その10 拳骨交渉
情報収集と言えば酒場である。
ゲームや漫画の影響もあるだろうが、実際多くの人々が集まる場所であり、ここは街道の中継点である宿場町。住んでいる人々だけでは無く、行商人や傭兵、旅人達が集まり酒や食事で長旅の疲れを癒している。
人の出入りが多いからこそ、人探しには有益な情報が手に入るかもしれない。
まぁ、それも、ゲームや漫画で得た知識なのだが。
通りの目立つところにある、木造建ての大きな建物。スイングドアで壁には、酒を思わせる樽の看板が下げられていた。
中からは賑やかな喧噪と、若干のアルコール臭が漂ってくる。
「ここが、この宿場町で一番大きい酒場……ってかアンタ。んなちっこい身なりで、酒なんか飲む気? 生意気ぃ」
この場所を案内してくれた少女は、そう言ってからかうようにニッと歯を見せた。
横に立ち、建物を見上げていたレインツェルは横目を向けて一言。
「お前はおっぱいがちっぱいけどな」
「な、何よ生意気ッ! 生意気ッ! ここまで誰が案内してやったと思ってんのさ!」
「スリという犯罪行為を、こうして道案内一つで許してやった、俺の寛容さに感謝してもいいんだよ?」
「えっ。それは、ありがとう……って、ちが~うっ!」
やいのやいのと少女は騒ぎ立てる。
地団駄を踏む姿に、何が気に入らないのかと、レインツェルは面倒臭そうに耳を指で穿った。
「そんながなり立てんでも、感謝くらいしてるっての……サンキュ。ええっと……」
そう言えば名前を来てなかったと、レインツェルは少女を見つめて、問いかけるように首を傾げた。
少女は舌打ちを鳴らしてから、自分の名を口にした。
「……カタリナよ」
「えっ。カトリーナ?」
「カ・タ・リ・ナ・よっ!」
「そかそか。んじゃ行くぞ、カタリナ」
「はぁ? ちょ、ちょっと!」
軽く流して、さっさとレインツェルは店の方へ入っていく。
それを、カタリナは慌てた様子で追いかけた。
「……ってか、何であたしも一緒に来てんのよ」
道案内を頼まれただけで、別に友達になったわけでも無ければ、一緒に連なって付いて行く道理も無い。なのにレインツェルの強引さに流されて遂、後を追ってしまい、カタリナは表情を顰める。
レインツェルがスイングドアを押して店内へと入ると、中は視界が白むほどの煙が充満していた。
原因は、客達が吸っている煙草の所為だ。
不意打ちで吸い込んでしまい、レインツェルは軽く咳き込みながら、店内を見回す。
煙草を吸い酒を飲み、大笑いで談笑していたのは厳つい男達。女っ気が皆無に等しい店内の喧噪は、不意に訪れたレインツェル達の気配に、僅かだが声の大きさを納め、ギラギラとした不躾な視線を向けていた。
レインツェルには物珍しげな、カタリナには好色な視線が、それぞれに注がれる。
嫌な雰囲気の注目と煙草臭さに、カタリナは露骨に顔を顰めた。
一方、レインツェルはグルリと店内を見回した後、向けられる好奇の視線もなんのその。遠慮も躊躇も無く、奥のカウンターを目指して歩き始めた。
「ちょ、ちょっとアンタ!」
慌てて、カトレアも小走りに追う。
そんな彼女の姿をチラリと見て、レインツェルは意外に律儀だと苦笑する。
馬鹿にされたと感じたのか、途端にカタリナの機嫌が目に見えて悪くなった。
「……あにさ?」
「いんや。煙草、ここにもあるんだなって思って」
「はい? ……ああ。森育ちのエルフには、馴染みは無いかもね。北部や西方じゃ流通が制限されてるから流行ってないけど、連邦都市じゃ大人の男の嗜み。とか言われて、パカスカ何本も、紙巻の煙草を吸ってるのよ」
好き好んで煙を吸うなんて理解出来ないと、カタリナは軽く肩を竦めた。
