お母さまのことは舐めないほうが良いわよ?
けちょんけちょん。
ぎったんぎったん。
ばっさり。
すっぱり。
ぷっつり。
とにかく容赦なかった。
何の話かって?わたくしのお母さまのことよ!
お母さまってすごい人なの。
"そんなの当たり前でしょう?貴方に手を出してくる人なんて手加減してあげる必要ないじゃない?"
ある日の夜会。何故かやたらと突っかかってくる令嬢がいたの。あれは確か、お兄様に縁談を申し込んできてお断りされた方だったわ。
以前はとても…んー…何と言うか…ま、貴方しか聞いてないからいっか。
媚びへつらう感じで擦り寄ってきていたの。
身も蓋もないって?だって本当に気持ち悪かったんだもの。
今思えばお兄様への心証をよくする為に妹に媚びておけ、って感じだったんでしょうね。
それが、我が家からお断りの連絡をした途端手のひら返しで!
"貴方のお姉様になってさしあげようと思っていましたのに。口添えくらいしなさいな、何て気の利かない!"
ですって。それから突っかかってくることが増えたの。
"まあ!そのような地味な格好をなさって!今日がどれほど大事な夜会かご理解なさってないのね!"
あの日も後ろに取り巻きを2人ほど引き連れてね。
みーんな、扇で口元を隠しながら話したら何でもオッケーって思ってるタイプなのよね。
"地味…でございますか?今日の衣装が?"
え?そりゃそうよ、いくらいけすかないからってあの方、侯爵家のご令嬢だもの。我が家は一応伯爵位ですから、丁寧な言葉遣いは気をつけているのよ。
"そうよ!その色…黄色なの?緑色なの?何だかテラテラしていて気味悪いったら。"
後ろの取り巻き勢がクスクス笑う。
"テラテラ…"
そうよ、あのドレスを気味悪いやらテラテラやら言いたい放題だったの。びっくりでしょう?
良かったわ、貴方はあの生地の重要度を知ってくれていて。あの生地は東方でしか取れないシルクと彼の国の王族にしか許されない染色だと言うのに、ねえ。
唖然としているわたくしに、ショックを受けていると思ったのかまた何か言おうとしたのよね。
"あら、ごきげんよう。娘のドレスを気に入っていただけたみたいで嬉しいわ。"
そこににっこり笑ったお母さまがいらしてね、話を引き取ってくださったのよ。
でね、あの方。今思い出しても笑っちゃうんだけどね。お母さまに噛み付いたのよ。
え?そう!そうなのよ!侯爵家のご令嬢よ?なんでそんな無謀なこと!というか、物知らずにも程があるわよね。
……とはいえ、あの侯爵家ですもの、ご令嬢の躾にまで気が回らないんでしょうね。
ん?あのってなに?って。それは…ねぇ。
えーっ、もう!ここだけの話よ?絶対誰にも言わないでよ!
さっき縁談をお断りしたって言ったでしょう?侯爵家の出した条件があまりにも酷くて。
伯爵家に大事な娘を嫁がせるんだから!とかなんとか言って毎月侯爵家を援助するように、なんて言い出したのよ。それ以外にもあれやこれやと、まあカネカネカネでお父さまも呆れながら聞いていたの。
そう!お父さまも趣味が悪いのよ。先方の"嫁いでやるにあたっての条件"とかいう名のカツアゲ案を面白そうだと思って全部喋らせたんですって!
それを"あとで妻と娘にも教えてあげなきゃ!"って思い立って書き付けてくれたの!
で、婚約する際の契約書作成の叩き台にするから、ご要望に過不足はありませんか?なければこちらに署名を!って署名させたのよ。
でね、向こうが自分の思い通りに婚約が進められたって油断している時にお断りしたのよ。
え?向こうは相当お怒りだったはずって?そう、3人揃って怒鳴り込んできたわ。でもお父さま、しれーっとした顔でね。
「いえね、妻が伯父に書類作成の得意な方を紹介して欲しいとお願いしたんですがねえ…。その紹介していただいた方が先日の覚書を見て難しい顔をなさってですなぁ…。」
侯爵さまはそれを聞いて真っ青だったわ。
え?そうよ。お母さまの伯父よ?侯爵さま知らなかったのかって?どうやらお祖父さまは国王殿下と兄弟とは言っても子爵家の出だし、愛妾だったから交流はないと思っていたみたいよ?
