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大聖樹の悪童物語  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2章 最初の旅路
14/47

その14 ドロッセル奪還作戦





 支店内でレインツェルが、護衛官ジョセフとその私兵達と激戦を繰り広げている頃、カタリナは一人、来た道を戻り建物の外へと抜け出していた。


 侵入時からさほど時間が経っていないので、外の景色は相変わらずの真っ暗闇。幾分、空を覆う雲の量が増えたくらいで、裏口から出た先は不気味な程の静寂に満ちていて、表へ出た解放感は有っても、カタリナに纏わりつく緊張感は解けてはくれなかった。


 今頃、敵に囲まれたレインツェルは、悪戦苦闘しているのだろう。

 そっと扉を閉め、元通り鍵をかけ直しながらカタリナは、軽く嘆息する。


「……あたし、なぁんでこんなことやってんだろ」


 思わずポツリと、疑問が口から零れた。

 別に危険を察知したので、レインツェルを見捨てて一人逃げ帰って来たわけでは無い。

 これは侵入した時点で、待ち伏せを予測していたレインツェルが、あらかじめカタリナに授けていた作戦なのだ。


「性格が捻じ曲がったガキよね。建物の灯りが付いて無いことを、チャンスじゃなくって罠って捉えるなんて……可愛くない」


 何が気に入らないのか、カタリナは鍵穴に針金を突っ込み、ぶつぶつと文句を垂れる。

 事実、レインツェルは建物の外観を見た時点で、罠の気配に気づいていた。というか、罠をかけられていることを前提に、行動を起こしていたのだ。


 相手が短絡思考のクラフトなら、レインツェルがこの町に現れたと知った時点で、明かりを爛々と照らしながら、支店の前に私兵達をどっさりと並べ、ドヤ顔で待ち構えているだろう。

 そうで無く逆に、無防備を晒すように人の気配を感じさせないのだから、クラフトの指示では無いと判断。相手が切れ者っぽいジョセフなら、リスクを最小限に減らす為、待ち伏せをすると、レインツェルは予測したのだ。


 案の定、読みは正解。

 一人先に罠へと飛び込んだレインツェルは、カタリナを招かず扉を閉め、事前に授けてあった策を実行に移すべく、扉を蹴って合図を送った。


「アイツ、あたしが裏切ったら、どうするつもりだったのよ」


 そう言いながらも、律儀に言われた通りの行動を取る自分が腹正しく、そんな自分の行動をレインツェルが見透かしていたかと思うと、腹の奥がむかむかして、余計にカタリナの苛々を加速させていた。


 だが、行動を起こしてしまった以上、途中で放り出すのも気が引ける。

 鍵をかけ終えると針金をしまいながら、気持ちを切り替えたカタリナは表情を引き締め立ち上がった。


「さて、と……あんま、時間はかけられないわね」


 カタリナは建物から少し離れながら、グルッと上の階を見回す。

 現在、レインツェルが派手に暴れて私兵達の目を引き付けている為、支店内の警備には隙が生まれている筈。その中で比較的フリーに動けるカタリナが、ドロッセルを助け出す手筈になっているのだが。


「あたし、そのドロッセルってお嬢の顔、知らないんだけどなぁ」


 ぼやきながら、闇の中建物の三階部分に目を凝らす。

 どれも変わり映え無く並ぶ窓は、全てが厚いカーテンによって仕切られており、外から中の様子を伺うことは出来ない。

 カタリナは、直前にレインツェルが伝えてくれた言葉を反芻する。


「地面に埋めるなら土の奥深く。湖に沈めるなら中心部。塔に隠すなら最上階。なら、部屋に隠すならその建物の最奥……か」


 半信半疑ながら、カタリナは今しがた見てきた、建物内の間取りを思い出す。

 位置と歩いた方向から考えて、レインツェルが私兵達と対峙したのは、建物正面のロビー。戦力をそこに集中して待ち構えていたということは、上の階に続く階段はその一ヵ所だけなのだろう。


