誕生-4
3日目の朝。
早朝の屋敷。中庭からリュカの声が元気よく響いていた。体を動かしながら、一心に特訓を続けるリュカの姿が見える。
その様子を屋敷の窓から眺めていたチェルシーは、紅茶を飲みながら軽く微笑みを浮かべ、からかうように言った。
「ほら、もう慣れて忘れちゃってるじゃないですか。」
チェルシーのその言葉には、リュカの成長と活き活きとした様子への軽い驚きが混ざっていた。リュカが朝から悩みもなさそうに、あまりにも元気に見えたからだ。
ユージーンも同じ窓からその様子を眺め、軽く肩をすくめて答える。
「お前が言う通り、すっかり新しい体に馴染んだみたいだな。」
チェルシーは紅茶を飲みながら、小さくため息をついた。
「それはいいことですけど……さすがにあの服だけでは少々破廉恥です。もう少し何か、まともなものを着せられませんか?」
チェルシーは、ユージーンに軽く視線を向けた。ユージーンは少し考え込んでから、頷きながら答えた。
「昔、仕立てたジャケットならあるぞ。あいつのサイズに合うかはわからんが……」
「お前はおとなしい子だったから、あいつが気に入るような服は持ってないもんな。」
ユージーンは少し冗談交じりに言った。
チェルシーは苦笑しながら、軽く肩をすくめて同意する。
「そうなんですよね……」
その時、ユージーンがふと思い出したように言葉を続けた。
「あとは姉さんが……大昔、冒険した時の……」
そこまで言って、ユージーンの表情が一瞬驚きに変わった。
「もしかして、そういうつもりだったのか……?」
しばらくすると、特訓を終えたリュカが中庭から元気に戻ってきた。彼は体を伸ばしながら、声を張り上げて言った。
「なんだったら俺、元の体のときより調子いいかもしんねえ!」
その言葉には、リュカの自信と活力が溢れていた。チェルシーはそんな彼を見て、少し笑みを浮かべながら答えた。
「見てたらわかります。最近、活き活きしてますよね。」
リュカは笑いながらさらに体をほぐし、ジャンプをしてみせる。ユージーンは少し冗談めかして口を開いた。
「なんか、これが平和だし、わざわざ荒事に飛び込んでいかなくてもいいんじゃないか?」
リュカはその言葉に一瞬考え込むが、すぐに真剣な表情に戻り、決意を固めた声で言った。
「そろそろ俺は行くぜ。」
チェルシーはその言葉に、少しだけ肩を落としながらも予想していたように答えた。
「そうくるとは思ってましたけど。」
ユージーンも、リュカの決意を受け入れるように軽く笑みを浮かべた。
「まあ、お前の問題だからな。」
リュカは少し俯きながら、しばらく考え込むように話し始めた。
「なんかな、ここ2、3日、俺も色々考えたんだ。」
リュカは一息つき、拳を軽く握りしめながら続けた。
「この新しい体にはもう慣れた。意外となんでもできるし、魔力が溢れてるおかげで新しい戦い方だってできる。」
ユージーンとチェルシーは、彼の言葉を黙って聞いていた。
「でもな、ちょっと思ったんだ。本当の俺を乗っ取ったあいつは、俺の体を使って何をするんだろうって。」
リュカの声は次第に真剣さを増していく。
「それが誰かに迷惑かけるようなことだったら、さすがに寝覚めが悪いだろ? それに、あいつのことは多分みんな、俺だって、リューガだって認識しちまう。そうしたら俺の名誉も、兄貴の名誉も傷だらけになっちまう。それだけはダメだろって思うんだ。」
リュカは拳を強く握り、決意のこもった眼差しで二人を見つめた。
「だから、行かなきゃならねえんだ。俺の体を取り戻して、リューガの名誉を守るためにな。」
「そうですか、お一人で?」
チェルシーは冷静に問いかけたが、その声には明らかな皮肉が含まれていた。リュカはそんな彼女の態度を気にも留めず、力強く答える。
「ああ!」
しかし、その勢いに反して、チェルシーの返答は簡潔で冷たい。
「それは、ダメです。」
「なんでだ?」
リュカは眉をひそめ、戸惑った様子で聞き返す。チェルシーはため息をつき、鋭い目でリュカを見つめた。
