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大聖樹の悪童物語  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第2章 最初の旅路
13/47

その13 器用者の戦い





 塀を乗り越え侵入した敷地内は、思っていた以上に真っ暗だった。

 高い塀の所為で、窓から漏れる町の明かりが届かないこともあるが、三階建ての建物の内部には一切の光が無く、暗闇に佇む灰色の石材で打ち立てられた建造物は、異様な不気味さを醸し出していた。

 二人が最初に降り立ったのは、埋め込まれた煉瓦に囲まれた花壇の横。

 ここの責任者は園芸に関して、あまり興味が無い人物なのだろう。花壇に花は植えられておらず、雑草が生い茂っていた。

 地面に立ってキョロキョロと見回るレインツェルの襟首を、カタリナは強引に掴んですぐ側の藪の中に引っ張り込んだ。


「――うわっ!?」


 バランスを崩したレインツェルは、尻餅を突きながら藪の中に突っ込む。

 顔を顰めながら身体を起こそうとするレインツェルの頭を、横からカタリナが手で無理やり藪の中に押し付ける。


「こっの馬鹿ッ! 忍び込むんでしょ? んな迂闊な真似してたら、あっさりと見つかるでしょうがッ、ジッとしてろッ!」


 囁くように怒鳴り、カタリナは自らも身体を藪の中に沈めた。

 真剣な声色に、レインツェルは茶々を入れたりせず、口元を両手で押さえて頷くと、言われた通り藪の中で身を小さくした。

 息を潜めて、二人は狭い藪の中で身を寄せ合う。

 限られた視界の中から、注意深く周囲の様子を観察。安全を確認したカタリナは、指でちょんちょんとレインツェルの肩を叩き、藪の隙間から建物の方向を指差す。


「あそこ。木でより深い影になっているところに、扉があるのはわかる?」

「……確認した」


 視線を追った先には、暗くてわかり辛いが、確かに扉があった。


「よし。あたしが先に行くから、アンタは後ろに付いて来なさい。姿勢をなるべく低くして、身体を小さく保つの……暗くて視界が悪いと思って、油断すんじゃねぇわよ?」

「了解……ってか、急に張り切りだしたな。なに、アンタ? こういう、スニーキングミッションとか好きなの?」

「……誰かさんがドジ踏んで、巻き添えを食いたくないだけ」


 ジト目でパチンとレインツェルの額を指で弾くと、カタリナは気持ちを切り替えるよう、唇を固く結んだ。

 飛び出すタイミングを計りながら、レインツェルの背に手を伸ばす。

 緩く風が吹き抜け、木や藪の葉が擦れるような音を奏でた。


「……ゴー」


 ポンと背中を叩くと同時に、カタリナが藪を飛び出した。

 身を低くし、闇に紛れるカタリナの背を、素早くレインツェルも追う。

 地面は固く、表面を覆っているのは砂。滑りやすい上に強く踏み込めば、無駄に大きな足音を立ててしまう。なのにカタリナは、体重が無いかのよう柔らかな足取りで、音を立てず逆に風音に紛れて、庭を駆け抜けていく。

