1-3.役割
後に変更を加える可能性はありますが、とりあえず初日はここまで投稿してみます。
運用フロアの空気は、ひんやりとして清潔だった。壁面ディスプレイに湾内の航跡が呼吸し、その点が光るたびに、ごく小さな電子音が生まれては消える。
今日からこの海は自分がコントロールし、守る。そして、夜になればお父さんとお母さんの元へ戻るのだ――。
船の航路が点滅するディスプレイを眺めていると背後からコツコツと足音が近づいてきた。
「やぁ湊くん、話は聞いているよ。はじめまして、港管理局、局長の笹本だ」
局長の笹本が、肩を軽く叩いた。五十代半ば、短く切った前髪と、よく通る声。
「はじめまして、プラクシスの湊です。これからお世話になります」
「いや、世話になるのはこちらの方だろう。ようこそ、港務管理局へ。初日はとりあえず触って覚えてもらえればいい」
隣に並んで彼も窓の外に目を向けた。
「頑張って感覚を掴んで行こうと思います」
「助かるよ。それにしてもあそこの造船所の技師――君の両親には感謝しているよ。長年の助け合いの関係とは言え、あそこの造船所がプラクシスの君を贈ってくれるとは、夢にも思わなかった。だが、助けて貰った分はいつか返す。うちはそのバランスでここ百五十年やってきたからな」
「いえ、こちらこそ私に仕事をくださってありがとうございます。しかし、私以外に自立AIが居なかったと言うのは少し意外ですね。私の集めた情報からは昔は居たと把握していたのですが……」
「そうだな、昔は他にもいたんだ……確かガイヤとムネメだった。でも外に出ていったり、自分の道を見つけてしまったりと、意思がある分我々と彼らにとってこの職場での強みや弱みがはっきりわかれてしまってね」
なるほど。我々AIも人として扱われる時代となった現代では最初にあてがわれた職場が合わない場合は自分の意思で転職できるのだ。
AIにも種類によって様々な分野に性能が特価されており、例えば湊のようなプラクシスは現場最適化、現状の維持運用、物流・倉庫管理などを得意とし、ガイアは環境保全や生態系の保持、温暖化の防止などを目的として作られている。ムネメは情報管理、ハッキング対策、ウイルス対策などが主な役割である。
「やはり『ロボットの感情』ってのは難しいものだな」
「……ええ、そうですね」
かく言う自分も感情を持つロボットだ。人と同じ感情を持つとはいえ、その身体を構成が違い、さらにAIは人が存在する限り、データが引き継がれる限り死ぬ事は無い。そこから生まれる考え方の差や価値観の違いは互いに推し量ることすら難しいものであろう。
「まぁ、そんなところだ。機械の君でも見た目は人間で、中身もほとんど人間なのだ。働く場所や内容の強制はなるべくしたくないが、私は君がここで長く働いてくれることを祈っているよ。では、改めて、これからよろしくな」
「えぇ、よろしくお願いいたします。未だ何も知りませんが、仕事内容には興味があります。なのでご安心ください」
「うん、硬いぞ君は。体を手に入れたのは最近なんだろうが、年齢自体は同年代程度だと聞いている。しかも性能としては人間の私よりも格上なのだから、そこまで敬語を使うことにリソースをさかなくていい。期待しているぞ」
「はい、わかりました、ありがとうございます!」
笹本はその言葉を聞いて去ってゆく。その背を最後まで見送ると、先程受付から話を聞いた、自身のオフィスへと向かった。
大窓のついたスペースのすぐ隣の廊下を少し歩き、1番手前にある部屋に入ると、5つのデスクがパーテーションで区切られて並んでいた。
「ふむ――誰もいないな」
この部屋はがら空きだ。だけどそのデスクのうち一つだけ荷物が置いてあり、人がいた形跡はある。しばらく待っていれば帰ってくるだろうか。
部屋を見渡すと、奥から二番目のデスクに湊の名札がかかっていた。どうやらここが湊のデスクらしい。
パソコンが設置してあり、座ろうと椅子を引いたら、勝手に起動した。
港はその画面を見て固まる。
「勝手についた……心霊現象?」
