01:夜より冥く、日よりも眩く
2021/07/09 投稿(1/3)
人生の苦しみは、ただ苦しむためにある訳ではない。
その苦しみは、後の人生において大きな実りとなるために。
あぁ、人よ。どうか、希望を謳うことを忘れないで欲しい。
いつか、君の人生を彩る大いなる実りのためにも。
* * *
森が怯えていた。息づく生命が息を潜め、その存在を隠そうとしている。それ故の静寂だった。
不気味なまでに静まり返った森の中には、漂うほどの血臭が広がっている。
血臭の元を辿れば、臭い広がるのも納得の凄惨たる光景がそこには広がっていた。
大きな身体を持つ魔物だ。森の主と言っても差し支えないほどの存在感を持っていただろう魔物の骸は無数の傷がつけられていた。自慢の武器だったのだろう爪や牙は見る影もなくボロボロだ。
手足の幾つかは引き裂かれたように欠落し、その身体にも絶命に至るのに納得の傷が幾つも刻まれていた。
惨殺の現場となった森の広場は魔物の血が飛び散っており、森の緑と相反する赤が凄惨さを強調してしまっている。
その魔物の骸の側に膝をつく人のような影がある。月の光に照らされても呑み込まんばかりの黒だ。それは全身を鎧で身に包んでいるかのような姿を取っている。
しかし、その鎧は鉄とも言い切れぬ不思議な光沢を放っていた。それこそ影や闇が形をもって実体化しているような全身鎧の人影。
その人影は一体何をしているのか?
――端的に言えば、その影は〝魔物を喰らっていた〟のだ。
食事と言っても、肉や臓物を口に運んでいる訳ではない。生き血を啜っている訳でもない。
影が喰らっているのは、魔物の骸に残っていた魔力。以前はさぞ巨体に見合うだけの凄まじい魔力を秘めていたと思われるが、今となっては消えかけの蝋燭のように頼りない。
その最後の残り火ともいえる魔力を、息を吸うかのように影は飲み込んだ。満足したのか、それともまだ足りないと身を震わせているのか。影は仰ぎ見るように空へと視線を向けて、その身を揺らす。
「――いやはや、これは酷いのね」
ふと、声が響く。魔物の骸の気配も完全に絶え、この場に残っていたのは黒い影だけの筈だった。
それなのに、いつからそこに立っていたのか。そこには白金の髪を持つ少女がいた。
瞳の色は真紅。時折、真っ赤に染まる月の色のような瞳が興味深げに影を見つめている。
身に纏っている衣装も白がベースに金色の縁取りなど為されたもので、影の色とは対極とも言えるような色彩だ。
少女の存在に気が付いた影は、跪くような姿勢からゆっくりと身体を起こす。
すっぽりと顔を覆うような兜、その目の位置の部分に光が揺らめき、それが目のように現れた少女を捉えている。
漆黒と白金、相反するような色を持つ両者は暫し、そのまま見つめ合う。顔すら見えぬ黒の影は目して語らず、代わりと言わんばかりに白の少女が口を開く。
「貴方に会ってみたかったのよ、ようやく会えたわ。出来れば、この感動を分かち合いたいと思ってはいるんだけど――」
白の少女のセリフが途切れる。同時に硬い何かがぶつかり合ったような甲高い音が響き渡った。
白の少女の手の中には短剣が握られ、黒の影の手には闇で象ったような大鎌が握られていた。甲高い音を立てたのは、この短剣と大鎌である。互いに譲らぬと言わんばかりに力を込め合い、短剣と大鎌が震える。
「……話が通じそうな相手ではなさそうなのね。それも仕方ないのかしら」
ふぅ、と。息を吐いた白の少女が一気に力を込めて、大鎌を弾き飛ばす。
後ろに下がった黒い影は、そのまますぐに少女を引き裂こうと大鎌を振るおうとした。
しかし、それよりも早く光が夜の闇を切り裂くように輝いた。
月明かりよりも眩く、彼女自身の色を示すかのような淡く優しい色合いの赤色の魔力の刃。それが短剣から浮かび上がるようにして伸びていて、その切っ先を白い少女は黒い影へと向ける。
「それじゃあ、少し踊ってみましょう。生憎と私は強いのよ? 魔力が欲しいのなら――全力でかかってくることね!」
白の少女は不敵に笑みを浮かべ、黒い影を挑発する。
その挑発に乗ったのか、黒い影は勢い良く踏み込んで白の少女へと肉薄する。並の戦士であれば接近されたことにも気付かないような速度だ。
しかし、白い少女は難なく対応する。笑みを浮かべたまま、命を刈り取らんと迫った大鎌を紙一重で避けて、逆に黒い影へと肉薄して魔力刃を振るった。
三日月のように闇の中で弧を描いた魔力刃が黒い影を削る。堪らずといった様子で黒い影がよろめき、後ろへと下がろうとする。
