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大聖樹の悪童物語  作者: 如月雑賀/麻倉英理也
第1章 悪童とお人好し
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プロローグ そして彼の人生が終わり、少年の物語が始まる






 これは、彼が彼であった、最後の記憶である。

 何分、随分と昔のことであるが、彼のそれまでの短い人生の中でも、中々にショッキングな出来事だった。


 むせ返るような暑さ、生温い風の感触、そして鼻孔を擽る爽やかな香り。

 当時の情景、長らく忘れていた記憶が唐突に、何の前触れも無く蘇る。

 思い出された記憶はあまりに鮮明で、逆になぜ今まで忘れていたのかと、不思議に思うほどだ。

 それは水の溜まった桶の底が抜け、外へと水が一気に流れ出るようにな感覚に似て、その瞬間だけ、当時に戻ったかのような錯覚に陥った。


 だが、所詮は人の記憶。主観でしかない。

 思い起こされる記憶は、確かに彼の真実なのだろう。けれど、起こった事実を正しく認識出来ているかは別問題だ。


 物事の結果に辿り着くには、必ず何らかの過程が存在する。自分にとっては何の前触れも無い、理不尽な出来事だと思っていても、そこに至るまでには、自身には知りようの無い隠されたプロセスが、存在するのかもしれない。


 呼び起されるのは記憶であり、過去の出来事では無い。

 何故ならば、今の自分と記憶の自分は、全くの別人の筈、だからだ。

 いや、もしかしたらそれすらも、主観による思い込みなのかもしれない。




 ★☆★☆★☆




「ごめんなさい。ごめんなさいッ」


 胸の中で彼女は、涙声で謝罪を繰り返した。

 泣きじゃくる声に、健全な男子ならば罪悪感を刺激され、背中に手を回し慰めの言葉の一つでもかけるのが普通だろう。

 それが目を見張るような美女なら、尚更だ。

 しかし、残念ながら彼、遊佐玲二にはそのような余裕も甲斐性も無かった。


「…………」


 無言のまま辛うじて肩に手を置き、視線を二人の間に向ける。

 目の前の女性は年齢にして、二十歳かそこらだろう。日本語を口にしているが、外国人らしく、長いプラチナブロンドからは白檀のような、香木に近い香りが漂う。顔がはっきりと確認出来ないのは残念だが、絶世の美女だという予感が不思議とあった。


 特徴的なのは、ボロボロのマントのような物を身に纏い、顔の横にはぴょこんと、耳が長く伸びていたことだ。

 現実の人間には、あり得ない身体的特徴。


 それはまるで、ファンタジーに出てくる、エルフのような姿だった。

 だから自然と、彼女は美女なのだと思い込み、判断したのだろう。

 しかし、今重要なのはそんなことでは無い。


「…………」


 再び無言のまま、視線を自分の胸へと移す。

 彼女が持つ古びたナイフが、玲二の心臓をザックリと刺さっていた。

 ナイフを握る手が震えている為か、グリグリと小刻みに動き、刃が傷口を抉る。


 目を背けたくなる光景だが、不思議と痛みは無い。

 その所為か、あまりに現実離れした出来事だからか、はたまたその両方か、玲二は特に取り乱すことなく、大きく息を吐いて天を仰いだ。

 見上げる上空は、雲一つない青空が広がっている。


「……マジで?」


 思わず太陽に問いかけるが、帰ってくるのは焼けるような日差しばかり。

 まだ六月だと言うのに、日本の初夏は容赦なく照りつける。

 法治国家である日本の一都市。それも、日曜日という最も人通りの多い、駅前のスクランブル交差点のど真ん中で起こった、白昼の惨劇。だと言うのに、横をすり抜ける人間達は、素知らぬ顔。視線すら向けてくれない。


 蝉が鳴き出しても良いほど暑いのに、人情の寒さは何と骨身に染みることか。

 いや、無関心を通り越して、周囲を通り過ぎていく人々の反応は不自然過ぎる。


「……おい、これって、一体……」


 首を巡らせるが、通り過ぎる老若男女はお構いなしに、玲二を追い抜いて行く。

 まるで、その目に玲二達の姿が、映っていないかのよう。

 おかしいのはそれだけでは無く、身体が金縛りにあったかのよう硬直している。

 最初は足と手の指先がピリピリと痺れだし、それが一瞬に全身へと伝播。気が付いた時にはもう、首以外は指先一つ動かせなかった。

 交差点の青信号が点滅し、音響装置が能天気なメロディを周囲へと撒き散らす。

 視界が灰色に染まると、能天気な音楽も耳の奥から消え去る。


「…………」


 周囲から切り離されるよう、玲二と少女は世界から孤立した。

 感じるのは痛みでは無く、胸に突き刺さるナイフの感触。耳に届くのは、嗚咽交じりに繰り返す、女性の謝罪の言葉だけだ。

 異様な光景の中にありながら、嗚咽の所為か、玲二は何となく緊張感が薄い。


「謝るくらいなら、刺さないで欲しいんだけど?」

「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい」


 ため息交じりの皮肉にも、彼女は謝罪を繰り返すばかり。

 こりゃ、どうしたモンかと、玲二は灰色に染まる空を見上げた。


 日曜日だという理由で、久しぶりに買い物でもしようと街に繰り出した結果が、まさかの殺人事件。スクランブル交差点で転んだ彼女に、手を差し伸べただけでこんな目に逢うとは、何と世の中は理不尽なことか。