不気味な光景に背筋がゾワゾワと――。
「そんなわけ無いだろ。普通にセンサーが反応しただけだよ。一人でいるのに小ボケを挟むんじゃないよ」
後ろから背の高い女性が入口からこちらを呆れた表情で見ていた。
「あ……」
まさか見られていたとは。人と円滑なコミュニケーションを取るためにはボケとツッコミが大切だと聞いたから練習していたが、見られるとなんとも不思議な気持ちになるもんだ。
「いっちょ前に照れてるのか? 私は初めて見るが、自立AIってのはみんなこうなのか? AIと言いつつも人間と区別つかねぇな」
そう言う彼女は口調や仕草から貫禄が感じられるので、20代では無さそうだが、驚く程に若々しい。
見た目から年齢を推測することは難しいな。
だがしかし、湊が持ち得る全てのセンサーを使う事で、おそらく30代であるとひそかに判明した。
「結構こんなもののようです。私達は実在する誰かをモデルに作られてるらしいので……」
「へぇ、それは驚いた――そういえば自己紹介がまだだったな。私は矢島 凛という。ここで港全体の管理を行っている。現場に指示を出したり、ダイヤの調整などが主な仕事だな。基本的には感情のないAIに仕事を任せているが、ハッキングのリスクや柔軟に対応が必要な部分もあるため、最終確認は人間が行っている」
「はじめまして、プラクシスの湊です。今日からここで仕事をさせていただきます。よろしくお願いします。私の仕事内容は感情がわかるAIとして、情報の精査や指示の制度、効率の向上を目的としていると聞いています」
「なんか急に機械的になったな。緊張してんのか?」
「新人として働き出す時はこれくらいが普通だと学びました。もう少しフランクな方がいいですか?」
「あぁ、話しやすいやり方でいいぞ……AIの話しやすいって何なのか気になるしな」
「ありがとうございます。では、自由にさせていただきますね」
「さて、この部屋は見て分かるだろうがガラガラだ。 デスクは五つもあるが今日まで私一人で回っていた部署だからこんなにも要らん。昔は笹本――局長と二人でやっていたんだが、あいつは局長になってしまったからな。それから新人も来ないしで、最近過労気味だったが、湊が来ると聞いて私は心が踊っていたんだ」
「えぇ、聞いていました。人手不足でありながらある程度の訓練と資格が必要な職であるため、人員の異動も難しいと。でも、任せてください。仕事内容はきちんと把握していますよ」
「そうなんだよ、それがすごいんだ。自立AIが来たら百人力なんだよな。あぁ、今から楽しみだ。今日から家に帰る時間が早くなるもんな」
「じゃあ僕は凛さんが早く帰れるように頑張っていきたいと思います!」
「うん、とても期待している。じゃ、まずはデータを見てもらおうかな。私はその間今日の出入港の予定を確認しておくよ」
そう言って凛はデスクに繋がったコードを引っ張ってきた。
それを受け取った湊は自分自身にそのコードを接続する。この仕事用のコンピューターはウイルス対策が万全に施されていると聞いている。優先で接続する方が直接パソコンを操作できて、仕事は早いのだ。
入港灯・出港灯、ゲート、タグボート要請、岸壁クレーンの始動信号、構内搬送の横断信号――様々な情報の羅列が体を熱くする。
「全部の履歴を読み込んでしまった……ちょっと情報量が多すぎたかな」
湊は額に手を当てる仕草をする。その額は正常値よりも
少し熱を持っているのがわかる、実際には処理能力に余裕があるのだが、人間との会話のリズムを作るために、こうした「間」を挟むことを学んでいた。
「大丈夫か? 無理すんなよ」
凛が心配そうに覗き込む。湊は笑って首を振った。
「いえ、全然大丈夫です。これ、全て同じ場所にデータを保存しているんですね。過去のデータは年毎に分けて別のファイルに保存したりしないんですか?」
