第四話 「後悔と死」
Prologue 2
「ラベル君、ぼくは英雄になるよ」
崩壊した故郷を眺め、幼馴染の女の子はそんなことを呟いていた。
「目に入る人を全部守り切れるような、そんな英雄に」
腰まで伸びた長髪が朝焼けに照らされ、そよ風に揺らされている。
白銀の毛先は極彩に淡く光り、その姿はまるで神話の一ページ。女神そのもののようだ。
その奥から覗く琥珀色の瞳は、まっすぐ、遠くの何かを見つめているようだった。
「君は、これからどうしたい?」
幼かった頃の俺は、幼馴染の女の子が自分の前から消えてしまうのではないかと、不安になって。
「だったら僕は、リュナ姉を守れるくらい強くなる。
そうしたら、誰も泣かなくて済むでしょ?」
そんな強がりを、彼女の半歩後ろから呟いたのだった。
自分で吐いたその言葉が、自分自身にとっての呪いになるとも知らずに。
◇◆◇
思えば、後悔ばかりの人生だった。
力のないただの子供だった俺は、崩壊する故郷を、友人を、大切な人たちを、守ることができなかった。
いつか勇者になるだなんて馬鹿な夢を、心の底から応援してくれていたであろう両親の死体を見ることも叶わなかった。
幼なじみの隣に立って、彼女を守る。
思わず口に出した分不相応な願いは、現実と才能という壁に押しつぶされて……。
何を生み出すこともなかった。
誰を助けることもなかった。
自分だけが自堕落に生きていければいいと、そう思っていた。
新しく故郷と決めたこの街で、死んだように平穏に生きていければいいと思っていた。
――だからこれは、そんな怠惰を極めた俺に。
天上に御座すという始祖が与えた罰なのだろうか。
「……あ、あぁっ」
目の前に横たわる「それ」に、俺は手を触れた。
きめ細やかな白い肌、金髪に染めた分厚めのツインテール。
いつも煩くて口喧嘩じゃ敵わなかった。十八歳も年下の、妹のように思っていた彼女。
受付嬢ライカの死体が、崩壊したギルド本部の脇に横たわっていた。
俺が街に降りてきたときには、すでに絶望は通りすぎた後だった。
豪雨に叩きつけられる街は、まるでその雨に押しつぶされたかのように、その景観の全てが失われていた。
ダンジョンからギルド本部までの短い道のりの中で目に付く、死体、死体、死体の数々。
すぐに悟った。これはかの魔災害の影響だと。
魔災害から生まれ落ちた怪物、魔害獣による蹂躙があったのだと。
転がる死体の中には、名のある冒険者の姿もあった。
剣や杖を持ち抵抗しようとしたのだろう、そういう死体がいくつもある。
死体だけではない。剣が握られた右腕や、盾が握られた左腕、ブーツを履いていたのであろう右足など、食い千切られた後の肉片も至るところに転がっていた。
魔害獣は人族が放つ魔力を識別しているという。
つまり、魔害獣があらわれた時点で、人族は隠れてやり過ごすことなどできないのだ。
以前、各地域で地下施設を造る計画が進められていたが、途中で中止になった。
そのうちの一つが運悪く魔災害に遭い、建造途中の地下施設に逃げた人たちも残らずあっという間に食い殺されたからだ。
いくら出入口を硬度な魔石で作ったり、結界を展開したりしたとしても
奴らはあらゆる手段を用いて侵入する。
あるときは小型の幼体が、人に張り付いたまま侵入することもある。
あるときは物理的に破壊活動を行う。それも、かなりの短時間で。
地下施設では、勇者が来るまでの時間稼ぎにすらならなかったのだ。
生き延びる手段の中で最も有効なのは、勇者とその兵士たちが到着するまで、できるだけ人口が少ない遠くの場所へと逃げることだ。
俺は思った。
ライカは……あの気怠そうな妹分は逃げることができたのだろうか、と。
可能性は低いと思った。けれど、確認しないわけにはいかないとも思った。
そうして辿りついたギルド本部前で、ライカは死体になって転がっていたのだ。
「あ、あ、あぁぁ……」
ライカは腰から下が消失していた。
下腹部から血と臓物が零れ落ち、土に泥濘を作り出していた。
泥濘は大きく広がり、ライカの鮮血はすでに建物の形を成していないギルドの壁にまで付着していた。
ライカの腹は、砲弾で穿たれたように破裂したのだと、そのとき理解した。
見れば土の泥濘に、ライカの鮮血とは「別のもの」が混じっていることに気付く。
「お、う、え……お、おぇぇぇぇえっ!」
彼女の死体を汚すまいと我慢していたが、思わず我慢できずに吐き出した。
我慢など、できるわけがなかった。
俺は、その「別のもの」が何なのかを、知っていたから。
――魔害獣。それは黒き稲妻と共に現れ災厄を連れて来る、人族の敵。
彼らが犯し、喰らうのは、人族のみである。
