#1
お越しいただきありがとうございます!
『王太子とゆかいな影たち』に関連したお話となっております
3話完結予定ですので、最後までお付き合い下さると嬉しいです
よろしくお願いいたします!
(あれ?あんな人いたかな……?)
頭に浮かんだ瞬間、その『あんな人』と目があった。気がした。
◇
王宮主催の夜会――――――
貴族子息や名だたる商家の跡取りなど、次の世代を担う若者達が一堂に会している。
家同士の繋がりを拡げようとする者、事業拡大の糸口を得ようとする者、将来の伴侶を探し求める者など、それぞれの思惑がそこかしこで蠢く『出会いの場』となっていた。
マリベル・コールマンはその会場にいた。
彼女はれっきとしたコールマン男爵家の令嬢なのだが、パーティーの参加者ではない。
「シャンパンをお持ち致しました」
「まぁ、ありがとう」
シンプルな濃紺のロングスカートに、糊の効いた真っ白なフリルのエプロンを纏い、優雅な物腰で飲み物を差し出した。
きらびやかな様相の女性達に負けないくらい、背すじをシャンと伸ばして、ゲストが快適に過ごせるようにさりげなく気を配り、あちらこちらに会場を飛び回る。
彼女は、王宮所属のパーラーメイドだった。
(あぶなかった…。目は逸らしたから大丈夫よね…?)
給仕の合間、マリベルがチラリと眼を向けたグループ。
そこでは王太子であるセドリック殿下を始め、高位貴族の子息達が談笑する『既婚者、もしくは婚約者あり』の集まりである。
必要な挨拶回りを済ませた後は、男女の出会いを求めている者の邪魔にならないように、歓談スペースにたむろしている。
(初めて見るお顔だったな…)
マリベルは、空いたグラスをトレイに乗せて片付ける合間に、先程の男性の事を思い浮かべる。
青みの強いサラサラの銀髪に、意思の強そうな深い藍色の瞳。
セドリック殿下や友人達とにこやかに談笑している、長身の男性。
50名を越える程度のパーティーだ。
参加者の名前と称号はバッチリ把握していたはずなのに、名前がでて来ないのはとても悔しい。
しかも美しい男性ゲストに見とれていたなんてはしたない。
こんなことでは、仕事第一の王宮メイド、マリベル・コールマンの名がすたる!
男爵家とは名ばかりの貧乏貴族に産まれ、いつも忙しく働く父と、それを補佐する母と兄たちの中ですくすく育ったマリベルは、貴族令嬢である自分が働く事に全く抵抗がない。
むしろ、自分の仕事に誇りを持って臨んでいるのだ。
(…あとでお名前を確認しとこ)
マリベルが再び彼に眼を向けると、彼もしっかりこちらを見ていた。完全に眼があってしまった。
顔が引きつる思いのマリベルは、このまま眼を逸らすのも失礼かと考え、小さく会釈する。
それに気づいた彼はニッコリと笑みを浮かべた。
まるで宝物を見つけたみたいな、嬉しそうな笑顔で、小さく手まで振っている。
その無邪気さに思わず見とれてしまったマリベルは、ハッと息を飲み、彼にぐるりと背を向けた。
(何あの人!何で手振るの!?)
