04:現実と悪夢の交差点
2021/07/10 投稿(1/2)
「アーテルはお酒は飲みます?」
「……これから真面目な話をすると思ってたんだけど?」
夕食も終え、夜が来る。耳を澄ませていると、夜行性の生き物たちの鳴き声が遠くから聞こえて来る。
そんな中で向き合った私たち、話す内容は私にとってとても重大な話だ。そこにお酒を飲もうなどというキャロに少しだけジト目を向けてしまう。
「大事な話ではあるわ。でも、そんなに肩に力を入れてするような話でもないと思ってるのよ」
「それはキャロが全部知ってるから……」
「知ってるから身構えることはないと言っているのよ、アーテル」
クスクスと笑いながら、アーテルはワインの瓶を開けてしまった。あっ、と私が声を漏らしている間にグラスにワインを注ぐ。
二つのグラスの注がれたワインは、明かりに照らされることでより赤く見えた。
「こういう時は話の段取りというものがあるのだけど、何から話したら良いかしらねぇ」
一口、ワインを口に含んで舐めるように味わいながらキャロが呟く。グラスを置いて、口元に指を当てている仕草は彼女によく似合っているように見えた。
「……じゃあ、聞くけど。キャロはそもそも何で私を拾ってきたの?」
「貴方が興味深い観察対象だったからよ」
「観察対象……じゃあ、私って何なの?」
「アーテルは亜人について何か思い出せる?」
亜人。その一言を聞いた瞬間、自然と口から答えが出ていた。
「……亜人は普通の人にはない特徴だったり、固有の魔法を使える人のこと」
「その通りなのよ。外見で目立つ特徴と言えば獣の部位を兼ね備えていたり、目や爪といった部位を変化させることが出来る。数が多い亜人は一族として集まって部族として成り立っている集落などあるわね」
「この話の流れからすると、私も亜人ってことだよね?」
私は自分の突き出すように尖った耳に触れながらキャロに確認をする。明らかにキャロの耳とは形が違う私の耳は、亜人であることの証明だ。
「えぇ、アーテルは亜人よ。特徴的にはエルフに近いのだけど、あれは滅多に住処である森の奥から出て来ないし……それに亜人はあまりにも混ざりすぎると生来の種族から外れた一人一種の存在になってしまうのよ」
「混ざる……?」
「亜人の特徴である特殊な部位や器官は、体内に存在する魔石によって齎されるものよ。そして魔石を持つということは、亜人は人より魔物に近い存在なのよ」
キャロが告げた言葉に私も無意識に肯定していた。私でも思い出せる事実だと認めている。
だからこそ、ぞくりと背筋に冷たい悪寒が駆け下りていったような気がした。
「魔物は人や、他の魔物を襲う習性がある。何故か知っているかしら?」
「……魔石を得るため」
「そう。種として強くなるため、魔石を持たぬ魔物は魔石を求め、魔石を得た後も魔石を更に強力なものにするために喰らおうとするのよ。精霊というのは、全ての生命の魂と共にあるもの。魂を喰らうことで魔石は更に進化していく」
グラスを手に持ち、明かりに翳すように持ちながらキャロは告げる。
「亜人は人が魔石を持った存在。魔物ほど、他者を糧にしたいという欲求はないわ。でも魔物に近いこともまた否定出来ない。故に、道を踏み外して魔物化してしまうリスクを孕んでいる。亜人の宿命ね」
「……それじゃあ、私は?」
その問いを投げかけるだけで、口の中の水分が全てなくなってしまいそうだった。
キャロはグラスを口につけて、ワインを飲んでから私へと視線を戻す。
「私は、とある魔物の噂を聞きつけて、それを追っていたのよ」
「……それって」
「出会えば死は免れないと人々を恐怖に陥れた流浪の魔物。腕に覚えのあるハンターでさえ撃退された記録もある。ハンターギルドで認定される最も高い危険度Sランク認定の名持ち――〝死神〟デュラハン」
――〝死神〟デュラハン。
その名前を聞いた瞬間、胸が引き攣ったような痛みを覚えた。息が苦しくなって、喘ぐように空気を求めてしまう。
その名前を、私は知っている。どうしようもない程の恐怖に思考が塗り潰されてしまいそうになっていく。
どうして知っている? そして、こんなに身体が恐怖で竦んでしまうのは……なんで?
