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それでも愛してると言いたかった  作者: 和菜
一章 籠の鳥
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冷めた会食

 

 普段からあまり立ち入らない父の書斎の前で、聖人はドアをノックする前に、一つ深呼吸をした。

 実の父と対面する時は、いつも得体の知れない緊張感と威圧感を覚えて落ち着かない。

 用件は何だろうか。

 また何処ぞの家のパーティーに出席しろ、とか、重役が集まる宴席に顔を出せ、とか、そんな話だろうか。

 何にしても、仲良く肩を組んで笑い合って団欒、という流れではないだろう。

 聖人は気が重くなるのをどうにか我慢して、屋敷で一番荘厳で立派な造りをしているドアをノックした。

「入れ」と短い声が聞こえて、聖人も「失礼します」と告げてドアを開ける。

 中では、高級なデスクが窓際に一つ、その座り心地の良さそうな椅子に腰掛け葉巻を吸いつつ窓の外を眺めている紳士が一人。

 その両脇を固める、体格の良い黒スーツの男が二人。


「お呼びですか」


 デスクに歩み寄り、そう硬い口調で聖人が問えば、椅子に座る紳士――父の宗一はくるりと聖人の方に振り向いて、口から葉巻を外した。


「橋谷の息子と大善寺の二番目の娘の話は、聞いているな?」

「……はい」


 先程もデートの報告があったばかりだ、とは言わず、じっと聖人は父を見下ろす。


「金も持たない下賤の女と関係を持っていた頃は、正直橋谷財閥も地に落ちたものだと思ったが、良い感じに纏まりそうで私も安堵した」


 ――何様のつもりだ。

 思わず口から出そうになった言葉を、聖人は表情を崩すことなく、無理矢理腹の奥底に追い遣った。

 少なくともあの頃幸三郎は……確かに、三葉を愛していた。

 父くらいの年頃の人間からすれば、子供のままごとみたいに見えるのかもしれないが、それでも、あの頃の幸三郎も、三葉も、本当に真剣だった。


「良い機会だ。うちもあやかろうと思ってな」


 聖人が腹の底に湧き上がる怒りを、平静を装って捻じ伏せる間に、宗一はデスクの引き出しから白い二つ折りの冊子のようなものを取り出して、聖人に差し出した。

 薄く丈夫なそれが何であるかは、聞くまでもなく分かった。

 聖人は無言でそれを受け取り、中身を開く。

 そこには、高級着物と吐き気を覚えるくらいの化粧で、全身を鎧のように固めた絢子の写真が、中央に大きく貼り付けられていた。


「彼女の父、長谷川君彦(はせがわきみひこ)氏からも是非にと薦められた話だ。

 日時は今度の土曜昼十二時、場所は“鼓楼亭(ころうてい)”の個室を押さえてある」


 それは、宗一からの見合い命令、だった。

 聖人の意思は関係ない。

 宗一が勝手に良縁と判断して、聖人の都合など一切構わず、その最高の席を設定した……。

 ついに来たか、という諦観と、やっぱり自分は駒でしかないのだな、という失望が、胸の辺りで綯い交ぜになる。

 ここで、聖人が拒否の言葉を喚いたら、果たして宗一はどうするだろう。

 いや、きっと彼はどうもしない。

 有無を言わさず、聖人を力尽くでも従わせる。

 手段など選ばない。下手をすれば、聖人はその日まで何処かに閉じ込められることだろう。

 息子が必ず幸せになる、という親心ならではの勝手な思い込みなら、まだ可愛げがあるけれど。


「……何か不満でもあるのか」


 押し黙って口を開かない聖人に、宗一は酷く冷めた声でそう言った。

