ほんの小さなデモに過ぎない。
「意外と似合ってんじゃん」
私の男装を見に透花がクラスに現れた。姫月の方も囲まれていて賛辞を受けている。
「いいなぁ、みーちゃん。あたしも着たい」
「凛都も似合いそうだね」
「うん」
「あ、透花。今日、千歳くんて休み?」
「あぁ…。体調不良だってさ」
「そっか」
「会いたかったか?」
「えっ、まぁ…」
稀のお言葉が頭を過る。本当に千歳くんなのか、酷似した別人ではないのか。直接会って話すにもいきなりは難しい。
「あいつ、偶に休むことあってさ。体調崩しやすいんじゃね?」
だから認知度も低かったのだろうか…。
透花は目立ち過ぎる傾向があるから名が知れるのも分かるけど。
「あ、そうだ。海凪、今日オレん家来て」
「勉強?」
「いや…。妹に逢って欲しくて…」
「…うん、分かった」
「今日は少し機嫌が良いみたいだからさ」
「何話せばいいのかな…」
「学校の事でも全然構わねぇから」
「いいんだ…?」
「気にはしないっぽい」
「…努力する」
「サンキュ」
初めて会う透花の妹。今から緊張してきた。
「ねぇ、みーちゃん。今日はその恰好のまま過ごすの?」
「そうだよ」
「格好いいねぇ」
「応援団長みたいだな」
透花と凛都に褒められ、交換して良かったと我ながらに思う。
姫月も嬉々とした表情で何よりだ。
このまま何事もなく一日が過ぎると思っていた。
事件が起きたのは昼休みが終わる少し前。
凛都と話していた時、他クラスの子達が慌てながら教室に駆け込んできた。
「海凪さん、大変!早く来て」
バタバタと連れ出され、やってきたのは三年生の教室。
先輩たちとは関わりが無い筈なんだが…。
近付くにつれて喧騒が激しくなってきた。
「何があったの?」
私が聞いたのと同時に手前のクラスから三年生と思われる男子生徒が吹っ飛んできた。廊下の壁にぶつかって気絶している。それ以前にかなりボコられていて痛そうだなと他人事のように溜息をついた。
「――あれ?海凪、何してんの?」
ゆっくりと出てきたのは、所々に血が飛び散っている透花だった。
先程の彼は透花にやられたのだろうか。
「大変だって連れてこられて…」
「そうなんだよ。姫月が三年に絡まれて酷い事されたみたいだから、オレが助けに来たって訳」
「姫月は…?」
「海凪…」
後ろからか細い声で呼ばれ、振り向くと制服を脱がされた姫月の姿があった。綺麗な身体に痣がいくつもついており、顔にも殴られたらしい傷がある。
「姫月…」
「ごめんなさい…。折角…海凪が制服貸してくれたのに…。汚してしまって…」
「いいよそんなの。姫月の方が酷い怪我…」
「…からかわれただけよ…。男のクセに女の制服着て…頭おかしいって…。本当に男か脱がして確かめてやるって無理矢理…」
「最低…。誰にやられたの?」
「透花が…ぶっ飛ばしてくれたから…」
「とりあえず保健室に…」
ドンっと物凄い音が響き、皆の視線が教室内に集中した。
学年でも体格の良い男子が透花に背負い投げされたらしい。近くの生徒達の話声が鮮明に聞こえてくる。
「透花…」
息を切らせながら透花は刺す様な視線を周りに向けた。
「あと…誰だっけ…?姫月の事、傷付けた奴…」
「もういいでしょ…!下級生が暴れないでよ!」
派手な身形をしている女子生徒が止めようとした。でもそんなことで透花の怒りが収まる筈がない。
「姫月!誰にやられたのか教えて」
「…透花…」
「もう二度と近付けない様にしてやる」
「…いい…。もういいよ、透花」
「なんで?お前だけ傷付くのはおかしいだろ」
「だって…そんなこと言ったら…全員だよ。誰も助けてくれなかった…。皆笑って愉しんでた…。女子にも手、あげるの?」
「当然だ。女だから殴られないってタカ括ってる奴はオレがぶっ飛ばす」
「―――そこまでにしておきな」