「もうわかってるわよね? 貴方のことよ、アーテル。貴方の正体は〝死神〟デュラハン」
「……ッ……」
「でも、恐らくだけど……同時に貴方は〝死神〟デュラハンではないのよ」
「……え?」
キャロの言っていることが理解出来ず、私は首を傾げてしまった。だって、その発言は矛盾してしまっている。
「ある事件を切っ掛けにデュラハンは、その姿と行動指針を変えてしまったのよ」
「……変わった? その事件って……」
「新米ハンターと、その付き添いとしてハンターギルドから派遣されていたベテランハンターが不幸にもデュラハンと遭遇したのよ」
どくん、と。心臓がまた嫌な跳ね方をしたような気がした。
「新米ハンターを逃がすため、囮として残ったベテランハンターは死亡したとされているわ。死体も見つからなかったの。そして、その後暫くしてデュラハンは姿を変えて現れるようになったわ」
「……」
「大きく違ったのは、元々〝死神〟デュラハンは頭部がないという目撃証言があった。なのに、後に姿が見られるようになったデュラハンには〝頭があった〟」
口の水分がなくなったことに耐えられなくて、私はグラスに手を伸ばしてワインを口に含んだ。
ワインの筈なのに、その色から口の中に血の味が広がってしまったような錯覚を覚えてしまう。
「デュラハンが姿を変える切っ掛けとなった事件、その時に行方がわからなくなったベテランハンターの名前は――〝アーテル・アキレギア〟」
……あぁ、と。自分の口から溜息交じりの声が零れた。
先程聞いた話と合わせるなら、それなら、私は、私の正体は――。
「アーテル・アキレギアの死体は見つからなかった。代わりに残されていたのは激しい戦闘の痕跡。一時はデュラハンが倒されたのではないかと言われる程、凄まじかったそうよ。実際、アーテル・アキレギアは亜人として知られていたし、実力もAランクハンター。可能性は低いけれど、それでもゼロではなかった」
「……私は、アーテル・アキレギア……? それとも……」
答えを求めるように問いかける私に、キャロはグラスを置いて私の胸元に指先を向けた。
「魔物は己の魔石を更に強くするために魔石を求める。亜人も魔石を持つ人であり、魔石の影響で更に変貌していくことも可能。貴方はアーテル・アキレギアであり、同時にデュラハンでもある。主体はどっちなのかはわからないけれど、〝混ざってる〟のは確かでしょうね」
……悪夢だった。
そう、あれは紛れもない私の悪夢だ。変わり果ててしまった私の悪夢。
デュラハンになった夢を私が見ていたのか、それともデュラハンが私という夢を見ているのか。
もう、その境界は自分の中で曖昧になってしまっているんだろう。キャロの言う通り、私とデュラハンという存在は同一のものになっていて、別たれることはない。自分の感覚が、その事実を告げていた。
「……じゃあ、私は――」
「変化した後のデュラハンが、これまた変わった魔物なのよ」
私が問いかけようとすると、その問いかけを掻き消すようにキャロは捲し立てるように告げる。
「姿が変わった後のデュラハンによる人への被害は確認されていないわ」
「……え?」
「貴方は誰も殺してないわ、アーテル。貴方が殺していたのは、むしろ厄介な魔物だけ。それで助かった人すらもいる程よ。もう一度、言うわね? ――貴方は、その手で人を殺めたことはないわ。知らずの内に救ったことはあってもね」
キャロが告げてくれた事実が、染み渡るように理解と実感を与えてくれる。
胸の奥まで届いたその感覚は、私の涙腺を強く刺激した。堪えきれない衝動が声になって漏れる。
「わ、たし……誰も……殺し、て……ない?」
「えぇ、大丈夫。貴方は人殺しになんてなってない。人の命を啜ったことなんてないわ」
「……あ、あぁっ、あぁあああっ! よか、……った……! あぁっ……! うぁああああああああああああっ!!」
緊張が解けて、心の枷が緩んだことで私は泣きじゃくってしまった。
ずっと怖くて、不安だった。知りたくなくて、でも知らなければいけなくて。
受け止めなければならないと思っていた絶望は、現実にはならなかった。それがただ嬉しかった。
そんな泣きじゃくる私を、いつの間にか側にまで来てくれたキャロが包み込むように抱き締めてくれた。
私はキャロに縋るように抱きついて、生まれて間もない赤子のように泣き声を上げることしか出来なかった。