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03:曖昧な夢現

2021/07/09 投稿(3/3)

「それではアーテル、行ってきますわ。日暮には戻りますので」

「行ってらっしゃい、キャロ」


 まるで子供にするように頭を撫でてから、キャロは家を出て行った。

 キャロは普段、家から出ることはない。だけど、生活をしていれば必要になるものは出てくる。なので週に一度、キャロは森の奥にある家から街へと向かう。

 キャロが街に行っている間は私は一人になってしまう。前だったら黙々と掃除や片付けを行っていた所だけれども、それすらも不要になってしまった。


「……かといって、キャロについて街にいくのは、ね」


 悪夢だった頃の私は、魔物を殺してその命を啜っていた。でも具体的にまで覚えていない。ただ無我夢中で殺戮を繰り返し、命を啜っていたのだから。

 その中に人間がいなかった、という保証はない。自分が人を殺してしまっていたら、と思うと吐き気が込み上げそうになる。

 だから私は人の街に向かう勇気が持てなかった。もしも自分が人を殺していて、その命を啜っていたとしたら。その事実を人を目にしたことで目の当たりにしてしまったら。その時、自分が耐えられるという自信がない。


「……でも、ずっとこのままって訳にはいかないよね」


 キャロは何故か私を保護してくれている。その理由を問いかけたことはなかった。

 互いに殺し合った筈なのに、私が悪夢から解き放たれると側においてくれた。他愛のない話をして、一緒にご飯を食べて、悪夢に魘されそうな時には子守歌を歌ってくれる。

 安心してしまうのと同時に、どうしてキャロが自分のことを面倒見てくれるのか私にはわからない。


「キャロって……どんな人なんだろう?」


 普段は工房に引き籠もって魔道具や素材と睨めっこしていることが多いキャロ。悪夢であった自分と互角以上の強さを秘めている人。人里から離れた森の奥に居を構えて、週一で街へと出向いている。

 私がキャロについて知ってることはこれぐらいのものだ。キャロについて、私は訪ねることが出来なかった。今の生活に順応するのが精一杯だったから。


「……私は、どうしたらいいのかな」


 このままキャロに保護されてばかりの生活では良くないと思う。だって、私は掃除や食事の用意をしているぐらいでキャロに恩を返せている訳ではない。

 それに、いつ自分がまたあの悪夢に戻ってしまうかわからない。キャロによって悪夢から起こされた私だけど、あの悪夢の気配はずっと私の中に残り続けている。


 惑いは消えず、道標はなく。そして果たすこともない。目的もなく、ただ小川に流される木の葉のような状態だ。

 このままでいいとは思えない。だけど、何をしたらいいのかもわからない。時間を潰すようなことも思い付かないまま、私はそっと目を伏せた。



   * * *



 ――生きたい。

 そうだ、生きたかったんだ。


 ――死にたくない。

 うん、死ぬのは怖いから。


 ――死なせたくない。

 ……誰を、死なせたくないんだっけ。


 ――守らなきゃ。

 ……わからない。私は、誰を。


 ――生きたかったんだ。

 何の、ために。


 ――生きる。

 そして、私は命に口をつけた。



 だから、これはどうしようもない悪夢なんだ――。



「――アーテル」



 ――私を呼ぶ声が、聞こえた。

 開いた目は潤んで、視界をはっきりとさせない。何度か瞬きすると涙が落ちて、ようやく視界が鮮明になる。


 窓から差し込む光はいつの間にか夕焼けのものへと変わっていた。私の側に膝をついて覗き込んで来るキャロが、その光に照らされている。

 その姿に、私の頬を労るように触れてくれる手の温もりに涙が溢れてくる。どうしてこんなに安心するんだろう? それすらもわからないまま、私はキャロが触れるのに身を任せる。


