#3
「…男性ばかりの所に、貴女を一人きりにしておけなくて。私だとわからないようにしたつもりでしたのに…」
「いえ、お心遣いありがとうございます。サンディ様…、いえ、アレクサンドラ様がいてくださって、気持ちが楽になりました」
スコットの連行後、いつの間にか何者かの手によって、お茶の準備がなされていた。
何故かマリベルは、王太子殿下とその婚約者と向かい合い、アフタヌーンティーを頂く、という謎の事態に襲われている。
こんなこと事前に想定できるはずもなく、できるだけ平静を装ってはいるものの、ティーカップを持つ手はプルプルと小刻みに震えていた。
「それにしても、マリベルさんのご家族への愛は素晴らしいですね!私、聞いていて胸を射たれましたの」
「コールマン男爵の話は僕も聞いているよ。良い方向に向かっているようだね。ご家族の努力は本当に素晴らしい」
「お二人にそのように言って頂けるなんて…。ありがとうございます」
セドリックの婚約者であるアレクサンドラ・ウィルコックス。マリベルの側にいたサンディの正体は、周りからサンドラと呼ばれ愛されているこの公爵令嬢であった。
立ち振舞いから彼女の正体に気づいていたマリベルも、いざ正面から向かい合うと、段違いの迫力に圧倒されて、身のすくむ思いだ。しかし一方で、サンドラはマリベルを気遣い、優しく、気さくに声をかけてくれる。
高貴なオーラを纏いつつも、他者への思いやりに溢れているご令嬢。彼女が慕われる理由がとてもよくわかる気がする。
「それで、ええと…、あの…」
そわそわと落ち着かない最大の理由。
マリベルはちらりと、テーブルの横に控える人物に視線を移した。
不安そうな彼女を心配したサンドラが話し掛ける。
「この間、隣の国から頂いたお茶なのだけれど、苦手な味かしら?」
「い!……いえ、とても美味しいです」
違う、お茶の味ではない。
気になるのはそこではないのだ。
ティーカップをそっと置くと、横から人が近付く気配がした。
糊の効いた真っ白なソムリエエプロン、千鳥格子のジレに蝶ネクタイを、黒装束の上から着用した影である。
顔まで黒い薄布で覆われているため、表情を読み取ることは難しいが、テキパキとした所作でマリベルの視界に入り込み、ポットを向けてしきりに『おかわりは?』と勧めてくる。
マリベル以外、誰も不自然な様子がないのは、影による給仕が日常的に行われているからなのだろうか。
マリベルとしては、彼の全てにツッコミを入れたいところではあるが、ここで一人で荒ぶるわけにもいかない。
「では、いただきます…」
『よっしゃ!』とばかりに、ポットを抱えていそいそと側に寄ってきた。優雅さはないが、とても楽しげに、生き生きした様子でお茶を注いでくれる。
マリベルは彼の様子にどこか既視感を覚えて、ふと口を開いてしまう。
「あの、……どこかでお会いしたことはありませんか?」
そう言った後で、マリベルの血の気が引く。
エプロン影はガチンと固まってしまうし、セドリックとサンドラは顔を見合せている。
王宮の影にエラいこと聞いちゃった!
極秘の任務もあるだろうし、そんなこと答えられるわけないのに――――
マリベルが謝罪しようと姿勢を正すと、セドリックがにんまりと笑顔で訊ねてきた。
「どうして、そう思うの?」
「……どうして、ですか?」
「いや、影くんに対してそんな風に感じるのが不思議だなって」
「……そうですね…。あの、気配というか、その方が纏う空気のようなものに覚えがあるように感じました」
「じゃあ、彼は覚えてる?こないだ君を送っていったけど」
セドリックが確認するような言い方で、後ろに控えていたレイモンドを振り返ったので、マリベルもそれに合わせて彼に視線を送る。
「はい、レイモンド様のことですね。先日お話しするまでお名前を存じ上げませんでした。不勉強でお恥ずかしいです。……ん?」
凛々しい表情で、真っ直ぐに前を向く彼は、とても騎士然としていて―――――
そこでマリベルは、彼にちょっとした違和感を感じた。
「どうかした?」
「いえあの…。…今日は任務中だからでしょうか、とても勇ましい表情をされているな、と思いまして…」
「うんうん」
「先日はとてもリラックスされていて、その…」
「まるで別人みたいでしょう?」
「!」
感じた事をそのまま告げてもよいものか、言い淀んでいたマリベルは、楽しげなサンドラの言葉に眼を見開いた。
