夜踊-2
「ぎゃああああああああああ…………!!」
不気味な叫び声が宿の静けさを切り裂いた。チェルシーがすぐにリュカの部屋に駆けつけ、ノックする。
「起きてください!」
だが、反応はない。
チェルシーは少し困った顔をしながらドアをノックし続ける。
「悪い……今起きた……。この声って……。」
リュカがようやく目を覚まし、混乱しながらも声の正体を察した。
「ええ、泣き叫ぶものです。」
「来てるってことか。」
リュカはすぐに状況を把握した。
「残念ながら、そうだと思います。」
チェルシーの冷静な返事が、二人にこれからの戦いを予感させた。
◇◇◇
リュカとチェルシーが急いで外に出ると、町はすでに騒然としていた。
泣き叫ぶものの叫び声が響いていたことで、住民たちは恐慌状態に陥り、それぞれが避難しようと必死に動いている。逃げ出す者もいれば、町を守ろうと武器を手にする者もいた。
そんな中、リュカの目に、見慣れない女の子が避難誘導をしている姿が飛び込んできた。
「皆さんは避難してください!この声のほうからは強大な魔力を感じます。そちらには私が向かいますので!」
彼女は勇敢な様子で、周囲に的確な指示を出している。しかし、その姿を見た町の住民たちは、明らかに彼女の若さを心配していた。
「だが、お嬢さん……そんな危険な場所に向かうのは……。」
町の人々は彼女の無謀さを感じ、困惑の色を隠せない。
「大丈夫です、私はハンターですから! ちゃんとライセンスも持っています!! 依頼でこの街に来ました!」
彼女は胸を張り、堂々とした態度で答えるが、その様子はどこか無理をしているようにも見える。
リュカは少し眉をひそめ、彼女を観察した。おそらく、実戦経験はないのでは。心の中でそう思いながらも、彼女の行動を見守る。
「私たちも手伝わせてください。」
チェルシーが落ち着いた声で、避難誘導をしている少女に歩み寄った。
「だめですよ、危険なんです。これはハンターの仕事なんです。」
少女は少し焦った様子で、リュカとチェルシーを止めようとした。
「私もライセンスは持っています。ただ、支援タイプなので直接魔物の相手をするのは得意ではないですが……。」
チェルシーは冷静に言いながら、彼女の手伝いを申し出る。
「そうですか……。」
少女は少し驚いた様子を見せたが、すぐに納得し、次にリュカの方を見た。
「そちらのお姉さんは?」
リュカは少し困った表情で肩をすくめる。
「俺はまだライセンスがないからな……邪魔しないようにする。」
少女は一瞬、リュカの言葉に戸惑ったようだが、すぐに小さく頷いた。
「わかりました、ご協力お願いします。」
少女の声は少し上ずって聞こえた。緊張を隠せていないようだったが、それでも勇敢に北西の方角を指し示した。
「方角はおそらくこちらです。」
「向かいましょう。」
チェルシーが落ち着いて言い、リュカは黙ってその後に続く。三人は静かに町の外へと歩みを進めた。
そして――彼らが泣き叫ぶものを設置した辺りに差し掛かった時、闇の中にその「影」はいた。
黒いオオカミ。
その姿はまさに闇に溶け込んでいるかのようで、巨大な体躯は人間など簡単に一口で呑み込んでしまいそうなほどだった。
リュカは、目の前に広がるその凶暴な存在を見つめながら、思わず口に出した。
「思ってたより、やばいかもなこれは。」
彼らの前に立ちはだかるこの魔物が、ただのオオカミではないことは明らかだった。
「名持ちですか?」
チェルシーが静かに問いかける。名持ちとは、ただの魔物ではなく、名を持つ強大な存在――つまり、より危険な魔物を意味する。
「情報はありません。」
少女は少し不安そうに答える。確信を持てる情報はなく、目の前の魔物がただの巨大なオオカミではないことは感じているものの、何が待ち受けているのか分からない。
「ただでかいだけじゃなさそうなんだよな……。」
リュカが鋭い視線で魔物を見つめ、警戒を強めた。
「風の加護。」
チェルシーが小さな魔法の詠唱を始め、少女に加護を施す。支援魔法により、彼女の動きは素早く、身軽になっていく。
「ありがとうございます!」
少女はチェルシーに感謝を伝え、剣を強く握りしめた。恐怖を押し殺し、覚悟を決めた表情に変わる。
「では、突っ込みますので援護射撃できそうならお願いしますね。」
少女はその言葉と共に、瞬く間に前へと踏み出し、黒いオオカミへと向かって走り出した。
「やああああーっ!」
少女が叫び声を上げながら、一直線に黒いオオカミの脳天へと剣を振り下ろした。剣は確かに手応えを感じた。しかし、次の瞬間――驚くべきことに、傷一つついていない。
「くっ……!」
少女は歯を食いしばりながら、ダメージを与えられなかったことに焦りを感じ、すぐに距離を取ろうとする。
しかし、すぐにオオカミの反撃が襲いかかる。巨体を生かした勢いで、頭からそのまま食いつこうとしてくる。巨大な牙が迫り、少女は必死に剣を構え、食いついてくる頭をなんとか受け止めた。
「うぅっ……!」
オオカミの力は凄まじく、押し込まれながらも何とか追撃を逃れる。だが、次の攻撃に備えなければならない――このままでは次の一撃で押し切られるかもしれない。
黒いオオカミは、少女が着地するのを待つことなく、さらに追撃を仕掛けてくる。巨体にもかかわらず、その動きは驚くほど素早い。