「そこを上って上って、ぐーっと進めば……」


 建物の全体が見渡せる場所まで歩き、カタリナは頭の中で図を描きながら、外観を指でなぞっていく。

 窓の方向を計算しながら、グルリと建物の背後に回り込んだ先で、向ける指は制止した。


「……ここ、かな?」


 向けられた指先には、同じように変わり映えのしない、カーテンで仕切られた窓が一つ。

 人の気配があるかどうかは、この距離ではわからないけれど、明かりもついていない様子だし、普通だったら無人の空き部屋だと考えるだろう。


「見張りが立ってるか、カーテンが揺れれば、わかりやすいんだけどなぁ」


 これ見よがしに見張りなど置いたら、その上にドロッセルがいることが丸わかりだ。

 一応、目星をつけた場所は、この建物の最奥に位置する部屋。しかし、それは予想であって確証は無い。もし、訪ねて行った先が私兵の待機場所だったら、目も当てられない事態になるだろう。

 カタリナは眉根を寄せ、呻り声を上げながら悩む。


「あの悪童と、心中するつもりなんざ、さらさら無いんだけど」


 そもそも自分は、成り行きで強引に巻き込まれただけ。このまま回れ右をして逃げ帰っても、カタリナは何一つ困らない。むしろ、自分を脅迫して利用したレインツェルが、痛い目を見てざまぁみろと溜飲が下がる思いだ。


 だが、手癖と態度は悪いが、妙に律儀なのがカタリナの欠点であり良いところでもある。

 大きく肩を落としながらため息を吐き出し、バリバリと乱暴に髪の毛を掻き毟った。


「仕方ないやるかぁ……これでも虎の娘だし、ガキ一匹見捨てて逃げたなんて知られたら、親父や姉貴達にぶっ殺されちまう……何より、あたしの矜持ってのが傷つく」


 パチッと自分の頬を両手で挟み気合を入れると、目標の窓を睨み付けた。

 悩んだところで、あたしは馬鹿だから答えなんか出せない。

 そう割り切ったカタリナは、自分の得意分野だけに集中することにした。

 目標である窓の下まで歩くと、少し距離を空ける。


「……ま、何とかなるかな?」


 数回深呼吸すると、グッと腰を落として、カタリナは駆けだした。

 身軽な身体が風を切り、たった数歩で速度を最高速にまで持っていく。距離にして僅か数メートルほどを駆け抜けると、予定していた場所で大きく右足を踏み込み、壁に向かって跳躍した。

 壁を蹴り、そのまま垂直へ数歩駆けると、思い切り右腕を伸ばし二階の窓の縁を掴んだ。

 左手でも縁を掴み、上手く壁を蹴りながら身体を持ち上げると、指で窓の冊子を摘みそれだけを頼りに、縁に足を懸けた。


「ふん、ぎぎっ……これ、意外にキツイ、わね」


 ガタガタと窓ガラスを揺らしながら、猫の如き柔軟さとバランス感覚、そして指の握力でカタリナは二階にある窓の縁に立つことに成功した。

 同じ動作をもう一度行い、更にその上、目的地である三階へと到着する。

 軽業師としてでも食っていけそうな身軽さを披露し、カタリナは安堵の吐きつつ、しがみ付いた正面にある窓ガラスを、コンコンと軽くノックした。

 暫くすると視界を閉ざす厚手のカーテンが揺れ、中から一人の女性が顔を出した。


 桃色の髪の毛をした、育ちが良さそうな上、お人好しが全身から滲み出るような、能天気っぽいお嬢様が、窓ガラス越しのカタリナを見て、ポカンと大きく口と目を見開いて固まっていた。

 彼女、ドロッセルは世間知らず丸出しの顔を、真横へと傾ける。


「……誰?」

「は、早く開けなさいよっ! この状態、結構キツイんだからっ!」


 苛立つようにカタリナは、ガンガンと窓ガラスを乱暴に叩く。

 一方のドロッセルは事情を全く呑み込めず、乱暴なカタリナの態度に目を白黒させていた。


「ええっ!? えっえっ、どどど、どうすればいいんですかぁ!?」

「だから、窓を開けろっつてんのよ!」

「こ、この窓、中からは開けられない作りになってしまして……って言うか、誰なんですか貴女!? ど、泥棒ですか!? 駄目ですっ。泥棒は、イケないことなんですからぁ!」