無心を装いグラスを運ぼうとした彼女に、背後から声がかかる。
「失礼、バルコニーはどちらから出たらよいかな?」
「あ、は、はい、あちらから表に出られます。ご案内を」
「いや結構。ありがとう」
10代後半くらいの、商家の息子と子爵令嬢が仲むつまじくバルコニーへ向かう。二人きりで愛でも語り合うのだろうか、とても足早に去っていった。
(笑顔が眩しい……お幸せに…)
彼らのような、幸せな関係に憧れたこともある。
しかし、10代で結婚を決める者が大半の中、マリベルは今年で25歳。仕事に夢中になるうちに、とうに適齢期を過ぎてしまった。
このまま仕事を続けるか、せめて、家のためになる結婚ができたら――――
そんな消極的な希望を抱えて、2人を見守っていたマリベルの視線に、またしても王太子達のグループが入ってきた。
「あれ、いない…?」
無邪気な彼の姿は、何も居なかったように、跡形もなくすっかり消えていた。
◇
「いやぁー、眼福眼福!良いもん見たわぁ~」
「殿下もさすがの凛々しさだったし、周りのご令息達もいい男なんだよね~」
「サンドラ様のドレス見た?静かな色味なのにすごく華やかでさ。流石としか言えない!」
「キレイだったわ~。婚約者と対のデザインって多くなったよね!」
「今年の流行りはラメかねぇ。色はスカイブルーとグリーン系かな?いやー、楽しかった!」
夜会の仕事終わりは、使用人区画の食堂でメイド仲間と今日の感想を語らうのが最近の流れである。
どこのご令息がカッコいいだの、あそこのご令嬢のドレスがキレイだの、話好きの彼女達は止まらない。
「銀髪?セドリック殿下の近くに?いたかなぁ」
「その人の名前がどうしてもわからなくて。見てない?」
「銀髪ねぇ。護衛騎士の人でいた気がしたけど、今日いたかな?」
「うーん……。ていうか、マリベルが知らないなら、私達が覚えてるわけないんじゃない?ねぇ?」
マリベルは、昔から人の顔と名前を覚えるのが得意だった。
人物の癖や好みなども含めて覚えるため、接客やおもてなしにとても役立つ能力だ。
今の職に就いてからは、ゲストに対してその力を遺憾なく発揮して『歩く貴族名鑑』の名を欲しいままにしている。
「そうよぉ。私はむしろ、その人が気になっちゃってるマリベルが気になる~」
「んなっ!そんなんじゃないよ!名前知りたかっただけだし!」
「うーふーふーふーふー」
「春だ!マリベルに春が来た!呑むわよー!」
もう呑んでるじゃないか。
明日休みの人間達はすっかり出来上がり、既に完成されている。
マリベルが何を言っても『銀髪の護衛騎士とメイドの恋物語』の創作に夢中で取り組んでいる。
マリベル含め数名は、楽しそうな彼女達をうらやみつつ、明日の仕事に備えてぽつりぽつりと自室へ戻っていく。
「よいゆめをー!マリベル姫ぇ~!」
「みなさまぁ、お酒はほどほどになさいませよー」
物語が佳境に入り、『護衛騎士が実は王子様で、なぜか隣国の姫になったマリベルを迎えに来た』という辺りで酔っぱらい達をたしなめて、マリベルも食堂を後にした。
◇
使用人宿舎は、王宮北の庭園の裏手にある。
マリベルは通用口から外へでて、城壁側の使用人通路を北へ向かう。
雲が立ち込める夜空は暗く、辺りには人気もない。
話に花が咲いて、すっかり遅くなってしまった。
マリベルは薄暗い道を歩きつつ、『銀髪の王子』の事を考えていた。
他のメイド達は誰一人として彼が居たかどうかを覚えてない。
あんなに目立っていたのに、マリベルにしか見えていないみたいだ。そして少しの間に跡形もなく消えて……
(まさか、あの人は、ゆ、ゆ、幽霊…?なんて)
そう思った瞬間、道端の藪からガサガサッと大きな音がした。
「んぎゃあ!」
王宮メイド、男爵令嬢、うら若き乙女、どれにも当てはまらない残念な声をあげてしまった。
身をすくませたマリベルがランタンを掲げると、千鳥足の男性がよろよろと藪から出て来たのが見える。
幽霊じゃなくてよかった。マリベルが安堵していると、男性がヨロヨロと近づいて来た。
「あぁ君!ココはどこかね?部屋が見つからん!」
男性は宿泊客のようだ。
そういえば、酔いつぶれてそのまま宿泊することになった貴族がいると申し送りがあった。
モーランド伯爵家の次男スコット、28歳未婚。女癖が悪く、とにかくいい話は聞かない。
彼がどうしてこんなところにいるのか全く理解不能だが、サラはシャキッと仕事用のスイッチを入れて、対応にあたることにした。
「では私、マリベル・コールマンがご案内致します。お召し物が汚れますのでこちらからどうぞ。スコット様」
「頼む……ほぅ?」