まあいつものことだけど、お母さまって見た目から舐められやすいから。でも伯父っていうワードだけで瞬時に理解したのだから、侯爵さまはさぞかし肝が冷えたでしょうね。ふふ。
けれど、ご夫人とご令嬢は理解できなかったみたいでね。その後もわたくしのことからお母さまのことから罵詈雑言だったらしいわ。
ほら、お母さま見た感じあんな風でしょう?舐められやすいのよ。
真っ青な侯爵は慌てて2人を引き摺って帰ったけど、それ以来嫌がらせが続いててね。
しかも、あのドレスを酷評でしょう?お母さまが本領発揮しちゃったのよ。
※※※
「そんなに気に入ってくださるなんて光栄だわ。」
まあ!嫌だわ!嫌味が通じていないなんて!誰があんな気持ち悪い虫みたいな色のドレスを褒めるというのかしら。
鼻で笑いたいのを扇で隠しつつ更に小馬鹿にしてやる事にした。
「ええ、その…黄色とも緑色とも分からないお色、わたくしではとてもとても。」
「ええ、そうですね。貴方が着ることは出来ない色ですものね。」
は?何その言い方!
この方たち伯爵家の方なのよね?何故か偉そうなのは何なのかしら!
「そうですわね、そんなテラテラした色。お願いされても着たくないわ。」
「?いいえ、貴方はそもそも着る権利がないのですよ。だって…」
何なのよこのオバさんは!わたくしのお母さまのように美に気を配るでもなく、小太りの体でニコニコしているなんて、恥知らずにも程があるわ。
そう思っていたところに、着る権利がないなんて言われてつい怒鳴ってしまった。
「はあ?権利?そんな変な色のドレス、着たい人なんかあんたの娘以外いないわよ!何が権利よ!」
のちに後悔する事になる。何故あの時言葉を遮ってまで罵ってしまったのか。
先ほどまで柔和な笑顔を崩さなかった夫人が、一瞬、ほんの一瞬だけ無の表情をし、すぐに取り繕った。
「まあまあまあ!ふふふ、そうね。今の貴方のおうちならご存じなくても良いと思うわ。ああ、でももし気になさるなら、お母さまではなくてお祖母さまにお聞きになったら良いと思うわ。玉虫色のドレスの意味を教えて、って。」
柔和な顔で対応してもらっているうちに逃げ出せば良かったのに。婚約を断られた事もあり侯爵家の娘としてここで引いてはいけない、と思ってしまった。
そして最悪な事に。
「お母さまっ!またあの人たちが我が家を馬鹿にしましたの!」
母を頼ってしまった。
「ちょっと!貴方ねえ、侯爵家の令嬢になんて無礼な対応を!」
「無礼?どのあたりが?」
「えっ、どのあたりって?そういえば貴方、何をされたの!」
「知らないのに口を出してくるとか、ふふ」
母の顔がみるみる赤くなる。
「そっ、そもそも!貴方たちねえ、由緒正しい侯爵家に対しての敬いが足りないのよ!せっかく提案してあげた婚約だって断ってくるし!」
婚約?断られた?どういうこと?
周囲がザワザワしてくる。
あ…!これはもしかして周囲を味方につければ向こうから婚約を結んで欲しいと言ってくるのではないの?なんてチャンスかしら!
「お母さま、程々にね。誰にでも間違いはあるんだもの。ねえ、貴方がた。私たちが格上だからと言ってそこまで遠慮なさる必要はないのよ?」
「遠慮?」
「ええ。伯爵が仰ってたもの。我が家のような新興貴族に嫁いでいただくなんて畏れ多い、って。」
「畏れ多い…」
「畏れ多いからお断りしたの?」
親娘が顔を見合わせている。そこでカッとなってしまった。
「畏れ多い以外に何があるというの?由緒正しい侯爵家と歴史も浅いぽっと出の伯爵家よ。断る理由が他にあるとでも?」
「ええ、まあ…。ございましたのよ。お嫁入りの条件として侯爵さまがお出しになった条件というのがその…」
「ええ、その…我が家では到底叶えて差し上げられそうもない…」
何なのこの歯切れの悪さは。分不相応だと理解してはいたのね。でも!