「あぁ、確かにそれ見にくいよな。でも普通のAIはデータをファイルで分けてしまうと時系列やログを上手く汲み取れないことがたまにあるんだ。だからデータはまとめて保存しておく必要があるんだよな。基本的にそのファイルは人間は見ないし、見ようと思えば1つ1つのデータ自体を検索出来るから、そのファイルはAIしか開かないんだ」
「なるほど、確かに僕と比べると考える力が劣っていますもんね。でも全部のデータをまとめて見れるのは僕にとっても理解しやすくて助かりました」
「それは良かった。なにか気になることとかなかったか?質問には答えるぞ」
「気になることですか、それで言うと今朝の入港ログなんですが……」
「お、早速あるのか。どれどれ……」
湊はモニターに航跡データを表示させる。青い線が湾口から岸壁へ、滑らかな曲線を描いている。一見、何の問題もない。
「これ、コンテナ船『第七瑞雲丸』の入港記録ですよね。予定時刻より8分遅れで入港している」
「あぁ、今朝は霧が出てたからな。視界不良で減速したんだろう。よくあることだ」
「そうですね……でも」
湊は別のウィンドウを開く。気象データ、過去三ヶ月の同条件下での入港時間、この船の平均速度、船長の経歴。情報が瞬時に並ぶ。
「この船長さん、湊湾での入港回数が23回。霧の日も5回経験しています。でも今回の減速パターンが、過去のものと少し違うんです」
「流石にAIだ、検索の速度が違う……あ、あぁ、すまない、それでどう違う?」
凛は本題とは違う部分で衝撃を受けたようだが、それは今は関係ない。
「いつもより慎重すぎる。普段よりも減速率が70パーセントも高い。まるで、湾内の目印が見えにくかったみたいに。霧の中でも入港できるってことは、なにか目印があるはずですよね、ライトのような」
凛の表情が変わる。彼女は素早くキーボードを叩き、別のシステムにアクセスした。
「……入港灯、第三ブイの光度が20%落ちてる。気象の影響で霧が濃いから気づかなかったが、これは故障だな。それなりの濃霧だったから船長も勘違いだと思ったのだろうか――」
「確信はなかったですが、やっぱりそうですか。この対処はどうしましょうか」
言葉では確信がないと、そう言うもののその口調には力強さが見える。
「よく気づいたな。このデータだけで船長の『違和感』まで読み取るとは」
凛は立ち上がり、内線電話を取る。
「保守班? 第三ブイの光源の出力が弱まっている、至急確認してくれないか。次の入港予定まで……」
彼女は壁の時計を見る。
「あと40分しかないな」
受話器の向こうで何か言葉が返ってくる。凛の眉が寄った。
「人手が足りない?今日はそっちから回せないのか――わかった、こっちで何とかする」
電話を切ると、凛は湊を振り返った。
「湊、お前、船の誘導シミュレーション、できるか? まぁ、今は霧も晴れてるし、次の船長はベテランだから連絡しておけば安全に入港できるだろうが、夜が来るまでには何とかしておかなければいけない」
「はい。入港灯が一つ欠けた状態での最適航路なら、すぐに」
「よし。次の船は大型タンカーだ。さっきも言った通りベテラン船長だが、第三ブイが暗いままだと、感覚が掴めず少し危険な角度で接岸することになる可能性はゼロではない」
凛は湊の隣に座り、モニターを指差す。
「いいか。航路は変えられない。だが、他のブイの光度を一時的に上げて、船長が『ここを通れ』って分かるようにできるか?」
「……できます」
湊の指が端末の上を滑る。湾内の光源マップが立体的に浮かび上がり、第一、第二、第四ブイの光度調整値が次々と表示される。計算は一瞬で終わる。だが、湊は答えをすぐには出さなかった。
「凛さん、これ、いつ船長さんに伝えますか? 早めがいいですよね」
「……そうだな。早い段階がいいだろう。いきなり光が変わったら混乱する」
「それに、タグボートも待機させた方が安全です。万が一のために」
凛はにやりと笑った。
「お前、初日から現場の呼吸がわかってるじゃないか」
「いえ、ただ……」
湊は少し照れたように視線を落とす。
「港は、人が帰ってくる場所だ。だから、いつでも安全に迎えてやらなきゃいけないって、父が言っていたような気がします。僕がこの体を手に入れる前の話ですけど」
