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それでも愛してると言いたかった  作者: 和菜
一章 籠の鳥
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踏み出した一歩

 

 次に幸三郎に学校で逢ったのは、休みが明けて三日後の、水曜日のことだった。

 一緒に昼飯どう? というメールが入り、聖人は快くそれを受け入れて、以前と同じように学食で待ち合わせた。


「……お前、どうしたの、その怪我?」


 二人でテーブルについたところで、幸三郎が怪訝な顔で問うた。

 数日前、屋敷の敷地内で出逢った妙な少女に付けられた傷は、運が悪い事に小さな傷跡をそこに残してしまっていた。

 会う人間全員に同じ事を訊かれ続け、何となく鬱陶しいような気分になり掛けていた聖人は、少々ぶすっとした顔で「転んだ」とだけ答えた。


「転んだ、って、お前が? はは、珍しい事もあるもんだな」

「……まあな」


 鞄を置いて席に座る幸三郎に、ちらりと視線を移した。

 見合いは四日前、土曜には済んでいる筈だが、髪の色も態度もいつも通り。

 そもそもが自分達にとっては“浮いた話”ではない。

 見合いの様子や結果を喜々として、あるいはがっかりした様子で語ってもらえるとは思っていなかったけれど。

 幸三郎は高級ステーキ定食を運んで来ると、「いっただっきまーす」と言って口に運び始めた。


「あー……やっぱ肉は正義だよな」


 よく分からない感想を口にしながら、次々とご飯と肉を口に入れる姿に、聖人は何だか妙に気が抜けた。


(そういえば……)


 自身も、使用人に持たされた弁当を口に運ぼうとして、ふと、聖人は例の少女のことを思い出していた。

 あれから、毎日のように立ち入り禁止区域に出向き、蔵と湖を訪れているが、あれ以来少女とは会っていない。

 まさか本当に夢だったのかと思ったこともあったが、眉の傷と、手の平に妙に鮮明に残る彼女の肌の感触が、あれは現実だったのだと主張する。

 野暮ったい長髪、みすぼらしい姿。

 日本一裕福な家庭の敷地内に在って、明らかに貧しい身なりの少女。

 思い返してみればその手は細く、足も骨ばっていた。

 あの子は、毎日腹一杯にご飯を食べているんだろうか。


「此木? おーい、どうした。ぼーっとして」

「、……あ、いや。何でもない」


 またしてもあの少女の事を無意識に考えていたことに気付き、聖人は慌てて弁当を頬張り始めた。


「なあ、ところで聞いてくれよ此木。この前の土曜の見合い」


 聖人の思考を遮るように、幸三郎が唐突にそんな切り出しをした。

 まるで休日に遊びに行った時のことを報告するような、軽い調子で。


「気取ってもしょうがないと思って、髪の毛このままで行ってみたんだけどよ」

「……怒られたのか」

「いや、逆。親父の奴、“お前の本質を見てもらえて、逆に好都合だ”なんて言いやがってよ。

 そしたら、大善寺の社長、俺の顔見るなり口をぱっかんさせてやんの」

「悪趣味だな……」

「何食わぬ顔で見合いを始めて、俺もまあいつもの調子で普通に大人に接するみてえに振る舞ってた訳」


 意外と楽しい席になったのか、幸三郎の口の端は弧を描いている。

 こういう男は一度吹っ切れると、人を半ばからかってでも物事を楽しむから厄介だ。

 しかも、からかわれた相手も最終的に笑顔で「楽しかった」と宣うから、ある意味凄い。


「お嬢さんと二人きりになった時な、“幸三郎さんってチャラくていい加減な男かと思ってたけど、それだけじゃない、面白い人ね”って、褒めてんだか貶してんだか分かんねえ感想貰ったよ」

「少なくとも、第一印象が変わったという点に於いては、褒められたんじゃないか?」

「それ言ったら俺も変わったぞ。大善寺家の二番目のお嬢さん、気が強い高飛車女かと思ったらさ、意外と礼儀正しくてびっくり。おまけに、ピーマンが嫌いという意味分かんねえ庶民くささ!」