「分不相応とご理解なさっているのは賢明だと思いますわ。でも、縁談を断るというのは、より不敬だとは思われませんでしたの?」
「分不相応…」
また親娘で目を合わせて困惑の表情だ。
と、ここでお母さまがキレてしまった。
「貴方たち、一体何なの?失礼に失礼を重ねているのは分かっているの?…それとも我が家に何か瑕疵でもあると言うのかしら?今なら不敬は問わないわ、はっきり仰いなさい。」
※※※
ええ。そうなのよ。売り言葉に買い言葉ってやつだったんでしょうけど。夫人がカッとなりやすい方だとは理解していたんだけど、まさかあそこまでとは。
"不敬は問わない、はっきり言え"なんてお母さまの罠の上で踊り出したようなものよ。
あの方たちは気付かなかったと思うけど、お母さまがにやりとするの久々に見ちゃった。おおこわ。
え?そんな面白い事があったのになんで呼んでくれなかったのですって?何言ってるのよ、お二人とももっっっのすごいお顔だったのよ。あんなお顔されている人を前にして
"ちょっとちょと!面白い事になってるからこっちおいで!"
なんて言えると思うの?わたくしそこまで命知らずじゃないわ!
えっ!じゃあできるだけリアルに再現しろですって?もう!貴方はいつもそうなのよ、ほんとに悪趣味なんだから!
※※※
「本当に不敬には問われませんの?」
「理由をお話ししても宜しいの?」
その時にうまく誤魔化して逃げられれば良かったのに。頭に血の上ったわたくしとお母さまは堂々と宣言してしまったの。
「なんでもいいから早く仰い!」
親娘はまた目を合わせて…そこから母親の容赦ない攻撃が始まったわ。
「では。まずお断りさせていただいた理由ですが、二つありますの。一つは簡単、侯爵家の維持費まで我が家では面倒みきれないからですわ。」
「ええ、わたくしもお父さまから聞いてびっくりしましたわ。その…侯爵家の懐事情は少しだけお聞きしてましたから、嫁入りにかかる支度について援助を求められるだろうな、とは覚悟していましたの。」
「それが、支度金どころか婚姻後は毎月援助を、なんて真顔で仰るんだもの。その見返りがまあ、侯爵家と縁ができるんだぞ!だけなんですもの。それでもね、すぐお断りするにはそれこそ格下の我が家には難しそうだったから。」
え、え、なに?何がおかしいの?歴史の浅い伯爵家にとって名門侯爵家の後ろ盾なんて、喉から手が出るほど欲しいものでしょう?そのためならそのくらいの出費、惜しんでどうするの?
わたくしは辛うじて頭の中だけで疑問を抑えたが、お母さまはそのままはっきり声に出してしまった。
遠くの方でぷっという笑い声が聞こえた気がする。
「いえ、我が家はそこまでして後ろ盾なんて欲しておりませんのよ。……ただ、その断り方だと納得なさらないでしょうから、その日は婚約にあたっての要求を全てお聞きして後日お断りしようと考えましたの。」
そこで娘がすらすらとこの時のために暗記していたかのように我が家の条件を上げ始めた。
「嫁入りにかかる支度金全額、毎月の侯爵家への援助、我が家の領地にある別荘を侯爵家専用に改装する事、あとは何だったかしら?お母さま。」
「ええ、そうねこれから先ずっと固定でというのはそのくらいだったかしら。でもね、それよりも更に悪質なのは…」
「悪質ですって!?貴方ねえ!侯爵っていうブランドをこれから利用させてもらう立場だと分かっているの?目先の金に囚われずに先を見越しなさいな。」
親娘が黙った。ほら、やっと格の違いを理解できたのね。
そう思ったのに2人は震えたかと思ったら耐えられない、とばかりに笑い出した。
お母さまもわたくしもあまりの無作法に怒りで真っ赤になったが。
「不敬に問わないって仰ったでしょう?遮らないで下さる?まだお断りした理由は続くのですから。」
あの柔和な顔はもうどこにもない。
…いえ、柔和な笑顔は保ったまま。でも気づいてしまったの。あれはただの笑顔じゃない、裏には恐ろしい悪魔が隠れているんだって事に。
「そちらから縁談の申し入れがあってから、我が家がお断りの連絡を入れるまで。10日程あったかしら。たったの10日よ?その間に。」
「王家主催の舞踏会でも通用するような宝飾品、普段着から夜会用のドレスまで20着近くのオーダー。」
「お母さま、我が家の経営しているレストランでただ食いなんてのもありましたわ。」
「そう!それもあったわね。ともかくたった10日程の間にわたくしたちには身に覚えのない請求があちらこちらから来てね、わたくしたちの偽物が出たの?って大慌てだったわ。」
「だからっ!目先の金ではなく先を見越しなさいと!」
今度こそ、今度こそ。表情から笑顔は消え、感情も消えた。
ああ、さすが親娘ね。同じく感情の消えた顔を見せる娘を見てそう思った。
「先を見越すも何も。そこまでの施しをして得られるのが?たかだか侯爵家の後ろ盾ですって?玉虫色の意味もわからないお嬢さまと言い、繋がりがあるなんて思われる方がよほど我が家にとってダメージになるわ。」
施し!施しですって…っ!
