12:大事にしたいものは
2021/07/16 更新(1/2)
「口で説明した方がいい? 一応、資料も貰ってきてるけれど」
「……ごめんなさい、資料に目を通したらどこで歯止めをかければ良いのかわからないから、口で説明して貰って良い?」
「わかったわ」
キャロは私の返答を確認した後、ゆっくりと息を整える。僅かな間の静寂だったけれど、自分の心音がうるさいほどに聞こえてきそうだった。
「アーテル・アキレギア、死亡と認定されたのは今から三年前。当時の年齢は十五歳、ハンターランクはAランクで、あるハンターチームに属していたわ。けれど、チームを脱退。後にソロハンターとして活動を始める。その数ヶ月後、新人ハンターの教育を担当している際に〝死神デュラハン〟と遭遇」
「……ッ!」
「……ここからの話は以前もしたわよね。デュラハンは撃退され、姿を消した。アーテル・アキレギアは死体こそ発見されなかったものの、当時の現場の状況から生存は絶望的。死亡の認定が下されたわ」
心臓が苦しくて、頭が締め上げられているかのように痛む。痛みをやり過ごすように目を固く閉じて、胸を強く掴む。
「……大丈夫?」
「……なんとか」
「何か思い出せそう?」
キャロの問いかけに私は首を左右に振って否定する。
きっと、この反応をするということは心当たりがあるということだと思う。けれど、それを理解しても尚、記憶は戻らない。
それどころか、これではまるで記憶を取り戻したくないと抵抗してしまっているみたいだ。
「思い出したくない、ということはわかったよ。心当たりは、多分ある。その事実を聞くだけで胸がざわめくんだ」
「そう。アーテルは、記憶を取り戻したいと思う?」
「……正直、捨てられるものなら捨てたいと思ってる」
ぽつりと、そう呟いた声は自分でも感情が凍り付いていたと思う。
でも、それが逆に自分の気持ちを正確に理解させてくれる。過去の自分の記憶なんて、碌でもないものなんだろうという確信があるから。
「三年前ってことはさ……私はずっと三年間、デュラハンとして生きてたってことになるよね?」
「そうなるわね」
「三年か……長かったのか、短かったのか、もう私にはしっかりと判別出来ないけど、その間ずっと私は苦しかったんだ」
一人で寂しくて、餓えて、苦しくて。まるで底無し沼に足を搦め捕られて、為す術もなく沈んでいくような記憶しか私ははっきりと思い出せない。
その悪夢の中で、私は自分に降りかかった災難を呪っていた。そして、どうしてこうなってしまったんだろうと後悔していた。何を後悔しているのかもわからないまま。
「一人は嫌だ、一人は苦しい。一人にされるのだけは……耐えられない。キャロと生活をするようになってから、私はそんなことばかり考えてた」
「……そうね。アーテルは一人になることが怖いんでしょうね。怯えてる、と言っても良いわ。同じぐらい迷惑をかけたくないとも思ってる。貴方は優しくて、人に気を配れる子よ」
「改まって言われると気恥ずかしいんだけど……とにかく、そんな思いに囚われていたのは、ずっと一人だったからだけじゃないと思うの。多分、そのキッカケは思い出したくない記憶の中にある」
「……えぇ、そうだと思うわ。デュラハンと遭遇して貴方がどうやって生き残ったのかは知らないけれど、貴方の元チームメンバーが現地に残っていれば、貴方が一人で背負うようなこともなかったでしょうね」
「思い出せない以上、その人たちを悪く言うつもりはないけど……良い印象は、何も出て来なさそうだよ」
「……そう」
キャロは何か思案するように顎に手を当てた。私は喉が渇きを訴えたので、水を飲む。すると会話が途切れて、何とも言いがたい沈黙の間が流れる。
「アーテルが元々、所属していたチーム名は『黎明の空』というの」
「『黎明の空』……」
「その『黎明の空』が私に会いに来る可能性が高いのよ」
「え? なんで?」
「『黎明の空』はアーテルが死亡したと発表されてから、デュラハンの討伐を目標にしていたそうなのよ。で、そのデュラハンは私が倒してしまった訳でしょう? しかも『黎明の空』は私を嫌っている精霊教会と繋がりが深いらしくてね……ちょっと面倒なことになりそうなのよ」
