麗しく無い理由は、もっと別に存在する。

 事情を把握しているモルグは、温和な笑顔を覗かせた。


「陛下の女好きにも困ったモノですなぁ。寄りにもよって連邦都市、それも武神の娘に目をつけるとは……その節操の無さ、ある意味で陛下らしいと言えば、陛下らしい」

「節操が無いで済ませられますかっ!」


 テーブルを両手でドンと叩くと、驚いたモルグは慌てて、大きく揺れるカップからお茶が零れないよう押さえた。


「武神の娘だか何だか知らないけれど、所詮は戦争での成り上がり者。庶民となんら変わりは無いわ。妾、愛人ならまだ目を瞑りましょう……けれど、陛下は側室に迎えようとしているのよ? いわば、このわたくしと近しい立場になろうと言うの。たかだか庶民が!」


 余程苛立っているのだろう。

 両手で握る扇子に力が籠り、折れんばかりにミシミシと音を立てていた。

 強い支配階級、貴族主義の中で育ってきたマリーゴールドにとって、貴族でも無い人間が、自分と地位を近くすること自体、我慢ならないのだ。


「心中、お察し致します。正室はマリーゴールド様ただお一人だと言うのに、これではあまりにも不憫。失礼ながらこのモルグ、胸が締め付けられる思いでございます」

「そう、全くその通りだわモルグ卿」


 同調する言葉に呼応して、マリーゴールドは一際大袈裟な動きで腕を振り乱す。

 まるで自分が、悲劇のヒロインにでもなったかのような、芝居がかった動きだ。


「王たる者、妾の一人も囲うのは男の甲斐性。そのことをとやかく言うつもりはありませんし、その程度で我が君への愛が変わろう筈がありません。そしてそれは陛下から、わたくしに注がれる愛も同じこと」

「そうですな、そうですなぁ」


 陶酔するような口調に、モルグは神妙な顔立ちで何度も頷く。


「わたくしがこんな辺鄙な小国に嫁いで来たのも、全ては陛下に対する愛が故。陛下もその愛に、全身全霊を込めてこのわたくしを愛して下さっているわ。その愛に答え、報いる為にも有り余る財を投下して、わたくしはわたくしの美を磨いて来ました」

「……まぁ、答え過ぎて、大分国庫が寂しくなっておりますがな」


 小声の呟きにも、うっとりと物思いに更けるマリーゴールドの耳には届かない。

 国が傾く程の浪費家。

 まさに、傾国の美女と呼ぶに相応しい放蕩を、日々繰り広げ、傍若無人な振る舞いの激しいマリーゴールドではあるが、彼女のスィーズ王国国王、マルコットに対する愛情だけは本物だ。


 そして、マルコットもまた、本気でマリーゴールドを愛している。

 だかこそ、彼女の放蕩を笑顔で許容し、他の予算を削ってでもマリーゴールドの贅沢に費やす。

 表ざたにこそなっていないが、スィーズ王国の財政は、火の車なのだ。

 もっとも、当の本人であるマリーゴールドは、そのことに気が付いていないのだが。


「それなのに陛下は、わたくし一人では満足して下さらない。あの訳のわからない女を、第三婦人として迎え入れたばかりだと言うのに、どうして陛下はわたくし以外の女を欲しがるのかしら……しかも、今度は平民、庶民風情を!」

「武神三姉妹を頂こうなどと、恐れ多いことを考えるのは、陛下くらいのモノでしょうなぁ」


 ある意味で、感心したようにモルグは頷く。


「武神は親馬鹿で有名で御座います。普通に嫁に寄越せと言ったことろで、あの武神が首を縦に振る筈がありません。下手をすれば、大平原と王国の関係が険悪になってしまします」


 マル―ゴールドは、不機嫌そうな顔でお茶を口に運び、喉を潤す。


「そこで陛下は、他の交流がある連邦都市や、黄金の虎以外の部族に働きかけ、周囲からジワジワと圧力をかけた……伝説的な英雄とはいえ、今は一つの部族の頭領に過ぎません。拒否し続ければ黄金の虎は、大平原や連邦都市から孤立。自衛組織としての信頼が失墜すれば、町の人間達を食べさせていくこともままならない……」


 言って、モルグはハンカチで自分の額をペタペタと撫でる。


「我らの王ながら、なんとえげつない……」

「言葉に気を付けなさい、モルグ卿。陛下は愛に生きる男。優秀な人間ならば、当然の権利であり義務なのです」


 自慢げな言葉に、モルグはやれやれと手に持ったハンカチを折り畳む。


「まぁ、その甲斐あって、武神側も遂に折れたようですな。娘の一人を差し出すことで、折り合いを付けよう申し出たようです」


 言いながら、モルグは渋い表情をする。


「これに限りましては、我らが帝国と手を結ぶ。などと言うデマが、広まっているからでしょうな」


 帝国の使者が、スィーズに出入りしていると言う噂が、近隣の連邦都市、大平原の部族達の恐怖を煽った。だからこそ、武神の娘でことが丸く治まるのならと、周囲は必死で黄金の虎に対して脅しをかけたのだ。

 それこそ、武神ホウセンが折れる程、苛烈極まりない。


「国を守ることに誇りを持つ陛下が、そのようなことを為さる筈が無いのに……全く。平民というのは、何と愚かで滑稽なモノなのかしら」

「女好きではありますが、義理堅いお方で御座いますから。歴々から続く帝国との因縁、大平原に対する壁としての役割に、敬意と誇りを持っておいでですが、我らに守られているだけの民や諸国は、我々や陛下の気苦労など、想像もしていないのでしょうな」


