その17 穢れなき毒
食事を終え、部屋の外に出る頃には夜も大分更けていた。
懐かしい味のするカレーをたっぷりと食し、重くなった腹を摩りながら扉を閉めたレインツェルに、横に立つドロッセルが恨めしい視線を送っていた。
「……危ないって忠告しているのに、どうして貰っちゃうんですか?」
「ああ、これな」
言いながら襟をグッと開くと、レインツェルの胸元には、紋章が刻まれていた。
これがハイブースタースペル。
トリガーとなるキーワードを発すれば、紋章が強制的に魔力を吸収し、身体能力を大幅強化する。
だが、勘違いしてはいけない。
上がるのは身体能力であって、元々の身体が強化されるわけでは無いのだ。
簡単に言えば、岩を砕く腕力を手に入れても、それに耐えうるだけの骨格や筋力が無ければ、腕自体が砕けてしまう。つまりは、身体能力が強化されればされるほど、人体にかかる負荷は大きくなる。
不満から一転して、ドロッセルは心配げな視線を向けた。
「骨や筋肉だけの問題ではありません。使用レベルを引き上げれば、感覚器官にも強化は影響します。視力や聴力、反射速度などの強化による負荷は、ダメージが残れば日常生活に影響をきたすかもなのですよ?」
「……かもな」
感覚器官の強化と言うのなら、作用するのは脳や神経細胞、血管などの人体における繊細な部分。骨が折れたり筋肉が千切れたりしても、治癒するのは難しく無いが、脳や神経系のダメージは、この世界でも治療は難しいらしい。
スペルを宿した直後、ラビリンスが真っ先に忠告したのは、そのことだ。
『レベル1は身体強化、レベル2からは感覚強化も加わるわ。レベル3はそれらの限界値を、更に上まで引き上げることになる。つまり必然的に、身体にかかる負荷も大きくなるの。気を付けなさい。負荷をかけ過ぎればダメージとなって自分に跳ね返ってくるし、下手をすれば重い後遺症に悩まされる羽目になるわ』
そしてラビリンスは真剣な表情で、こう言葉を続けた。
『ハイブースタースペルの限界値はレベル5。けれど、3以上の力は今のレイには扱いきれない……それこそ、ドラゴンとだって一人で渡り合えるほど、人体を強制強化するのだから、負荷は下位レベルの非では無いわ。だから、リミッターをかけさせて貰ったの。どうしようも無くなるほど、切羽詰った状況に陥ったら、私の元にいらっしゃい。その時は、リミッターの解除方法を教えてあげる』
その言葉と共に、スペルはレインツェルに宿し終えた。
「…………」
レインツェルに水晶体を乗せ、術式を宿す為砕いた時のことを思い出していた。
「? どうしたんです?」
「いや、別に……何でも無い」
そう言って、レインツェルはギュッと、術式が刻まれた左手を握り締める。
水晶体が砕け、中の術式が左手の甲に転移した瞬間、レインツェルは偶然、視線がラビリンスと交差した。
妙な感覚を受け、レインツェルの胸中に疑問が引っかかる。
視線が交差した瞬間、薄笑みを浮かべた瞳の奥に、ほんの一瞬だけ悲しげな光が宿り、そして消えて行った。
「……本当に、何者なんだあの女?」
単純に、聖女レインツェルの存在を自分の野心の為に、利用しようとしているだけの女かと思っていたが、どうやらそれだけでは無いようだ。剣や術式の他に今後、旅を続けているレインツェルに、ギルドの全面協力を申し出てくれた。
明らかに採算の合わない提案の数々は、ギルドの総帥が取るべき行動では無いだろう。
謎めいたラビリンスの行動に、やっぱり少しでも突っ込んで、情報を引き出すべきだっただろうかと、レインツェルは難しい表情で頭を掻いた。
「ま、今更悩んでも仕方が無いか」
呟いて、レインツェルは大きく欠伸をした。
頑丈な身体の作りをしていても、今日かなりハードな一日だ。
ラビリンスが支店内の客間を用意してくれたので、色々と面倒臭い疑問は尽きないが、疲れているし身体も痛い。空腹は存分に満たしたので、後は柔らかいベッドに飛び込み朝までぐっすりと眠りたかった。
さっさと部屋に戻ろうと、足を踏み出した時、背後からドロッセルが声をかけてきた。