 言ったところで聞き入れはしないくせに。

 内心で悪態を吐き、それを誤魔化すように聖人は小さく息を吐き出して。


「いえ。承知致しました」


 と深く頭を下げて、宗一に背を向けた。



 □□□



『鼓楼亭』に着いたのは約束の時間の三十分程前だった。


「いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました」


 上品な着物に身を包んだ女将に迎えられ、聖人と宗一は玄関先で履物を脱ぎ、料亭内に足を踏み入れた。

 今日は聖人も宗一も和装だった。

 どうぞ、と女将に連れられて、二人は板張りの廊下を歩く。

 ここ『鼓楼亭』は、宗一も仕事の会合などでよく利用する老舗の料亭だった。

 格式高い由緒ある高級料亭で、政治家連中も足繁く通っているらしく、もっと言うと……誰にも聞かれたくない“黒い話”をする際、決まって利用される料亭である、とか。

 と言っても、聖人も噂程度に聞いた話なので、本当の所はまだ分からないけれど。

 将来、もっと父の仕事に関わるようになって、最終的に事業を継ぐ段に至った時、嫌でもその噂の真偽を目の当たりにすることになるだろう。

 そんな将来が容易に想像出来て、聖人は歩きながら微かな皮肉めいた笑みを浮かべた。


「こちらでございます」


 通されたのは、店の一番奥の座敷だった。

 女将が廊下に腰を下ろし、「失礼致します」と中に声を掛けてから、部屋の障子を開けた。


「お見えになりました。さあ、どうぞ」


 促され、宗一と聖人は座敷の中に入る。

 広くもなく狭くもない、程好い部屋の中央に木製のテーブルと座椅子があり、長谷川親子は既にその片側で聖人達を待っていた。


「おお、これはこれは此木会長。この度は貴重な席を設けて頂き、ありがとうございます」


 長谷川絢子の父、長谷川君彦は、宗一の顔を見るなり立ち上がり、右手を差し出しながら歩み寄って来た。

 宗一も笑みを浮かべて握手に応え、後ろで絢子も礼儀正しく宗一と聖人に向かってお辞儀した。


(……女は化ける、とはよく言ったものだな)


 今日の絢子はいつかのパーティーと比べたら随分控え目な姿だった。

 目に優しい色合いの着物を纏い、髪はすっきりと纏め上げ、メイクもナチュラルに留めている。

 個人的にはあのパーティーの時の姿より、今日の方がずっと好印象だった。


「聖人さん、この間は私の誕生パーティーにお越し下さって、ありがとうございました」

「いえ。こちらこそ、お招きありがとうございました。慌ただしく帰ってしまってすみません」

「あの……如何でしょう、今日の着物。聖人さんのご趣味に合ったかしら?」

「ええ。とても、素敵だと思いますよ」


 素敵、という言葉に絢子は見るからに頬を染めて俯いた。

 聖人は表情こそ小さく笑みは浮かべているが、所詮それは営業スマイルである。

 その笑みの裏で、聖人の心中は酷く冷めたものだった。

 聖人自身、この見合いがどういう意味を持つのか理解している。

 そんな場で、「俺の好みではないです」と冗談でも言う阿呆が居る訳がないだろう。

 社交辞令と気付かない絢子の間抜けさと、スラスラとその気もない言葉を思い付く自分は、酷く滑稽だった。

 運ばれて来た料理をゆっくりと食べながら、暫し親子混じっての会話が交わされた。

 それこそ当たり障りない、趣味とか好きな食べ物の話、学校生活についての会話だったが、聖人には、互いが互いの粗を一つも見逃さないよう笑顔で探り合っているようにしか見えなかった。

