第118話 「奈良時代の農民の家」
山裾の朝は寒かった。
吐く息は白く、草には霜が降りている。
だが、小屋はもう動き始めていた。
薪を割る音。
干し柿を並べる女衆。
樽を運ぶ男達。
囲炉裏には既に火が入り、温かな煙が天井へ昇っている。
冬が始まっていた。
そんな中――
与吉は珍しく真面目な顔で井上之正を捕まえていた。
「井上殿!」
声に気付いた井上が振り返る。
「どうされました?」
与吉はぐっと拳を握った。
「今日は若様専用の小屋を作ってください!」
「絶対です!」
周囲の者達が一斉に手を止めた。
そして何人かが苦笑する。
「まぁ……」
「それはそうだな」
実際のところ、皆うっすら同じことを思っていた。
今の小屋は狭い。
囲炉裏を中心に、
樽が置かれ、
干し物が吊られ、
縄が積まれ、
炭が並び、
保存食が置かれている。
作業場と住居を無理やり一つにしたような空間だった。
しかも黒田万吉は、元流れ者達と同じ場所で普通に寝ている。
与吉は真顔だった。
「これでは奈良時代の農民の住処ではありませんか!」
周囲が首を傾げる。
「なら……?」
「何の話だ?」
与吉は慌てて手を振った。
「とにかくです!」
「もっとちゃんとした住まいがあるでしょう!」
「若は黒田の嫡男なのですよ!?」
井上は思わず吹き出した。
「若」
「そこまでは言いませぬが……」
「まぁ、狭いのは確かですな」
その時だった。
当の本人が現れる。
万吉である。
「何してる」
与吉は即答した。
「若様専用の小屋を作ります!」
万吉は一瞬止まった。
「?」
そして首を傾げる。
「別に今でも寝れるぞ」
その瞬間。
周囲から一斉に声が飛ぶ。
「そこじゃない」
小屋の中に笑いが広がった。
だが与吉は諦めない。
「若様!」
「寝られるかどうかではありません!」
「樽と!」
「炭と!」
「元流れ者達に囲まれて寝ておられるのですよ!?」
万吉は少し考えた。
そして真面目な顔で答える。
「暖かいぞ」
再び笑いが起こる。
与吉は頭を抱えた。
「そういう話では……!」
その様子を見ていた若い木工職人が口を開く。
「なら」
「隣に増築しますか?」
皆の視線が集まった。
職人は小屋を見ながら続ける。
「今の小屋に繋げれば火も回ります」
「荷も運びやすいですし」
「干し場も増やせます」
万吉が反応した。
「干し場増えるのはいいな」
与吉が即座に指を突きつける。
「そこです!」
「そこをもっと早く言ってください!」
また笑いが起きた。
結局、その日のうちに話はまとまった。
山裾には再び木を切る音が響き始める。
柱を運び。
縄を張り。
少しずつ骨組みが立ち上がっていく。
井上はその様子を眺めながら呟いた。
「気付けば……」
「人が増えたら広げる場所になりましたな」
確かにそうだった。
最初はただの小屋だった。
雨風をしのぐだけの場所。
だが今は違う。
人が集まる。
物が増える。
流れが繋がる。
そのたびに少しずつ広がってきた。
万吉は新しく立ち始めた柱を見上げる。
その先では荷が運ばれ、干し物が揺れ、人々が働いている。
山裾の小屋は、いつの間にかただの住まいではなくなっていた。
流れが生まれ。
流れが集まり。
そしてまた流れていく。
そんな場所へ変わり始めていたのである。