あまりの言われように私もカッとなり扇を振り上げた。
だが腕を掴まれ、振り下ろすことはできなかった。
「君、それ以上はやめた方がいいと思うぞ。それこそ君たちが不敬に問われるかもしれない。」
見たことがない殿方だった。身に付けているものは超の付く一級品、整った顔立ち、そして我が国ではあまり見かけない…黒髪。
なんて、なんて素敵な殿方。
一瞬不敬を糾そうと手を振り上げていたことも忘れて見惚れてしまった。
だが、あっさりと手は解かれあの親娘の側に行ってしまった。
「大丈夫だったかい?」
「ええ。殿下。わたくしたちには何のダメージもありませんわ。…彼女たちはそうはいかないでしょうけど。」
母親の方がこちらに向き直り、柔和な笑顔に戻って告げた。
「こちらは娘の婚約者よ。あまりご存じないかもしれないけど、東方の王家の方なの。それでね。娘の着ている…貴方が言うところのテラテラなドレス。これは彼の国では王族にしか認められていない生地なのよ。」
「玉虫色は、王族の婚約者が正式な場に招待された時に纏う色なの。だからまあその…。」
娘が言い淀んでいるとどめの一撃を母親があっさり口にした。
「他国とはいえ王族の婚約者のドレスを貶め、その実家に難癖をつけ、集ろうとしたって事よ。まあ!大変!」
そしてわたくしたちに近づいて小声で囁いた。
「貴方たちがウチに回した請求書、貴方のお父さまが必死にお願いして支払いを待っていただいてるみたいよ?でもこんな事しちゃったら、どのお店もこの先を危惧して明日にはお宅に押しかけてくるかもね。」
まだ何か言い募ろうとする母親を軽く諌めて娘が丁寧に頭を下げる。
「不敬を見逃していただきありがとうございました。このような事情でございますので、我が家は侯爵家のお手を煩わせることはないかと思いますわ。ご心配いただきありがとうございました。」
丁寧なようで、母親の上をいく特大の嫌味を吐き出して去っていった。
※※※
ちょっと!貴方笑い過ぎよ、もう!
流石に侯爵家に失礼なんじゃないかしら。
え、どうせ彼らはそれどころじゃないって?まあ、その通りなんだけど。
彼らがその後どうなったか?そんなの貴方だって知ってるでしょう?
嫌だわ、わたくしそんな意地悪じゃないわよ。わたくしに関わってこなければそれでいいの。
今のところ侯爵さまの目が行き届いているのか分からないけれど、突っかかってこられることもなくなったし。
支払いはね、結局借金をして全て終わらせたみたいよ?え?借金も支払いもそんなに変わらない?
そんな事ないわよ。借金は自分たちがするものだけど、支払いは…。
やだあ、そんなにはっきり言っちゃダメよ。そうよ、でもそうなの。支払いの方はね、終わるまで必ず付きまとうでしょう?
"侯爵家が恥も外聞もなく伯爵家のカネで豪遊した"
っていう事実が。だから侯爵は多少金利が高くても借金するしかなかったのよ。
まあ、あの令嬢も夫人も。領地に引っ込んでるんでしょう?侯爵さまも尻拭いが済めば引退して弟さん一家に家督を譲るらしいから、すぐに噂なんか下火になるわよ。
※※※
噂話っていくら話しても尽きないものだけれど。
今のわたくしには必要ないわ。だってね!
「もう!そんなのどうでもいいのよ!貴方とこうやって他愛もない話ができるのなんてあと数日しかないのよ!だからもっと!」
「そうね、こんな話どうでもいいわ。もっともっと楽しい話をして、美味しいものを食べて!」
「「楽しい思い出をいっぱい作らなくちゃ!」」
とあるご令嬢が他国に嫁ぐ前のお話でした。
ちなみにこの日の夜会はご令嬢が見初められて他国の王族へ嫁ぐ事が発表される慶事にまつわるものでした。
例のテラテラドレスもその時に高貴な服装であると紹介される予定だったのに!




