暗黒時代その2
私の中学時代は暗黒だ。あんなに荒んだ学級があっていいのかと思う位、ぶっとんでいた。
「ねぇ、姫月?どうしたの……」
「主犯はあんたか?」
「えっ」
姫月は宗像さんの首元をバッと手で掴むようにして後ろの黒板まで引きずって押し付けた。
「嘲笑ったのはこの口か?海凪を馬鹿にしたのはこの声か?」
いきなりの展開に、どうしたものかと様子を窺う。最早、クラスメイト達はモブ化し、誰も口を挟まない。宗像さんの側仕えみたいな子達も助ける勇気は無いらしい。
「二度と海凪を見下さない様に、潰してやるよ」
囁く声は単調だ。その様子から本当にやりかねないと思わせる位、怒りを纏っている。
「──ストップ。姫月、それ以上やったら死んじゃう」
その怒りを鎮めたのは透花。やっと介入出来ると思ったのだろう。元カレの透花なら姫月も耳を貸す筈だ。
「死んで当然じゃねぇの?こんなクズ」
「犯罪になっちゃうから」
「あ、それもそっか」
パッと手を離し、姫月は宗像さんを解放した。もう少しで窒息してしまいそうだった宗像さんはえげつない位、咳き込んでいる。
「海凪」
私に近付いてきた姫月から側仕えの子達がさっと距離を取った。自分達は関係ないみたいな表情をしながら。
「あの子達に付けられたの?その傷」
「違うよ。これは家の問題で」
「そっか。良かった……」
「ありがとね、姫月」
「当然の事をしたまでだよ。海凪を見世物みたいにしやがって」
「……あの、姫月……」
「どっか痛い?あ、胸?」
「いや、精神的なものは無いんだけど……。姫月って男子だったの?」
私の質問に皆がキョトンとした顔を浮かべた。
何かまずい事を聞いてしまっただろうか。それとも、これは差別に分類されるやつなのか?姫月もぽかんとしているし。
「あ、ごめん……。聞いちゃダメだった……?」
「ふっ……」
口を手で抑えながら思い切り笑っている透花が目に付いた。やはり何かまずいのだろうか。
「海凪……知らなかったっけ?」
「えっ……」
「あたしは男の子だよ」
「……娘?」
「そっちじゃなくて、男子の方。まぁ、時々、男の娘になる事もあるけど……」
知らなかった。というより、皆が知っていた事にビックリだ。という事は先生も知っているのだろうか。
「そういえば、海凪ってよく欠席してたもんね。知らなくても当然か」
「ごめん……」
「謝る事ないよ。あたしも説明不足だったし」
……ん?あれ……そしたら、透花との関係は……。
「いつまで笑ってんだよ、透花」
「いや……ごめ……ふふ……」
ツボったな。
「……嫌いになった?」
「何故?」
「……偏見もあるしね……」
「無いよ。好きな様に生きれば良いと思うし」
「ほんと!?」
「うん。可愛いのもかっこいいのもどっちも姫月だよ」
そう伝えると、姫月の表情がとても明るくなり、満面の笑みを見せてくれた。
「ありがとう、海凪」
何より、私に声を掛けてくれて嬉しかったんだ。一緒に行こうって誘ってくれて、惹かれたのは私の方だ。
朝の事態はなんとか収束し、普通に下校の時刻となった。
私は姫月と一緒に帰る事となり、話しながら昇降口へと向かっていた。
「……調子に乗んなや」
トンッ──
階段を降りていた矢先、姫月が転がり落ちた。冷たい床にドンッと身体を打ち付けていた。
「姫月……!」
すぐに駆け寄り、姫月を支え起こす。
「痛った……」
「骨折った?」
「いや、そこまでじゃない……」
幸い、短い階段だったから落差はそんなにでも無かったが、不意に落ちて打ち所が悪ければ大問題だ。
「保健室行こう。歩けそう?」
「うん。ありがと、海凪」