 寸頓狂な物言いに、カタリナの眉間の皺が深くなる。


「うっさいわねこのお嬢はッ! あたしは、レインツェルに頼まれてアンタを助けに来たのよ!」

「えっ、レインツェル様の!?」


 レインツェルの名を聞いた途端、態度を一転させたドロッセルは、両手を強く握ると何やら興奮気味に鼻息を荒くした。

 先ほどまでは警戒した様子を見せていたのに、この変わりよう。短い間とはいえ、レインツェルに振り回されっぱなしのカタリナには、敬虔な信者の前に救いの神が現れたかの如く、両手を前に組みキラキラと瞳を輝かせる、ドロッセルの心情がさっぱり理解出来なかった。


「……このお嬢。あの悪童に、騙されてんじゃないの?」


 目を細めたカタリナは、当然の疑問をポツリと呟く。

 知れば知るほど、よくわからない悪童エルフだと呆れつつ、カタリナは何やら歓喜にむせび泣いているドロッセルに向かい、コンコンと窓を鳴らした。


「とりあえず、この態勢はしんどいから、中に入ってもいい?」


 その後、慌てたドロッセルが、椅子で窓を叩き割ろうとして、危うくカタリナは三階から落下しかけるのだが、何とか堪えレインツェルの頼み通り、見つけ出すことに成功した。




 ★☆★☆★☆




 戦うという行為は、人が想像する以上に体力と精神力を消耗させる。

 それが殺し合いを前提とした実践なら尚のこと。どんな体力自慢や計算高い人間であっても、恐怖と緊張からくる心身の消耗は避けがたく、数分も立てば身体が鉛のように重くなってしまうだろう。


 戦闘行為でかかる負荷は、想像以上に重い。

 克服するには慣れと経験、そして追い詰められても折れない、不屈の精神が必要となる。

 遊佐玲二だった頃の人生を含めても、レインツェルの戦闘経験はゼロに等しい。唯一、経験と呼んで良いのは、ドロッセルを助ける時に、古代熊と戦った時なのだが、あの時はまだ何とか出来るという楽観の方が強かった。


 現在、武装した三十人以上の人間に囲まれるという状況は、眩暈がしてしまう程、レインツェルに精神的な負荷を与えていた。


「はぁはぁ……こりゃ、不味いな。正直、楽観視しすぎたかもしれん」


 肩で大きく呼吸をしながら、レインツェルは込み上げる恐怖を誤魔化すように、軽口を叩いた。

 壁を背に取り囲む私兵達は、慎重に槍や刃の切っ先を此方に向ける。

 向けられた鋭い刃が鈍い光を放つ度、悪寒が走りレインツェルの肌が粟立った。


 胃がキリキリと異常なくらい伸縮を繰り返す。気を張っているから何とか堪えられるが、緊張感が僅かでも緩めば、胃の中の物をぶちまけてしまいそうだ。

 よく見れば、レインツェルの身体には小さな裂傷が複数あり、血で服が赤く汚れている。


 情けない話だ。威勢よく飛び込んで行った癖に、鋭い刃が身体を掠めて痛みを感じる度に、恐怖がムクムクと胸の奥で大きくなっていく。一度芽生えてしまった恐怖心を消すことは出来ず、制御出来るほどの経験も持ち合わせていない。


 今のレインツェルに出来ることは、湧き上がる恐怖心を誤魔化す為、必死で身体を動かすだけだった。


「カタリナは成功したのか? クソッ。時間の感覚がわからん」


 隙を狙い、横から突き出された槍を剣で捌きつつ、レインツェルは吐き捨てる。

 レインツェルがこの場で無茶な行動をしているのは、敵を全滅させる為では無く、あくまで陽動。カタリナが首尾よくドロッセルを助け出す為の、時間稼ぎと囮をしているに過ぎない。