 その癖、速度は一切落ちていないのだから、意外な才能にレインツェルは目を丸くした。


「スリの技術といいあの足といい。アイツの所属って、馬賊じゃなくって盗賊なんじゃないのか?」


 呟きながらもレインツェルは、背中を追うように走る。

 騒々しく歩いては元も子もないと、先を行くカタリナをよく観察し、呼吸を合わせる。

 ポイントは足の動き。柔らかい膝のクッションと、足を爪先立ちにして地面に向い垂直に下ろすこと。

 爪先立ちで設置面積を減らし、垂直に下ろせば滑って余計な物音を立てずに済む。

 更には踏み込む瞬間に膝を曲げれば、衝撃を和らげ足音を消すことが可能だ。

 理屈は簡単だが、やってみると意外に難しく、妙に不恰好な動きになってしまった。


「……ッ!?」


 途中、振り向いたカタリナが、すぐ後ろにいるレインツェルの顔を見て、少しだけ驚いた様子を見せた。

 背後から聞こえる足音が小さく、付いてきてないとでも思ったのなら、不恰好ながら足音を殺して歩く方法は、成功と言える。

 時間にしてほんの数秒。

 藪から裏口までの直線距離を、音を殺し闇に紛れながら駆け抜けると、二人は扉を挟み建物の壁にピタッと背を寄せた。


「…………」


 交錯するカタリナの視線が、チラチラとドアノブに向けられる。開けろ、と言うことなのだろう。

 レインツェルがドアノブに手を伸ばし、ゆっくりと回すが途中で止まってしまう。


「ま、鍵ぐらいかかってるよな」

「手、離して」


 カタリナがそう言うと、扉の前にしゃがみ込んだ。

 鍵穴を覗き込みながら、片手をズボンの後ろポケットに突っ込む。


「暗いんだから、覗いても見えないだろ」

「うっさいなぁ。雰囲気よ、雰囲気」


 舌打ちを鳴らしながらカタリナが取り出したのは、一本の針金だった。

 何ともお約束なアイテムの登場に、レインツェルは微妙な顔をする。

 カタリナは針金を鍵穴に突っ込み、何かを確かめるようグルリと軽く一回転させると、すぐに引き抜いて先端を前歯で齧り形を調節して、また鍵穴に突っ込む。


 それを数回繰り返すと何かを理解したのか、「よし」と小さく呟く。

 咥えた所為で口内に残った、錆や汚れをペッと唾液と共に吐き出すと、また先端に齧りつき、今度は大胆に針金の形を変える。そして再び鍵穴の中に突っ込み、小刻みにゆっくりゆっくりと回転させていく。

 鍵を回すカタリナの横顔は真剣で、思わずレインツェルも息を止めてしまう。

 途中、針金が何処かで引っ掛かり、折れそうになる場面が何度かあったが、四分の一ほど針金が回転すると、カチッと一際大きな音を立てた。


「よ~しよし」


 上手く開錠が出来たことに、カタリナは溜めていた息を吐き、額の汗を拭った。


「おおっ!? すげぇ」


 レインツェルは感嘆の声と共に、音が鳴らないよう手を叩く。

 同時に、カタリナのピッキング技術を見て、やっぱり盗賊なんじゃないかな? という疑問を、より一層深めていた。


「んじゃ、侵入と行きますか……と、その前に」


 ドアノブに右手を添えたレインツェルは、扉を開く前に左手でちょいちょいと、カタリナを招く仕草をする。

 何事かと眉を潜めると、レインツェルは自分の耳を指差す。


「耳? ……ああ。耳貸せってことね」


 ジェスチャーとは回りくどいと、そう言いたげな顔をしながら、カタリナはレインツェルの方に耳を向けた。

 するとレインツェルは口元に手を添え、こしょこしょと何かを耳打ちする。

 それを聞いたカタリナは、げっと露骨に嫌そうな顔をした。


「マジ? ……ってか、本気?」

「多分な。俺の見立てだと、そんな感じ」


 自信を持って頷いて見せるが、カタリナの表情は疑わしげだ。


「何で、もしもの時は、このプラン通りで頼む」

「……はいはい、わかりましたよ。全く。人を都合のいい、便利アイテムか何かと、勘違いしてるんじゃない?」


 両手を合わせるレインツェルに、渋々と愚痴を零しながらも頷いてくれた。

 転ばぬ先の杖と言うように、何が起こっても大丈夫なよう、対処だけはしておきたい。とは言うモノの、危険と判断した時点で逃げた方が、本当は小利口なのだろうが。

 助け出すことを前提に話を進めていることに、自分で自分に苦笑しつつ、レインツェルは改めて握ったドアノブを回した。

 音を立てぬよう、ゆっくりと扉を開く。


「……人の気配は、無い。かな?」


 僅かに開けた扉の隙間から、真っ暗な内部に視線を這わせ、レインツェルはそう判断した。

 気配を読む。そう言ったら、随分と大層なスキルを持っているようにも思えるが、何年も森の中で過ごしていれば、こういった感覚に鋭くなる。今では日本の剣豪よろしく、背後に立った人間の殺気だって、事前に感知することが出来るだろう。