「あの、レイ君」
「ん?」
呼び止められて振り向くと、何やらドロッセルは恥ずかしげにモジモジとしていた。
「ずっと、聞けずにいたんですけど……レイ君って、本当にレインツェル様、何ですか?」
やっぱりその手の話かと、レインツェルは頬を掻いた。
聖女レインツェルに憧れを抱いていたらしいし、むしろ今まで切り出さずにいたのは、我慢した方なのだろう。
別に誤魔化す理由も無いので、レインツェルは身体の正面をドロッセルに向けた。
「半分正解で半分不正解。少なくとも転生する前の俺は、レインツェルじゃなかった。けれど、今は俺がレインツェルだ」
「じゃあ、聖女レインツェル様は……」
「何処にも存在しない。俺が知る限りじゃな」
真っ直ぐと告げる言葉に、ドロッセルはショックを受けた様子で、軽く俯いた。
ドロッセルの抱くレインツェルに対する憧れは本物だ。だからこそ、嘘や誤魔化しをしたくはなかった。例えそれで理不尽な恨み言を浴びせられても、受け止めるのが同じ名前と身体を持った者の宿命だと言ったら、格好つけすぎだろうか。
「悪いな、期待に応えられなくって」
「……そんなことは、ありません」
顔を上げたドロッセルは、悲しみこそ残るが、笑顔をレインツェルに向けてくれた。
「確かに、聖女様にお会い出来なかったのは残念です。残念ですが、それは仕方が無いことですから……それに」
小首を横に傾けて、ドロッセルは視線を細めた。
「初めて会った時も、そして今日も。わたしを助けてくれたのは、悪童のレインツェルです……ありがとうございます。貴方に会えてよかったと、わたしは心からそう自信を持って言えます……だから、だから改めて自分の口からお誘いしたいです!」
そう言うと、ドロッセルは勢いよく頭を下げた。
「わたしと、一緒に旅をして下さい!」
「……俺は、世間に愛される聖女様じゃないんだぜ?」
「知っています。知った上で、お誘いしているんです……わたしは、聖女レインツェル様では無く、レイ君。悪童のレインツェルと一緒に、旅をしたいと思っています」
腰を曲げたまま顔だけをレインツェルに向ける。
愚直なまでに真っ直ぐとした瞳には、強い信念を宿していた。
世間知らずのお嬢様にしては、強い意思の宿る眼光に若干怯みつつも、レインツェルは苦笑しながら、下げるドロッセルの頭をポンポンと叩く。
「ラビリンスにも啖呵切っちまったしな。暫く、ドロッセルの旅に付き合ってやるよ」
「本当ですかッ!」
ドロッセルは弾かれるように上半身を起こすと、喜びを表すように大きく両腕を広げ、そのまま飛びつくようにして、レインツェルに抱き着いた。
「ありがとうございます、レイ君!」
「どっわっ!? 危ないなぁ、急に抱き着くなッ!」
勢いよく飛んで来たドロッセルを抱き留め、迷惑そうな声を出しながらも、女の子らしい柔らかい感触と、清潔な石鹸の香りは満更でも無く、レインツェルの表情がだらしなく緩んでしまう。
ダメージの残る身体が痛むけれど、慎ましい胸の感触は素晴らしく、嫌がるような声を出しながらも成すがままだ。
それに気づかず、ドロッセルは無邪気に抱き着く腕に力を込め、身体を更に密着させた。
「嬉しいです! 一緒に世直しですね!」
「……その世直しってネーミングだけは、どうにかならんのかね」
呆れつつも、心から嬉しそうに喜ぶドロッセルの姿に、レインツェルは苦笑しつつ、暫くは成すがまま、感触を楽しんでいた。
その中で、脳裏に浮かぶ疑問は一つ。
さて、明日からの旅路は、どうしたモノか。
★☆★☆★☆
泥のように眠った翌朝、レインツェル達は早朝から支店の前に集まっていた。
朝食を頂き、その席でラビリンスにすぐ出発する旨を伝え、彼女は「そう」と少々寂しげな表情を浮かべたモノの、意外に快く送り出してくれた。その際に路銀として、多額の金銭を渡されそうになったが、流石にそれはとお断りした……ドロッセルが。
クラフトが更迭されたので、支店を再編成する作業が忙しいらしく、朝食の席で別れを済ました為、この場にラビリンスの姿は無い。