そういう意味で言ったのでは無いが、どうせ説明しても無駄だろう。
歩く姿を追うような衆目に晒されつつ、レインツェルはカウンターまで近づいた。
「…………」
カウンターの向こうでは、店主らしき細身の髭を生やした男が、無言でグラスを磨いていた。
レインツェルはおもむろに、椅子に飛び乗る。
「いよう店主。景気はどうだい? まずは駆けつけ一杯……そうだな。ミルクでも貰おうか」
「…………」
陽気な口調で片手を上げるが、店主は口を真一文字に結んだまま、黙々とグラスを磨き続けている。
反応が無いことに眉を潜めつつ、レインツェルはカウンターを拳でコンコンと叩く。
「もしも~し。お客さんですよ?」
「無駄よ」
尚も反応の無い店主に、眉間の皺を更に深くしていると、横に腰掛けたカタリナはカウンターに頬杖を突く。
「マスター。あたしにオレンジジュースを一杯貰える?」
「かしこまりました」
すると、店主は素早く反応を示し、瓶からオレンジ色の液体をグラスに注ぐと、カタリナの前にそっと置いた。
カタリナは此方に横目を向け、ニヤッと笑ってから、グラスを取って口に付ける。
「ん。中々、悪くないじゃん」
「ありがとうございます」
と、店主はクールに一礼した。
一連のスマートな行動を目の当りにしたレインツェルは、額に青筋をビキッと浮かべると、カウンターを叩いて身を乗り出す。
手を伸ばし驚く店主にお構いなく、鼻の穴にズボッと、指を二本突っ込んだ。
「――ふごっ!?」
「おいコラ! これは何の苛めですかコノヤロー!」
叫びながらレインツェルはカウンターの上によじ登り、突っ込んだ指を上に吊り上げた。
いわゆる鼻フックの状態になり、流石の店主も無視出来ないらしく、涙目でふがふがと鼻息を荒くしている。
「何言ってっかわかんねぇぞ! こっのこのこの~ッ!」
「ふががががっ!? もげちゃう!? 鼻が、もげちゃう!?」
尚もグリグリと店主を物理的に攻め立てる姿に、客席の男達も唖然としてしまう。
横に座るカタリナも同じ。
これ以上、黙っていると本当に店主の鼻が取れてしまうので、カタリナはオレンジジュースを一口含んでから、ちょいちょいとレインツェルの肩を指で叩く。
「その辺にしてやんなよ」
「あん?」
呼ばれたレインツェルは、鼻フックしたままカタリナの方を振り向く。
「世間知らずのエルフ様はご存じないかもしれないけど、人間の町ってのは多かれ少なかれ、こんな感じさ。西方ほど種族や階級の差別は少ない反面、連邦都市は実力主義だからね。鍛冶や製鉄に優れるドワーフとかはともかく、森に引き籠って周囲と交流しないエルフには、皆冷たいのよ」
「…………」
頬杖を突き、さも当然と言った風にカタリナは語る。
その説明にレインツェルも納得するかと思いきや、再び目を三角にすると、鼻フックを今度は捻りを加えながら、上へと吊り上げた。
「事情はわかったがそれで客商売が務まるかド阿呆がッ! そ~れそれそれ!」
「ふんぎゃあああぁぁぁ!?!?!?」
「お客様は神様って精神で接客せんかい! 勿論、スマイルゼロ円で!」
「んぎょぉぉぉおおお!?!?!?」
「……えんってなに?」
別に止める義理も無いので、カタリナはやれやれと肩を竦め、オレンジジュースの注がれたグラスに口をつけ、酸味の強い果汁を味わう。
暫くしてようやく溜飲が下がったのか、店主の鼻から指を引き抜き、涙目で鼻頭を押さえる店主から貰ったタオルで、指を拭いながらレインツェルはホクホクと、満足げな顔をしていた。
そして目の前には、ようやく注文のミルクが置かれる。
「おっと、ようやく来たぜ」
無意識にレインツェルは、唇を舌で湿らせた。
