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灯台の鼓動  作者: 藍雨 衛織
1.父と母、そして友
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1-1.起動

今まで趣味で物語を書いてきた大学生の初めての投稿です。

最後まで物語の構成は考えており、私の脳内では完結しております。

また、自己満足の投稿であるため、至らぬ点しかないとは思いますが、どうぞ暖かい目で見守っていただきたいです。

学業優先なので投稿ペースは不定期でかつ遅いと思います。


 洒落たキッチンとダイニング。

 生活のにおいが染みついたこの空間の半分を、時代を先取るモニター群と計器が無遠慮に占めている。木目のテーブルと吊るされたマグカップの列、その向こうで、黒い配線が光の川のように床を渡り、計測用の数字が壁に淡く踊る。ここだけが、家の時間から切り離され、少し未来に滑っている。


 いま、この部屋には言葉にならぬ高揚が満ちていた。


「よし、これで動くか……?」


 中年の男性が、目の前の椅子に座る若い男の背に小型バッテリーをはめ込む。指先で軽く押し込まれた接点が噛み合い、薄い振動が掌に返る。静かなモーターの回転音が、夜明け前の風みたいにかすかに流れ出した。


「あら、おかしいわね……」


 隣の女性が少し身をかがめ、『彼』の背の指紋認証装置に指を置く。青いライトが点り、短く呼吸をするように明滅して消える。彼女はほっと息を抜き、首だけ振り返る。


「これでどう? ほら、ここだよ、早くやっておきなよ。私たちふたりが親なんだから」


「そこだったのか、指紋認証は」


 男性も続けて指を置いた。硬質な音がひとつ。


「鍵を認証しました。プラクシス『湊』、起動します」


 光のなかった目に電子の明かりが灯る。暖かい色調が虹彩の奥を満たし、焦点が合う。青年の顔が初めて、この部屋を見た顔になる。彼は視線を巡らせ、指紋認証装置に触れていた二人に目を止めた。


「初めまして、そしてこんにちは、父と母。この姿で会話するのは初めてですね」


 声は澄み、節回しにわずかな抑揚がある。表情は滑らかで、人の筋肉の記憶をなぞるように動く。動作にぎこちなさは残るが、そこに“生”の模倣だけではない、確かな意思が潜んでいた。


「お! きたきた! 初めまして、湊。まぁ、確かにお前がここに来る前にメッセージでは話してたけどな。どうだ? 体の調子は」


「はい。四肢の稼働、感覚器官、内部システム……すべて正常です。……いえ、せっかくいい体を頂いたのですし、こう言いましょうか。すこぶる調子がいいです! 完全な健康体です!」


 青年の姿をした『湊』は、慎重に腕を上げ、指先を開閉する。目の奥の光が一瞬だけ揺れて、すぐに落ち着いた。


「おお、ちゃんと動いてるじゃないか」


 父は安堵の笑いを漏らし、緊張をほどくように――湊の肩を、そっと叩いた。硬さの奥に、温度が確かにある。


「ええ……でも、やっぱり人間の子と同じってわけにはいかないのね」


 母は微笑む。けれど、その声には小さな影がさす。彼女は青年の頬へ手を伸ばし、そっと触れる。肌理はなめらかで、押し返す弾力はあるが、指先に返るのはぬるいゴムの質感――人工のやわらかさだった。

 生きている、けれど“肉”ではない。感情を吹き込まれた知性体。


「僕は、人間ではありません。でも……父と母の子であることに、違いはありませんよ。私は、自分自身と人との差異は肉体の構成要素のみだと考えています」


 湊は穏やかに、しかしよどみなく言う。その笑顔はプログラムに由来するが、言葉の温度は、もうそれだけでは測れない。


 二人は顔を見合わせ、うなずいた。


「おう、そうだぞ。お前はお前だ、湊。俺たちのことは父母呼びでも、父さん母さんでも、まぁ名前でもなんでも好きに呼んでくれ。とりあえず先の話をしようぜ」


「わかりました。お父さん、お母さん、これからよろしくお願いします。そうですね、依頼を受けていた仕事はいつから始めればよろしいですか?」


「おっと、そうだな。これが人にとっては面倒な仕事なんだよ。湊にやってもらいたいのは……いやー、なんか申し訳ないな、ほんとにいいのか?」


「大丈夫ですよ。せっかく高いお金を使って私を買ったのですから、私の考える力が皆さんより低いなら不良品ですよ。それだと私の存在理由なんてアニマルセラピー……いや、マシンセラピー程度の役割しか持てませんよ。なんでも信頼して頼ってください」


「はっはっは、生意気なのか頼れるのかわからん。ギリギリ生意気が勝っているな。でも嫌いじゃない。あとは敬語じゃなくなれば百点だな」


 人工知能――AIが現れてから、文明は飛ぶように進んだ。人はその過程でいくつも取り返しのつかない過ちを犯し、争いのない未来などないことを痛いほど学んだ。だが、その痛みを越えたところでようやく、争いを減らす術も身につけたのだ。

 いまやAIに感情を持たせることすら可能で、彼らを人種のひとつとして認めようとする動きもある。高機能なボディは人の外見をなぞり、内部の思考は人の速さを超える。見分けがつかない――つかないからこそ、見ようとする目が問われる時代になった。


「じゃあ、百点の息子として生きていくことにしますね――いや、生きていくことにするよ。 ところで僕の仕事内容は、以前指示を受けた内容と同じなの?」


「お、そうだな。仕事についてだが……主には言っていた通り、港のインフラ統合、出入港のコンピューター・メモリ管理、ダイヤの適正化、倉庫の在庫計算管理を頼みたい」


 口で並べるには多すぎる業務も、彼らは以前からメッセージで話し合い、湊はすでに理解している。細部は説明を要さない。数字は嫌味なく頭に入ってくるし、港の地図は視界の裏側で幾何学にほどけている。


「特に変更はないんだね」


「そうだな。だが、その重要性は今のお前が考えている以上のものだと考えて欲しい。人命に関わるし、外来生物やウイルスの流入も防がなきゃならん」


「そうだね、常にその意識を持って頑張ってくるよ。あとさ、時間がかかるとは思うんだけど、せっかく体を手に入れたんだし、自分の足で行ってきてもいい?」


「おう、良いぞ。俺もその方がいいんじゃないかと思ってたところだ。でも転けたりするなよ、風も強いからな」


「うん、ありがとう。気をつけるね。行ってきます、父さん、母さん」


「行ってらっしゃい」


 背中で2人の声が重なった。


 座っていた椅子から立ち上がる。床板がわずかに鳴り、関節の中で静かな調律が行われる。歩幅、体重移動、視界の奥行き。家のドアまでの十数歩は、計算ではなく、体が覚えていくための十数歩だ。

 玄関に近づくと、外の気配が濃くなる。潮の匂い。遠くで鳴る警笛。風が生地を撫でる想像が、皮膚のセンサーに遅れて届く。人は外に出るたびに世界と擦れ合って少しずつ変わっていく、とどこかで読んだ。ならば自分も、今日からそうなるのだろう。


 取っ手に手をかける。

 金属の冷たさが、確かな出発の合図になった。

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