第二十一話 「彼女の夢」
俺はリュナを前にして、ただただ目を奪われていた。
リュナはサイズの大きいネグリジェをぶかぶかにして着ていた。
余計な装飾のない、秋の空色のような薄い青のネグリジェは。
宗教画から飛び出したような彼女の異質とも言える容姿とも相まって、ため息をこぼしたくなるほどの清廉さを演出していた。
「あんまりジロジロ見られるとさすがのボクでもちょっと恥ずかしいんだけど」
「……悪い」
見惚れてた、なんてキザなことを言えるはずもなく。
俺は甘んじて彼女のジト目を受け止めた。
だが、そこで一つの疑問が俺の中で浮かび上がる。
「というか、どうやって入ってきたんだ? 玄関の鍵は閉まってたはず……母さんに入れてもらったのか?」
そもそも俺はもっと早く来るものだと思っていたから、普通にチャイムを鳴らして来るのだとばかり思っていた。
しかし、もうとっくに夜中だと言える時間だし、チャイムの音で起きるなんてこともなかったから、疑問に思ったのだ。
質問の意図が分かったのか、彼女は微笑みを浮かべたまま口を開いた。
「どうやってって……そんなの決まってるじゃないか」
「何だよ」
「窓だよ窓」
「窓……?」
俺は途端に背筋がゾッとして、彼女が指さす机の前にある小窓を見た。
いつも寝る前には閉めているはずの小窓が開かれており、ピューピューと風が入ってきていた。
……。
…………。
………………。
数秒の沈黙の後、俺は恐る恐る口を開く。
「なぁ、俺、寝る前には窓閉めてるはずなんだけど」
「ふーんそう、この時期になるとさすがに暑くない?」
「いや、それは『レイダンボー』とかいう魔道具で……ってそんなことはどうでもいい!」
二歳から子供部屋に入った俺を心配して二人が置いてくれた魔道具の話など、今はしている場合ではない。
この容疑者を今すぐ検挙しなければ。
「閉めてるはずの窓をどうやって開けて入ったんだって、そう聞いてるんだ!」
「そりゃあもちろん魔術でピャッて感じで」
「具体的には?」
「念力魔術で激しく左右に動かせば、この感じの窓なら簡単に開くよ」
「街の衛兵さーん! この人ですっ、この人が犯人です!」
「人聞き悪いなぁ、仕方ないでしょ、この時間に玄関のチャイム押すわけにもいかないし」
「変なとこに常識あるのが逆に怖ぇんだわ……」
その常識があって、なぜ他人の部屋に侵入することが異常だということに気付かないのか。
そう言って問い詰めてやろうかという気持ちもなくはなかったが、俺の脳裏にはすでに「効率」という二文字が浮かんでいた。
明日にはまた訓練がある。
今日早めに切り上げて休んだ分、明日は頑張らなければならない。
であれば、軽口を叩いている暇などないはずだ。
リュナが安眠の方法を知っているのなら、早く試してもらうべきだ。
どうにも、最速最短の道を模索している内に、こういった考え方が染みついてしまったようだ。
「ところで、結局リュナが思いついた方法って何だったんだ?」
「方法って?」
「俺が安眠できる方法だよ」
「ああ、精神力弱弱で毎晩「ママァ助けてぇ」って泣き叫ぶ君を癒す方法の話ね」
「脚色が酷い。あと一部を除けば大体あってるのがたち悪い」
思わず溜息を吐く俺に、ふふんとご機嫌そうなリュナ。
「ボクは思いついてしまったんだよ、何たってボクは天才だからね」
「いやお前が天才ってことは知ってるから方法を……」
「えぇ~、それが天才のボクに物事を頼む態度かい? 拍子抜けしちゃうなぁ~」
うっっっざ。
前世とは関わり方が違うから判明したことだが、リュナ・マリベールはかなりウザい。
まぁ、とはいえ、俺に選択肢はないわけだが。
「よろしくお願いします。始祖様タナエル様リュナマリベール様」
俺は正座し、頭をベッドのシーツに擦り合わせるぐらいに下げた。
父さんの先祖が住んでいた歴史あるヒイデル皇国に伝わる、最強の謝罪術。
いわゆる、土下座であった。
「……うむ、よろしい。んじゃ横になって」
言われるままに、俺は壁の方を向いて横になる。
うーん?