「先導致しますので、私の後にいらして下さい」
スコット氏はマリベルの全身に視線を這わせると、口の端をニヤリと引き上げた。
ねっとりとした眼差しに嫌なものを感じたマリベルだったが、お仕着せ姿の自分が彼をこのまま放置するわけにもいかない。
襲われないように背後に神経を集中させて、来客用の部屋がある棟へと急いだ。
◇
建物に入ると、廊下の火はあらかた落とされていた。
マリベルの持つ灯りが、辺りにじんわりと反射する。
そのまま廊下を進み、彼の部屋の前に到着すると、マリベルがドアから大きく一歩後退し、お辞儀をした。
「こちらでございます。どうぞごゆっくりお休みください」
「いやぁ助かった。ありがとう!お礼といってはなんだが、どう?…うまい酒があるんだけど?」
スコットがニヤニヤと下品な笑みで、マリベルの体を見定めるような視線を送ってくる。
あからさまな『誘い』に、内心げんなりするが、相手は酔っぱらい。
ここはさらりとかわそう。マリベルはもう一度、彼に向かって深いお辞儀をした。
「業務に差し障りますので。失礼致し…!」
「少しくらいいいだろ?」
スコットはマリベルの手首をグイと掴み、引き寄せようと力を込めた。
衝撃でランタンの炎が消え、闇が強くなる。
「……おやめください、人を呼びます」
「使用人はおとなしく言うことを聞いたほうがいい、私が来いと言っ、いたっ」
突然、スコットが自分の手を押さえてこちらを睨む。
マリベルは何が起きたのか全くわからない。呆気にとられていると、彼が大きな声でわめき出した。
「この!メイドの分際で私の手を弾くといったっ、痛い痛い」
今度は体をあちこちおさえ出す。
よく見ると、なにやら豆のような物が当たっているようで、パチン、パチンと音がする。
「くそッ!!やめろっ!この女ぁ!」
(殴られる!)
振り上げられた腕に、マリベルが身構えた瞬間、全く想像していなかった事が起きた。
どこからともなく、にょきっと人がわいて出てきたのだ。
◇
雲が晴れて、窓から入る月明かりが辺りをやんわりと照らしていく。
突然表れた人影は、2人のちょうど間のスペースに、マリベルに背を向ける形で立っていた。ぼんやりと見える体格から青年だと思われる。
足音などしなかった。近づいてくる気配すらもない。
『湧いてきた』や『はえてきた』といった表現がふさわしい。
マリベルも、先ほどまで激昂していたスコットも、驚いて尻餅をつき、その人物をただポカンと見上げている。
青年はしゃがみこむと、スコットに向けてス、と指を差し、そのまま部屋のドアに向けて指をスライドさせた。
『お前は部屋に戻れ』といっているようなジェスチャーだ。
「はぁ!?なんだお……まえ…」
スコットの怒鳴り声が尻窄みになっていく。恐怖におののいて、顔色が非常に悪い。
青年は同じジェスチャーを繰り返しているが、背中側のマリベルから彼の表情まではわからない。
「しぃ、しつれいする!」
スコットは立ち上がることなく、シャカシャカと四つん這いで部屋のドアに向かう。
いつの間にか先回りしていた青年が、部屋のドアを開けて『どうぞ?』と言わんばかりのジェスチャーで入室を促した。
「ひいぃ!」
スコットは腰が抜けたのか、地に這う虫のような姿で部屋に戻っていった。
青年はランタンに火を入れ、マリベルの横に置いた。
マリベルはしばらくポカンとそれを眺めていたが、助けられたことに気づいて声を掛けた。
「あ、助けて頂き、ありが…」
ここで初めて青年の顔を見たマリベルは息をのむ。
心配そうな顔でマリベルの表情をうかがっているのが、幽霊疑惑真っ只中の銀髪の青年だったからである。
「出たッ!」
思わず口に出してしまったマリベルは、慌てて両手で口を押さえた。とっさの事とは言え声を出すなど、まだまだ修行が足りない。
銀髪の青年はひどく怪訝な表情を浮かべて、首を傾げている。
「あ、ありがとうございます。助けて頂いて…」
マリベルの言葉に、青年はウンウンと頷いた。
かろうじてお礼の言葉を伝えられてよかった。実体はありそうだし、とりあえず幽霊ではなさそうだ。
青年は立ち上がると、マリベルに向かって手を差し出した。
彼の手に自分の手を重ねようとしたときに、手首が赤くなっているのに気付く。先ほど掴まれたときに出来たのだろう、
(しばらく消えなさそう……)
包帯をすると目立つし、何より給仕の時にゲストが落ち着かないだろう。
小さく息をつき、マリベルが立ち上がろうとすると、青年がそれを制止した。
優しく握った手はそのままに、もう片方の手でポケットをまさぐり、小さな平たい缶を取り出した。
(何かしら?軟膏ケース?)
