表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/33

02:アーテルとキャロ

2021/07/09 投稿(2/3)

 邪魔にならないように黒紫色の髪を耳にかけるようにどけて、包丁を握る。

 とん、とん、とリズムよく包丁で食材を切る音を聞いていると、少しだけ楽しくなってくる。

 コンロに魔力を込めれば火がつく。水を入れた鍋を置いて、食べやすい大きさに切った食材を入れていく。


「アーテル」


 ふと、私の名前を呼ぶ声がする。声に振り向くよりも先に、後ろから衝撃が来た。

 衝撃の原因は突然の抱擁だった。後ろから抱きついて、体重をかけられる。手に持った包丁にひやりとしてしまい、つい声が低くなる。


「……キャロ、危ないから抱きついてこないで」

「だって良い匂いがするんだもの。おーなーかーすーいーたーのーよー!」

「はいはい……」


 私を離して、用意された食事に今にもかぶりつきそうなキャロを押し留める。早く皿に取り分けないと私の分にまで手が伸びてしまいそうだ。

 今日の食事はキャロが狩ってきた獲物を調味料で味付けをして、じっくりローストした肉。付け合せに私が集めてきた野草や木の実のサラダ、それから芋と玉ねぎを煮込んだスープ。更に焼いたパンも添えれば、それらしい食事になったと思う。

 食事を器に移し終えて、テーブルへと運んでいこうとするとキャロの手が伸びてきた。


「運ぶの手伝うのよ」

「ありがとう」

「どういたしまして」


 無邪気な笑みを浮かべてキャロが食事をテーブルへと並べていく。その際に後ろで結んだ白金色の髪が尻尾のように揺れていて、どうしても犬を連想してしまって心が和む。

 そうして食事の準備が整ったら、食前の精霊への祈りを捧げて今日の糧を頂く。


「うん! このお肉、美味しいわ!」

「じっくり蒸し焼きにしてみたんだけど、どうかな?」

「凄くしっとりしてて、でも肉の味がギュッと詰まってる感じがして美味しい! でも重たくないから、朝でも幾らでも食べれそうだわ! 本当にアーテルは料理が上手ね!」

「……ありがとう。もしかしたら、手慣れてたのかもね」


 無邪気で真っ直ぐな賞賛の言葉はどこかくすぐったい。自然と私の口元にも笑みが浮かぶ。

 ローストされたお肉はキャロが言うようにしっとりと柔らかく、それでいて肉の味わいが舌の上で広がっていく。幾らでも食べたいとまでは思わないけれど、料理の成功に私の心も躍った。


「最初は大丈夫かと心配してたけど、アーテルが心穏やかに過ごせてるなら良かったのよ」


 食事も一段落して、食後のお茶を出す頃になるとキャロがそう言った。

 先程まで食事を楽しみ、成功の余韻に浸っていた心が少しだけ萎んでしまう。


「……迷惑をかけてごめんなさい」

「迷惑なんて思ってないわ、好きで貴方を拾ってきたんだし。それに仕方ないじゃない? アーテルだって望んで記憶喪失になってる訳じゃないんだから。こうして家事をしてくれてるだけで、むしろありがたいのよ」


 何でもないように告げたキャロの一言。けれど、それは私の心を重くする事実だった。

 私はアーテル。自分の名前以外の記憶は、目を覚ますまで見ていた悪夢の他にしっかりと覚えていなかった。だからこの名前だけが今の私の縁と言っても過言ではない。


 親しい友人のように朝を共に過ごしている私たちだけど、実際に出会ってから一ヶ月にも満たないと言えば驚く人もいるかもしれない。

 でも、キャロはまるで長年親しくしていた友人のように振る舞ってくれる。それが今の私にとって、どれだけの救いになっているのか。伝えきれないほどの感謝を、私はキャロに感じていた。


 しかし、それでも謎と言えば謎ではある。キャロがどうして、こんなにも私に良くしてくれてるのだろう?

 何せ、私たちの出会いは――殺し合いから始まっているのだから。



   * * *



 朝食を終えた後、キャロは作業部屋へと籠もってしまった。

 彼女の趣味は魔道具作成で、精霊の贈り物である精霊石や、精霊を生物が取り込むことで精霊が変質したことで生まれる魔石、それから魔物の一部などを素材にして様々な道具を作っている。