「えぇ……? なんでそんな事になってるの……?」
「それは私だって知りたいのよ」
私は言葉に困り、肩を落としてしまう。するとキャロも大袈裟なまでに溜息を吐いてみせた。
「場合によっては、貴方のことを伝えた方が良いとも考えたけど……その調子を見る限り、会いたくはなさそうよね」
「うん……何を考えてるのかぐらいは、聞いた方が良いかなって思うけど」
「それはそうね。話を聞いて区切りがつけられるなら、それでいいでしょう。本当に来るかどうかもまだわからないのだから、気楽に構えましょう」
ひらひらと手を振って、キャロはそう言った。そんなキャロの誤魔化すような振る舞いが、今の私にとってはとてもありがたかった。
「……過去の記憶を取り戻したいとは思わないけど、それならいっそ思い出さないままで発作とかもなくなってくれたらいいのに」
「無理はするものじゃないわ。その発作も、もしかしたらトラウマになってるからなのかもしれないし」
「早く落ち着いて、キャロに何も心配されないようになりたい。そうしたら、もっとキャロのことを手伝えるでしょ?」
私が心からそう思って言うと、キャロは苦笑してみせた。
「良い子なのも程々にしておきなさい。人生、適度に力を抜いて生きていくのがいいのよ。あぁ、たくさん喋ったから喉が渇いたわね。お酒でも飲もうかしら」
「それなら、何か軽くつまめるものでも作るよ」
「あら、良いの?」
「うん。それに、私もお酒を飲める歳だってわかったからね。少しぐらいなら晩酌に付き合うよ」
十五歳から成人扱いなので、今の私は肉体的には十八歳の筈。それならお酒を少しぐらい飲んでも構わないでしょう。
私が晩酌に付き合うと言うと、キャロは目を丸くさせて私をまじまじと見つめた。
「晩酌に付き合ってくれるの?」
「お酒飲める年齢なら、どこまで飲めるか知っておいた方がいいでしょ?」
「それはそうだけど……そうよね……」
「キャロ?」
なんだかしみじみと呟いているキャロの様子がおかしい。どうしたんだろう、と思っているとキャロが穏やかな笑みを浮かべた。
「人とお酒飲む機会なんて、そんなになかったのよね」
「……キャロ」
「一人でも私は生きていけるけれど、寂しくないって訳じゃないのよ? だからアーテルがお酒に付き合ってくれるって、ちょっと楽しみね」
なんてささやかな願いだろう。でも、そんなささやかな願いですら、キャロは叶えるのに苦労してしまう。
最悪の亜人、ヴァンパイア。でも、それはあくまで種族の力であって、キャロそのものへの評価になる訳じゃない。そんな当たり前なのに、一度貼り付けられたレッテルはそう簡単には消えてはくれない。
理由は違うけれど、互いに一人になることに思うことがある私たち。だから、きっと私はキャロの側が心地好いと思うのかもしれない。
「私はキャロの弟子だからね。師匠のお話に付き合うのは大事でしょう?」
「ふふ、それもそうね。だったら楽しい話にしましょう。お酒を飲んでる時ぐらい、気が滅入るような話も真面目な話もなしで」
「程々にしてくれれば、私は何も言わないよ」
そんなやり取りをして、互いに微笑み合う。こうやって少しずつでも良いと私は思うんだ。
悪夢が終わって一ヶ月ほど、記憶も失っていた私じゃ日々生きていくのだってキャロがいなければどうしようもならない。
そんなキャロが、もし私と同じような傷を抱えているなら。辛い時に私を支えてくれた彼女に恩返しをしたいと思ってしまうんだ。
過去は過去だ。思い出したくもない過去だというのなら、私は思い出さなくても良い。
大事にするべきなのは、今。私を救ってくれたキャロと歩む今こそが、私にとって何よりも大事なものなんだから。
だから、過去が迫ってこようと私には関係ない。願うのはただ一つ、どうか嵐が過ぎ去るように何事もなく過ごせますように。
――そんな願いは、すぐに破られることになるなんて私はまだ知らない。
 