「フフ、そう感じたのではないですか?」
「……はい」
マリベルの記憶の中のレイモンドは、今ここにいるレイモンドとほぼ同じなのだ。肩幅や立ち方も、顔だって、部屋まで送ってくれた時に聞いた声だって同じに聞こえる。
しかし、マリベルのセンサーは、この2人は似ているだけで、別人だと反応している。
(あんなに瓜二つなのに、どういうこと?やっぱり幽霊!?いやいやいや)
うぬぬ、と考え込むマリベルに、セドリックが妙案を閃く。
「実際に見てもらった方が早いかもね、影くん」
セドリックに声をかけられたエプロン影が、ポットをワゴンに置いたその瞬間、彼の体が床に沈むように消えてしまった。
目の前で起きた衝撃映像に、マリベルは目をカッと見開いて固まっている。かろうじて心臓は動いているようだ。
少しの間の後に、ノックの音が部屋に響く。
「マリベルさん、お願い出来ますか?」
「……はい、かしこまりました」
サンドラに促されたマリベルが重い扉を開けると、そこに立っていたのは、部屋にいるはずのレイモンドだった。
彼が口を開くと、マリベルの記憶にある声が聞こえてきた。
「…戻ったよ、マリベル嬢。レイに見えるかな?」
◇
セドリック達の前で、くるりと回って見せたエプロン影改め影レイモンドは、マリベルに向けて嬉しそうににっこりと笑う。
夜会でマリベルが見惚れたのと同じ、慈しむような優しい微笑みだ。
どうしてこんなに笑いかけてくれるのか?
そんな自問に思い当たる答えはなく、ひとまず笑みを返す。
「頼むから、私の姿でそんな風に微笑むのはやめてくれ…」
ニコニコの影レイモンドの隣に立ち、天を仰ぐのは本物のレイモンドだ。
本物のレイモンドは王太子付の護衛騎士であった。
とても真面目でストイックな彼は、夜会など華やかな席では騎士に徹し、宴席に加わっていない。これまでマリベルの目に入ることがなかったのはそのせいだという。
(よく見ると違う…そりゃそうだけど)
こうして2人並ぶと、細かい違いが見えてきた。
本物の方が体に厚みがあり、鍛え方が異なるのか、首の筋肉がしっかりついている。影の方の声が少し高く、若い印象がある。
ただ、仕草や話し方の癖、表情の作り方はしっかり特徴を捉えていて、似せるための努力が感じられる。
「夜会の日、スコット卿の件での諜報活動のために、こちらの影さんが、レイモンドさんに変装して夜会に紛れました。マリベルさんが見かけたのはその時でしょう」
「……レイだと存在感がありすぎて、影くん達みたいな情報収集には向かないんだ。さりげなく人の輪に入ることができるように、地味すぎず派手すぎず『あんな人いたかもね』くらいの認識に落ち着くのがいいんだ」
サンドラとセドリックの説明で、マリベルは当日の事を思い出す。
少し眼を離した隙に霞のように消えたのは、影である彼がお仕事中だったから、らしい。
お化けじゃなくて本当に、本当に良かった。人知れず胸を撫で下ろす。
「――――その後、影くんがマリベル嬢の危機に気付いて、変装してることを忘れて救出した、というわけ」
ふと気付くと、わらわらと数名の黒装束達が、レイモンド達を囲んで間違い探しのようなことをしている。
指で指し示したり、手でバツ印を作ったりと、ジェスチャーを駆使している。
「マリベルさんのように、任務中の影さんに気付くのは、すごい事だと思うのですよ」
穏やかな表情ながら、身を乗り出して力説するのはサンドラだ。
影の存在は王族とその配偶者、一部の側近にのみ知らされる。
もちろん一介のメイドであるマリベルが知るはずもない。
影の存在を知らない者が、徹底的に気配を消して、目立たないように動く彼らに気づく事はあり得ない、という。
表に出ていたとはいえ、存在を溶け込ませて行動していた空気のような彼を見つけたことは、マリベルの感知能力の高さを物語っている。
「サンドラ様…お褒めの言葉をありがとうございます。影様も、お救い頂いたこと、本当に感謝しております」
「い、いやぁ…、よかった…です」
「あの日、私に手を振って下さったのも、影様なのですね?…」
「ん?」
「あら」
「それは…あの…ええと…」
ギラリと眼を光らせるセドリックとサンドラに、影レイモンドはわかりやすくアワアワと狼狽える様子を見せた。
その隣からギリギリギリギリ、と歯軋りの音がした。