 扉を開くと、まずレインツェルが先に、内部へと身体を滑らせる。

 扉の先は真っ暗だが、薄らと見える形状から、入ってすぐの場所は廊下のよう。息を殺し、慎重に左右を確認してから、扉の隙間に手を突っ込み、外で待っているカタリナを中へと招き入れる。


「暗いわね」


 内部に足を踏み入れると開口一番、カタリナはそう言った。


「ま、忍び込んだ手前、明かりなんかつけらんないけど……んで? 目的のお姫様が何処に捕まってんのか、目星はついてんの?」

「何だよ、お姫様って」

「囚われの身っつったら、お姫様って相場は決まってんじゃん。それに、身代わりになった馬鹿って、いいとこのお嬢様なんでしょ?」

「詳しくは知らんが、まぁ多分な……それとカトリーナ」


 振り向くと、レインツェルは軽く睨み付けるような視線で、カタリナの鼻先に人差し指を突き付けた。


「な、なによっ?」


 予想外の態度だったのか、カタリナは戸惑うような様子を見せる。


「馬鹿とか言うな。一応、俺達にとっちゃ恩人なんだから」

「……チッ」


 舌打ちを鳴らして、カタリナはパンと突き付けられた指を払った。


「カトリーナって呼ぶな……悪かったわよ。ええ、お人好し同士、精々助け合ってればいいわ」

「ひねくれ過ぎだろ、アンタ」

「うっさいっ。さっさと済ませるわよ」


 中々に気難しいカタリナの態度に、肩を竦めつつ、レインツェルは廊下を歩き始めた。

 極力、足音を鳴らさぬよう、慎重にだ。


「捕まってるとしたら、やっぱ地下?」

「さぁてね。名目上は、ご招待って筈だから、地下室に閉じ込めるようなマネはせんと思うんだが……」


 だとすれば客間。その場合だと、地下室にわざわざ客間などを作らないだろう。


「地下じゃないとすれば、最上階。三階、かなぁ?」


 腕を組み、レインツェルは首を捻る。

 多少の勘は働く方だが、別にレインツェルは名探偵だった過去も前世も持たない。一応は様々な状況証拠を組み合わせて、一番確率が高そうな場所を想像してみたのだが、絶対かと問われると、いやちょっと待ってと二の足を踏んでしまう。


「何かもう一手欲しいんだけど……その場合、地下だった時が詰むだよなぁ」


 独り言をぶつぶつ呟きながら足を進めていると、急に横のカタリナが右手を差し出して、レインツェルの歩きを制した。

 顔を見上げると、カタリナが進行方向右側を顎で指し示す。


「……おっと。暗くて、気が付かなかったぜ」


 右手側には、一際大きく豪華な扉があった。


「恐らく、間取り的に正面玄関を入った先。ロビーかフロントなんじゃないの?」

「……おお、流石。外観を見ただけで、位置取りを把握してるとは、やるねぇ」


 ピッキングといい無音歩行といい。自らのことを出涸らしと呼んでいる割には、随分と芸達者なカタリナに、レインツェルは感嘆半分、茶化し半分で褒める。

 それに対してカタリナは、不機嫌に舌打ちを鳴らすだけだった。

 レインツェルは扉のノブに手を添え、軽く押してみると、思いの外軽い手応え。どうやら鍵はかけられて無い様子だ。


「……ふむ。一応、物音は無い、な」


 流石に扉越し壁越しの気配は探れないので、扉に耳を添えて室内の様子を伺ってみたが、それらしい物音は聞こえてこなかった。

 カタリナと視線を合わせ互いに頷くと、レインツェルはゆっくり扉を押し開く。

 僅かに隙間が空くと一端、扉を開くのを止めるが、室内からは光が差し込む様子は無く、この先も廊下と同じく真っ暗だということがわかった。


 人の気配が無い上に明かりの一つも無い。

 ここまでくると、建物全体に人気が無いように思えてくるが何故だろう。レインツェルは妙な息苦しさを感じ、胸騒ぎとても呼ぶべきか。腹の奥が擽られるような不快感に、緊張を覚え始めていた。

