実証結果
「で、この目の前にある二つの新種の果実が食べていい奴ってわけね」
腕組みしながらその二つの果実を見下ろす巫咲に、秘書の如く信護は補足する。
「はい。掛け合った結果、この二つまででしたら良いという事でした。逆を言えば、この二つが限度でもあります」
「O.K.、O.K。十分よ」
不敵な笑顔を浮かべ、余裕綽々といった巫咲の傍らに立ちながら、ごめんなさい、出来れば恨まないで下さいと、内心では既に平謝りをしている信護だという事は、まだ巫咲の知る所ではなかった……。
「さて、どんな味なのかしらね〜」
「……ワクワクしている所、大変恐縮ですが、まず、私が食べる事が条件なんです」
「……唐突ね」
無表情で感想を返す巫咲を見て、おや?と意外なものを見た気分になった。
てっきりもっと感情豊かになって来るとばかり、思っていたからだ。
巫咲の怒り方は、外に出るタイプなため、わかりやすい。
信護自身、確かに唐突だという自覚があるため、ぐうの音も出ない。
無論、唐突なのはわざとであり、前もって言ってしまうと、拗ねられ、仕事に支障をきたされかねないからだ。
今であれば機嫌が悪くなっても、その時間は長くないだろうと思われる。
何故かというと、機嫌が悪くなっても、何かのイベントが起こると、その辺の感情が一気にリセットされる特性を、彼女は秘めているからだ。
そのため、イベント直前である今このタイミングで告げたのだが、この巫咲の態度は、直情的で、一番乗りが誰よりも好きな巫咲の反応らしくないため、気がかりだった。
「どうしたのよ。首を傾げちゃって」
「あのー。怒らないんですか?」
思わず聞き返してしまう信護だったが、巫咲の答えは単純明快だった。
「怒るわけないじゃない。……まあ、本音言うとちょっぴりムカついたけど。でも、これは私を思っての事でしょ。なら、怒れないわよ」
「以前だったらそれでも怒っていたでしょうに……。成長したんですね、巫咲さん。感動しました」
「一言二言多いわよ。もう!」
そっぽを向いてそう文句を言う巫咲に苦笑いしつつ、改めてこの奇妙な果実を見つめる。
形はりんごに似ているが、幾何学模様の線が入っている。
色は光沢のある青緑色だ。
自分だったらこうでもないと食べないだろうなと思いながら、勇気を出して口にする。
味は、ほんのりとした甘さが口の中に広がったかと思うと、刺激のある辛さが後を追って続いてくる。
信護が甘みと辛みが両存する不思議な体験をしていると、巫咲が焦れたように質問してきた。
「信護くん!どんな味しているの!?」
「甘味が広がったかと思えば、後から辛みが追い打ちをかけてきました。なんとも不思議な味ですね。まあ、美味しいとは正直言い難いですよ」
正直な感想を言うと、巫咲は次は私と言わんばかりに口に運ぼうとしていたため、口の中に入っている物を慌てて飲み込むと、信護は急いでストップをかける。
「ま、待って下さい。巫咲さんが食べていいのは、私が食べ終わり、その経過観察が終わってからです」
「ええっ。それじゃあもっと先になるじゃないの」
「しょうがありません。いくら巫咲さんが調べ、大丈夫と言おうが、それでも巫咲さんが実証が終わっていない段階で食すのは、色々問題があるんです。あなたは替えが利かない人材だと、自覚をして下さい」
説教混じりに信護が言うと、巫咲が膨れっ面をしつつも、食べようとするのを中断する。
信護はその行動に安堵すると、改めて新種の神秘の果実の完食に取り掛かる。
味は美味しいわけではないが、不味いと言うほどでもない不思議な塩梅で、最初は慎重に食べていたが、次第にその不思議な味覚と、シャキシャキとした食感が気に入り、瞬く間に平らげてしまった。
「さて、どうなるか……。どれが起こるんでしょうかね」
事前に言われていた効果のどれが我が身に降りかかるのか、期待と不安の内、後者の方が強めながらも、辛抱強く待つ事にする。
だが、効果が発揮するのは、そう時間がかからなかった。
それを示す機会は、思わぬタイミングでやってきたのだ。
信護はしばらくじっと座っていたが、特に変化がないため、手持無沙汰の状態が続いた。
時間がもったいないと思い、とりあえず日課の柔軟体操でも前倒しで行おうと考え、身体を伸ばし始めた。
すると、ゆっくり腕を伸ばそうとしたのに、一瞬で伸びてしまった。
「ん?」
変だなと思いつつ、次は足を伸ばそうとすると、またも自分の想定以上のスピードで動いてしまった。