「…………その通り。私はいくら魅力的な女性がいても、任務中そのようなことはしないのでな」
どうやら本物のレイモンドにとって、影レイモンドの行動や仕草は己のポリシーに反するらしい。
苛立ちは影レイモンドにむけられているが、彼はセドリック達の対応にしどろもどろの最中だ。
「影くん、『手を振った』てとこは報告になかったなぁ?どうして?」
「どなたにでもそのようにされているのですか?どうなのですか?」
確かにその理由はマリベルも気になるところだ。ウンウンと頷き、彼の発言を待つ。
楽しげな予感にニヨニヨと笑う、セドリックとサンドラの圧に負けた影レイモンドは、顔を真っ赤にしてボソボソと話し出した。
「…マリベル嬢の動きがキレイで、とってもキラキラしてて…テキパキとかっこよくって…」
「なっ……何を!?」
とんでもない爆弾が投げ込まれた。
突然始まった褒め倒しに、マリベルの顔まで赤くなる。
家族以外にそんな褒められ方をしたことがなく、どうしたらいいかわからない。
「で、こっち見てほしくって、念じてたら何度目かでバッチリ眼があってかわい……あ、いや、思わず…手、振っちゃいました」
「ほうほう!いいね!なるほどね!」
セドリックを筆頭に、わらわらやってきた影達も一緒になって、影レイモンドの独白に熱心に相槌をうっている。
『盛り上がってきた』とばかりに、とても楽しそうな顔をしていると思われる。
マリベルは既に情報過多で、オーバーヒートを起こしていた。
サンドラと一部の影達が扇であおいでいるが、一向に顔の赤みは引かず、アワアワと狼狽えるばかりだ。
影レイモンドは、普段見られないマリベルの様子に思わず『ぐふっ』とくぐもった声がでる。
両手で顔を覆い、うめき声のように呟く。
「かわいすぎて…一目惚れです…」
おお~!というどよめきが起きる。さすがの影達も、同僚の突然の告白に驚きを隠せない。
拍手をする者、口笛で囃し立てる者、手で作ったハートマークを高らかに掲げるものなど、形はそれぞれだが、影レイモンドの勇気を讃えていた。1人を除いて。
「おおおおおれの顔で一目惚れとか言って照れるのをやめろぉおおおおおお!!!」
がくりと膝から崩れ落ちたのは、本物のレイモンドだ。
彼の周りの影達は、励ましの意味を込めて、気の毒な彼の肩をポンと叩く。
ガヤガヤと騒がしい影達を他所に、セドリックとサンドラが、二人揃ってニヤリと微笑み、コソコソと密談をはじめた。
「セドリック様、お話を進めてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、得がたい人だと思う。君は決めてたんだろう?」
すすす、と近付いてきたサンドラは、マリベルの手を優しく取り、ぐっと身を寄せた。
「マリベルさん、私付きの侍女になってくださいませんか?」
◇
こうして、マリベル・コールマンは、アレクサンドラ・ウィルコックス公爵令嬢、いずれ王太子妃となる令嬢付の侍女となった。
パーラーメイドからの大出世となったマリベルに対して、同僚の中には距離を置いたり、陰口を叩く者も少なからず居た。
世知辛さに落ち込むマリベルの光となったのは、あの日創作に夢中になっていた友人達だった。
彼女達は、宿舎を移るマリベルに抱きつき、『良いネタ掴んで提供してよね!』と涙ながらに見送ってくれた。
元からいる侍女達との軋轢はないだろうかと不安に思っていたが、そちらは杞憂に終わる。
何故か皆が『年下大魔法使いと侍女の恋』『銀髪ハイスペ幼なじみの溺愛』などの本を持っていて、マリベルをニコニコ眺めてくるのだ。あれからさらに派生したのだろう。
サンドラの侍女達は所作が素晴らしく、とても勉強熱心で、マリベルもそんな彼女達に触発され、やる気に満ちている。
サンドラ付の侍女になってはじめて知ったこともある。
王族に仕える隠密、影達のこと。
主君の護衛、情報の収集など、名前の通り影で暗躍するプロフェッショナル。
任務の遂行は何よりも優先され、機械のように正確に、ストイックに、時に冷酷に、目的達成のためには手段を選ばない、クールな集団―――――
そう思っていた時期が、私にもありました…
彼らは今、春めいてきたバルコニーで鍛練の最中だ。
ベンチや植木鉢に擬態して動かない練習、他からの視線に配慮しつつ、長い時間じっと息をひそめる練習、ということだ。