 カタリナも似たような感覚らしく、無言で表情を硬くしている。


 しかし、ドロッセルを助け出す為には、ここで立ち止まっているわけにはいかない。

 数回深呼吸してから、レインツェルは意を決して扉を押し開き、室内へと身体を滑らせた。

 瞬間、待ってましたとでも言わんばかりに、真っ暗だった室内に光が溢れた。


「――ッ!?」


 目の奥が痛くなるような眩さから、レインツェルは腕で顔を光から庇う。

 光の洪水に真っ白くなる視界の中、聞き覚えのある声が耳に届いた。


「やれやれ。もしやと思ったら、やっぱりお前かぁエルフの少年」

「……この声は」


 ゆっくりと顔を覆う腕を離し、眩い光に目を細めながら声の主を探すと、レインツェルの視線の先、真正面にある大きな階段が、吹き抜けになっている二階に伸びる。その上、ちょうど真ん中の手摺に座る、フードを被った優男が、困ったような笑顔で此方に向けて、軽く手を振っていた。


「ジョセフか」


 敵意の無い視線にも警戒心を滲ませ、レインツェルは自分が入ってきた扉をそっと閉じると、腰の剣に手を添えた。

 油断を一切見せぬ行動に、ジョセフは苦笑を漏らす。


「何で森から出てきちゃうかなぁ。危害は加えないし、丁重に扱うって言ったろ?」

「無事に帰すって言葉は聞いてないからな。それに、アンタはともかくあのクラフトって小物野郎は信用できん」


 キッパリとそう言うと、ジョセフは同意するようにゲラゲラと笑った。


「そこを突かれると弱いんだが……まぁ、言いたいことはわかる。あの娘が偽物だってばれちまったら、クラフトの旦那が面白おかしいことになるのは、明白だっからな」

「やっぱ、アンタ気が付いてたか」

「一応ね。本人は隠そうと必死になってるようだが、四六時中監視を付けてるんだから、隠し通せるモンじゃないさ」


 何となく予想はしていたが、やはりジョセフはドロッセルが偽物だと知っていたようだ。


「いやいや。朝寝ぼけて、耳を隠さずに出てきた時には、胆を冷やしたけどな」

「あのうっかりさんめ……しかし、何で黙っていた?」

「俺の任務は護衛であって、聖女レインツェルの確保じゃなかったからさ」


 ジョセフは指を振りながら、ハッキリと言った。


「それに、最初に馬鹿をやらかしたのは旦那の方だからな。脅しをかけといて騙されたのは、旦那の方が悪い。最初の時点で確認を取らなかった方が負けなのさ」


 そう言ってジョセフは、首を左右に振って見せた。

 エルフ側の立場からしてみれば、律儀な態度にも思えるだろうが、ギルド側からすれば随分とドライな対応だ。

 しかし、フランクな態度もここまで。

 ジョセフの表情から、笑みが消える。


「汚れ役とはいえ、俺も誇りを持って仕事をしてるんでね。こっちが筋の通らない真似をすれば、筋を通す為、多少の小芝居や手抜きはするさ……だが」


 手摺の上に座り見下ろす、ジョセフの視線に鋭さが帯びる。


「俺達の縄張りに土足で入り込むんなら、話は別だぜ少年。ここの護衛を預かる身として、相応の対応を取らせてもらうぞ?」


 そう言って指をパチンと鳴らすと、レインツェルは背にする扉意外の場所から、ぞろぞろと武装した私兵達が姿を現す。

 その数はパッと見ただけでも、三十人は軽くいる。

 やけに建物内が静かかと思ったら、どうやらこの場所で待ち伏せしていたらしい。


「あ~らら。こりゃ、まんまと嵌められたかな? ……俺が忍び込むって、まるで最初から知っていたかのような配置振りだ」


 レインツェルは、グルリと周囲に視線を這わせる。


「ははっ、少年。お前さんはもう少し、自分が目立つ存在だって理解した方がいいな。こんな時間にエルフが素顔晒して歩いてりゃ、誰の目にも目立つ……まぁ、事前に、エルフっぽい奴が現れたら知らせろって、通達は出してたんだけどな」