「残念、そこはまだ私の間合いなのよ!」
魔力刃が伸びて、後ろへと下がろうとした黒い影を再び切り裂く。まるで闇が削り取られたかのように揺らぎ、煙のように霧散していく。
それから黒い影は警戒を強めたのか、慎重に白の少女の出方を窺う。手に持っていた大鎌が鎧と同化するように消え、今度は槍へと姿を変えていく。
「あら、芸達者なのね。えぇ、実に興味深いわ。私はね、貴方のことをもっとよく知りたくて会いに来たのよ。だからもっと見せて頂戴! 貴方が何なのか、もっと私に教えて頂戴!」
白の少女が歓喜したように告げた。それを聞いているのか、いないのか。ただ脅威を排除せんとするように黒い影は槍を振るった。
影の槍と、魔力刃が交差する。鍔迫り合いの音が森の静寂を切り裂いていく。相手の命を奪わんとする無慈悲な槍と、応じるように打ち払う剣。
まるで互いに合わせて舞っているかのようだった。中身を見ればそんな生温い話ではないのだが、それでも観衆でもいれば息を呑んで二人の戦いを見守ったことだろう。
並の反応速度では追いつけない攻防が一瞬の間で過ぎていく。立ち位置を入れ替え、間合いを変え、かと思えば接近する。
黒い影の武器も槍から大鎌、はたまた剣と多彩に変化していく。対する白の少女も魔力刃の長さを変幻自在に調整して、黒い影の猛攻を捌ききってみせる。
実力は拮抗しているかのように見える。しかし、攻めの主導権を握っているのは黒い影の方だ。もし、黒い影の猛攻が白い少女の防御を崩すことが出来れば一瞬にして決着が付くだろう。それ程までに薄氷の如き均衡だった。
「――――ッ!」
「くっ――ッ!?」
そして、その均衡は黒い影が意を決したように繰り出した捨て身の一撃によって破られる。
白い少女の一撃を受けながらも、強引に少女の身を貫く槍。白い少女の装束を赤い血が濡らし、華麗に舞っていた白の少女は動きを強制的に縫い止められていた。
「う、ぐ……やる、じゃないのよ。私まで食べようって言うの……?」
口から血を吐き出す白い少女。しかし、その表情は不敵な笑みのままだ。
それが気に入らないと言うように黒い影が突き刺した槍で傷を押し広げようとした、その瞬間だった。
「――でも、自分が一方的な捕食者だと思ったのかしら?」
白の少女の真紅の瞳が、光を帯びた。自身の身体を貫いている黒い影の手を槍ごと掴み、逃がさないと言わんばかりに力を込める。
いつの間にか、白い少女の口から伸びた犬歯が出ていた。それは彼女が純粋なる人にあらざる証拠。
故に、腹を槍に貫かれながらも白い少女は次の行動へと移ることが出来た。
「食べられるものなら、食ってみなさいな――ッ!」
それは、まるで互いに喰い合っているかのように。
白い少女は黒い影に爪を突き立てる。そこから闇が吸い上げられるようにして影が崩れていく。
黒い影は身を捩って白い少女を振り払おうとしている。だが、それは白い少女の腕からは想像も出来ない力によって抑え込まれた。
その時間は、果たして長かったのか、短かったのか。
先に崩れ落ちたのは――黒い影であった。
影が、まるで形を維持できずに崩れ落ちていく。
その崩壊する影を白い少女は抱き留めるように手を伸ばした――。
* * *
――悪夢だ。あぁ、とても長い悪夢を見ていた。
その夢は、私が目につく命を殺し尽くす夢だ。夢の中の私は酷く餓えていて、餓えを満たしたいという欲望しかなかった。
殺して、啜って、幾度も繰り返して。血の香りには慣れてしまった。死の気配は身近になるほどに感じすぎてしまった。
こんな事がしたかった訳じゃないのに。その筈なのに、私は殺す。また殺して、啜って、次の獲物を探す。
そんな、ずっと終わらない悪夢を見ていた。……その筈だった。
「……どこ、ここ?」
久しぶりに自分の意思で出した声は、酷く掠れていた。
状況がわからない。自分が何者かさえ、長すぎた悪夢で曖昧だ。
何もわからないまま、ただ呆けるように天井を見上げていると覗き込むように誰かが視界に入った。
覗き込んだのは、夢の中で見た覚えがあるような少女。
日の光によって照らされた白金色の髪は、夜明けのように明るく。私を覗き込む真紅の瞳は柔らかな色合いで、親しげに私を見つめている。
彼女は笑みを浮かべたまま、心の底から嬉しそうに、そしてホッとしたように私に声をかけた。
「おはよう。気分はどうかしら? 死神さん」
悪夢が終わった。
それは再生の始まり。私のやり直しを告げる朝の訪れだった。