 最初はある程度の時間。森の中で鍛えた体内時計で約三十分を目安に、成否に関わらず脱出する手はずだったのだが、思いの外それが上手くいかなかったのだ。


 吐き気を催すほどの緊張感の所為で、上手く時間が計れない。

 一時間以上も戦っている気もするし、五分くらいしか経過していない気もする。

 疲労で酸素が足りなくなっていることもあり、頭が少しボンヤリし始めて、上手く時間を体感することが出来なかった。


「これが……実戦、かよッ!」


 斬りかかってきた正面の男と鍔迫り合いをし、刃を離した瞬間、下腹部を狙って爪先を叩き込む。

 男は唾液を撒き散らし悶絶するが、倒れたりはせず、直ぐに剣を構え直した。

 レインツェルは距離を離しつつ、舌打ちを鳴らす。


「漫画やゲームや時代劇なら、バッタバッタと無双できんのに……一向に減りもしないッ」


 当然だ。原因も、ちゃんとわかっている。

 一連の先頭を階段の上から眺めていたジョセフは、唐突にパンパンと手を鳴らす。


「はいはい、ストップ。攻撃、止め」


 そう言って視線が自分に集まるのを見回してから、ジョセフは手摺りから飛び降りて、一階のロビーへと降り立った。

 反射的に周囲にいた私兵達は、道を譲るよう後退する。

 攻撃が止み、動きを止めたレインツェルの身体からどっと汗が流れ始める。

 額から止めどなく流れる汗を袖で拭い、レインツェルは正面に立ったジョセフを、軽く睨み付けた。


「もしかして降参か? 俺の、粘り勝ち?」


 冗談めかして言うと、ジョセフはカラカラと健やかに笑った。


「別にそれでもいいんだけど。カチコミされたのに無傷で帰すと、ギルドの面子に関わるんだよ。けど、このままダラダラと続けていても埒が明かない。今日は超VIPが急きょ、ここに訪れる予定でねぇ。お祭り騒ぎを何時までやっていると、怒られるだけじゃ済まないんよ」


 そう言ってジョセフが肩を竦めると、周囲の私兵達が僅かに青ざめたのがわかった。


「そっか。お邪魔そうなんで、そろそろ俺はお暇しようかな」

「ところがどっこい。そうは問屋が下ろさんのですよ」


 チラッと視線を窓側に向けたレインツェルを牽制するよう、ジョセフは言葉に鋭い殺気を乗せた。

 一歩でも動いた瞬間、彼は一気に間合いを詰めてくる。

 そう予告するような殺気に、レインツェルは身動ぎすら出来ずにいた。

 警戒心を増したレインツェルの表情に、ジョセフはニヤッと不敵な笑みを浮かべ、人差し指を向けた。


「少年。少年が、本物のレインツェルだな?」

「俺は男だぜ?」


 低い声ですぐさま否定をするが、それが良く無かった。

 指摘された時に、あらかじめ決めておいた答えだと見破られたのだろう。ジョセフは浮かべる笑みを、より一層深くした。

 こりゃ、割と最初から目星を付けられていたか。

 表情には出さず、内心で嘆息する。


「あのお嬢ちゃんがエルフじゃなく、人間だって見抜いた時点で、何となく少年じゃないかって思ってたんだけどねぇ」

「……あの馬鹿。簡単に見破られてんじゃねぇか」


 思わずそんな言葉が、口を付いてしまう。

 転生を繰り返すエンシェントエルフは、全てが女性個体である。しかし、森深くに住み他種族と交流を最小限に留めるエンシェントエルフは、その実態が広く知られているわけでは無い。


 転生の理屈をレインツェルが理解してないよう、人間にそれを認識されるのは難しい。

 女性個体に関しても、男が生まれればそんなこともあり得るだろう。その程度で済んでしまうのだ。

 この認識の差も、レインツェルがレインツェルだと見破られた要因の一つだろう。


 ここまで来たら、誤魔化しは無駄か。下手を打って矛先がまた、古代の森に住むエンシェントエルフ達に向けられたら厄介だ。


「間違えちまった件は、責任者であるクラフトの責任だ。護衛官である俺には、ぶっちゃけ何の関係も無い……だが、逃げ出したとなっちゃ話は別だ。一時的でもここを預かる身としては、聖女レインツェルを捕まえる義務が生じる……わかるだろ?」