 どうやら、町に人通りが少なかったのは、単純に夜だからという理由だけでは無く、ディクテーターと揉めている連中と、関わり合いになりなくなかったのだろう。

 そして、支社の明かり全部消えていたのも、此方の誘い込む為の罠だったということ。


「やれやれ。壁に耳あり障子に目ありって奴かね」

「言葉の意味はよくわからんが、まぁ概ねそんな感じじゃないの? ……んで、どうする少年」


 軽く身を乗り出し、ジョセフが問いかける。


「今、クラフトは所用でここを離れている。黙って後ろの扉から、元来た道を戻るってんなら、見逃してやってもいいぜ」

「……そいつは随分と、心がお広いことで」

「なぁに。単に、面倒事が嫌いなだけさ……どうする?」

「断る」


 間を空けずに、ハッキリと拒否する。

 打てば響くような返答に、ジョセフは深々と息を吐いた後、表情から笑顔を完全に消した。


「んじゃ、仕方が無いな……おいお前ら!」


 ジョセフがそう声を上げると、呼応するよう私兵達が一斉に武器を構えた。

 手に持っている武器は、槍か片手剣が殆ど。数にして三十を超える刃物の先端が、全て此方に向けられるというのは、何とも腹の奥がザワザワとするような、緊張感に突っつかれるというモノ。

 レインツェルは腹筋にグッと気合を込めると、腰の片手剣を右手で抜き放つ。


 錆だらけの頼りない刀身を、真っ直ぐに構えて視線を周囲に巡らせた。

 一気に高まる剣呑な空気の中、レインツェルは自らを鼓舞するように、ワザと唇に笑みを浮かべる。

 さり気なく、靴の踵で背後の扉を三回蹴ってから、大きく息を吸い込む。


「上等じゃないか徒党を組まなきゃ一人じゃ何も出来ない糞虫共がッ! この悪童様直々に苛めてやるから、テメェらまとめてかかってきやがれッ!」

「おおう。言うねぇ」


 ホール全体に響く大声に、ジョセフは楽しげに唇を鳴らし、手を叩いた。

 同時に言葉の意味を理解した私兵達は、皆一様に顔を真っ赤に染め上げ、それぞれ怒りと共に口汚くレインツェルを罵る。それでも怒りに任せて、我先にと群がっていかないのは、私兵達の統率力の高さを伺わせた。

 それに対してレインツェルは、顎を軽く上げて、更に挑発を繰り返す。


「どうしたどうしたぁ三下共! お父さんお母さんに指示を仰がなきゃ、俺のような美少年一匹に喧嘩も売れんのかぁ? どーなのよそれって男として。もしかして玉無しかぁ? ここに雁首揃えて並んでるのは、皆玉無し共か! だったら仕方がねぇ! 苛めないでいてやるから、そこで生まれたての小鹿のようにブルブルと震えていやがれっ!」


 スラスラと口から零れる罵詈雑言に、私兵達は顔が限界まで真っ赤に染まり、身体は恐怖で無く怒りで震えていた。

 堪らず、私兵の一人が怒りのあまり裏返った声で叫ぶ!


「ジョ、ジョセフさん! もう自分は我慢出来ません! 亜人種如きにこの屈辱……早く、アイツを殺せって指示を!」

「ん~。あ~、殺すのは不味いんじゃない?」

「だったら九割殺しで我慢します! だから早く、我々にあのペラペラと滑りの良い口を黙らせる許可を!」


 完全に頭に血が上った私兵達は、続くよう口々に許可を求める声を漏らす。

 これはレインツェルの挑発の仕方が、かなりイラッと来るのもあるが、酒場の一件と近しい現象だ。私兵達も特別な差別主義者では無いだろうが、実力主義の連邦都市の男として、エルフ如きに馬鹿にされるのは我慢ならない。という思考が働いているのだろう。