「この常識のない女の子を世間に放り出すわけにはいかないですから。」
リュカはその言葉に一瞬言葉を失い、何とか反論しようと口を開く。
「それは……そう……じゃない……というか……」
しかし、次第に声が小さくなってしまう。チェルシーはそれを見逃さず、さらに攻める。
「その辺の女の子は、そんな破廉恥な格好で歩き回らないんです!」
「うぐっ……」
リュカはチェルシーの正論に言い返すことができず、思わず苦しげな声を漏らした。チェルシーはさらに畳みかける。
「見た目以外にも心配事しかないんです、あなたは。」
「なんだよお前、母ちゃんかよ……」
リュカはため息をつきながら、少しふざけた調子で言い返す。しかし、チェルシーは一歩も引かずに強い口調で返した。
「この際、母さんみたいなものですよ!」
リュカは目を見開き、言葉を失った。チェルシーはそのまま冷静に続けた。
「ともかく、あなたが元のリューガさんが暴れたりするのを許せないのと同じくらい、私はあなたが他の方に迷惑をかけることが許せません。」
リュカはチェルシーの言葉に再び黙り込んだが、その表情には少しの驚きが浮かんでいた。彼女の言葉は、真剣そのものであり、冗談ではないと感じたからだ。
「いいですね。あなたには、私がついていきます。」
チェルシーはそう言い切り、リュカを見据えた。その冷静な瞳に、決意が込められていることは明らかだった。
ユージーンはチェルシーとリュカのやり取りを見ながら、大きく笑い声をあげた。
「ハッハッハ、こりゃ一本取られたな。」
彼はリュカの肩に軽く手を置き、笑いながら続ける。
「こいつが言い出したら聞かないのは、もう知ってるだろ。同行させてやってくれ。」
リュカはため息をつき、肩をすくめながらも、少し苦笑した。
「仕方ねえな……」
チェルシーは、少し不機嫌そうな表情を浮かべ、冷静にリュカを見つめる。
「仕方ないのはどっちですか、まったく。」
リュカは、チェルシーのその態度に目を伏せるが、彼女の冷静な指摘に何も言えなかった。チェルシーは、そのまま淡々と続けた。
「あなたのことですから、すぐに行くって言うんでしょう?それでいいです。でも、その前に着替えてください。」
「え、でも俺、この服じゃないと力使えないぞ?」
リュカは少し困惑した表情で、自分の戦闘服を見下ろす。
「上に着るくらいなら大丈夫でしょう?おじさま。」
チェルシーはユージーンに向けて、淡々とした口調で確認した。それは「用意はありますよね?」という意味を含んでいた。
ユージーンはすぐに応じ、用意していた服を取り出した。それは黒いジャケットと、ピンクのスカートだった。
「え……」
チェルシーは、その組み合わせに一瞬驚きを隠せなかった。
一方、リュカは嬉しそうにジャケットを手に取り、すぐに羽織ってみせた。
「お、これなら全力で動けそう!ありがとよ、おじさま!」
リュカはすっかり気に入った様子で、笑顔を浮かべた。その姿を見て、チェルシーは呆れたように溜め息をついた。
「……そんなに変わってないじゃないですか……」
そう呟いたが、もう声に出して指摘することすら諦めてしまった。彼女は、これがリュカらしいということを理解していた。
「他の準備も必要ですよ。」
チェルシーが静かにリュカを見つめながら言った。リュカは軽く肩をすくめ、何か言い返そうとするが、ユージーンが一歩前に出て一冊の本を差し出した。
「それなんだがな。これを使うといい。」
ユージーンが手渡したのは、古びた装丁に包まれた一冊の本。表紙には神秘的な模様が刻まれている。リュカは本を受け取り、その不思議な感触を確認しながら驚いた。
「これ、なんだ……?」
チェルシーはユージーンの説明を待たずに答えた。
「幻書の記……こんなものを持ち出してしまっていいのですか?」
リュカは眉をひそめながら、戸惑うように尋ねた。
「なんだよそれ?」
チェルシーはため息をつきながら、淡々と説明を始める。