特別にミルクが好きという訳では無いが、未成年が酒場で飲む飲み物といえば、ミルクと相場は決まっている。森での生活では縁の無かった飲み物だし、久しぶりに乳製品を味わうのも悪くは無い。
一番の理由は、メニューに何があるか、わからなかったからだが。
ミルクが注がれたグラスを手に取って、味わおうと唇を尖らせた瞬間、背後から下品な笑い声と共に濁声が投げかけられる。
「おいおい! 酒場に来て酒を飲まねぇたぁ、どういった了見だぁ?」
「んだんだ! 場の統一感を乱されたらぁ、折角の酔いも冷めるってなもんだぁ!」
そう叫んで此方を挑発するかのよう、ダンダンと足を踏み鳴らす。
途端、店内の客が一斉に笑い声を上げた。
ガラの悪い連中の絡み酒だ。
まだ日の高い時間から酒を飲み交わしている辺り、仕事空けの傭兵か、今日はもうこの宿場町に一泊することを決めた、商隊辺りが集まっているのだろう。
軽く暴れたレインツェルの威勢の良さに感化されたのか、アルコールも手伝って、客連中のテンションは一気に跳ね上がる。その対象は町では珍しいエルフのレインツェルだけでは無く、露出度の高いカタリナにも向けられた。
「よぉ、そこのセクチーな姉ちゃん! 俺達に酌の一つでもしてくんなよ!」
「違うシャクでもいいんだぜ? げらげらげらげら!」
一人の男の下品な一言に、店内は大爆笑に包まれる。
完全に酔っ払いのノリが支配していて、カタリナは無視を決め込んではいるものの、眉間の皺はドンドン深くなっていく。
「昼間っから、良いご身分ね。ったく」
オレンジジュースを飲みながら、そうイラつくよう呟いた。
相手は酔っ払い。酒を捌け口に、日々のストレスと疲れを発散する、苦労の多い中年労働者の一団だ。まもとに取り合ったって喧嘩になるだけで、何も得るモノは無い。無視してしまうのが一番穏便で、賢いやりかただろう。
けれど、賢く無いのが、この悪童エルフ。
飲みかけたミルクをカウンターに置くと、レインツェルは椅子から飛び降りて、クルッと背後を振り向く。
唐突な行動に、やかましいほど賑やかな喧噪が、少し治まる。
「ちょ、レインツェル?」
何事だと顔を顰めるカタリナの問い掛けに答えず、レインツェルはツカツカと店内を横切り、最初に絡んできた髭面の男達のテーブルまで歩み寄った。
皆の注目を一身に浴びつつ、レインツェルはテーブルの側まで寄り足を止める。
怪訝な顔をする髭面達に、ニヒッと歯を見せて悪戯っぽく笑うと、テーブルのど真ん中の置いてあった酒瓶を手に取った。
「なにを……」
する気? とカタリナが問いかけようとした瞬間、酒瓶の先端を口に咥えると、顔ごと瓶を天井に向けた。
「――んぐきゅぐきゅぐきゅがぼぼぼぼぼ……!」
封を開けただけで、丸々残っている酒を、一気に口の中へと流し込んだ。
思っていたよりアルコール度数は高いようで、食道から胃にかけてが、お湯でも飲み下したかのようにカッと熱くなり、咽そうになって唇の端から琥珀色の酒を吹き出すが、堪えて喉を鳴らしていく。
まさかの行動に、カタリナを含め唖然とする人々。
ほんの数十秒。透けて見える液体の全てが、レインツェルの口の中に吸い込まれた。
唇を離すとアルコール臭と大きくゲップを口から吐き出し、顎まで垂れた酒の雫を服の袖で拭ってから、半笑いで髭面の男達を一瞥した。
「不味い酒だ……こんな安酒で悪酔いしてるようじゃ、男が下がるぜ大将達。ひっく」
そう言い放って、レインツェルは空になった酒瓶を、テーブルのど真ん中に叩きつけた。
シンと静まり返った後、テーブルを囲む四人の髭面達が、威勢よく立ち上がる。
「言ってくれるじゃねぇか。エルフのクソ餓鬼がッ!」