 モルグの言葉にも、マリーゴールドは嘆かわしいわと、自分の髪の毛を弄る。


「とにかく、何か手立てを早急に考えねばなりませんわ。モルグ卿?」

「はい、勿論で御座いますお妃様」


 恭しく、モルグは頭を下げた。


「近々開かれる別邸での晩餐会。件の武神の娘も参加すると聞き及んでいます……ご心配に及ばずとも、既に手は打っております」

「……それは心強いわ、モルグ卿」


 口元を扇子で覆い、怪しく二人は微笑み合う。

 ちょうどカップのお茶も空になったところで、それではとモルグは立ち上がった。


「では、詳しいお話は後程……失礼したします」

「ええ。頼りにしているわ、モルグ卿」


 笑顔に見送られ、モルグは絢爛な室内を後にした。

 扉を閉じると、モルグは大きく息を吐き出してから、手を後ろに回し廊下を歩き始める。


「やれやれ。我が目的の為とはいえ、お妃様のご機嫌取りも、楽ではありませんなぁ」


 ため息交じりに呟きながらも、口元には薄らと笑みが浮かんでいる。

 浮かべる笑顔に、王族に対する敬意は、欠片も感じさせなかった。


「しかし、陛下が武神の娘に目を付けた時は、どうなることかと思いましたが、お妃様がお味方になって下さるのなら、このモルグめも自由に動けるというモノ。なぁに、問題が起きても、全てはお妃様が処理して下さる」


 一人廊下を歩きながら、モルグはこれまでの道筋を思い返すよう、ブツブツと小声で繰り返す。

 コツ、コツと足音が響く長い廊下の中、モルグの瞳が怪しく光る。


「このモルグ。小国の一大臣で終わる男では御座いませぬぞ」


 くっくっくとモルグは笑いを漏らす。

 マリーゴールドは傾国の美女。愛国心は無く国庫を食い潰し続けるモノの、マルコット王の味方であることは変わらない。しかし、モルグは違う。その老獪さを持って年老いても尚、脂ぎった野望を胎の中に燃やし続けている。

 廊下を曲がると、目の前に現れた人物に、モルグはギョッと目を見開く。


「……あら?」

「こ、これはこれは!?」


 慌てて後ろに下がり、モルグは深々と頭を下げた。

 危うくぶつかりそうになったのは、おっとりとした垂れ目が印象的な、胸の大きな女性だった。

 メイドに付き添われた彼女は、のんびりとした態度で、あらあらと頬に手を添える。


「ごめんなさいね、お喋りに夢中になっていたモノだから……大丈夫だったかしら?」

「い、いえいえ滅相も御座いません! シャーリー様」


 慌てて両手と首を振り乱し、またモルグは頭を下げた。

 深々と頭を垂れながら、内心で冷や汗を流す。今の話を、聞かれてはいなかっただろうかと。


 この見るからに世間知らずの令嬢を絵に描いたような女性は、マルコット王の第三婦人にあたる人物。元々は南方貴族の末娘だったのだが、王に見初められ、側室として王家に迎え入れられたのだ。


「こちらこそ、申し訳ありません。危うく、シャーリー様にお怪我をさせてしまうところ。このモルグ、何と詫びて良いやら……」

「あらぁ、お気になさらないで。私も平気、貴方も平気。これで良かったではありませんの」


 平身低頭で謝罪するモルグに、笑顔を絶やさず鼻にかかった声で、シャーリーは優しく労わる。


「おお、ありがたいお言葉……しかし、この先はマリーゴールド様のお部屋しかありませぬ。失礼ながら何故、シャーリー様がここに?」

「そうなのよ!」


 問われたシャーリーは、嬉しそうに手の平をポンと叩く。


「良いお茶を手に入れたので、マリーゴールド様と一緒に、楽しもうかと思いまして」

「ほ、ほっほ。それはそれは」


 どうやら、モルグの取り越し苦労だったようで、額の汗をハンカチで拭いながら、ホッと胸を撫で下ろした。

 癇癪持ちのマリーゴールドと違い、シャーリーは温和で怒っている姿を見たことが無い。


 ただ、天然過ぎる性格故か、モルグが政治的な駆け引きを持ちかけても、意味が理解出来ていないらしく、不思議そうに首を傾げるばかり。その意味ではマリーゴールドに比べ、御し難い相手と言えるだろう。

 が、所詮は世間知らずの箱入りお嬢様。万が一のことがあっても、舌先で十分に丸め込める。

 そう考えると、先ほどまでの動揺が、スッと治まっていく。


「では、シャーリー様。私はこの辺で失礼させていただきます。重ね重ねご無礼を、申し訳ありませんでした」


 モルグは一礼して、そそくさとその場を後にする。

 如何に天然なシャーリーであっても、なるべくなら、自分がこの場に長々といるところを見つかりたくは無い。


「……まぁ。あの方に限っては、大丈夫だろうがね」


 早足で進みつつ、モルグはそう零す。

 この時、モルグは完全に油断していた。

 だから、気が付かなかった。

 笑顔で手を振り、モルグの背中を見送るシャーリーが、ほんの一瞬だけ見せた、鋭い眼光に。

 それに気が付けていたら、この国の未来は、また違っていたのかもしれない。






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