代わりにレインツェル達を見送るのは、痛々しい傷痕の残るジョセフだ。
「しっかし、少年は随分と頑丈過ぎやしないかい? 俺なんかまだ傷が治るどころか、塞がってもいないのに」
立っているだけで痛むのか、ジョセフは時折、腹部の怪我を押さえ辛そうな表情をする。
なのに真正面に立つ、怪我の原因を作ったレインツェルは、傷一つ無い顔でピンピンしていた。
「まぁ、俺は昔から怪我の治りが早かったからな。死ななかっただけ、良かっただろ。お互い」
「そりゃそうだ。少年の場合、怪我の治りが早いってレベルじゃないと思うけど」
呆れながらも笑顔を見せ、ジョセフはフードの上から頭を掻いた。
そんなジョセフに向け、横に立つドロッセルが声をかける。
「あの、ジョセフさん」
「ん? ああ、お嬢さん。アンタにも迷惑かけちまったな」
「いえ、そんな。此方こそ、色々とお世話になりました。ジョセフさんのおかげで、危ない目にも合わずに済みました」
そう言って頭を下げる姿に、ジョセフは軽く驚いてから、気恥ずかしそうに苦笑する。
「アンタも大概、お人好しだな。もうちょっと、上手く立ち回れれば色々と、俺も痛い目に逢わずに済んだんだけどねぇ……まぁ、いいさ。俺が言うことじゃないけど、道中気を付けてな、三人共」
「はい」
「ああ」
「…………」
頷く二人から少し離れた場所で、両腕を組みカタリナが不機嫌そうな顔で立っていた。
本当は朝早くにこっそりと、支店から逃げ出そうとしたのだが、偶然か読んでいたのか、ドアを開けた瞬間にレインツェルと鉢合わせして、こうして今も行動を共にすることになった。
「……ったく。ついてないにも程があるっつーの」
ぼやいて、カタリナは何度も舌打ちを鳴らした。
逃げそびれたのもそうだが、別にカタリナ自身はジョセフと面識が無いので、何となく別れの輪に入れずにいた。それと不機嫌なのは、一人で食事を取らされて今まで、ずっと放置されていたこともあるだろう。
それを悟られたく無いから、カタリナは余計に不機嫌な態度を取っているのだ。
「ところでお前ら、ここから何処へ向かうんだ?」
「何処に向かって、そりゃ……」
何気なく口にしたジョセフの一言を受け、レインツェルは旅の発起人であるドロッセルの方を見た。
視線で目的地を問い掛けられ、ドロッセルは困ったように目線を彷徨わせる。
「えっと……あ、あっちの方へ!」
「……そっち行くと、古代の森に戻っちまうぞ」
指差した方向を見たジョセフが、ため息交じりにツッコみを入れた。
どうやら適当に指差した上、特に目的が定まっていないらしい。
ドロッセルは泣きそうな表情で、レインツェルに「どうしましょう」と問いかけた。
「って、言われてもなぁ。俺も外の世界のこと、良く知らんし……おい、カトリーナ。どうすればいい?」
「はぁ? 何で関係無いあたしが、アンタらの行先決めなくちゃならないわけ? ……ってか、カトリーナって呼ぶな」
目を三角にして突き放すが、涙で瞳を潤ませるドロッセルの視線に、良心がグサグサと刺激されるのか、カタリナは言葉を詰まらせる。
舌打ちを鳴らしてから、ああもうと組んでいた腕を解き、腰に両手を添えた。
「目的の無い長旅をするなら、馬が必要なんじゃないの? 大荷物抱えて大陸を駆けずり回るなんて、どんな拷問よ。とりあえずいい馬を買って、確りと旅支度を揃えるところから始めたら?」
カタリナの言葉に、二人は声を揃えて「おお~っ」と呻った。
大陸は広い。最終的な目的地が何処になるかは、まだ本人達をわかってはいないが、長旅になるのなら、確かに馬は必要かもしれない。これから野宿をする回数も増えていくだろうし、移動手段だけでは無く、食料品などかさばる物を運ぶのに、人力では何かと限界がある。
名案だとばかりに、レインツェルはポンと手を叩く。
「そりゃいい。まずは、馬を手に入れることを目標とするか」
「でも、お高いんじゃないんですか?」
ドロッセルに聞かれたレインツェルは、そのまま視線をカタリナに向ける。
大きく息を吐いてから、カタリナは呆れ気味に口を開く。