 趣味に没頭するとキャロは一日中、作業をしていることなんかもある。かと思えば、素材を調達しにいってくると外に飛び出したりと忙しない。


 彼女と生活を共にするようになってから、私はキャロの代わりに家事を担当していた。

 記憶は曖昧で、思い出せないことがほとんどだ。でも、手を動かしていると身体が覚えているのか、自然と作業に移ることが出来た。

 知らない筈なのに知っていて、知っていると意識したらそうだったと自覚する。まるでリハビリのようだと思う。


 私の記憶喪失の度合いは、鏡で見た自分の顔すらもぴんと来ない程だった。黒紫色の髪に青緑色の瞳。年齢は大凡十八歳頃で、耳は尖ったように左右から飛び出ている。それを自分の顔だと思うのと同時に、微妙な違和感も隠せない。そんな具合だった。

 そんな中で、指摘さえされれば一般常識や生活を営む上での知識が浮かび上がって来なかったらキャロにはとんでもなく迷惑をかけていただろうと思う。


 そんな曖昧な記憶しかない私だけど、そんな中でも特に記憶を刺激するのは料理だ。恐らくだけど、記憶をなくして悪夢に成り果てる前は料理が好きだったのだろうと思う。

 キャロは私が料理するようになってからとても喜んでくれた。でも、その反応が嬉しいと感じるのと同時に酷く虚しくもなる。そんな気持ちになってしまうのは、思い出せない記憶の中に理由があるのだろうとキャロは言った。


「……ご飯を美味しいって言って貰えたのに、それが虚しいってなんでなんだろう」


 ぽつりと呟いてみても答えが出てくる訳でもない。食器を洗い終えて、掃除に手をつける。毎日掃除していれば埃はそんなに溜まる訳ではないし、キャロからもやりたい時にやれば良いと言われている。

 けれど、掃除でもしてなければ暇で仕方がない。別に好きに休んでくれてもいいのに、とキャロは言ってくれたけれど、何もしていないでいるのは酷く落ち着かない。


「ここが人里から離れた場所だってのもあるよね……」


 キャロの家は街から離れた辺鄙な森の中にある。悪夢から覚めてからというもの、私はキャロ以外の人に会った覚えがない。

 何もかもが自給自足の生活だ。しかもキャロは大雑把な一面があり、最初はこの家も酷い惨状だったものだ。それを片付けるのが私の時間の潰し方だったけれど、それも少し前に終わってしまっていた。


「することがない……」


 結局、手持ち沙汰になってソファーに座り、無気力のまま横になってしまった。

 そのまま天井を見上げて、ぼんやりと時間を過ごす。なんとなく手を天井に翳してみると――その手が真っ黒な鎧に包まれたように見えた。


「――ッ、は、ぁ……!」


 目を何度も瞬きさせると、そこには普通の手があった。その事実に酷く安心してしまう。

 幻視してしまった光景に心臓が煩いほどに騒いでいる。落ち着かせるように何度も呼吸を繰り返す。冷や汗が浮いて、一気に身体が冷えてしまったようにさえ思ってしまう。

 こうなってしまうから、暇な時間は作りたくなかった。手や足を止めてしまえば、どうしても悪夢が脳裏にちらついてしまうから。


 夢は覚めた筈だった。いや、それとも今の穏やかな生活こそが夢なんじゃないか。

 だって忘れられない。あの血の香りを、肉を切り裂く感触を、命を取り込むことで満たされていたことも。


「私は……」


 ――一体、何だったのだろう。悪夢の中の私、悪夢そのものに成り果てていた私。

 その疑問の答えを、まだ私は問いかけられずにいる。この陽だまりの中で微睡むような穏やかな生活が失われてしまうことが恐ろしいから。


「……キャロ」

「――呼んだ?」

「ひゃぁっ」

「うひゃっ」


 目元に手を乗せて、視界を覆いながら呟くとキャロの声が聞こえた。

 手を避けると私を覗き込んでいたキャロが驚いたような顔で固まっている。全然、傍にまで来てたことに気付かなかった。


「また発作でも出たのかと思って、大丈夫ですの?」

「……うん、大丈夫」

「それならよろしいのよ」


 ソファーに寝そべったままの私の額を撫でるようにキャロが手を伸ばす。

 手の感触に私は目を細め、そのまま目を閉じてしまう。キャロの体温が心地好くて、先程まで騒いでいた心が落ち着いていくのを感じる。


 誰かが側にいてくれる。この幸福があるからこそ、私はここにいたいと望んでしまう。

 また一人に戻ってしまえば、あの悪夢に引き戻されてしまうかもしれないと思ってしまうから。


「少しお休みなさいな、アーテル。子守歌はいかが?」

「そんな歳じゃないよ……多分」

「私からしたら子供みたいなものよ。それでは、一曲」


 機嫌良くキャロは子守歌を口ずさみ始める。その間、ずっと彼女は私の頭を撫でてくれた。

 その感触に身を委ねるようにして、私は目を閉じる。そして、そのまま眠ってしまうのだった。


 優しい子守歌に誘われながら眠ったためか、悪夢を見ることはなかった。

   

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