マリベルが『日向ぼっこですか?』というと、影達は凄い勢いで慌てて否定する。
例え寝息が聞こえてこようとも、猫と戯れていようとも、決して日向ぼっこではない。らしい。
マリベルは1人、サンドラの私室の片付け中だ。
ふと、書類の整理の手を止め、天井の小ぶりなシャンデリアに向かって呼び掛けた。
「居るのはわかってますから出てきてください」
シャンデリアが微かに揺れて、マリベルの背後に人の気配が現れた。
「そうやってまたからかう。そんなに何度も驚きませんよ!」
マリベルが振り向くと、全身黒装束の影がいて、小さく手を振っている。
彼は、あの日マリベルに一目惚れ宣言をした影、影レイモンドだ。
幽霊話が苦手なマリベルを驚かせようと、様々なイタズラを仕掛け、彼女をよく怒らせている。
マリベルは、あれからその事に触れて来ない彼に、今日こそ言ってやろうと意気込んでいた。彼女にだって言いたいことが山のようにあるのだ。
影は会う度に手でハートマークを作って見せて来るが、彼の本来の姿できちんと気持ちを伝えてもらっていない。マリベルはそれをとてももどかしく感じていた。
「私への気持ちも、冗談でしたか?」
マリベルの真剣な問いかけに、影は飛び上がって驚愕する。
素早く彼女の側に寄り、オロオロとした様子で両手を上げしている。
小さな声で『ちがう』『あの』などと、狼狽えた影の声が漏れて聞こえてきた。
「何が違うんですか?」
マリベルの睨むような問いかけに、影はグッとたじろぐと、覚悟を決めたように彼女の耳元でヒソヒソと囁いた。
『俺はレイみたいな銀髪でもないし、凛々しくもないから…』
影の話を聞いたマリベルはきょとんとして、影の彼をまじまじと見つめる。
本棚に預けた影の背中がずるずると滑り落ち、どんよりした空気を背負いうずくまる。
影は自分の容姿に自信が持てなかった。
彼だって決して見た目は悪くないのだが、レイモンドと比べるとだいぶ普通の部類に入る。
出会いがレイモンドだっただけに、その後の自分にマリベルが落胆するのではないかと不安に考えて、はっきりと想いを伝えられないでいた。
「私の好きな人は、黒髪で、麦畑みたいな色の瞳なの」
彼の目線に合わせるようにしゃがみこんだマリベルは、何でもないことのように言う。
影はポカンと聞いていたが、確かめるように、ぺた、と自分の顔に触れる。
「私を助けて、怪我を心配して、おぶって送ってくれたのは誰ですか?」
『ま、マリベルさん?好きって?』
「私が好きになったのは、銀髪だからでも、凛々しい騎士だからでもないです。あなたの優しさに惹かれたんです」
そう言いながら、マリベルは影の顔を覆う薄布に手をかけ、ペラリと捲る。
そこには、濡れ羽色の髪と、小麦色の快活そうな瞳が現れた。
「私を見て、嬉しそうに笑ってくれるあなただから、好きになったの」
顔を真っ赤にして動揺する影に顔を寄せ、頬に触れるだけのキスをした。
「次は、貴方からしてくださいね」
既にマリベルは、影達の顔と名前を覚えていた。
影達だけではなく、王宮に居るすべての従業員の所属、特徴などを含めて把握している。侵入者の存在にいち早く気付いて対処出来るようにと、セドリックとサンドラの案によるものだ。
本来、影達の情報は機密事項となっているが、彼らの気配を感知出来るマリベルなら、知っていた方が利が多いと判断されたのだ。
マリベルは自分でもわかるくらいの顔の熱を見せないように、立ち上がり、くるりと背を向ける。
心臓が飛び出していきそうなほど、バクバクとうるさく鳴り響く。
あんなことをしておいてなんだが、彼の反応が怖くて見られない。
「マリベル!」
名前を呼ばれて振り向くと、目の前に影がいた。
優しく腕を引かれて、彼の胸に倒れ込んだ途端にふわりと体が浮き上がる。横抱きに抱き上げられているようだ。
彼の顔を見ると、幸せそうな微笑みを浮かべてマリベルを見つめている。彼女の耳元で何か囁くと、マリベルの頬の赤みが更に増した。
「は、恥ずかしい!そんな」
マリベルの言葉を遮るように、ブワッと風が巻き起こる。
風は2人をふわりと包み込んで、もろともフッと消えてしまった。
その後、戻ったマリベルは、尋常じゃなく赤い顔をしていて、周りの人間から『熱あるんじゃない?』と心配されるほどだったという。
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