10:生まれながらの悪
「アーテル、ハンター登録は終わったかしら?」
「あ、キャロ。うん、終わったよ」
ネレシャさんと一緒に登録のために必要な書類を記入し終わると、そのタイミングでキャロがレドヴィックさんと戻って来た。
「ギルド長、確認をお願いします」
「おう。ネレシャが見たなら問題ねぇだろ、これが登録証だ、なくすなよ」
レドヴィックさんは軽く流し目で書類を見た後、首から提げられるようにペンダントになったタグを渡してくれた。
受け取ったタグを見つめていると、頭の奥で何か引っかかるような感覚に襲われる。撫でるようにタグに触れていると、少しだけ気が滅入ってきそうになる。
「……どうした?」
「……いえ、少し、その気分が」
「大丈夫か?」
レドヴィックさんが睨むかのように私を見るけれど、声色は心配したものだったので心配してくれてるんだと思う。
浮かんできた憂鬱を振り払うように首を振ってから、私は笑みを浮かべてみせた。
「大丈夫です。その、積極的にはハンターとしてお仕事は出来ないかもしれませんが……」
「頼れる奴が一人でも多ければそれで良い。改めて、これからよろしく頼むぜ」
まだ顔が険しいレドヴィックさんだったけど、私は何事もなかったように応じる。
そんな私を観察するようにキャロが見ていたことに、私は気付くことはなかった。
* * *
ハンターギルドでの用事が終わると、次は食料や必要な買い出しだ。なので私とキャロは市場へと足を向けた。
「あら、キャロちゃん。いらっしゃい」
「どうも、おば様。野菜を買いたいのだけど良いかしら?」
「えぇ、見ていって頂戴。それで、そちらの子は?」
「前に話した同居人よ」
「アーテルです」
「そうかい、そりゃ良かったねぇ」
野菜売りのおば様は、穏やかに微笑みながら対応してくれた。キャロに接する態度も柔らかくて、キャロも親しそうだ。
キャロは軽くおば様と雑談をしながら必要な野菜を選んで、会計を済ませる。
「何か変わったこととかないかしら? 魔道具が壊れたりしてない?」
「大丈夫だよ。ただ、やっぱり身体が追いつかなくなってきてるねぇ、歳は取りたくないよ」
「何を言ってるの、まだまだ若いわよ」
「キャロちゃんから見たら私らなんていつまでも子供じゃないかい」
クスクスと笑いながら、おば様は楽しそうに笑った。そういえば接客の間も椅子に座ったままで、身体が草臥れているようにも見える。
キャロはそんなおば様の様子を観察するように見た後、椅子に座っているおば様の側に跪く。
「一応、診察しておくわ。何か悪い病気だったら心配だもの」
「そうかい? じゃあ、お願いしようかねぇ」
おば様が跪いたキャロに手を差し出す。キャロは差し出された手を優しく撫でた後、口を開いた。
そこで私はキャロの犬歯が異様に尖っているのを見た。軽い驚きと共にキャロの行動を見守っていると、キャロはおば様の指に犬歯を立てて噛みついた。
「えっ!?」
おば様は何も言わず、ただキャロに身を任せている。キャロの鋭い犬歯はおば様の指から血を流させ、キャロはその血を入念に舌の上で確かめているようだった。
何が起きているのかわからない。驚きのままに固まっていると、キャロが指を口から離して、小さく何かを呟く。
キャロが手を離した時には、おば様の手には傷一つ残ってはいなかった。
「……特に悪い病気はないけど、全体的に疲れ気味よ。病魔への抵抗力が落ちる前にゆっくり休むことをオススメするわ」
「ありがとうね、キャロちゃんが言うなら安心出来るよ」
「なら、今度は私を安心させるために疲れを癒して欲しいわね」
「えぇ、そうするわ。私も長生きしたいものね」
何事もなかったように雑談に興じる二人を、私は困惑の目で見つめることしか出来ない。
そうしていると、おば様が不思議そうに私に視線を向けた。
「どうしたんだい? アーテルちゃん」
「え、えっと……今のって……」
