【番外編】レイモンド、目覚める(前)
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番外編は前編と後編に分けて同時投稿しております。どうぞ前編からご覧下さい。
王宮内の談話室――――
開放的なロビーのような造りの部屋は、業務の打ち合わせや外部との商談に用いられるスペースで、王宮の人間なら誰でも利用可能とされている。
数台並ぶテーブルが多くの人々で賑わう中、窓際の一席にどことなく構えた様子の男女が対面していた。
「レイモンド・グリフィスだ」
「ネリー・ゴーラムです、…よく存じております」
「……そうか、そうだな…」
固い表情のまま、濃紺の視線を俯かせた銀髪の男性の名は、レイモンド・グリフィス。
御年27歳のグリフィス伯爵家の四男は、この国の王太子であるセドリック・ロウ・オスニエルの護衛騎士だ。上背があり、がっちりと鍛えられた躯体は騎士然としていて迫力がある。
彼との対比で、向かいに座る細身の女性がより華奢に見えてくる。
怪訝な表情で彼を眺める女性の名はネリー・ゴーラム。
男爵位をもつ商家の出で、18歳から王宮内でメイドとして働いていて、今年で7年目となる。
赤茶の髪をきっちりと編み上げて、背筋を伸ばしてしゃんとしているが、パッチリと快活そうな浅葱色の瞳には少しだけ戸惑いの色が見える。
本日は彼に呼び出された形のネリーだが、2人はこのように個人的に面と向かって話をするような間柄ではない。何度か会話をした覚えはあるが、業務に関係する事ばかりだ。
しかし、レイモンドの用件に全く心当たりがない…訳ではない。
思いが顔に出ないように、ネリーは膝に置いた手にぎゅっと力を込める。
「あの…、本日はどういったご用向きで…?」
「あ、あぁ。すまない。早急に本題に入る」
焦った様子で、レイモンドが懐から一部の冊子を取り出した。テーブルに差し出されたそれを目にしたネリーは、この呼び出しの意味を悟り、悪あがきを止めることにした。
「これは……」
「これを書いたのは、貴女で間違いないだろうか」
「……………………はい」
冊子、といっても簡素ながらきれいに製本されており、表紙には『銀髪の王子 海を渡る』とある。
ネリーは見慣れた冊子のタイトルをじっと見つめつつ、ふぅ、とため息をついた。
◇
3ヶ月程前、同僚のマリベルが見惚れる程の美貌を持つ『銀髪の騎士』について、仲間内で恋の妄想に花が咲いた。
発展する妄想を『せっかくだから本にしちゃう?』というその場のノリと勢いでしかない提案に、面白そうだと文字を起こしたのはネリーだった。
あれやこれやと飛び出してくる仲間達の妄想を、上手い具合にまとめ上げ、妄想は物語へと進化した。
ネリーによって書き上げられた冊子は『銀髪の王子シリーズ』として、恋の話に目がないメイド達を中心にあらゆる場所で回し読まれるようになる。
そのうちに写し書きをする者が現れて本が量産されることでより人の目に触れることになり、いっそう評判になっていった。
ネリーの頭に次々に思い浮かぶ続編を書けば、すぐに冊子となり同じように広まっていく。
友人達と作り上げ、ネリーが紡いだ物語は、いつの間にか城勤めの女性達の娯楽のひとつとなっていた。
「この『銀髪の王子』だが、モデルが私であるというのは本当だろうか」
「…………………はい」
「そうか…」
一呼吸おいて、レイモンドは眉根を寄せて、気まずいような視線を向けてきた。
「……実は、貴女に折り入って、頼みがあるのだ」
『銀髪の王子』などと、影で騒がれていい気はしないだろうに、彼に激昂している様子はなく、非常に冷静で紳士的だ。
悠然とした大人の余裕を感じながら、ネリーはしゃんと背筋を伸ばして、彼の言葉を待つ。
『物語を書くのを止めてくれ』それとも『主人公を変えてほしい』かもしれない。彼の申し出を予想しながら、ネリーは自然と天を仰いでいた。
何にしても、おしまいなのね………。
◇
『銀髪王子シリーズ』は、とある国の銀髪の騎士とメイドとの恋物語だ。実は彼が身分を隠した王子様で、メイドも隣国の王族だった…という突飛な夢のようなお話で、彼らを中心に巻き起こる騒動を描いた作品だ。
あくまで物語として、面白おかしく実際にあり得ないことが書かれている。この話はフィクションで、実在する人物や事象に一切関わりがございません、なのだ。
しかしそれはすべて、こちらの都合による勝手な言い分。