「まぁ、相場はピンキリだね。いい馬は高いし、安い値段の馬は安い値段ぶんしか働かない。馬ってのは長く付き合う相棒なんだから、出来る限りケチケチしない方がいいと、あたしは思うよ。後は、相性かな」
まともなアドバイスに、二人は揃って「なるほど」と頷いた。
そして何かを思い出したレインツェルが、そういえばと声を上げる。
嫌な予感に、カタリナはしまったとばかりに、思い切り顔を顰めた。
「カトリーナの実家って、昔は騎馬民族だったんだっけ?」
「む、昔はね。今は違うわよ。今は、しがない自衛組織経営……ってか、カトリーナって呼ぶなっての」
「黄金の虎が、しがないわけないだろう。昨夜、アンタをスルーしたのだって、結局は武神関連に関わりたくないってのが、第一なんだぜ?」
明かされる意外な事実。昨日の出来事を切り抜けられたのは、本当に運の要素が強かったらしい。
「武神様は騎馬の扱いに長けていると聞きますし、戦争での功績を讃えられ、希少な騎馬を数頭賜ったと昔、本で読んだ覚えがあります」
期待感に瞳を輝かせて、ドロッセルはパンと手の平を合わせるが、すぐに「でも」と心配げに表情を曇らせる。
「旅人である我々に、例えお金を払っても、希少な騎馬を預けてくれるでいしょうか」
「そりゃわからんが、まずは行ってみないと何とも言えないだろう。なぁ、カトリーナ」
「……だから、何で行くこと前提に話を進めてんのよ! それと、カトリーナって呼ぶなって、何遍言わせりゃ気が済むのよこの悪童エルフッ!」
「まぁまぁ、落ち着けって」
激昂するカタリナを宥めるように、レインツェルは右側に回り込み、腕をグッと抱え込む。
「なっ、ちょ!?」
動揺するカタリナに構わず、視線をドロッセルに向けると、意図を察した彼女は、気が進まないのか眉根を寄せながらも、反対側に回り込んで、同じように左腕を両手で確りと抱きかかえた。
「えっと、ごめんなさいカタリナさん?」
「は? えっ、ちょっとっ。あたし、動けないんだけどッ!」
申し訳なさげな笑顔を向けながらも、左腕はガッチリとホールドされていた。
左右を抑え込まれ、カタリナは逃げることも出来ない。
「ばっ、あたしは行かないわよ!? 行くなら、あんたらだけで行けってば!」
「馬ッ鹿、お前。武神なんて物騒な呼ばれ方してるおっさんにアポ無し突撃なんて、面倒事に巻き込んで下さいって、言ってるようなモンじゃないか」
「だからって、あたしを巻き込むなっ! 家出中のあたしを連れてっても、面倒になるのは目に見えてんでしょーよ!」
「家出中なんですかっ!? いけません、ご家族同士は仲良くしませんと!」
「アンタは何を的外れなこと言ってんのよ!」
ギャーギャーと騒ぎ立てるカタリナを両脇でガッチリ固め、レインツェルは首を巡らし苦笑しているジョセフに顔を向けた。
「んじゃ、そろそろ行くわ。色々あったが、今回の件はこれで手打ちだ」
「了解。出来れば次会う時も、友好的な関係性を築いたままでいたいもんさ」
そう言って二人は微笑み合った。
お世辞にも友人と呼べる程、仲の良い時間を過ごしたわけでは無い。むしろ、関係性で言えば、数時間前まで敵同士。殴り合って友情を確かめ合った、なんて言い方をするほど青臭くは無いが、少なくとも二人の間には何の蟠りも残っていはいない。
別れを惜しむほど交わす言葉は無く、ドロッセルが一礼して、まだ騒ぎ立てるカタリナを抱え上げ、三人は早朝の通りを町の出口に向けて歩き始める。
微笑を浮かべ、彼らの姿が見えなくなるまで、ジョセフは支店の前で三人を見送った。
「いい話みたいにまとめるなっ! こっの悪童エルフにお人好し共ッ。お願いだから、は~な~し~て~ぇぇぇぇぇぇ!」
見えなくなった通りの向こうから、悲痛なカタリナの叫びが響き渡り、ジョセフは苦笑するとその拍子に腹の傷が痛み、身体をくの字に曲げながら門柱に寄りかかる。
「……痛ッ。俺はこんなに痛い目にあってんのに、少年は本当に元気だねぇ」
そう呟き、何気なく視線を、支店の三階に向けた。