「診察して貰っただけよ? キャロちゃんは相手の血を吸うことで、体調が悪かったり病気があるのかどうか見極められるのよ。……もしかして、知らなかったのかい?」
「ごめんなさいね、おば様。アーテルには詳しい説明はしてなかったのよ」
「そうなのかい? じゃあ、キャロちゃんが〝ヴァンパイア〟だってことも知らなかったのかい!」
こりゃ驚いた、と言わんばかりにおば様が目を見開く。
そして、私もそれどころではなかった。〝ヴァンパイア〟と聞いて私の脳裏に浮かんだのは――
「――そこで何をしている?」
私の思考を止めた、割り込むような第三者の声だった。
声の方へと視線を向ければ、そこには精霊教会の法衣を纏った男性が立っていた。
赤茶の髪を腰まで伸ばし、切れ長の目は焦げ茶色。如何にも警戒していることを露わにしながらキャロを睨み付けている。
「……これは神官様。ただ野菜を買いにきただけですが?」
神官の男に幾ら睨まれようとも、キャロは飄々とした態度を崩すことはない。逆に神官の男がキャロの態度に気分を害したように眉を顰めている。
「ふん……どうだか。そうして陰謀の魔の手を広めんと暗躍をしているのではないか? そういった手口はヴァンパイアの常套句だろう」
「ちょいと神官様、言いがかりは止してくれないかい? キャロちゃんがそんな事をする筈がないって私らはよく知ってるんだよ」
「ご婦人、ヴァンパイアの被害者は皆、そう言うのです。彼等を良き隣人だとは思わないことだ。ヴァンパイアの洗脳は自覚症状がない方が多い。定期的に教会での洗礼と検診を受けることをオススメします」
「まぁ、働き熱心で良いことだわ。洗礼はともかく、検診してくれるなら病気の早期発見も出来るし、治療が早ければ軽症で済むことも多いでしょう。是非とも、この街の人たちのために力を尽くしてくださいませ、神官様」
キャロが笑みを浮かべながら言うと、神官の男は勢い良くキャロへと視線を向けて、忌々しそうに睨み付ける。
「……貴様がどのような思惑を企てようとも、精霊は全ての行いをご覧になっている」
「えぇ、遍く全ての民に祝福を与えし精霊に感謝の心を以て、祈りを捧げましょう」
「……ふん、白々しい。必ず、お前の尻尾は掴んでみせるぞ」
「勝手に探すと良いのだわ。見つかるといいわね? 私の可愛らしい尻尾が」
「ッ、失礼する!」
キャロの返答に怒りで顔を朱に染めた神官の男は、私にぶつかるように肩を当てて来た。私を押しのける際、私を強く睨み付けてから神官の男は足早に去っていく。
「おやまぁ! アーテルちゃん、大丈夫かい?」
「え、えぇ……」
「まったく! 普段はあそこまで短気じゃないのに、どうしてキャロちゃんが絡むだけであぁなっちゃうのかしらねぇ、神官様は!」
ぷりぷりと怒りながら、おば様は私を心配するように見つめる。少し体勢を崩しただけで、痛みなどはない。
「ごめんなさいね、アーテル。流石にあれは八つ当たりだわ」
「……キャロ」
私は改めてキャロを見つめる。その真紅の瞳を見つめながら、私は思いだした事実を確認する。
亜人には、同種族が固まり一族として暮らしている者たちがいる。例えば、森奥深くに住まう、精霊に寵愛されしエルフなどが有名だろう。
そんなエルフと同程度の知名度を誇るのが、ヴァンパイア。通称――〝最悪の亜人〟。
ヴァンパイアの誰もが見惚れるような美形であり、特徴的な真紅の瞳を持つ種族。長い寿命と蓄えた叡智を引き継ぐ者。
最悪と呼ばれる由縁は、人の心を惑わし、その生き血を啜る生態故にだ。人を洗脳する力を持つとも言われ、生まれながらの〝悪〟なる種族。
(キャロが、そのヴァンパイアなの……?)
私がどんな顔すれば良いのかわからずにいると、キャロは曖昧な笑みを浮かべた。
「……街に来る前に説明しておいた方が良かったかしらね、これは。アーテルもヴァンパイアについての知識があったみたいだし。まぁ、当然よね。子供でも知ってるような話だもの」
「キャロ……」
「そうよ、私はヴァンパイア。人の血を糧としなければ生きていけない吸血鬼よ」