「これは……。この現象は……。巫咲さーん。わかりましたよ!」
席を外していた巫咲を大声で呼びつつ、自らの体を動かし、何が起こったかについての裏付けをしていく。
すぐにドタドタと駆けて来る足音が響き、巫咲が姿を現した時には、信護は確信を持って巫咲に告げられた。
「巫咲さん。自分に何の効果が起こったかわかりました。巫咲さんが言っていた起こり得る20の効果の内、発生した効果はスピードの増加です。ああ、良かった。かなり良い方の効果です」
信護は正直ホッとしてしまった。
巫咲から事前に教えられていたこの果実のもたらす効果とは、20ある事象の内、一つをランダムで起こすという、他の果実と比べても異質な内容だった。
その20の効果とは、例えば、信護の身に起こった素早さの上昇以外には、腕力の上昇や怪我の回復といった恩恵や、麻痺や眠りといった状態異常の発生という負の効果、はたまた変身や精霊と呼ばれる存在を呼び出せるといった特異な現象を起こすものまで、多種多様だった。
ただ、それらは一定時間のみという縛りであり、中には負の効果があろうとも、命に危険をもたらす程のものはないであろうと分析されていた。
「へー、いいわね。どんな感じなの?」
「少し動かしただけで、自分でも驚くぐらい早く動けてしまいます。慣れるのに時間がかかりそうですね。よっと。う、うわっ!」
ドーンという音が辺りに木霊する。
少しだけ早歩きしてみようとした信護だが、あっという間に移動した挙句、壁に衝突してしまった。
痛みに顔面をさすっている信護を尻目に、巫咲はもう一つの果実に向かっていく。
「あ、それはーーー」
「知っているわよ。ダミーでしょ。本物はこっち」
「なっ!」
巫咲は部屋に戻って来た時に持参したであろうバックから、新種の神秘の果実にそっくりなもう一つの果実を取り出した。
「信護くん達は、私にこの果実を食べさせたくなかったんでしょ。いくら大丈夫だと言っても、絶対かは断言出来ないとあなた達は思った。万が一の可能性を恐れた」
「う……。それ、は……」
巫咲の言葉に口ごもる信護だが、巫咲自身は穏やかに淡々と言葉を紡いでいく。
「勘違いしないで。責めていないわ。安全策を取りたがるのもわかるから。でもね……」
「でも?」
「自分の鑑定を自分で信じられないなら、私はここにいる意味はないわ。いい加減な鑑定で、他人を危険な目に遭わせ、それで良しと思う程、腐ってないつもりよ。私が良しと断言したからには、それは大丈夫な代物なの。それは、私自身でも証明するわ」
そう言い切ったかと思うと、手に持っていた本物の果実を丸齧りし始めた。
それは、スピードが上がった状態の信護でも止められないぐらい(信護は細かいコントロールが利かないため、土台無理な話だったが)の、一瞬の出来事だった。
「あ、ああ……」
「もぐっ。あら、なかなかの珍味じゃないの。あぐっ……。ひゃいひゃいね、もぐ。こそこそやっていたけど、わかりやす過ぎなのよ。隠し場所もすぐにわかったわよ。うぐっ」
「あのー。せめて食べるか喋るか、どちらかにしていただけませんか?」
「細かい事は、あぐ。気にしないで。ごくっ。だいたい私は、"アイテム"の"声"が聞こえるんだから、見破るのは容易なんだから。もぐもぐ、ごくん」
豪快な食べっぷりで、果実は巫咲の胃に、瞬く間に吸収されていった。
ハラハラしている信護を余所に、巫咲はお茶を啜る。
「信護くんは私を守ろうとしたがってくれるけど、忘れないで。私達は役割が違うだけで、対等であるべきパートナーよ。どちらかを一方的に庇護する関係じゃないわ」
「巫咲さん……」
「少しでも致命的な危険があるなら、正直に申告して、食べたりはしないわよ。食べても大丈夫と判断したからには、それは本当に大丈夫な物なの。私を信じて」
「はい……」
「まあ、信護くんは私を信じてくれていたと信じているけど、上の人達はそうもいかないか。でも、それは仕方ないかもね。私の事は書類でしか知らないし、立場上、止めないといけない立場か」
「そう思ってくれるなら、もう少し自重してくれれば、こちらとしても助かるのですが……」
信護は一縷の望みを託してそう切り出すが、巫咲の答えは明瞭だった。
「あ、それは無理!私は最後の一線以外では、欲望の赴くまま生きる主義だから」
「えええ!!」
「だって、その方が人生楽しいでしょ」
信護は思わず絶叫するが、巫咲はどこ吹く風だった。