「アーテルは泣き虫なのね」

「……これは、涙が勝手に出てくるから」

「泣くことが出来るのなら泣くべきなのよ。泣いて、洗い流して、その奧にあるものまで出してしまえばいいのね」


 頬から頭へ、キャロに撫でられた手の感触に目を細める。

 一体どれだけそうしていただろう。不意にキャロが手を離した。合わせて私も意識の微睡みから戻ってくる。


「ねぇ、アーテル」

「……なに?」

「自分のことについて悩めるようになってきたかしら?」


 その質問は図星だった。返事は出来なかったけれど、身動ぎの反応だけでキャロには察されたようだった。


「急かすつもりはないのだけど、今のままでは貴方の不安定なのよ。私がいる間ならいいのだけど、こうして出かけている時にも発作の兆候が出たら怖いでしょう?」


 発作。キャロが私に言う発作とは、私が悪夢に戻ってしまったかのような幻覚を見ることだ。

 いや、正確に言えば幻覚なんかではない。曖昧のままなんだ。私は悪夢で、悪夢は私。いつ、この表裏が引っ繰り返ってもおかしくないのが私なのだから。

 それを私に引き留めてくれてたのがキャロだった。まだ最初の頃なんて、もっと発作の回数が多かった気がする。それが時間が出来てしまったことで、その頻度が増えてきている。


「どうしたらいいか、わかる?」

「……わからない」

「どうしたいと、自分は思ってる?」

「……わからない」

「どうにかしたいと、思う?」

「……うん」

「知りたい? 貴方自身のこと、私のこと。ただ生きるのではなく、この世界で生きるために戻って来れる?」


 戻る。どこに戻ると言うんだろう。この世界に、私の戻れる所なんてあるんだろうか。

 心臓が締め付けられるように痛んで、咄嗟に発作が起きてしまいそうになる。それでも抑え込むように心臓がある位置に手を置いて、胸を掴む。


「……生きたい」


 まだ自分が何者なのか、何を為せるのか、それが正しい道なのかはわからない。

 でも、このまま蹲っているだけじゃ何も変わらない。悪夢を見ていた時と同じだ。ただ、そこにあるだけで命を喰らう者になってしまう。

 それは嫌だ。だから踏み出したい。悪夢が私を包み込んでしまうよりも早く、前へと。


 キャロの真紅の瞳が、私をじっと見つめる。私も目を逸らすことなく、キャロを見つめる。

 お互いに無言の時間が過ぎていく中、明かりがゆっくりと消えていくようだった。日は沈み、夜が来る。


「わかったわ。それじゃあ、まずは食事にしましょう。話は食事が終わってからで」

「……いいの?」

「いいも何も、私はお腹がペコペコなのよ? アーテル。人は生きることを楽しむために食べるべきなのだわ。生きると決めたのでしょう? だったら、まずは食べなさい。自分の命を繋ぐためにも、ね」


 お残しは許しませんよ、と上機嫌に鼻歌を歌いながらキャロはキッチンへと向かっていく。その背を見つめて、私も手足に力を入れて立ち上がった。

 生きるために、食べる。それは悪夢であった私も同じだった。でも、そこから抜け出したいのなら、例え同じ命を頂くという食事であっても彩りを添えるべきだと思えたから。


「私も手伝うよ、キャロ」

「えぇ、嬉しいわ。貴方の料理は絶品だもの、アーテル」


 食事を楽しもう。一緒に楽しんでくれる人がいるのだから。ただ貪り喰らうような命の頂き方ではなく、共に生きている喜びを噛み締められるように。

 悪夢であった私から、私は一歩を踏み出した。私に食べる喜びを思い出させてくれたキャロと、そのかけがえのない時間を楽しむために。

 そして、これから生きていくために必要な力と栄養と取り入れなければならない。私は生きると決めたのだから。


 悪夢であった私は、ただ生きたかった。生きる目的もないままに。

 目的のない生は無意味な死と隣り合わせだ。この二つがいつ入れ替わってしまうかもわからない。

 だから、思い出させてくれた生きる喜びを噛み締めよう。目を開いて、世界を見て、一歩を踏み出す。

 私が何者で、何を為すべきなのか、何を為したいと思うのか。その答えを知るために。

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