「早い話、お取り寄せ本です。この本に載っているものを、書かれている在庫の数だけ具現化できるんですよ。」
リュカの目が輝いた。
「すっげえな……!」
ユージーンは軽く笑いながら続けた。
「日常生活に必要な分の在庫は十分にあるはずだ。こちらで補充もしておく。戦闘や困ったときにチェックしてみてくれ。」
「……すげえなあ。」
語彙がなくなりつつあるリュカはさらに興奮して本をめくり始めたが、ユージーンは真剣な顔でリュカに問いかける。
「ちなみに、予定は決まってんのか? まさか、ただ魔女がいた方角を目指して……とか言うんじゃないだろうな?」
リュカは一瞬固まり、言葉に詰まる。
「え……?」
チェルシーは、苦笑しながらリュカを横目で見て言った。
「おそらく、そのまさかだと思います。」
ユージーンはため息をつき、額に手を当てながら続けた。
「さすがに分の悪すぎる賭けだろう。まずは、改めてハンターのライセンスを取るのがいいんじゃないか? 魔女の力を追うにしても、オーリス教団も詳しいかもしれないが、あいつらは底が知れない。ライセンスを取って、ソルクレストのミッションを辿った方が安全だ。」
リュカはその提案に、少し黙り込んだ後、頷いた。
「そうですね……指針にも困っていたので……なにからなにまでありがとうございます。」
ユージーンは優しくリュカを見つめ、少し寂しそうに微笑んだ。
「本当は俺もついていきたいぐらいなんだが、当主代行としての仕事もあるし……おじさんじゃ力不足だ。足を引っ張るのはカッコわりいからな。」
リュカは軽く笑いながら、ユージーンに感謝の意を込めて頷いた。
「おじさんが力不足とか言うなよ。けど、ありがとうな、ユージーン。」
「なにより、無事に帰ってきてほしいんだ。チェルシーにも、もちろんリュカにも。」
ユージーンの言葉には、兄代わりとしての深い愛情が込められていた。リュカは、その言葉をしっかりと受け止め、決意を込めて拳を握りしめた。
「必ず帰るさ。」
「ええ、必ず。」
「では、行ってまいりますね。」
チェルシーは軽くお辞儀をし、リュカは手を振りながら元気よく言った。
「行ってくるぜ。」
ユージーンは二人を見送りながら、微笑んで手を軽く上げた。
「ああ、気をつけてな。」
二人が屋敷の門を出ると、チェルシーがふと後ろを振り返り、屋敷を眺めながら少し冷静に言った。
「随分、小さく見えますね、我が家も。」
リュカはその言葉に少し驚きながら、恥ずかしそうに肩をすくめて言った。
「わりいな、付き合ってもらって。」
チェルシーは意外そうにリュカを見つめた。
「あら、素直ですね。」
リュカは苦笑し、軽く肩をすくめた。
「まあ、俺が生きてるのも、全部チェルシーのおかげだからな。」
その言葉にチェルシーは一瞬驚き、そして頬を染めながら目を伏せた。
「……ずるいです。」
リュカはチェルシーの照れる姿を見て、優しい笑みを浮かべながら言った。
「だから、これからも世話になるよ。よろしくな。」
チェルシーは少し恥ずかしそうにしながらも、すぐに立ち直り、ため息をつきながら前を向いた。
「もう! 早くフィーリスに行きますよ。ゆっくり歩いてたらアルカラムに着くのに何日かかるか……」
リュカは慌ててチェルシーの後を追いながら、少し焦った様子で言った。
「なんで怒ってんだよー、服か? 服のせいか!?」
チェルシーは振り返らず、リュカに背を向けたまま少し頬を膨らませて歩き続けた。
突然用語説明コーナー
ソルクレスト
大陸全土に展開されている組織。魔女の影響で生まれる使い魔や魔物への対応、およびその時に残される魔力の回収を主な仕事とする「ハンター」を管理し、世界の安定化に貢献している。
ハンターになるためには、一部の町に構えられているギルドに赴き、簡単な身分登録を行う必要がある。兼業ハンターも含めると世界の成人の約4割ほどがハンターのライセンスを持っている。
名を上げ続けているとソルクレスト本部からの直属の任務が与えられたりするらしい。