仲裁に現れたのは保健医の柊先生だ。誰かが呼びに行ったのか。いつもの柔らかな雰囲気とは違い、冷たい視線が怖かった。
「野放しにしておくのか?」
「担任には知らせてある。厳重注意で済めばいいけどね」
「そんなんじゃ反省しないだろ!」
「お前が暴れた所で解決には至らない。許せないのは分かるけど、問題行動に繋がる事は避けた方が良い」
強く叱られ、透花は押し黙った。
普段、穏やかな人が怒るとこうも怖いものなんだなと改めて感じる。
「鴫野。お前は保健室に来い。吉原も制服洗え」
「はい…」
私はその辺に脱ぎ捨てられた自分の制服を回収し、姫月を支え起こした。
「人を嘲笑うのも大概にしろよ、ガキども」
柊先生は吐き捨てる様に言い放ち、私達を連れて保健室へと向かった。
生徒達は呆然としていたらしく、その三年の担任が来るまで立ち尽くしていたらしい。透花もどうにか怒りを抑えて自分のクラスに戻ったそうだ。
「姫月、ごめん…。私が交換しようなんて言ったから…」
「海凪の所為じゃないって。浮かれたあたしも駄目だったのよ」
保健室に着くと柊先生は姫月の手当を始めた。私の制服は洗濯機に放られ、物凄い音を立てながら洗われている。
「身体、見られただけ?」
「……触られた…。押し倒されて…っ…」
「強姦された?」
「あっ…ち、違う‥‥。そこまではされてない…」
「相当揉み合ったかしないと痣には至らない」
「…あ…足…拡げられそうになって…嫌だって抵抗したら顔打たれて…無理矢理押さえつけられて……みんなに見られ…」
「…分かった」
姫月は柊先生に抱きしめられ、その胸の中で泣いた。
透花が手を出さなかったら私が殴っていただろう。私なら女だろうが構わず殴れる。あいつらは性別を武器に酷い事が出来る人間だ。いくら男が怒ったって女に手を上げるには躊躇いが生じる。その上、親に報告なんてされたら堪ったものじゃない。親は部外者のクセして自分の子どもの非を必死に否定する。他人の子を悪者にしながら。まぁ、誰だって自分の子が可愛いか。
「吉原。洗濯終わってるぞ」
「えっ」
いつの間にか騒音は消えていて乾燥まで終わっていたらしい。
私は制服を取り出し、邪魔にならない場所に干させて貰った。特に目立つ汚れも無く、洗濯だけで済んで良かった。
「ごめんなさい、先生…。服、汚した…」
「白衣だから平気。もいいの?まだ泣いていいよ」
「いえ…。落ち着きました」
「そう」
姫月は紅く腫れた目を洗う為、手洗いへと向かった。
柊先生は白衣を脱ぎ、洗濯機へと放り込んだ。
「うまくいかないもんだね」
「えっ」
「みな平等だって聞こえは良いけど、言いたいだけ。本当に平等なら他人を妬まないし、蔑んだりしない。自我は面倒だよ」
「まぁ…そうですね」
「男も女も同じ人間なのに、服装が違うだけで叩かれるとか意味不明だし。周知の問題もあるんだろうけど、性別だけで判断はしてほしくないね」
「理解出来ない人間には一生無理な話じゃないですか?男はカッコいい、女は可愛い。それを逆にしたら変な目で見てくる。だから酷い事も出来る」
「吉原も辛い経験あるの?」
「つい最近。強姦されたって言いましたっけ?」
「あぁ。恵海と話してたやつか。それにしては切り替え早いね」
「いちいち気にしてたらバカになるんで。傷付かない訳じゃないけど、許せない気持ちの方が大きい。殺したい位憎いですよ」
「じゃあ、殺しちゃえばいいんじゃない?」
「…えっ」
にっこりと透花みたいな事を言う柊先生に私はゾクッとした。
「犯罪にはしたくないというか…」
「事故死とか自殺に追い込むとかやり方なんて沢山あるよ」
「…先生、その…専門の方ですか…?」
「違う違う。こういう職業だからさ、生徒の悩みとか結構聞く訳。その度に思うんだよ。殺しちゃえばいっそ楽になるんじゃないかって」
「その言い方だと…前科があるみたいに聞こえるんですが…」