 勿論、レインツェルもただ口が悪いのでは無く、意識して私兵を挑発しているのだ。

 その意図に気が付き、ジョセフは視線を細めるが、私兵達の剣幕にすぐに緩めて頭を掻く。


「ま、いいさ。売られた喧嘩は買うのが、ディクテーターの流儀だ……お前ら! 周囲にちゃんと気を配って、少年エルフを確保せよ。行け!」


 瞬間、待ってましたとばかりに、私兵達はレインツェルに向けて群がってくる。

 広い正面ロビーとはいってもこの人数。我先にとひしめき合う私兵達に取り囲まれれば、抗う間も無く押し潰されてしまうだろう。

 囲まれたら不利。

 だからあえてレインツェルは、真正面。一番人が密集している箇所に向けて、地面を蹴った。


「――ッ!?」

「ちょいとゴメンよ!」


 正面の男はまさかレインツェルが真っ直ぐ突っ込んで来るとは思わず、驚き一瞬だけ身を硬直させてしまう。

 その隙にレインツェルは剣を叩き込まず、スルッと真横を抜けて、私兵達の群れの中へと突入した。

 身を限界まで低くするレインツェルの周囲は、肌に触れるほど近く私兵達がひしめく。


「――なッ!? こ、こいつッ! 死にたいのかッ!」

「――馬鹿なのかこのガキッ!」


 口々に罵りながら、私兵達は剣を、あるいは槍を振り回す。

 取り囲んで全方向から武器を振り落されれば、レインツェルは逃げることも避けることも出来ず串刺しにされてしまう。

 だが、悲鳴はレインツェルの口からでは無く、武器を振り回した私兵達の周囲から聞こえた。


「……えっ?」

「――ばっ、馬鹿野郎ッ! こんな場所で武器を思い切り……ギッ!?」


 満員電車の如く、人が密集する空間で武器を闇雲に振る舞わせば、当然それは周囲の迷惑になる。振り抜いた剣や振り翳した槍を、混雑する人ごみの中で、ただ一人を狙い打つのは難しく、刃は周囲の仲間達を傷つけていく。

 同士討ちをする光景を上から眺めていたジョセフは、呆れるように手で顔を覆った。


「だから周囲に注意しろって言ったろ。ったく」


 レインツェルの過剰なまでの挑発は、この布石を打つための物。

 怒りによって頭に血が上れば、レインツェルに対しての攻撃性は高まるし、感情が高ぶれば視野が狭くなる。視野が狭くなれば、通常なら見落とさない些細なことも、見落としてしまう。


 更にはレインツェルが突っ込んできたことにより、高まった攻撃性が本能を刺激し、首位の状況を顧みずつい手が出てしまったのだ。

 そしてそれに気が付けば、次に同士討ちを嫌い、攻撃の手が鈍ってしまう。

 その隙にレインツェルは悠々と私兵達の間を縫い、反対方向へと走り抜けた。

 軽く手玉に取られ、戸惑いを見せる私兵達を情けないと思いながらも、ジョセフは胆の据わったレインツェルの判断力と行動力に、思わず口笛を鳴らしてしまう。


「スゲェなあの少年。頭のネジが数本、弾け飛んでるんじゃないか?」


 普通の人間なら、絶対にしない行動を見て、ジョセフはそう感想を漏らす。

 確かに常人離れした発想力と行動力。だが、私兵達だって間抜けではあったが、決して馬鹿では無い。一連の動きに戸惑いを見せながらも、直ぐに頭を切り替え、目の前の敵を油断ならないと判断して、数による余裕を打ち消した。


 怒りを瞳に滲ませながらも、私兵達は警戒するようにゆっくりと、レインツェルの包囲網を広げていく。

 ここからが本番と、レインツェルは僅かに強張る笑みに、タラリと汗を流した。


「……さぁて、ここまでは予定通り。後はカトリーナが上手くやってくれれば、何とかなるんだけどな」


 そう言ってレインツェルはチラッと、自分が入ってきた扉の方に視線を送った。






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