その中で一番体格の良い、揉み上げと髭が合体した大男が、バキバキと拳を鳴らしつつ、店の真ん中に歩き出る。
同時に、空気を読んだ他の客連中が、一斉にテーブルと椅子を持って避難。
真ん中はダンスホールのように、ぽっかりとした空間が誕生した。
一気に拓けた店の真ん中で仁王立ち揉み上げ髭の男は、酒に酔った赤ら顔でボキボキと指の関節を鳴らす。
「男に上等決めたんだぁ。ブッ飛ばされる覚悟は、出来てるんだろうなぁ?」
揉み上げ髭は、大きく息を吸い込む。
「――ふぅんぬっ!?」
気合を入れるようにポーズを決めると、盛り上がった肉団子のような筋肉が、シャツの前のボタンを弾き飛ばした。
「体力自慢の旅商人を、舐めたら怪我じゃすまねぇぞゴラァ!」
啖呵を切るように叫ぶと、蒸気でも吹き出すかのよう、鼻息を一際荒くした。
僅かが間を置いて、店内な客達の歓声によって包まれる。
一方のレインツェルも、「へっ」と笑いながら親指で鼻の下を撫で、マントと剣を外して、カタリナの方へ投げ渡す。
渡されたカタリナは、何をするつもりか察して、目を丸くしながら怒鳴る。
「ちょ!? アンタ、正気なの!? いやいやいや。あり得ないでしょこのノリ!?」
「正気も正気だ。かっぱらうなよ?」
笑顔でそう言って、レインツェルはポーズを決める揉み上げ髭と対峙する。
同時に歓声も、一際大きくなる。と言うかレインツェルに向けられているのは、殆どがブーイングだ。
「そのクソ度胸だけは認めてやんぞクソ餓鬼。だが、男の勝負っつたら拳骨でぇ。上等切った手前、痛いからって泣いても、許してやんねぇぞ?」
「おっさんこそ。餓鬼に苛められて泣くなよ?」
正面に立ち、レインツェルはぐるぐる右腕を回しながら不敵に笑う。
不遜な一言にブーイングは更に激しさを増すが、揉み上げ髭は唇を吊り上げて楽しげに笑うと、何の前触れも無く脳天に自慢の拳骨を叩き落として来た。
喧嘩に開始の合図など無く、不意を突かれたレインツェルは、まともに拳骨を喰らう。
「――ぬぅん!」
「――ギッ!?」
石と石がぶつかり合うような激しい音と共に、レインツェルは目から火花が散るかのような衝撃に襲われる。
あまりの衝撃に、一瞬だけ視界が真っ暗になった。
割れたんじゃないかと思うほど強烈な脳天への拳骨に、倒れはしなかったモノの、フラフラと足元がおぼつかない。
「がっはっは! どうだ俺の拳骨はぁ? 痛ぇだろ、泣けるだろう?」
「……ああ。そうだ……なッ!」
フラフラとした足取りが止まり、レインツェルは顔を上げた。
同時に蛙が飛ぶように膝のバネを使い、揉み上げ髭の顎に拳を叩き込んでやった。
「――がふっ!?」
調子よく喋っていたところを、顎を下から突き上げられ、揉み上げ髭は大きく後ろに仰け反った。
してやったりと微笑み、目尻に浮いた涙を親指で拭う。
「いて、えじゃ……ねぇか!」
「――ふごっ!? ……ってぇなぁッ!」
上体を元に戻しつつ、その勢いで右フックを振り抜いた。
左頬を殴られて、レインツェルは横に数歩、倒れ込みそうになるがグッと堪え、返す刀で腰を振り、鋭いボディブローが揉み上げ髭の脇腹に突き刺さる。
ボディの攻めは地獄の責め苦。
臓物に響く一撃に、揉み上げ髭は表情を歪ませるが、気合でそれを抑え込み、再び脳天に拳骨を叩き落とす。
二度目の衝撃に脳震盪を起こしかけるが、此方も気合では負けていられない。
膝が抜けそうになるのを踏み止まって、逆に脛を蹴り上げてやった。
「――ずおっ!?」
いいところに入ったらしく、揉み上げ髭は飛び上がって痛がる。
「オラオラぁ! テメェの筋肉は見せかけですかコノヤローッ!」