 こんな目に逢うほど、日頃の行いは悪くない筈なのだがと、何度首を傾げたところで、目の前の現実は変わらない。

 いや、そもそも、殺人事件という括りで良いのだろうか、この状況は。

 幾ら考えても答えは出ず、一つだけ理解出来るのは、もう間もなく、遊佐玲二の人生は終わりを迎えるのだろう。そんな予感だけだ。


「全く……冗談じゃない。冗談じゃ、ないけど……」


 ポンポンと肩を叩くと、女性は怯えるようにビクッと身体を震わせた。


「ま、仕方がねぇ……死ぬ時ゃ、死ぬのさ」

「……ッ」


 そう強がった瞬間、女性は再び身体を震わせた。

 全く怒りが沸かないのかと言えば、そうでもないが、何故だろうか。

 この不可思議で理不尽な現実を、何の抵抗も無く受け入れようとしている自分がいた。


 痛みが無いからなのか、正直、自分が刺されているという実感も、死ぬかもしれないという恐怖も少ない。むしろ、目の前で女の子が嗚咽を漏らして先に泣いている所為で、取り乱すタイミングを逃し、感情の行き場を見失っていた。


「自分でもドン引きするくらい、冷静すぎんだろ」


 自分自身にそう毒づくと、急激に眠気が襲ってきた。

 あ、ヤバい。

 思うより先に、視界がグルグルと渦巻きだして、此方を見上げている女性の顔も、ぼやけて認識出来なくなっていく。


 視線の先は霧がかかったかのよう白く染まり、辛うじて顔の輪郭が確認出来るだけ。

 残念だ。最後の瞬間くらい、美人の顔を拝んでからあの世へ旅立ちたかったのに。


 例えそれが、自分を殺した女性であったとしても。

 恨みつらみは山のようにあるのに、女性に対する怒りが鈍いのは、何故だか自分でも不思議で堪らない。

 一つだけ言えることは、きっと彼女にも事情があるのだろう。


「……人を殺すほどの事情ね……全くもって冗談じゃないし、認めたくも無いけど、当事者になったんだから仕方が無い……えっと、もしもしお嬢さん。なぁんで、俺を殺しちゃったりしたのかな? 冥土の土産として閻魔様に、天国に逝く為の交渉材料にするんで、一つお聞かせ願えませんかね?」


 場にそぐわない、極めて軽い口調で問いかける。

 別にふざけているわけでは無く、玲二は普段からこういう軽いノリなのだ。

 しかし、女性はジッと此方を見上げたまま、特にこれといったリアクションを、返してはくれなかった。

 寒々しい空気を察し、玲二は顔を顰める。


「おいおい。お兄さん、視界がボヤけてて、笑ってんのか怒ってんのかもわからないんだ。ここは一つ、過剰なくらいのリアクションを見せてくれなきゃ、俺が滑ったみたいじゃんかよ。死に損じゃないかよ」


 もう死ぬまで数秒といった所なのに、何と威勢が良いことだろうか。

 あまりに能天気な態度がようやく通じたのか、ずっと嗚咽と謝罪しか口にしなかった女性が、クスッと笑みを零した。

 まぁ、自分を殺す人間に笑われるのも癪だが、泣き殺されるよりはマシだろう。

 マシかなぁ?


