捉えられた乙姫
「『教導』」
「くぅぅぅ!!!」
数百を越える蜘蛛だか蠍だか蟻だか良くわからないヒトガタのシルエットに、一人の女の子が群がられています。
名前はティファニー。紫色の似合う綺麗な女の子です。
外から見る分にはまるで嬲られているかのように見えますが、実際は違います。よくよく観察してみると、なんと女の子は善戦しているではありませんか。
体にいくつかの深い傷を負いながらも、その小さな体に見合わない長い槍を懸命に振り回して巧いことヒトガタの群れの中で戦っています。
武器の性能のせいなのか、それとも女の子がまだまだ弱いのがいけないのか、残念ながらヒトガタにたいした傷をつけられてはいませんが、それでも十分に善戦できていると言えるでしょう。
ですが、それも長くは続きません。長時間の戦闘、ふとした瞬間の不注意で負った傷、その他にも色々なものが重なって、女の子を追い詰めて行きます。
また一歩、また一歩と女の子の槍筋が鈍くなり、ついにはぐさりと女の子の胸をヒトガタの脚が貫きました。
心臓を貫通しています。即死してしまうことでしょう。普通ならば。
「っはっ!はっ!はっ!」
「お疲れ様です」
ですが、そうはなりません。何故なら今までの戦闘は全て、現実ではないからです。
ぱちりと目を醒ました女の子は、体に張り付く大量の汗を師匠から手渡されたタオルで思いっきり拭います。
そして呼吸を軽く調えると、これまた師匠に手渡された水筒にてスポーツ飲料水を飲み込みました。
「師匠、どうでしたか?」
「確実に成長していますよ。足もすくんで動けなかった最初期から、10分も持ちこたえられるようになっています」
にこりと女の子に微笑んだ後、ですが、と師匠は続けます。
「あなたの目標はデザイアから生き残ることではなく殺すこと。かすり傷を多少与えられる程度で満足してはいけません。これからもこうして鍛練を続けるように」
「はい!師匠!!」
そんな和気あいあいとして師弟愛を他所から見ていた男が、横から突っ込んで来ました。
「はい!師匠!!では駄目だろう。何なのだ貴様ら師弟は」
男は二人、特に師匠の方をジト目で見ながら、ダメ出しをし始めます。
「まず、ティファ。動きに無駄が多い。それに刃で相手を斬ろうと意識しすぎだ。刃のない石突でも顎を打って脳震盪を起こさせられる。単純に突くだけでも距離は稼げる。関節を狙えば相応の妨害となる。もっと武器を考えて使え」
そして、と男は続けます。
「乙姫、お前弟子に何を教えて来たんだ?戦場での生き残り方か?ああそれは結構。
だがな。初心者にまず必要なものは型だ。お前は五六流の槍術の型を見ただけで体現してみせたそうだが普通はそうは行かない。幾度となく繰り返し、幾度となく体に刻みこんでこそ実践で使えるのだ。
それと、お前はティファの動きを見ていて浮かんだ感想はあれだけだったのか?動きに無駄を感じたりはしなかったか?軸のぶれ、判断ミス、そういったものはなかったのか?」
「勿論ありました。ありましたがそれはまだ鍛練が足りていないというだけでしょう?これから伸ばし」
「その伸ばすための欠点を、わかっているお前が弟子に伝えてやらねばならんのだろうが」
何のための師匠だ。と怒っている男に、師匠はですがと訳を話そうとします。
「それはこうして何度も実践を繰り返せば」
「無論動きは洗練されるだろうが、確実に欠点が癖として残る。早い内にそこを矯正するのが師匠の役目だろう。違うか?」
「、、、その通りです」
駄目でした。一瞬にして論破されてしまいました。
「そうですね。その通りです。私が導いてやらねば、何のための師匠ですか。これまでは自主性を重んじて、などと考えていましたが、そうです私は師匠です。ばりばり口出しして一人前の槍士にしてあげるべき立場です」
師匠は、顔を上げて何かを決意しました。そのあと、使命感に満ち溢れた顔つきで女の子に向き直ります。
「ティファ、さっきの戦闘の復習と動きの見直しです。録画は、、、ヴィランがしてくれているはずですので、それを見てやりますよ!」
「はい!師匠!!」
元気に男に頼る駄目師弟に録画した画像を見せつつ、才能はあるのだがと男は額に手を当てます。
今でも十分すぎる程に伸びている女の子の実力ですが、もっと師匠の教え方が女の子に適していれば、今頃女の子はもっと強くなって居たでしょう。
強くなっている。確実に自分が強くなっているという自覚が、女の子にはありました。師匠も、この乙姫さんだったからこそここまで来れたのだという思いも、女の子にはありました。この先のチャンスも、師匠が乙姫さんだからこと掴める機会を獲られたんだということも、女の子にはわかっていました。
だからこそ、女の子はそれを逃したくはありませんでした。
今のままでは、友人の仇には届かないことも、女の子にはわかっていたからです。
だから、例え師匠が悲しむことになっても、例え師匠の胃が傷むこととなったとしても、女の子にはあの悪魔の囁きに乗らない手は、なかったのです。
「師匠、ちょっといいですか?」
「はい、ティファ。どうかしましたか?」
今日の修業の終わり、夕暮れに照らされながら、女の子は師匠に悪魔に貰ったチラシを渡します。
震えながら渡されたチラシを見た師匠からは、表情が消えていました。
「原初的始藻生命体を、食べると、とんでもなく強くなれるん、ですよね?私、これに参加したいんです!!」
女の子には足りませんでした。時間が。女の子には足りませんでした。実力が。女の子には足りませんでした。デザイアをデータごと消せる程の力が。
例えそれが人として辿ってはいけない道だったとしても、道があるならば女の子には通る他なかったのです。
チラシにはこう書いてありました。
『原初的始藻生命体食べ放題開催!参加条件は種族【乙姫】の槍使いの師匠と一緒であること!是非参加してね!!』
原初的始藻生命体の現存者は一人だけ。愛する男のためならば自分が喰われる恐怖などなんともないだなんて、親衛隊の狂気度が伺えますね。