「こっのぉッ! 餓鬼がッ! エルフのクソ餓鬼がッ!」
ゴングが鳴った直後の拳闘士が如く、二人は店の中央で殴り合いを始めた。
体格差があるのに、二人共避けたい防御したりしないモノだから、打撃音と共に繰り広げられる殴り合いは、何とも見ごたえ十分。他の客達を大いに、興奮の坩堝へと叩き込んでいく。
レインツェルに向けられていたブーイングも、次第に歓声が増していき、興奮した客達は揃って足を踏み鳴らし、木造の店内がぐらぐらと天井から埃が落ちるほど、建物全体を揺らす。
熱気を帯びる店内で、カウンターに座るカタリナだけが、冷めた視線を向けていた。
「ホント、男って馬鹿ッ。大馬鹿ッ」
吐き捨てて、残ったオレンジジュースを一気に煽る。
馬鹿、馬鹿言いながらも、荷物を持って待っている辺り、カタリナはやっぱり律儀な人間なのかもしれない。
★☆★☆★☆
日が傾きかけた頃、人の増え始めた酒場は、賑やかな笑い声に満たされていた。
「いやぁはっはっはっは! 驚いたぜぇ。最近のエルフは、度胸も腕っぷしも一端なモンだなぁ! 気に入ったぜ!」
「そりゃこっちの台詞だぜおっさん。商人ってパワー系の職業だったんだな。全然、知らなかった」
騒ぎの中心にあるのは、青あざだらけで顔面を腫らした揉み上げ髭の男と、一緒のテーブルに座るレインツェルだ。
あの後、一通り殴り合った両者は、互いの度胸と腕っぷしに感銘を受けて和解。こうして同じ卓を囲み、談笑するまでの関係になった。
連邦都市の商人は実力主義の風土から、他人にも自分にも厳しい気質を持つ。
反面、一度実力を認めれば、こうして互いに杯を交わし蟠りも水に流してしまうのだから、この気風の良さも、連邦都市人の特徴と言えるだろう。
今回はエルフとは思えない度胸を見せつけた、レインツェルの漢気に、揉み上げ髭以下の商人達は心を許したらしい。
一方、一人でカウンターに座るカタリナは呆れ顔だ。
殴り合いの喧嘩までした商人達と、アッサリ仲良くなってしまうレインツェルのコミュニケーションスキルもそうだが、同じくらい殴られた筈なのに、顔に多少、傷の痕が残っている程度ということに驚いている。
「アイツ、どんな身体の作りしてんのよ」
ジト目を向けるカタリナを尻目に、揉み上げ髭のテーブルには追加で料理と酒が運ばれ、更なる盛り上がりを見せた。
「さぁさぁ。詫びの印といっちゃなんだが、ドンドン食ったり飲んだりしてくれぇい。今日は奢りだ、遠慮はいらんぞい。なんせ、一仕事終えたばっかだからなぁ!」
「そういって大将。いっつも奢りすぎて、直ぐに素寒貧になっちまうじゃねっすかぁ!」
「がっはっは! 違げぇねぇ!」
ドッと、笑いの渦が巻き起こる。
運ばれてきた料理は、肉が中心でどれも食欲をそそるが、レインツェルは何も喧嘩をしたり食事をする為に、この酒場に訪れたわけでは無い。
会話が切れるタイミングを見計らい、揉み上げ髭に問い掛ける。
「なぁ、おっさん。ちょっと、聞きたいことがあるんだけど?」
「おうよ。言ってみな。俺らにわかることなら、何でも答えてやんよ」
ジョッキの注いだ酒を飲み下しながら、揉み上げ髭は上機嫌に答える。
「ディクテーターって連中、知ってる?」
瞬間、あれほど賑わっていた喧噪が、波が引いたかのよう静まる。
口を付けていたジョッキを静かにテーブルに置くと、揉み上げ髭は若干青ざめた表情で、レインツェルを見据える。
「……お前さん。連中の知り合いけ?」
「知り合いだよ。仲良く無いって意味で」
そう言うと、揉み上げ髭はホッと安堵の息を吐いた。
途端、緊張感に満ちていた雰囲気が、緩むのがわかる。
「その反応、おっさん達知ってんだな?」