あの中のどれかの部屋にいるであろう総帥の思惑に、ジョセフはそこはかとない不安と疑問を抱いていた。
「……結局、今回の任務は何の為に行われたのか。さっぱりわからず終いだったな」
商業ギルド・ディクテーターは、総帥ラビリンスの絶対的支配で成り立っている。
疑問や質問を口にするのは許されない。総帥に反旗を翻ることは許されない。
ディクテーター=ラビリンス。
彼女の支配があるからこそ、商業ギルド・ディクテーターは、新進気鋭と呼ばれているのだから。
★☆★☆★☆
明かり一つ無い閉め切った室内に、一人の女性が窓際に佇んでいた。
女性はラビリンス。
僅かに開いたカーテンの隙間から彼女は、二人の少女と共に歩く少年の後姿を、ただ黙って見つめ続けていた。
「…………」
熱の籠る視線。
少年レインツェルの一挙手一投足を見逃さぬよう、瞬きすらも煩わしいと、黙ってジッと彼の姿を網膜に焼き付ける。目を閉じてもその残像が、瞼の裏に浮き上がるように、眼球の血管が血走るほど、強く強く視線を送った。
吐き出す息にも熱が宿る。
レインツェルと過ごした時間は、トータルで三時間にも満たないだろう。
けれど、ラビリンスのとっては、至福の一時であった。
彼の姿、彼の声、彼の視線、彼の吐息、彼の心音。
どれ一つとっても、ラビリンスを高ぶらせる要素しか見いだせない。思い出すだけでも、下腹部が燃えるように熱くなり、息が乱れ、鼓動が喚き散らす。
今にして思えば、食事の席にドロッセルが同席していたのは、不幸中の幸いと言えるかもしれない。もし、二人きりで食事をしていたのなら、ラビリンスは自らの高ぶりを押さえ切れなかった。
レインツェルが何と答えようとも、力ずくで彼を自らの物にしていただろう。
例えそれが、夫になれという言葉を、断られるとわかっていてもだ。
「でも、駄目。それはまだ早いの。彼と私が結ばれるには、この世界には敵が多すぎる。この世界の敵は強すぎる……もっと、もっともっとディクテーターを強くしなければ、私と彼の未来を邪魔されてしまう」
ギリッと、窓の冊子に爪を立てる。
やがて窓の外からレインツェルの姿が見えなくなると、悲しげな吐息を漏らし窓際から離れた。
そして暗い室内を横切り、ベッドまで近づくと、起き抜けからベッドメイキングをしていない、シーツの乱れるその上にラビリンスは身体を泳がせた。
目を閉じ顔を枕に押し付けると、洗剤の匂いの中に、野性味のある男の香りを感じた。
そう。ここは、今朝方までレインツェルが眠っていたベッドだ。
「……レイ」
愛おしげに呟き、彼が身を包んだシーツをクシャクシャと抱きしめる。
「レイ。貴方は私が守ってあげる。ううん。貴方を守れるのは私だけ。本当の意味で、貴方の味方は私だけ、私の味方も貴方だけなの……レイを殺したあの女の思惑も、全ての原因となったあの連中も、私が絶対に叩き潰してやるッ」
湧き上がる怒りと共に、ラビリンスは奥歯をギリリと噛み締めた。
ふと、顔を押し付ける枕に、何か細い物があることに気が付く。
「……これは」
黒く長い。それは、レインツェルの物と思われる髪の毛だ。
長い髪の毛を一本、指で掴んだラビリンスは、身体を起こすと、愛おしげな視線をそれに向けた。
「ああっ、レイ……!」
熱っぽく呟くと、両手に持った長い髪の毛に、しっとりと濡れる舌を這わせた。
それだけで、身体の奥底に熱が宿るのを感じる。
「愛している。愛しているわ、レイ。貴方の為ならば私は、鬼畜生に堕ちても構わない。でも、気を付けてね、レイ……」
這わせる舌に力を込め過ぎ、食い込んだ髪の毛が表面を裂いて、赤い血が唾液と混じり唇から滴る。
「貴方の周りで甘い言葉を呟く雌共は、全部レイを騙そうとする屑よ……優しい貴方は拒否できないだけうけど、目に余るようなら安心して……最後は私が、レイの周りにいる連中も全部、殺してあげるから」
呟き、再びベッドに身体を倒すと、僅かに染みつく残り香を胸一杯に吸い込み、恍惚に溺れていた。
それは、愛と呼ぶにはあまりに純粋で、毒々しい感情だった。