……そう、彼らは「犯し」喰らうのだ。
彼らは人族を喰らうが、人族のメスにあたる個体には卵を産み付ける。
卵はものの数分で成長し、宿主の下腹部を突き破りながら、害獣の体液を撒き散らして、新たな魔害獣は地を闊歩する。
つまり、目の前の少女は、妹のように思っていた受付嬢の少女は。
命を奪われただけでは飽き足らず、誇りも矜持も奪われて、心もズタズタになるほど犯されたのだ。
「は……はは、あはは……」
俺はこのとき、真なる絶望は乾いた笑みを引き起こすのだと知った。
◇◆◇
俺はしばらくの間、ライカを抱き締めていた。
上半身だけになったライカは軽く、時間が過ぎるほどに冷たくなっていった。
血と雨でぬかるんだ土で服は汚れたが、気にも留まらなかった。
「ライカ……」
確かに口うるさい子ではあった。しかし、最初からそうであったわけではない。
俺が二十五歳の頃――七歳の頃のライカは、どちらかと言えば人見知りな方だった。
母親やギルド長である父親の影に隠れようとするような子だった。
思春期に入ってからはちょっとグレていたが。
それでも、俺が冒険から帰ってきたときには「お疲れ様」と声を掛けてくれるような、優しい子だった。
ライカの死体の横には、「てばやきクン」と印字された袋が倒れていた。
ライカはパシりになどされるような性格ではない。
おそらく、自分の意思で、ライカ自身の厚意で、夜勤の先輩職員たちに届けようと思ったのだろう。
少なくとも、こんな風に犯され、無残に死んでいいような子じゃなかった。
「……なんで、おれだけ」
生き残ってしまったのだろうか。
子供の頃、故郷を襲った魔災害でも生き残った。
多方面に天才的であった幼馴染のリュナは別として、こんな凡人で、何を成すことも出来ぬ男が、なぜ生き残ってしまったのだろうか。
魔災害は殺す者を選ばない。
いや、魔災害だけではない。この世にあるあらゆる理不尽は、善人も悪人も選ばず、ただそこに在るという理由だけで人々を蹂躙していく。
そんなことは分かっている。
それでも、もし、神という者がいるならば。
教会で話を聞く、始祖タナエルという天上世界の聖女がいるならば。
こんなどうしようもない男ではなく、心優しい女の子を守って欲しかった。
「そんなこと、考えても仕方ないよな。……ごめん、ライカ」
言って、俺はライカを地面に下ろし、彼女の顔を覘き込んだ。
発見当時、何もかもを諦めたように光の無くなっていたライカの瞳は閉じられている。
見ていられなくて、俺が閉じたのだった。
こうやって見ると、血だらけではあるが安らかに眠っているようにも見える。
俺は思った。
街中に転がる死体を焼いて回るわけにはいかないが、せめて、受付嬢として長年孤独を忘れさせてくれたこの血の繋がらない妹くらいは、自分が送ってやらなくては、と。
俺は地面に横たえた彼女の前に立ち、人差し指を向けた。
人差し指は、細かく揺れた。涙が流れ落ちるが、左の腕で拭き取る。
俺は、彼女をしっかりと見届けなくてはならない。
「せめて、始祖タナエルの加護が……」
言いかけて、やめた。そんなフィクションかどうかも分からない冷酷すぎるほどに平等な聖女の言葉など、彼女は望んでないと思ったから。
「せめてそっちでも気楽に過ごしてくれ、ライカ。………………【炎よ焦がせ】」
小声でボソリと呟いて、指先に魔力を集中させた。
焦げ臭い肉が焼ける臭いが鼻腔を刺し、彼女の金の髪が黒煙とともに宙を舞った。
俺はライカを見送った後、街の外へ向けて歩いた。
魔災害の黒き稲妻と共に現れる魔害獣――通称「マザー」と呼ばれる体長10数メロルを超える個体がないため、隣の街に奴らが移動していると考えたからだ。
奴らは人族が多い場所へと移動する特性がある。
だから俺は、隣町とは反対方向の、森がある方角へと歩いていた。
もちろん森にも魔獣はいるが、迷宮にも潜れない初心者冒険者が相手どれる程度のレベルだ。非武装の一般人ならまだしも、俺にとっては楽な道のりであった。
森へと歩いていると、いつの間に雲が消えたのか、夜空には月が浮かんでいた。
その空に、一筋の流星がながれる。それは俺がこれから逃げる先で、かつて故郷だったラスク村もあった広大な領地、アルーナ領から飛んできたものだと理解した。
まったくどういう理屈か分からないが、勇者は空を飛べるらしい。
勇者は魔道具で魔災害の発生を聞きつけると、担当地域外であっても恐るべき速度で駆けつける。それがあの流星の正体というわけだ。
そして俺が今見上げている流星は、白銀であった。
恐らくリュナが――歴代最強と言われる勇者が、被害が進むと予測される地点に向かっているのだろう。
――対して、自分はどうだ?