「……その口ぶりだと、俺が仕組んだ手は全て読まれてるってわけか」


 問うかける言葉に、ジョセフは笑みを浮かべたまま何も答えなかったが、大方読み通りで間違い無いだろう。

 ジョセフが捕まえる対象は、偽物では無く本物。

 つまり、目の前にいるレインツェル本人だ。


「少年も馬鹿だねぇ。黙って無視しとけば、クラフトの面子が潰れるだけで済んだのに」

「それは俺も重々承知だが、女を見捨てたとあっちゃ男が廃る……俺は男の子なんでね」


 否定し続けるのも面倒になり、レインツェルはそう嘯く。

 確かに馬鹿な行いかもしれない。ドロッセルの正体がばれた場合、面子を潰されたクラフトは絶対に怒り狂うだろう。その時に何かしらの、危害を被るかもしれない。もしかしたら、ジョセフが上手く取り計らってくれる可能性もあるが、それを信じ切れるほどレインツェルは我慢強くはなかった。


 受けた恩と借りは返す。

 それは遊佐玲二だった頃から続く、レインツェルの流儀だ。

 ジョセフは軽く笑い、被っているフードの位置を直す。


「いい返事だ。やっぱ、男ってのはそうじゃなくっちゃな……けど、こっちも仕事なんだ。悪く思うなよ少年」

「そういう台詞は、俺をとッ捕まえてから言うんだな」


 拳を構えるジョセフに向けて、レインツェルは切っ先を合わせる。

 三十対一から一対一。

 数で言えば大分楽になったように思えるが、実際はそうでは無い。

 どちらにしろレインツェルの今の実力では勝利することは難しいので、何処で隙を見つけ脱出するのが最善なのだが、攻撃を止めた兵士達がジョセフの邪魔にならぬよう、包囲網を広げた所為で、逆にレインツェルの逃げ場所が無くなってしまった。


 これは不味い。

 疲労からくる汗とは違う、冷たい汗を流しつつ、レインツェルは必死で脳裏に次の策を組み立てる。

 だが、これは真剣勝負。考えが纏まるまで待ってくれる程、ジョセフは甘くは無い。


「さぁて。一つ競争といこうじゃないか」


 軽く言いながら床を蹴ったジョセフは、その物腰からは想像の付かない程、鋭い体捌きで一気に間合いを詰めた。


「――ッ!?」


 反射的に身体を硬直させ、剣を両手で握りガードを上げる。

 腰のナイフは抜いて無いので、彼の攻撃は鉄を仕込んだ拳による打撃だ。

 視線を細めタイミングを計ろうとするが、それをずらすかのように、ジョセフは直前で身体を一回転。ガードのタイミングを外し、更に振り子のように回転させた速度を乗せ、裏拳を放ってきた。


「――あらぁよっと!」

「――ぐっ!?」


 強力な一撃が、剣によるガードを弾き飛ばす。

 早く態勢を立て直さねば。

 ガードが弾かれた状態で打撃の射程内にいるのは危険と判断し、レインツェルは素早く頭を落としてすぐさま飛んで来た右ストレートを回避する。


「離れても……離しきれないか」


 背後にはすぐ近くに壁があるので、距離を取ってもすぐに追い詰められてしまう。

 ならと、レインツェルは足を前へと踏み込んだ。


「密着すれば、得意の打撃も威力が殺がれる!」


 ドンッと、ショルダータックルのように、右肩からジョセフにぶつかった。

 だが、


「――がッ!?」


 腹部を鈍痛が貫く。

 振り上げたジョセフの膝蹴りが、密着状態のレインツェルに突き刺さったのだ。


「甘い甘い。密着すれば打撃な無効化だなんて、喧嘩レベルの話だぜ」

「ぐっ……んなの、知ってるわッ!」


 胃の中が逆流しそうなのを堪え、レインツェルは怒鳴りながら頭を真上へと突き上げた。

 が、それも寸前で差し込んだジョセフの手の平によって、受け止められてしまう。


「だから甘いってのッ!」

「――ぶっッ!」


 短く回り込むように放たれたフックが、レインツェルの顔面を捕える。

 鉄が仕込まれているだけあって、目の中から火花が散るような激痛と共に、視界が真っ白になって重力が消える。

 それでも無意識に伸ばした手の平が床に付く感触に、意識を取り戻したレインツェルは、バランスを崩しながらもジョセフから距離を取った。

 揺れる視界の中、慌てて剣を構えるが、ジョセフからの追撃は無い。

 見据えるジョセフは腰に手を当て、やっぱりかと納得したような表情をする。


「少年。踏み込んだんなら、ぶつけるのは肩じゃなく剣の方じゃなけりゃ……そうやって人に剣を振るうのにビビッてるから、何時までも長ったらしく大立ち回りをする羽目になるんだぜ?」