「頭の中ではいくらでも殺せるじゃん。想像して成し遂げられる妄想が出来上がるとスッキリするんだよ」
「あ、なんだ…。妄想の話ですか」
「まぁ、実際人を手に掛けても法律には反してないというか」
「犯罪ですよ」
「倫理観の問題かな。それはダメだって人間としての共有事項だ。だから更生させようとする」
姫月が戻って着た。私と先生の話を気にするでもなく、静かに椅子に腰を下ろす。
「姫月…喉平気?」
「ん…。普通に話せるよ」
「良かった…」
「お前ら、教室戻る気力無いだろ。休みがてら、オレの話でも聞いてくれる?」
私と姫月は同時に頷いた。
「オレさ、学生の頃…椎名先生と付き合ってたんだ」
いきなりのカミングアウトに私も姫月も反応が出来なかった。
「共学の公立校で、出逢ったのも高校なんだけどお互い惹かれ合って想いを遂げた。公には秘密にしててバレる心配も無かったんだけど。同じクラスにゲイの子がいてね。その子は仲間内にしかゲイだって話してなかったんだけど、信頼してた奴にバラされてクラスから追いやられた」
…あれ…。その話…聞き覚えが…。
「オレらは気にするなって言ったんだけど、駄目だった。救えなかった。その子は自宅の風呂場で手首掻っ捌いて死んだ。守ってやれなかったんだ。後から親が出張ってきて、誰があの子を殺したんだって泣きながら訴えてたよ。当然、犯人はあいつだってバラした子が責められて、その子も味方を失って学校の屋上から飛び降りた」
以前、椎名先生が話していたのはその子の事だったのか。
「でも、その子…眠り姫だって…」
「あれ?知ってた?」
「椎名先生からお聞きしました」
「そっか」
「昏睡状態って事ですか?」
「そうだね。もう何年も経つのに、未だに目覚めない」
「脳死…?」
「心臓はまだ動いてるみたいだから家族は認めたくないらしい」
「そういう時に安楽死があれば楽ですよね」
「色々…かな。それだって人殺しになりかねない」
「…眠らせてあげるだけなのに…」
「今更嘆いたって過去には戻れないしね」
知識が豊富になり過ぎた故の禁断処置。安らかに眠れという暗示をかけ、死に誘う。
生きている意思さえ無いのなら無に帰してあげた方が精神も楽になるのではないか…。
「これは示唆じゃないからね」
「えっ」
「いや…。吉原は人の死に興味がありそうな感じしたから」
「ありますよ。生きてる以上死は付き物だ」
「そうだね。でも、犯罪には手を貸さないように」
「はい」
途中まではこちら側に引き込めるかと思っていたけど、意外と線引きはするんだな。
優しいからって懐いたら痛い目みそうだ。
「入りますよ」
静かに扉を開けて入室してきたのは椎名先生と夏目先生だった。二人が来たということは自習になっているんだろう。
「鴫野さん。具合はどうですか?」
儚げな雰囲気を纏いながら夏目先生が聞いた。
「少しは…落ち着きました」
「そうですか」
「まだダメージ癒えないだろ。夏目にケアしてもらえ」
「ちょっと、椎名先生…?」
「夏目も似たような経験してるからな」
バシっと夏目先生が椎名先生の背中を思い切り叩いた。かなり痛そうな音がしたけど、大丈夫かな…。
「痛っ…。手加減ねぇな」
「人の苦痛を勝手に暴露しないで下さい」
「悪かったよ…」
「もう、椎名先生はこっち!」
見兼ねた柊先生が半ば強引に椎名先生を連れ出した。
「鴫野さん」
「はい…」
「私も学生の頃に酷い事をされました。それはもうエゲつない程に…。だから、抱えているものがまだあるなら打ち明けて下さい」
「…でも…」
「私は偏見も差別も致しません。鴫野さん個人を尊重します」
澄んだ瞳に偽りがない事を伝えられる。
姫月は不安である事をすべて夏目先生に打ち明けた。
私は、何も助言すら出来ないまま、聞いている事しか出来なかった。