ライカの代わりに自分が死ねば、なんて思ったくせに。
救助活動だとか、できることはあったかもしれないのに。
俺はまた逃げ出しているではないか。自分の命惜しさに、逃げ出しているではないか。
「……」
俺は無言で歩き続けた。街道には静寂が広がっていた。
移ろいゆく景色も目に留めず、握ったライカのヘアゴムを眺めてフラフラと歩く。
いつの間にか森についたとき、俺は気付いた。
誰もいない。
いや、本来そこにあるはずのあらゆるものが存在していない。
鳥もおらず虫もおらず、木々すら枯れている。
そして気付く。自分を取り囲む複数の視線に。
「――――っ!」
視線は多数。圧倒的多数。眼前の木の上、草陰、そしておそらく、真後ろにも。
「そんな……なんで……」
つまりは、街を出る頃からつけられていたのだ。
姿を消し、感知できない赤ん坊よりも低いような微弱な魔力に抑えて。
理由などわからない。
俺なんかを優先して狙う理由など、分かるはずもない。
だが、こんなことができるのは、奴らの中でも海月型と呼ばれる連中の異能だけだ。
魔害獣には蜘蛛型や蝿型など、その時々で様々な形態をもって現れる。
海月型もその一つだ。
そして、魔力を潜め、姿をも透明化できる異能。それを海月型の魔害獣は持っていた。
透明化が解け、奴らの姿が露わになる。
全長はだいたい俺の腰元ほど。人族の幼い子供程度だ。
ゼリー状の身体に無数の足と、なるほどその姿は名前の通りクラゲに似通っている。
しかし、顔らしき部分についた黒い眼玉から全体像を見ればイカのようにも見えるし、太い触手からはタコを想起させる。
顔にあたる部分に口があり、強力な顎があるところは、人間らしい。
そして奴らの無数に伸びた半透明の触手は、人族の手の形をしていた。
それはつまり、奴らが先程のライカのように。
人族の女の腹から生み出されたばかりの「幼体」の個体であることを示していた。
「クソがっ!」
俺は思わず吐き捨てる。
なぜなら、奴らの情報を調べ、身に着けたこの知識が証明することは一つ。
この状況が、どうしようもないほど絶望的であるということだけだからである。
俺は右足を踏み込む。同時に背の剣を引き抜き、柄を固く握る。
ここは一点突破で走り抜けるしかない。
そう判断してのことだったが、すでに遅かった。
右腕はぐしゃりという音とともに捻じれていた。
使い古した鉄の剣はパラパラと崩れ落ちる。
右足は太ももから下がなくなり、肉と骨の断面を覗かせていた。
俺は体勢を崩し地面に突っ伏した。
どくどくと流れ落ちる血。急速に冷めていく身体。
隣でゴキゴキと聞きなれない鈍い音が鳴り響く。
顔を上げて見やれば、奴らのうちの一体が、俺の右足を骨ごと喰らっていた。
抵抗ができないと知るや、俺の元に殺到する触手の影。
「あ、あ?……ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!」
痛みと恐怖と狂気で、俺は絶叫を上げた。
海月型の魔害獣は、人の腕の形をした触手を俺の腹に突き刺すと、麻痺毒によって俺の身体を硬直させた。
百もの迫る顎が、俺の身体を乱雑に食い荒らす。五指の形をした触手は内臓を引きずり出し、海月型どもはそれをパスタでも食べるように吸いつくす。
絶叫と血を散々散らした後、俺の頭の中には走馬灯が浮かんできた。
故郷の両親や友達、冒険者業を始めるにあたって色々世話を焼いてくれた元パーティーリーダーのカイル、第二の故郷エルフレイアに生きる様々な人々。
そして、アドバイザーとして、いや、それ以外のときも話し相手になってくれた、歳の離れた妹のような女の子の姿。
こう思い返すと、多くの人に支えてもらったのだなと俺は呑気にも思った。
だというのに。
何も返さず、報いることもできなかった自分の無力さを痛感し、吐き気を催した。
……後悔の多い人生だった。何も成し遂げられなかった。
人に優しくできたわけでもなければ、大切な人の助けになることもできなかった。
己の無力さと怠惰さを痛感するばかりの、つまらない人生だった。
そうやって、押し寄せる後悔の波に消えていく意識の最後。
俺の脳裏に浮かんだのは。
かつて半歩後ろから眺めていた、
幼馴染の白銀と琥珀色の光だった。
ここまででようやくプロローグ終わりって感じです。
次回からは本格的に幼少期編に突入です。
pv伸ばせるかの実験として、
明日(金曜)からは正午に更新します。
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