 首を左右に振りながら聞いていたレインツェルは、床にぺっと血の混じる唾液を吐き出す。


「大きなお世話だクソッたれ。そういうのは、これから乗り越えてくんだよ!」

「……今乗り越えなきゃ、意味ないと思うんだけどねぇ」


 ジョセフは軽く肩を竦めた。

 ズキズキと痛む頬を手の甲で拭いつつ、レインツェルは気持ちを落ち着かせるよう、大きく深呼吸を繰り返した。

 経験、実力、どれを取ってもレインツェルに勝ち目は無い。

 だが、レインツェルは遊佐玲二だった頃から、酷く諦めが悪い。実力差があるのならば、それを埋める努力をするべきだ。

 例えそれが、戦っている最中だったとしても。




 ★☆★☆★☆




 行きと変わらぬ暗い町の大通りを、二人の少女が疾走する。

 カタリナとドロッセルだ。

 窓を割り、そこから高さに怯えるドロッセルを抱えて、何とか支店から脱出した二人は、元来た道を逆に、外へと向かって走っていた。


「はぁはぁはぁ……か、カタリナさん。何も、走らなくなって……」


 体力の無いドロッセルはもう既に息も絶え絶えの様子で、掠れる声を絞り出す。


「この町はディクテーターの支配下なんだから、我慢して足を動かしな! 倒れるんだったら、町の外にしてよね」

「ひ~ん。わかってますよぉ!」


 泣き言を口にしながらも、ドロッセルは足を止めようとはしない。

 お嬢様な外見の割には、意外と根性はあるらしい。


「町の外でレインツェルの奴と合流する手筈になってるから、それまで頑張りなさい!」

「は、はい! ああっ。それにしても憧れのレインツェル様が助けに来てくれるなんて……ドロッセル、感激です!」

「レインツェル様、ねぇ」


 最初に会った時もそうだが、どうも彼女の中ではあのレインツェルが随分と美化、いや神格化されているようだ。

 その辺りの感覚が、いまいちカタリナには理解出来ない。


「ねぇ、アンタ本当に騙されてるんじゃないの?」

「騙されてなんかいません。レインツェル様は、本当に素敵な方なんですから」

「……素敵ねぇ」


 走りながら、思い切りカタリナは顔を顰めた。

 その含みのある態度が癪に障ったのか、ドロッセルは不機嫌そうに頬を膨らませる。


「素敵な筈です。カタリナさんだって、レインツェル様にあったのだから、ご理解頂けると思うのですが」

「あたしが理解したのが、アレがとんでもない悪童ってことよ……顔はまぁ、確かに綺麗な顔立ちはしてるけど。男にしとくのがもったいないくらい」

「へっ?」

「あん?」


 素っ頓狂な声を出すドロッセルと、声に釣られて横を向いたカタリナの視線が交錯する。


「レインツェル様は、女性の方では……?」

「いや。あたしの知ってるレインツェルは、チビだけど確かに男だよ?」


 情報に理解が追い付かず、二人は走りながら沈黙する。

 やがて、ドロッセルはダラダラと汗を垂らしつつ、見つめる瞳をぐるぐると回していた。


「あ、あにょ! レインツェル様って、男の子なんですかっ!?」

「あ、ああ。男の子よ」

「悪童なんですかっ!?」

「悪童だねぇ」


 ドロッセルの頭の中に、思い当る人物が明確に浮かんだのだろう。

 途端に、あわあわと唇を震わせ始める。

 何事かと不審に思い、カタリナが問いかけようとした瞬間、全く別の第三者の声が夜の町に響いた。


「実に興味深い話だわ……私にも詳しく、お聞かせ頂けるかしら?」

「「――ッ!?」」


 声が聞こえたのは進行方向。

 二人は同時に足を止め視線を向けると、町のちょうど入り口に立つ女性の人影があった。

 蜘蛛の刺繍をあしらった、珍しいスーツ姿に、首元にはリボンを巻いた紫髪の美女が、此方に向けて涼しげな笑みを向けていた。

 その毒々しい笑みに、カタリナの本能は激しい警笛を鳴らした。






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