「土の加護!」
チェルシーが瞬時に魔法を唱えた。次の瞬間、土から現れた魔法の盾が少女とオオカミの間に立ちはだかり、襲いかかる攻撃を防ぐ。
「ありがとうございます!」
少女は息を整えながら、チェルシーに感謝の言葉を投げかけた。
しかし、チェルシーは冷静に周囲を見渡し、すぐに警告を発する。
「まだ来ますよ!光の加護!」
チェルシーの詠唱と共に、少女の周りに光が差し込み、瞬く間に残像が生まれる。オオカミの目を欺くように、複数の姿が揺らめいた。
「これも一時凌ぎですよ。」
チェルシーは一瞬の時間稼ぎに過ぎないことを理解しながらも、冷静に次の行動を促す。
「行きます!」
少女は再び気持ちを奮い立たせ、剣を握り直し、次の攻撃に向けて走り出した。オオカミの猛攻に耐えながら、彼女の中に闘志が燃え上がる。
オオカミの目が一瞬、異様な光を放つ。それに気づいたチェルシーがすかさず叫んだ。
「避けてください!」
その警告の直後、地面からまるで鎖のようなものが飛び出し、少女を襲う。かろうじてそれをかわした彼女は、そのまま全力で駆け出し、オオカミの右側に回り込んだ。
「右前足を狙ってください!」
チェルシーの指示が飛ぶ。
「わかりました!」
少女は応え、剣を振り下ろす。刃がオオカミの右前足に当たり、確かに手応えは感じる。しかし、傷は浅く、思ったようなダメージには至らなかった。
「もう一度!」
チェルシーが焦らず、次の手をすぐに打つ。
「火の加護!」
彼女の魔法が少女の剣に炎の力を宿す。
再び剣を振ると、今度はオオカミの体が少しだけのけ反る感覚が伝わってきた。火の力が確実に効果を発揮している。
「よし……!」
少女は短い勝利の息をつきながらも、まだ気を緩められないことを理解していた。オオカミはダメージを受けたのか、一旦大きく飛び退いた。しかし、少女はその隙を逃さないとばかりに、前へと踏み出した。
「逃がさない!」
だが、その瞬間、チェルシーの鋭い声が響く。
「前に出てはダメ!」
次の瞬間、オオカミが前足を地面に叩きつける。すると、まるで空を裂くかのように風の刃が発生し、少女を襲った。
「えっ……!」
突然の攻撃に驚き、少女は反応が遅れる。
「水の加護!」
チェルシーがすかさず魔法を発動させ、少女の周りに水のバリアが現れる。風の刃は水の加護によってその威力を弱められたが、完全に防ぎきることはできなかった。
「くっ……!」
勢いを殺しきれなかった空気の塊が少女を直撃し、彼女は後方に吹き飛ばされてしまう。地面に倒れ込むが、すぐに立ち上がろうと必死に耐えた。
「ありがとうございます……!」
苦しそうな息をつきながらも、少女はなんとかチェルシーに感謝の言葉を伝えた。
オオカミは鋭い目で少女を睨みつけた。瞬間、少女の全身が強張り、足元から力が抜けていく。
「あっ……」
体が震え、思うように動けない。恐怖に包まれたその隙を逃さず、オオカミは一気に飛びかかってきた。
「氷の加護! 正気に戻って!」
チェルシーが急いで対処、少女を冷静にしようとする。
「はっ……!」
少女はようやく正気を取り戻したが、オオカミの爪が迫っていた。
「全力で後ろに飛べ!!」
その声がリュカから発せられ、彼は一瞬で飛び出した。
状況を理解する間もなく少女はその言葉に反応し、全力で後ろに飛ぶ。だが、オオカミの鋭い爪がその身を掠め、彼女は再び吹き飛ばされた。
「ああっ……!」
少女の剣は折れ、彼女の皮膚からは鮮血が吹き出した。傷は深く、痛みに耐えきれず、地面に倒れ込む。
チェルシーがすぐに駆け寄り、回復の魔法を唱えながら彼女を支えた。
「大丈夫、しっかりして。」
「慈の加護!」
チェルシーの穏やかな声と共に、少女の傷が徐々に塞がり、血が止まっていく。
「傷がふさがっただけです、動かないでください。」
チェルシーは優しく諭すが、少女はまだ痛みを感じながらも焦った表情を浮かべていた。
「でもあの子が……。」
少女はリュカの方を見つめるが、その間にオオカミは再びこちらに狙いを定めていた。少女の方に向かって、その巨体が動き始める。
「そっちじゃねーだろ!」
リュカは咄嗟に叫び、空間から大剣を射出する。力強い一撃がオオカミに深々と突き刺さった。
そして攻撃に転じるために剣を手元に戻すと、オオカミの傷は見る間に消えていった。
「なんだろうな……ただのオオカミの化け物ってわけじゃなさそうだ。」
リュカは剣を握り直し、警戒を強める。オオカミの魔物の異常な回復力は、ただの魔力のせいではない何かを感じさせた。オオカミはそれでも少女たちのほうから視線を外そうとしない。
「俺が相手だって言ってんだよ!」
剣の切っ先をオオカミに向けたままリュカが挑発するように言うと、オオカミはその巨体をゆっくりとリュカの方へ向け直した。鋭い目つきで睨み合いが始まる。
突然用語説明コーナー
名持ち
本編でもある通り、名を持つ魔物。
それは少なくとも一度はハンターと交戦していることを示す。魔物に遅れを取り、敗走した者たちがその魔物の脅威を正確に後続に伝えるために、見た目や行動の特徴を名前にして残す。
もちろん名前以外も残す。
名前を持っていて、それが知れ渡っているということは、屠ってきた相手の数もその分多いということなのだ。