マッサージでもするのだろうか。
「んじゃ失礼して……」
リュナの呟く声が聞こえたと思った、その瞬間。
背中にびとっと何か冷たいものが当たる感覚があった。
その感触がリュナの素肌であると認識するまで、時間は掛からなかった。
「ちょっ、何してんの!?」
飛び起きようとするも、背中から伸ばされた手に阻まれる。
「何って夜這いだけど」
「夜這いて……」
ふざけたことを言うリュナの手は雪のように白くて、すべすべで。
そんなことを意識すると、かぁっと頬が熱くなる。
ちなみに、膨らみかけの胸も背中に押し付けられていて……。
「あの、当たってるんですけど」
「当ててるんだよ、言わせないでよ恥ずかしい」
まったく恥じらいがなさそうなんですがそれは。
「というか、これが安眠の方法? 余計眠れそうにないんだけど」
「そうだね、君はエッチだからね仕方ないね」
「お前が言うな、お前が」
突っ込んだ後、つい口を噤んでしまう。
リュナに触れられている恥ずかしさもあってか、中々次の言葉が見つからなかったのだ。
だから俺は、効率的でないと分かっていながら、リュナの言葉を待った。
そして数分後か数秒後。
コミカルな雰囲気も消滅し、リュナは深刻そうな気配を混ぜながら言葉を紡いだ。
「ボクはね、君の全部を知りたいんだ」
優しく、そして悲しそうに、彼女は紡いでいく。
「ボクはこれまで、君とは何か……感覚的な話なんだけどさ、ズレのようなものを感じてたんだよ。一緒にいるはずなのに、君はどこか別の……遠くにある何かを見ていて、ボクがそれを知ることはできないんだ」
俺は驚いてハッとした。
その感覚には覚えがある。
俺が生前、何度も抱いてきた感覚。
「何というかさ、それはすごく、寂しいんだ」
「…………っ」
彼女の声は震えていた。
背中から抱き締められているから顔は見えないけれど、どんな表情をしているかくらいは分かった。
「君がボクや家族を守ろうとしているように、ボクだって君を助けたいと思ってる。
だから教えて欲しい。君の全てを、教えて欲しい。君の全てを、ボクにも抱えさせて欲しい。
そうすれば君の問題は解決する、いや、解決してみせる。ボクは天才だから」
大粒の涙を流す、なんてことはなかった。
それでも俺は、その感情に痛いほど覚えがあった。
だから、真摯に答えなければと、そう思ったのだが……。
どうしても「転生した、タイムリープした」とは口にできなかった。
きっと告白しても、今の関係は変わらないだろう。それほどまでには信頼関係を築いたはずだ。
でも、それでも。
俺の中にある「もしかしたら」という恐怖の感情が、その告白を許さなかった。
「全部は教えられない」
彼女の息が詰まる。
だが、俺はそこで言葉を止めなかった。
真摯に向き合いたいと思ったのは、本当だから。
「でも、荒唐無稽な話になるかもしれないけど、それでもいいならもう少しだけ……最近悩んでいることについて話すよ」
返事はない。
俺は続ける。
「俺はさ、長い長い悪夢を見て、それから目が覚めたんだ。
その夢の中で、俺は色んなものを失っていた。
だから今度は、憧れた人に追いつけるような自分になりたいって思ったんだ。
喪うはずの大切な人たちを守るために強くなるって誓ったんだ。
でも……でもさ、長い夢から覚めて、大切だった人たちがもっともっと大切に想えてきて。
俺は…‥怖くなったんだ。
俺はさ、怖くて怖くて仕方ないんだよ。大切に想う人たちを失うのが怖いんだ。
効率効率って頭の中をそんな文字で埋めて訓練に明け暮れてるのも、何かしていないと怖いからなんだ。
未来は不確定で不安定で、大切なものを守りきるための絶対的な方法なんてなくて。
考えるのも嫌で本当は投げ出したいんだけど、後悔なんて二度としたくなくて。
ずっとずっと、頭ん中グッチャグチャだった。
そしてそんな中、最低最悪の夢を見て、もっとグッチャグチャになったんだ。
だから、まあ、その、まとめるとな、怖いからっていう子供みたいな理由なんだ、俺が眠れないのは」
抱えてきた気持ちを、自分の弱い部分を曝け出して。
胸の奥が熱くなって、ちょっとだけ目の奥がツーンとなった。
リュナの方を見ることはできない。
俺はリュナに背中を向けたまま、彼女の言葉を待った。
長い沈黙の中に、俺の吐息と彼女の吐息が混ざる。
不意に、リュナは抱き締める力を強めてきた。
でも、俺を縛り付けるようなものではない。
幼い子供に「私はここにいるよ」と母親が告げるような、優しい抱擁だった。
リュナは俺の耳元に顔を近づけ、安心させるような声音で呟いた。
「ラベルくん、君は、弱虫だね」
俺は背を向けたまま苦笑して相槌を打つ。
「ああ、そうだな」
リュナはふふっと笑うと、俺の首元にキスをしてくる。
優しい、触れるような口づけだった。
性的な興奮を誘うような情熱的なキスではないけれど、俺の心臓は跳ね上がっていた。
「――ねぇラベルくん、ボクね、新しい夢ができたんだ」
「それって……?」
リュナは俺への意趣返しのつもりなのか、歌うように語り出した。
「前まではね、お母さんに憧れてた。お母さんみたいな強くて優しくてかっこよくて、見ず知らずの人も全部まとめて助けるてしまうような、そんな最高の英雄に。
でもね、今は違うんだ。もちろんお母さんに憧れる気持ちは消えてない。けど、本当に心の底から願っているのは、違うこと。
それはね、ボクの大切な人が、大切だと想う人たちと笑っていて、その輪の中にボクがいることなんだ」
リュナが頬ずりしてくる。
真白でやわらかい肌から伝わる熱が、彼女がここに居るのだということを主張する。
姿は見えないのに、俺の意識は彼女に釘付けだった。
「大切な人を大切に想うほど怖くなるのは、ボクも同じだよ。だから、ね。
辛い時や苦しい時、そんな時でも無理をしなくちゃいけない時。
君は今みたいに吐き出してくれていいんだ。
そしたらボクが君を抱き締めてあげる。そうすればボクの不安もなくなるからね。
まさにウィンウィンの関係ってやつだ」
「ぷはっ、なんだよそれ」
無茶苦茶な論理に思わず声を出して笑ってしまう。
そんなの……。
そんなの、最高じゃねーか。
「今日は君が寝られるまで抱きしめてあげる。いや、今日だけじゃない。
明日も明後日も、いつになっても、君が不安なときはボクが隣にいるから」
もう、我慢なんてできるわけなかった。
泣いて、泣いて、歳相応の子供みたいに泣きじゃくった。
胸の中を満たした真冬のかまくらに入ったときのような温もりを抱いたまま、俺は深い眠りに落ちた。
◇◆◇
翌日。朝起きたらリュナはシーツの匂いを必死に嗅いでいた。
全裸で。
全裸で、俺の寝間着の匂いも嗅いでいた。
全裸で。
「……」
「……」
俺はリュナの首根っこを掴んで、小窓から放り投げた。
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