凛は一瞬、黙った。それから、ぽんと湊の肩を叩く。
「……いい親父さんだな。よし、やるぞ」
凛が船長に無線で状況を説明する間、湊は光度調整のプログラムを走らせる。同時に、タグボートへの出動要請、岸壁クレーンの作業員への待機指示、周辺海域の小型船への注意喚起――複数のタスクが並行して流れていく。
人間なら一つずつ処理するところを、湊は同時に進める。だが、それは機械的な効率ではなく、まるでオーケストラの指揮者のように、全体の調和を考えた動きだった。
「光度調整、完了しました」
「よし。船長、了解した。早いな、第一ブイが少し明るくなるから、そこを目印に」
モニターに、近づいてくるタンカーの航跡がリアルタイムで描かれていく。霧の中、巨大な船体がゆっくりと、しかし確実に、安全な航路を進んでいく。
「さぁ、これで準備は完了だ。なんだかんだで15分はかかったんだな。いや、これでも十分に早いんだが」
「時間があるので、整備点検のデータに不備が無いか、船や漂流物との衝突のデータがどこかにないか、少し探してみますね――」
「おぉ、それは助かる。普通のAIに任せてもそんなものは出てこないだろう」
そうこうしているうちに、安全に船は岸壁に接岸した。
凛が小さく口角を上げた。
「よし」
「無事で良かったですね」
湊は息を吐く。実際には呼吸の必要はないのだが、緊張がほどけた時、体がそうするべきだと判断したようだ。
「お疲れさん、湊。初仕事、上出来だ」
「いえ、凛さんの判断があったからです」
「お前が気づかなきゃ始まらなかったけどな」
凛はコーヒーメーカーに向かい、二つのカップを取り出す。
「コーヒー、飲むか? ていうか飲めるのか?」
「はい、飲めます。僕には擬似味蕾も搭載されているんす」
「へぇ、最近のAIは凄いんだな。まぁ、だったら、人間と一緒に働く上では休憩も一緒にとらなきゃな」
「ありがとうございます。初めてのコーヒー、どんな味か気になります」
湊は小さく笑って、カップを受け取った。温度、湿度、香りの成分。この体で初めての飲み物は不思議な匂いのする飲み物だった。
それでも、凛と並んで窓の外を見ながら飲むこのコーヒーは――きっと、悪くない。
その液体を口に含んだ瞬間、それの分析が始まった。カフェインの含有量、タンニンの濃度。
――だが、それが「不快」として舌に返ってくるとは。
「うわ!これって……苦いのか!にが!にがっ!」
「ははっ、口には合わなかったようだな――」
湊の味覚はお子様だったようだ。
そのまま午後まで仕事に取り組み、港の管理と監視、異常値の有無を確認する作業を続けた。
夕方になって、湊が退勤準備をしていると、凛が声をかけてきた。
「なぁ、湊」
「はい?」
「お前、今日のログ、ちゃんと保存してるか?」
「もちろんです。仕事内容は全部記録していますよ」
「そうじゃなくて――」
凛は少し言葉を探すように間を置いた。
「お前が『気づいた』こと。船長の違和感を読み取ったこと。それ、大事にしろよ」
「……はい」
「機械は正確だ。でもお前は、その先を見ようとした。それが、感情を持つAIの強みなんだろうな」
湊は、その言葉の意味を考える。データの向こうに人がいる。人には、数字に表れない「何か」がある。それを読み取ること――それが、自分の役割なのかもしれない。
「ありがとうございます、凛さん。また明日、よろしくお願いします」
「おう。気をつけて帰れよ」
湊は港務管理棟を出る。夕暮れの海は、朝とは違う顔をしていた。オレンジ色の光が波に砕け、遠くでカモメが鳴いている。
ポケットの中で、父からのメッセージが振動した。
『そろそろ仕事、終わったか今日はどうだった? 夕飯、カレーだぞ』
湊は歩きながら、返信する。
『うん、ちょうど今終わったよ。いい一日だった。すぐ帰るよ』
そして、もう一度、海を見た。
明日もここに来る。明日も、誰かが安全に帰ってくるのを見守る。
それが自分の仕事で、役割だ。