勝手に物語の登場人物のモデルにしたなど不快に思われても仕方がない。彼の申し出は至極当たり前の事なのだ。
ただでさえ美麗な男性として女性から注目を浴びている彼の事だ。更に人目を引くことは、高位貴族として、王族の護衛騎士として、こちらが想像できないほどの不自由があったのかもしれない。
いたたまれなくなったネリーは、まずは謝罪をとばかりに深々と頭を下げた。
「あの…。申し訳ございませんでした」
「い、いや、謝られることではない」
「いえ、ご迷惑をお掛けしたと思います。仲間内の他愛のない話から発展してしまったものですが、悪ふざけが過ぎました。まさかここまで大事になるとは思ってもみなかったのです。ですが決して、騎士様を好奇の目にさらそうなどとは…」
「あぁ、そうではない、そうではないのだ」
頭を下げたまま、矢継ぎ早に言い訳と謝罪を繰り返すネリーを宥めると、レイモンドはグッと姿勢を正して、照れくさそうにその願いを口にした。
「その……、俺に、恋の仕方をご教授いただけないだろうか?」
「は?」
◇
話は数日前にさかのぼる――――
王太子セドリックの婚約者であるアレクサンドラ・ウィルコックス侯爵令嬢、もといサンドラの王宮内の私室での話。
毎日のように行われるセドリックとサンドラの茶会の最中、使用人が集まる控えの間の扉を開けたレイモンドの目に、見慣れない光景が映った。
部屋に入ってすぐのカウチに座り、読書をしているのはサンドラ付きの侍女マリベル。
これだけなら特におかしな点はないが、問題はその隣。小柄な黒装束が彼女にぴったりと寄り添って、仲良く一冊の冊子を読んでいる。
この人物はサンドラ付きの護衛を勤める予定の女性の影、通称『影ちゃん』である。他の影達と同じように顔まで黒い薄布で覆われているため表情は読めないが、手を口に当てて食い入るように見つめている。
2人は読書に夢中で、レイモンドが入ってきた事にも気がついていない。
まったく、しょうがないな、などと考えていると、レイモンドの視界の端に異様な物体が飛び込んできた。
二度見した部屋の奥には黒装束達が4名ほど、団子のように丸く固まっていた。押し合うように顔を引っ付けて、何をしているのかと思えば彼らも読書中らしい。
女性達と同じく夢中になっているようで、ハンカチで目元を押さえつつ読んでいる者もいる。もちろん彼の顔にも薄布は掛かっているので、ハンカチは用を成さない。完全なパフォーマンスだ。
「……何を読んでいるのだ?」
「わ!」
レイモンドは満員御礼でひしめき合う影達の方ではなく、女性達の後ろからひょこっと顔を出して手元を覗き込む。冊子に集中していた女性2人は、突然の呼び掛けに声を上げる。
その瞬間、空気が震えてブゥンッと鳴ったかと思うと、彼女達の真横に影達が現れた。
マリベル側の影は彼女を頭から包み込むように抱きしめ、影ちゃん側に現れた影に至っては彼女を横抱きにして持ち上げている。
どちらの影も、レイモンドに対して抗議するように首を横に振る仕草を見せた。どうやら『近すぎ!』ということらしい。
「べ、別に深い意味はないぞ!そんなに面白いのかと思って……。す、すまなかった」
レイモンドは困り顔でしょん、と項垂れた。
単純に内容が知りたかっただけで、決して彼女達にやましい思いを抱いた訳ではないのだ。しかしその行為で、2人を驚かせてしまったことは素直に謝罪する。
同じ冊子を読んでいた影達も事情を聞くと『俺達の出番!』とばかりにジェスチャーで内容を解説してくれているが、いまいち解読できない。
あまりに懸命な彼らの様子に、レイモンドは『口頭でもいいのでは?』という至極まっとうな意見も言いづらい。
そんな正解が行方知れずのジェスチャーゲームの中、口伝んできる唯一の存在がモゾモゾと動き出した。
「あの…、女性に人気の恋愛小説です。レイモンド様のお好みの内容ではありませんが…」
ぎゅうっと抱き締める影の腕の中からようやく頭を出した状態で、マリベルが口を開いた。
彼の読み物といえば推理小説や英雄譚ばかりで、恋愛物語はあまり好まない。しかし、影達をも熱中させるその内容、気にならない訳がない。
「そうか。しかし影達もこんなに夢中になっているということは、面白いのだろう?」
「うっ、はい、いや………まぁ、はい」
珍しく言い淀むマリベルを不思議に思うレイモンドだが、影達の持っていた冊子を手にして納得の表情を見せた。