巫咲は自分の体を見下ろしながら、小首を傾げる。
「変ね。何かの変化はなさそうだけど……。あっ、もしかして……」
「ひょっとして、20ある効果の番外である何もなしを引いちゃったんですかね」
信護のその言葉に、巫咲は引きつった笑みで応じる。
新種の神秘の果実には、効果が20あると分析結果を出したが、実は21番目の効果というか結果として、何も効果なしがあるという事がわかっていた。
ちなみに、信護の作戦としては、巫咲にダミーの果実を食べさせた後、何も変化のない事に呆気に取られているであろう巫咲に、その21番目の効果だと納得させ、事なきを得る予定だった。
しかし、くしくも作戦と同じ結果になりそうだと、信護はぼんやりと考えていると、巫咲は難しい顔をし出した。
「まさか、これは罠?」
「何のですか!」
「まさか、あれもダミーで、それをまんまと掴ませたとか」
「いいえ。そもそもさっき、自分で"声"が聞こえるから、本物を見破るのは容易と言ってたではありませんか?でも、凄い運ですね。二十一分の一の確率の何もなしを引いてしまうなんて」
「むむむむむ」
巫咲は唸っているが、その後も症状はなく、巫咲にとっての外れくじである何もなしだったと、巫咲が認めざるを得なくなったのは、それからしばらく経ってからだった……。
その夜の事。
「あーあ。つまんないの」
「そう愚痴らないで下さい。あ、ビール二本目入りますか?」
「飲むー!」
信護はようやく体が慣れ始め、凄いスピードで、あらゆる事をこなしていた。
巫咲は器用なものねと感心するぐらい順応性が高かったのであった。
「最初は戸惑いましたが、慣れると凄く便利ですね。ああ、でも、このスピードの効果はもうじき切れてしまうんですよね」
「うん。あと1時間もしないで切れるはずよ」
「食べる前はおっかなびっくりだったんですが、今となっては名残惜しいですね……」
「いーなー。私も経験してみたかったー。経験する事で、"アイテム"への理解が増すかもって思ったんだけどなー」
巫咲のその言葉に、信護は驚きで目を見開く。
「え?真面目にそんな事も考えていたんですか?」
「当たり前じゃない。当然、遊び心もあったけど、私は遊びだけで、関係者を大量動員しないわよ。実際に経験してみる事で、理解できる事もあると思って。"アイテム"の性質上、迂闊に使えない奴が多いけどね。果実だったらたくさんあるものだから、少しぐらいならお裾分けしてくれるかもと期待して、許可を貰ってほしいと切り出したのよ」
「それを言って下されば、もっと説得は楽だったんですが……。いえ、これは私の不徳の成すところでした」
「いえ、言ってなかった私のミスだわ。それにしても、信護くん。その、前々から思っていたんだけど、オフの時間まで、仕事口調で話すのを止めたらどうかしら」
不満気に、巫咲が漏らす。
信護は唐突に切り出された指摘に、戸惑った声を出した。
「え。変、ですか?」
「変というか、オフの時間ならもっと肩の力を抜いたらと思って。一人称だって、本来は私じゃなくて、俺でしょ」
「確かにそうですが……。この言い方の方が話しやすいんですよ。でも、うん。努力します」
「まあ、言い易い方を選んでちょうだい」
あっさりこの話題を終えた巫咲だが、信護は内心でこの話題を引きずっていた。
(自分をさらけ出していると、オンとオフの区別が出来なくなりそうなんだよ……。ああ、でも、俺のヘタレ……)
心の内ではがっくりしながらも、表面上は冷静を装ってビールを飲み続ける信護だった。
自分でも、話題を変えたいと思い、少し前に思ったある考えを何とはなしに口にする。
「神秘の果実か……。謎の多い果実で、どこで育っているのかさえわかっていないけど、もしかしたら、どこを探しても、その実のなっている木々なんて見つからないかもしれませんね」
「え?どういう事?」
不思議そうに聞き返す巫咲に、信護は今の段階では妄想でしかないと自覚しつつ、思いついた事を話し始める。
「今から話す事は、根拠らしいものがない妄想レベルの事です。その事を承知の上で話す事ですから、あまり笑わないで下さいね」
「いいから話してよ。妄想だと割り切った妄想話は好きよ」
「植物には、それぞれ繁殖方法があります。では、この神秘の果実ではどうなのだろうと考えた際、こう思ったんです。果実を他の生物に食べさせる事で、次世代に繋げているのかもって」