缶の中身は半透明の軟膏だった。
青年はマリベルの手首を指して、薬を塗る仕草をした。
どうやら『これを塗っておけ』ということらしい。
マリベルは缶を受け取り、患部に塗り込んだ。
缶を返そうとすると彼に止められる。缶ごとくれるようだ。
「何から何まで、ありがとうございます…」
青年はニッコリ微笑むと、胸に手を当て軽くお辞儀をした。
『どういたしまして』と言おうとしているのがわかる。
(やっぱり)
マリベルは、先ほどから感じていた違和感を口にした。
「あの、……お声が…、何かご不便がございましたか?」
彼は夜会で友人達と談笑していたのだ。話ができない訳ではないだろう。
それなのになぜか、ここに現れてからは言葉の全てがジェスチャーかハンドサインとなっている。
(声が出ないなんて、お部屋が乾燥して喉がやられたとか、お話のしすぎで声枯れしてしまったとか…?)
ゲストに不自由な思いをさせてはならない。自分に出来ることはないか?そう考えての問いかけだった。
青年はしばらくの間、目を丸くして固まっていた。
そのうちに、何かを確かめるかのように顔をベタベタと触りはじめた。自分の格好を見渡すように首を動かしたあと、額に手を当てて再び固まった。
(何か悪いことを言ってしまったのかしら…?)
マリベルが不安になっていると、それに気づいた青年が、気まずそうに咳払いをした。おもむろに喉を摘まむように押さえながら、声を出す。
やはり喉の調子が悪いのだろうか、彼に無理をさせてしまったようで、マリベルは申し訳ない気持ちになる。
「……あ、あ、あー。んん゛っ。…大丈……いや、問題ない」
「はい…」
「部屋まで送る。立てるか?」
「ええと……」
差し出された手を支えに立ち上がろうとするが、足に力が入らない。スコットと同様に、マリベルの腰も抜けてしまっているようだ。
それを見た銀髪の彼は、屈んでマリベルに背中を向ける。どうあっても部屋に連れていってくれるらしい。
「……居心地は悪いかもしれないが、少しの間我慢してくれ。」
「い、いけません!少し休めば動けますから!」
「置いて行けない。抱きあげるよりはいいでしょう?」
「抱き……!」
「ほら、大丈夫だから」
いい顔の男からの『抱きあげる』という言葉の破壊力よ。
白旗をあげたマリベルは、大人しく彼に背負われるのだった。
◇
銀髪の青年の背に負われ、使用人通路を北へ向かう。
マリベルに気を遣い、衝撃が少ないように歩みを進めているのがわかる。
「お薬まで頂いた上に、お客様にこんなことを…」
「いや、おれンン゛っ!……私は客じゃない。騎士だ」
「まぁ!…大変な失礼を致しました。申し訳ございません…」
「い、いや!そんな!……普段はあまり表に出ることがないので…気にしないで、…くれ…」
「お気遣い、ありがとうございます」
慌てると、騎士然とした堅い話し方が砕ける。
触れれば切れそうな、刃物みたいな彼の雰囲気が、フワリと軟らかいものに変わっていた。
マリベルはここでようやく、これまでの緊張から解放されたと実感したのだった。
「もう、ここで大丈夫です。ありがとうございます」
「では、私はこれで」
「あ、お待ちください!」
宿舎に到着して、早々に立ち去ろうとする彼を引き留めたマリベルは、エプロンの隠しポケットから、包み紙にくるまれた飴を差し出した。
「これ……薬が練り込まれた飴です。少し苦味がありますが、喉がとても楽になるので」
「……あ、え?…あ、ありがと…」
銀髪の青年はポカンと呆けたように手渡された飴を見つめていた。そこにいたのは勇ましい騎士ではなく、突然の贈り物に戸惑う、純朴な青年だった。
彼の飾らない素直な言葉と、先程までのキリッとした様子とのギャップに、マリベルの胸の奥がキュッと締められる。
「で、では、失礼致します!ありがとうございました!」
急に気恥ずかしくなったマリベルは、挨拶もそこそこに、逃げるように宿舎に帰っていった。
ご覧いただきありがとうございました!
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