保健室に近い階段で助かった。そしてまた保健医は不在だ。
「肋は?」
「そこも平気……。足、触って」
「ここ?」
「痛っ……!」
「これ、捻挫かな」
「多分……捻った……」
「湿布あるかな」
棚とか鍵が掛かっていなかったので適当に探して、湿布とテーピングのテープを取った。
「湿布貼って包帯巻いた方が良いか」
「海凪と一緒になるね」
「おぉ、ほんとだ」
包帯も棚から出して用意しておく。湿布は貼るのが苦手だ。
「この辺?」
「うん、そこ……。冷た……」
「包帯を巻くのはお手の物だよ」
「自嘲気味だけど」
「かっこ笑って付けてある」
「笑笑」
何かもうおかしくなって笑いながら包帯を巻いた。昨日は私が透花に巻いて貰って、今日は私が姫月の包帯を巻くなんて、夢にも思わなかったな。
「失礼するぞ」
ノックと同時に、男子生徒を捕獲してきたらしい透花が入ってきた。
「透花?」
「こいつ、姫月を突き落とした犯人」
トンっと前に突き出されたのはあまり知らない生徒だった。
「誰?」
「1組の杉矢」
私と姫月は2組で透花は3組だ。私に至っては関わった事のない生徒だと思う。
「関わりないけど」
「さっき丁度お前ら見かけて、声掛けようとした時、こいつがすれ違い様に姫月の事押したんだよ。見ちゃったもんね」
「なんであたしを?」
「さぁ?吐かないなら、吐くまでボコろうホトトギス」
「ひっ」
拳を上げた透花にビビりながら、杉矢という生徒は正座しながら姫月に向き合った。
「ちょっとイライラしてて……。男が可愛いとか見てらんなくて……。落ちただけなら大層な傷にはならないだろうって……」
「お前、馬鹿だろ。それでも怪我すんだよ」
半ばキレている透花が杉矢を見下すように言い放つ。
「存在が鬱陶しかったんだよ!」
本音が出たところで透花が無傷で帰す訳が無い。
「お前の方が鬱陶しい」
「透花……!」
止めるまでもなく、透花は杉矢を連れて出ていってしまった。何をするのかも想像するだけで怖い。
「大丈夫かな……」
「生きてるだけで幸せってね。せめて、半殺し程度かな」
「……姫月、透花と付き合ってたんだよね……?」
「聞いたんだ?」
「うん」
「あたしね、女の子も男の子も好きなんだ。透花から告白された時はどうしようか迷ったんだけど、男でも良いって言ってくれたから。それだけで嬉しいんだ」
「そうなんだ」
「でも、別れちゃった。あたしが他の男子といるのが気に入らなかったのかな」
「独占欲強そうだもんね」
「それな」
姫月の手当も終わり、結局透花が戻ってくる事は無かった。
「歩けそう?」
「うん。これ位なら大丈夫」
「透花はもう帰ったかな」
「連絡無いって事は解決したんじゃない?うちらも帰ろ」
「うん」
校内にはもう生徒は残っておらず静寂に包まれていた。
夕陽に照らされながら私と姫月は校舎を背にして、土曜日の事を打ち合わせしながら帰路に着いた。
この頃から姫月と透花との関係が築かれていった。
コスプレ喫茶には何故か透花も付いてきて、三人で満喫した。それからも三人一緒に過ごす事が多くなり、卒業するまでには親友みたいな深い関係性が出来上がっていた。
私は私立の女子校を希望したのだが、頭が足りず仕方なく透花と姫月と一緒の公立高校へと進学した。中学から近い高校だったので顔馴染みの子達も多数見られた。また荒れたら悲惨だな、などと考えていたがクラスは被らなかったので一安心だ。違う中学から来た子達も混ざって結構わちゃわちゃした雰囲気だったけど、慣れてしまえば悪くない。私は二組で姫月と透花は三組だった。そしてここから高校時代の幕が上がる。