レインツェルが再度問いかけると、男達は困惑したように顔を見合わせる。
「知ってるに決まってんじゃん。この連邦都市で商売してて、商業ギルド・ディクテーターを知らない奴なんて、モグリ以下よ」
返答したのはカタリナ。
彼女は椅子ごとクルリと身体を此方に向け、カウンターに両肘を置く。
「ってか、レインツェル。アンタ、あの連中を追っ駆けてたの?」
「うん。実はそうなんだよカトリーナ」
「カトリーナって言うなっ!」
怒鳴るカタリナに笑みを向けてから、再び揉み上げ髭に視線を戻す。
が、迷っているのか、揉み上げ髭は挙動不審に視線を動かしている。
「言い辛い連中なのか?」
「……おっかない連中さ。商売人としても、同じ人間としても」
暫くは言い辛そうに食事を口に詰め込み、酒で流し込んでいたが、意を決したらしく飲み干したジョッキを、勢いよくテーブルに置いた。
「……何が聞きたい?」
真っ直ぐと見つめてくる視線には、僅かに怯えの色が浮かんでいる。
しかし、恐怖を押し退けて背中を押す信念と漢気が、揺れる視線を確りと此方に向けさせていた。
「いいねぇ、男だねぇ」
レインツェルは嬉しそうに笑い、揉み上げ髭に問い掛けた。
「色々と聞いたり話したりすると、迷惑かけそうだからな。聞きたいことだけ聞くぜ……この三日以内に、連中が大勢で出歩いたりして無いか?」
「昨日、ディクテーターの商隊がこの宿場町を通って行ったな……恐らく、北にある町に行ったんだろう。そこには、やっこさん方の支店があるからの」
「ここから遠いのか?」
「足の速い馬があれば、一日もかからんだろうさ」
それを聞いたレインツェルは、カウンターに座り、今まさに来たばかりの料理に手をつけようとする、カタリナに声をかけた。
「おい、カトリーナ。お前、馬持ってるか?」
「んがっ……持ってるけど。ってか、カトリーナって言うなってば!」
「よぉし! じゃ善は急げだ」
椅子から立ち上がると、レインツェルはカウンターまで歩いて行き、食事中のカタリナの首根っこを掴んだ。
「ちょ!? あたしは行かないっての、巻き込むなっ!」
「まぁまぁ。旅は道連れ世は情けって言うだろ?」
「聞いたことねぇよ、何処の言葉よそれっ! せめて、ご飯終わるまで待ちなさいよ……ってか、は~な~せ~ッ!」
文句を言うカタリナをズルズル引き摺りつつ、レインツェルは揉み上げ髭の男に笑顔で手を上げた。
「サンキュ、おっさん。感謝するぜ」
「いいってことよ。気をつけろよ、エルフの兄ちゃん……連中は、下手な軍隊より恐ろしいで?」
「い、いやだいやだ! あたしは行かないわよ! って人の話を聞けよこの悪童エルフ!」
真顔で忠告する揉み上げ髭に不敵な笑顔を見せて、レインツェルは罵詈雑言を並べるカタリナを引き摺り、店の外へと出て行った。
騒ぎの中心だったレインツェルが去り、店内に一抹の寂しさが宿る。
そんな中、客の中の一人が思いだしたように声を上げた。
「さっきからずっと、何処かで見たことあるなぁって思ってたんだけどよ。あの露出狂の姉ちゃん、もしかして、武神の娘じゃないのか?」
「――なにっ!? クィーンか? それとも、プリンセスかっ!?」
途端に、治まっていた熱が再び戻ってくる。
けれど、先ほどの熱気とは質が違い、例えるなら芸能人と出会った一般人。のような、何ともミーハーな空気だ。
しかし、それも長くは続かなかった。
「いや、俺も思い出したけど、一番下、末娘だな、ありゃ」
誰かがそう言うと、店内に残念そうに空気が萎んでいく。
まるで当てか外れたとばかりに、ため息が連なる中、誰かがポツリとこう呟いた。
何だ。三姉妹の、みそっかすの方か。