 特に、父の宗一はその意図が言葉の端々に明らかに見え隠れしていて、内心不快だった。

 自分が会社のために益になり得ると判断して、この縁談を受けたくせに。


「此木会長、そろそろ邪魔者は退散して、二人だけにしてあげませんか?」

「おお、そうだな。ゆっくり、互いに親交を深めるといい」


 料理を食べ終わった頃、父二人はそう言って部屋を出て行った。

 二人きりになると、途端に絢子が頬を染めて何やらもじもじし始めて、聖人は思わず目を顰めた。

 こういう類の女は、無駄に体をくねらせれば男の何かが刺激されると思い込んでいる節があるらしい。


「正直、今回のお見合い、お受け下さると思ってませんでした」

「何故です?」

「だって聖人さん、うちが主催のパーティーや舞踏会にたまに来て下さらなかったり、来て下さってもいつも私のことを躱して……

 きっと、あまり私の事を快く思ってらっしゃらないと思ってましたから」


 そりゃ用事があれば行かないし、積極的にお近付きになりたい相手でもない、親のビジネス上の付き合いしかない相手を必要以上に構いはしないだろう、普通。

 ……と、うっかり漏れそうになった心の声を、茶を流し込んで喉の奥に無理矢理押し込むと、聖人は営業スマイルを装備して、「そんなことはありませんよ」と言った。


「タイミングが微妙に合わなかったんでしょう。御不快な思いをさせてしまったのなら、申し訳ありません」

「不快だなんて……! こうしてお見合いをお受け下さったんですもの。今、私、とても幸せです」


 世間ではこういうのをあざといというのだろうか。

 そんなことを冷めた気分で思いながら、また茶を一口。


「あ、あの、良かったら一緒にお庭を歩きませんか?」

「いいですよ」


 本当はもう帰りたいが、そうは言えないので言われるまま付き合うことにする。

 二人は連れ立って外に出ると、趣ある庭園に出て小さな池の畔まで歩いた。

 規則的に音を刻む鹿威しの風情ある音と、湖面を優雅に泳ぐ鯉。

 こんな席でなければ、心癒される光景だった。

 絢子は、着物に慣れてない、などと言って、待ってましたとばかりに聖人の腕に擦り寄って来た。

 馴れ馴れしく腕を絡めて来て、例の上目遣いで聖人を見つめる。

 もしこれが着物でなく、程好く肌が露出された服であったなら、男の欲情を煽ったことだろう。

 だというのに、聖人は一向に顔色を変えない。

 鉄壁の営業スマイルで当たり障りない受け答えをするだけだった。

 そんな彼に、絢子も少しずつ焦れていくのが分かる。

 残念なことに、絢子のボディラインや着物がどうこうという話ではなくて。

 興味のないことにはとことん興味が湧かない、という彼の性分の問題だった。


「それで、聖人さん。次はいつお会いしましょう?」


 何故か絡めた腕にぎゅっとしがみ付くようにしながら、絢子がさり気なさを装ってそう切り出した。

 聖人がそれを言ってくれることを期待していたのか、声音にほんの微かなじれったさが滲んでいた。


「そうですね……」


 次はいつお会い“出来ますか”ではなく、お会い“しましょうか”という言い回しに内心むっとする。

 結婚するか否かはまた別の話ですよ、と突き放せたらどんなにいいだろう。

 家を出る直前まで、前向きな気持ちで今日の見合いに挑もうと思ってた筈なのに、今はとにかく早くこの勘違いなお嬢さんから離れたくて仕方がない。


「そうだわ。私、今度の日曜日にクラシックコンサートを鑑賞しに行くのですけど、聖人さんもご一緒しませんか?」

「クラシックコンサート、ですか」

「父の名代で参りますの。一人ではつまりませんし、是非」


 名代、ということは、主催者から正式に長谷川氏が招待されたコンサートなんだろう。

 絢子は巾着の中から財布を取り出し、中からチケットを取り出して、一枚を聖人に差し出した。

 最初から一緒に行こうと誘うつもりだったようだ。


「ね、是非」

「……分かりました。お供します」

「本当? 嬉しい……! 楽しみにしていますわ!」

「私も。さあ、そろそろ中に戻って、父達を呼び戻しましょう。気付けば随分話し込んでいたようです」


 受け取ったばかりのチケットをちらりと見遣る。

 会場の二階、バルコニー席の座席番号が書かれたそれに、聖人は口の中だけでため息一つ。

 書かれていた会場は、最近オープンしたばかりの、最新設備が整えられた劇場だった。

 それも、つい先日、舞台観劇にと幸三郎が咲と訪れた劇場でもある。

 用意周到さに、女って怖いな、と聖人は呆れ交じりに思ったのだった。




「どうやら無事に済んだようだな」


 乗り込んだ車が発車すると同時に、宗一は硬い声で言った。


「今度の日曜、絢子嬢と二人で出掛けるそうだな。

 長谷川財閥はうちが懇意にしている大事な取引先だ。くれぐれも、失礼のないように」

「……承知しております」

「ダラダラと交際を続けてもしょうがない。式の日取りと式場は追々私と長谷川氏で相談して決めておくから、それまでお前は絢子嬢と少しでも距離を縮めておけ」

「……はい」

「いいな、聖人。この良縁、破綻になれば此木財閥の損害は大きなものとなる。

 そればかりか、下手をすれば多くの従業員が路頭に迷うことも大いに有り得る。せいぜい、絢子嬢に嫌われないように気を付けろ」


 ――何なら、先に子を作っても構わんぞ。


(……下郎)


 横目で見えた父の表情に、聖人は吐き気を覚えた。

 彼にとって、聖人と絢子の意思は勿論、人道的な倫理や常識、良識など意に介さない。

 二人が結婚しさえすればいい。

 そうなるように二人を、周りを動かす必要があるなら、彼はどんなことでもするだろう。

 父は、そういう、男だ。

 全ては、自身が祖父から引き継いだ会社のため。

 自身の名誉のため。

 自身が築いた富のため。


「心配は要りませんよ、父上」


 でも、聖人は、思う。

 そんな父のしがらみから一時でも逃れるために、父が喜ぶ回答を難なく唇から紡げる自分も、下郎だ。


「あのお嬢様、俺にぞっこんのようですから」


 前向きな気持ちになんてなれないまま、結局酷い気分で一日過ごしてしまった大人気(おとなげ)ない自分も、下郎だ、と。


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