「あぁ、例の『銀髪の騎士』か」
「あ、あの、これは決して」
「わかっているさ。恋愛小説のモデルにしたぐらいでとやかく言うような狭小な男ではないよ、俺は」
自分そっくりに変装した影の甘い言動にはあれほど動揺していたじゃないか。
ジェスチャーに明け暮れていた影たちは『やーねー』とばかりにヒソヒソしつつ彼に視線を送る。
レイモンドはそんな視線をものともせず、慌てるマリベルをたしなめると、一人掛けのソファに腰を下ろして冊子を開いた。
「さて、『銀髪の騎士』殿の活躍をとくと拝見しようか――――」
◇
数時間後―――
混乱と動揺の空気が辺りを包む。
部屋の隅の方では、影達とマリベルが初めて見る友の姿に怯えて身を震わせ、互いを守るように肩を寄せあっている。
読書を終えたレイモンドは、冊子を置いたきり微動だにしない。俯いているため表情は見えないが、時折『はぁぁ…』という悩ましく妖艶なため息が聞こえる。
我々の想像を越える何かが起きている―――――傍観していた誰もがそう考えていたとき、レイモンドがようやく声を発する。
「恋とは……、よいものだな…」
(ヒッ)
うっとりとした熱のある眼差しを宙にむけ、何とも艶やかに言葉を吐くものだろうか。
影たちはみな一斉にゾワッと総毛立ち、一層ざわめきが強まっているようだ。
知らない者が見れば気だるげな美男子からの色気にヤられるのかも知れないが、いつもの彼を知る影達にしてみたら今の様子は不気味でしかない。
ここまで表情を崩さずにこらえていたマリベルも、さすがに笑顔をひきつらせる。
「こんなに素晴らしい物だとは、知らなかった……愚かな。…な、何だお前達、どうした?」
あっという間に影達が集まり彼を囲むと、レイモンドの額に手を当てたり、手首をとり脈を計ったりと、『具合が悪いに違いない』とばかりに体調のチェックを始めた。
「違う!俺は正常だぞ失礼な!」
「……では、どうしたのですか?レイモンド様が急にお変わりになったので皆心配なのです」
「うむむ……、心配しなくていい。俺は恋に目覚めたのだ、この物語は教本だ、素晴らしい」
「教……?」
教本とは?目覚めたとはなんだ?頭でも打ったのか?
目の前の男は本当にあの堅物レイモンドなのだろうか?
マリベルのツッコミが追いつかなくなるほど、彼はあの物語によって変わってしまったようだ。
レイモンドは『銀髪王子シリーズ』を軽視していた。よくある男女の恋物語だろうと期待もせずに冊子を開いた。
ところがこれが面白い。
恋愛のみならず、冒険したり推理したり、様々な問題を解決したりと、レイモンドの好む読み物の要素がたっぷりと含まれていた。人物の描写が丁寧で、すんなり物語に引き込まれていく。更に、読み手の事を考えて書かれた文章はとても見やすくて、あっという間に読み終えてしまった。
読み終えて心に残ったのは、恋愛の部分。
想いあっているのになかなか言い出せずにすれ違う2人。そこにつけこみ邪魔をする外野。起こる事件。それを乗り越えて一歩、また一歩と、昨日とは違う2人に変わっていく。
恋愛とは、人を大きく成長させるものなのだな――――
遠くを見つめて思いを馳せるレイモンドは、どうやら恋に目覚めたらしい。
◇
「―――――で、俺は気付いた。未だ恋をしたことがない、と。それどころか恋の仕方すらわからないという体たらく。ここは先生に教えを請わねばならないと思ったのだ」
「はぁ…」
思ったのだ、じゃない。
全ての話を聞いたネリーは、目の前に座る非常に残念な美形について考える。
こういう人は天から二物も三物も与えられていると思っていたけれど、そんなに上手いこといかないものなのだな、と会心した。
「どうだろう、引き受けていただけないだろうか?」
とにかく、これ以上この妙ちくりんな話に関わるのは得策ではない。恋の仕方など、こちらが逆に教えて欲しいものだ。
普通に突っぱねるくらいでは食い下がられそうなので、あちらから断りを入れるくらいのインパクトのある言葉掛けが必要だろう。
ネリーは少しだけ考えると、懇願するような彼の真っ直ぐな視線に少し罪悪感を感じながら、一つの提案をした。
「では騎士様、私の書いた物語の感想文をお書き下さい。それを拝見してから、どうするか考えますわ」
お付き合い下さりありがとうございます!
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