「一笑い取れたご褒美として、教えて貰えないモンかね?」

「……怒らないのね。レイ君」

「あん?」


 苦笑交じりに女性や、やけに親しげな口調で玲二の名を呼んだ。


「あいにくと、俺にエルフの知り合いも、コスプレ趣味の知り合いもいない筈なんだが?」

「女に刺される心当たりは?」

「……無い。と、思う……と、いいなぁ」


 人に自慢できるほど女性経験豊富では無いが、玲二はこんな性格だ。何処で誰に恨みを買っているか、わかったモンじゃない。

 傍目から見れば被害者と加害者なのに、随分と呑気な会話だ。

 だが、雑談を楽しむのも、そろそろ限界が近い様子。


「やべぇ。目の前が暗くなってきた……寒い。暗い……すげぇ、怖い」


 気が付けば目の前は真っ暗になっていて、身体の感覚はほぼ無い。

 なのに寒さだけは妙に鮮明で、これが死と言うモノかと実感する度に、胸の奥がざわざわと恐怖に萎縮していく。

 目の前に自分を殺した女がいなければ、恐怖から泣き叫んでいたに違いない。


 それは、女子に対する見栄なのか、殺した相手に対する虚勢なのか。

 判断を付ける時間は無く、玲二の意識は途切れた。

 最後に微かだが、耳の奥に女性の言葉を残して。


『……ごめんなさい、レイ君。でも、頼れるのは君だけだから……世界を救ってとは言わない。貴方は貴方のまま、世界を掻き回して……何時か、私に再会する、その時まで』


 その瞬間、遊佐玲二の二十年という短い生涯は、幕を閉じた。




 ★☆★☆★☆




 遠くの方で赤ん坊が泣く声が聞こえる。


(……うるせぇなぁ。ゆっくり、惰眠も貪れないじゃないか)


 ぬるま湯を揺蕩うような微睡の中、思わずそう毒づいてしまう。

 赤ん坊は泣くことが仕事だ。

 ここは、余裕を持って許容するのが、正しい大人の姿だろう。

 そう思いかけるが、ふと疑問が頭を横切る。


(……あれ? 俺って、大人だっけ?)


 間の抜けた疑問を一笑しようとするが、笑えないという事実に辿り着く。

 思考がハッキリせず、上手く物事を考えられない。

 何よりも眠気が酷く、起きているのが億劫だ。

 それでも蜘蛛の糸の如く残る理性に突き動かされ、溶接されているのでは無いかと思うほど、硬く閉ざされている瞼を無理やり開く。


 薄らと開かれた瞳に、眩い陽光が差し込む。

 急激な光に目の奥が痛くなり、思い切り顔を顰めた。

 刺激を受けた為が、微睡む意識がほんの僅かに覚醒し、ノイズ混じりだった耳にも音が届くようになった。


 聞こえるのは風の音と、木の葉が擦れる何とも風流な響き。

 靄のかかった視界の先には、見たことも無いような大樹が聳え立ち、空を覆い隠すように桃色の花をつけた枝を広げていた。


(……桜? でっかい、桜)


 無意識に、そんな単語が頭の中を掠める。

 自分は大樹の下に寝かされているらしく、側には数人の大人達が立っていた。

 大人達が自分を取り囲んでいるのは、気配で何となく察することは出来たが、どんな様子なのか、何者なのかまではわからなかった。

 驚いたような、絶句するような視線だけは、ビンビンと感じ取ることが出来た。

 何故か、自分の股間部分に。


「……我々、エンシェントエルフは種として、繁殖行為を必要としない、女性だけの個体。故に肉体が限界に達した時は、大聖樹の前で土へと帰り、全ての不浄を浄化し新たな存在として転生する……勿論、全ての個体は女性の筈です」

「長、長。動揺しすぎて、口調が説明台詞になっています」


 聞こえてくるのは妙齢の女性と、少し若い女性の声。

 妙齢の女性は声色から、湧き出る動揺を無理やり抑え付けているのがわかる。

 感情はわかるが、彼女が何を言っているのか、自分にはわからなかった。


「此度の転生は、かの聖女様の生まれ変わり。我がエンシェントエルフの一族は、聖女様のご苦労を労う意味でも、ご生誕をお祝いせねばなりません」


 尚も冷静さを保つよう淡々と言葉を発するが、節々に感情が漏れ震えていた。


「長、長。現実を直視してください。それ、それ」

「なのに……なのにぃ……」


 若い女性の言葉が切っ掛けとなったのか、妙齢の女性は抑え付けていた感情が決壊するかのよう、思い切り声を上擦らせる。


「こ、ここここ、股間にっ、あり得ないモノがッ!」

「ちんちん、ついてますね」

「いぃぃぃやぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」


 空が割れるかのような悲鳴が響く。

 ああ、そうか。

 途端に、遊佐玲二だった自分は納得する。

 何だか赤ん坊の声がすると思ったら、それは自分の泣き声。身体も妙に自由が効かないと思ったら、そういう理由だったのだ。


 常識を遥かに逸脱した出来事を、すぐに許容したのには理由がある。

 それは、眠りに落ちるよう、遊佐玲二の人格と記憶が、この赤ん坊の身体の中に溶け込んでいったからだ。

 ヒステリックに取り乱す妙齢の女性を、「まぁまぁ」と物凄く冷静な態度で、若い女性が宥める声を聴きながら、揺蕩う意識は再び闇の中へ落ちていった。

 ここで一端、遊佐玲二の記憶は凍結される。



 次に自分のことを思い出したのは、それから十五年後のことだった。





連載二作目です。

長いお話になる予定ですので、よろしくお願いします。


ご意見ご感想を頂けると、大変ありがたく思います。

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