「丸齧りさせる事がそうだと?う~ん。じゃあその後、どうやって増やしているわけ?あ、排泄物にーーー」
「皆まで言わなくていいと思いますよ。その可能性もありますね。他にはそうですね、食べた者の身体そのものが苗床になるのはどうでしょうか」
その言葉を聞いた巫咲は嫌なものを聞いたとばかりに顔を歪める。
「食べた人の肉体が、神秘の果実を育てる土であり栄養だって事。それで、そのうち、身体から生えて来るってわけ。うえっ。あり得無いけど、あり得そうな話じゃないの」
「はは。ホラーですよね。でも、それなら神秘の果実が成る植物が見つかっていない理由になりませんか。そんなものは元から無く、摂取した生物が苗床だと。自身の恩恵で釣るのが、神秘の果実の生存戦略だったなんて」
「いやでも、それならこれまで食べた人間から生えた所を見たという話がどこかで出てこない?果実が食され、世に出回るようになって何十年と経っているのよ」
「そこなんですよね~」
巫咲の疑問をあっさり肯定する。
信護自身も穴だらけな仮説だと思っているのだ。
だが、それでもと思ってしまう。
「実がなり、その実が苗床となった体から、何らかの手段で離れる時間が驚異的早さだとしたら、どうでしょうか。苗床になった人が生きている内でしたら、その人の生命活動に影響がなく、知覚しない内に事が済まされるとか。ああ、死体になってからかもしれませんね。その場合、火葬では、実が成る暇が無いかも」
「その説だと、最初の果実はどうやって生まれたのかしらね。植物系のモンスターが落とす事が多いといっても、そのモンスターの実じゃないのはもうわかってるし」
「それは、どうやってでしょうね。誰かが意図的に創り出した人工的なものかも。モンスターは、その運び人?自然界にあるものではないのかもしれませんよ」
ふと、神秘の果実に関する謎が頭の中を駆け巡る。
他にも、わからない事が多いのだ。
「神秘の果実には、永続的な効果を与えるものと、一時的なものに別れます。俺達が食べたのは、一時的なものでしたが。一時的なものでしたら、新しい神秘の果実が成るのは、この説だと早いかもしれませんよ。効果が短い代わりに、その誕生サイクルが短いかもしれませんし」
「なら、信護くんは要観察対象ね~。ん?じゃあ、私が食べた果実は効果無しだったから、あの果実は種無しだったという事?」
「そうなっちゃいますね」
「う~ん。世知辛い話ね」
巫咲は髪をかき上げると立ち上がり、窓の方へ歩く。
酔いが回って来ていた。
「その説なら、あの呪われた果実もあの同類を増やす方法は、その果実の生存戦略って事?……あの呪われた果実には、悪意を感じてしょうがないわ。誰かが意図的に創ったいうなら尚更。欲に付け込み、恩恵で釣り、あんな災厄を招くなんて、文明圏への強い悪意を感じる……」
「神秘の果実は、人工的に創られた場合、創った者は同一人物ではないかもしれません」
「そうね……。あと、あなたの説道理なら、実は神秘の果実は、人類には、栽培方法がもうわかっているのかもしれないわね」
「ああ、確かに。でも、その場合、公には出来づらいですよ」
「全ては闇の中か……。ああ、妄想話で何か辛気臭くなっちゃった。もうヤメヤメ。もっと明るい話をしましょう。ほら、信護くん。あなたのせいでそうなっちゃたんだから、何か面白い話をしてちょうだい」
「ええっ。俺のせいですか。話を促したのは、巫咲さんじゃないですか!」
「それはそれ。これはこれ。……ん?あー、信護くん。さっそく俺って使ってる~」
「え?あ、いや。聞き間違いですよ。ずっと私と使っていました!」
「いーえ。絶対俺って使ってましたー!」
そんな形で言い合いが始まるが、話が明るい方向に向かったため、お互いホッとしていた。
どちらも今の仮説を本気にしていない。
だが、もしかしてという考えが、会話をしている内に、膨れて来てしまった。
(もし、俺が何となく思いついたこの説通りなら、早い内に、新しい果実が俺から誕生しているかもな。その場合、俺はどうなっているかだけど、俺は巫咲さんの言っていた大丈夫という言葉を信じるよ。ああ、クソ。自分で思い付いた妄想で、マジになってどうするんだ俺)
自分に毒づきながら、巫咲との言い合いを楽しもうとする信護だった。
その晩、寝静まったある一時、驚く程の短期間である現象が起こったかは、誰も知らなかった……。
読んで下さりありがとうございました。