 可笑しそうに笑う幸三郎に、聖人は心に安堵が広がるのを感じた。

 最初は、決して気乗りする縁談ではなかった筈だろう。

 けれど見合いを終えた今、互いに互いの印象が良い意味で変わり、本当に吹っ切れて、前向きな気持ちになれたのだということが、彼の声音や話し方で伝わって来る。


「でさ、今度お嬢さんと二人で出掛けることになったんだ」


 聖人の予想を肯定するかのように、幸三郎は微笑んでそう告げた。

 メッセージアプリのIDも交換し合って、他愛のない話をよくする、とも。


「――やっぱさ、踏み出してみねえと分かんねえよな。こういうの」

「ん?」

「機械みたいにさ、終わると思ったんだ。

 必要な事だけ話して、必要な事だけ決めて、ものの一時間かそこらで終わると思ってた。

 だってのに、気が付いたら三時間くらい話してて、自分がすげえ楽しんでたんだって気付いて、ちょっとびっくりした」

「……そうか」

「うん。なんか……すっきりした、かも」


 ほっとしたように呟く幸三郎に、聖人は一瞬、言葉を迷った。

 咄嗟に、「忘れられそうか?」と訊きそうになって、それは違うな、と思ったから。

 一ノ瀬三葉のことは、きっと、幸三郎は今も忘れていない。

 そんな簡単な想いではなかった。

 一度や二度別の女と見合いしたくらいでは、相手の印象が変わって気持ちが前向きに変わっただけでは、まだ十分とは言えないくらいに。

 それに、忘れる、ということが、こういう場合、正しい事ではない、気がするのだ。

 だから聖人は、僅かな逡巡の後、こう問うた。


「好きになりたいと、思えたか?」


 正直これも、正しい問いである自信は、なかったけれど。

 幸三郎は、一瞬軽く目を丸くしたけれど、すぐに、ふ、と小さく笑って。


「うん」


 はにかむような笑みで、そう、答えた。

 闇雲に過去から引き摺る想いに囚われるのではなく。

 過去に抱いた大切な想いを、大事に抱えたまま、新たな一歩を踏み出して、違う誰かをまた大切に出来るように。

 多分それが、幸三郎が土曜日、思い掛けない結果を生んだ見合いの末、得た答えなんだろう。

 いつかきっと、聖人にもこういう日が来る。

 大して思い入れなどない相手と見合いを強いられ、家のために婚姻を結ばされる日が。

 それが自分の未来と受け入れているから、否やもない。

 けれど――“その時”が来たら。

 幸三郎のように、少しでも前向きな気持ちになれたらいいな、と。

 聖人はこの時、思った。



 □□□



 大善寺家の二番目の娘、名前は(さき)という。

 幸三郎は、意外と庶民的なところがある咲と、映画やショッピング等といった富豪の子供とは思えない、普通のデートを繰り返しているらしい。

 格式張るのが苦手という点でも、二人は随分気が合っているようだった。


『今日は咲お嬢さんの誘いで、舞台を見に行って来た。なんか、漫画だかゲームだかが原作の舞台なんだってよ。

 このお嬢さんマジで“お嬢さん”か?(笑)』


 会場のロビーに貼られたポスターを、スマホの写真に収めようと奮闘する咲の姿を、背後からこっそり撮影した、と思われる写真を添付してメッセージが送られて来たのは、見合いから三ヶ月程経った頃の土曜日。

 その写真と文面を見て、聖人も思わず軽く吹き出すように笑った。

 確かに、社長令嬢が漫画やゲームが原作の演劇を、庶民に紛れて見ている、なんて結構シュールだ。

 オペラとかクラシックコンサートとかならいざ知らず。

 とはいえ、意外とその舞台を幸三郎自身も楽しめたようで、その数時間後には例のポスターに写っている俳優と同じポーズをした写真も送られて来た。

 咲に撮ってもらったのだろう。

 本人に自覚があるのかないのか、最近彼は咲の話ばかりをする。

 メールもデートの報告が多くなったし、学校などで会えば必ず話の何処かで咲が登場する。

 思った以上に、幸三郎は咲に強く惹かれているようだった。

 そしてそれは多分、咲も同じみたいで。

 幸三郎がかつてどれ程傷付いて苦しんだか知っているだけに、聖人はそんな幸三郎の姿を見る度、妙に温かい気持ちになった。


「メッセージでございますか?」

「ああ」


 テーブルに紅茶が入ったカップを乗せながら、修三が微笑まし気にそう声を掛けて来た。

 特に予定もない、天気の良い土曜日だったので、聖人は今日庭に面したテラスでのんびりとお茶を飲みながら読書を楽しんでいた。


「橋谷からだ。咲お嬢さんと舞台観劇に出掛けたらしい」

「それは結構な事でございますね。しかしこの時期、見頃なミュージカルやオペラがございましたでしょうか?」

「いや、もっと肩の力を抜いて観れるやつだ」


 言って聖人は、幸三郎から送られて来たメールを修三に見せた。


「おお、これはこれは……」


 楽しそうにしている孫の姿に喜ぶような顔で、修三は笑う。


「幸三郎様も、随分お元気になられたようで、(わたくし)も安心致しました」

「そうだな……」


 修三も、幸三郎がかつて、愛する人と無理矢理引き裂かれて辛い思いをしたことを知る数少ない人物だった。

 これから、咲お嬢さんと晩飯行って来る、というメッセージに「気を付けてな」と返信を送ると、熊が“バイバイ”と手を振る可愛らしいスタンプが送られて来た。

 似合わないからやめろ、と再び小さく笑って、聖人はアプリを閉じる。

 修三の淹れてくれた紅茶を一口啜って、膝の上に開いたままだった本に再び視線を落とした。

 修三は茶菓子をテーブルの上に置くと、恭しく一つ頭を下げて、屋内へと戻っていく。

 何もない休日は、聖人は専ら本を読んで過ごす。

 大学生になると、休日さえ返上で父の仕事の手伝いをさせられることも少なくなくなって来たが、それもない貴重なオフは、一人読書に耽ることの出来る至福の一日である。

 家の人間は聖人がそうして過ごす時間をとても大切にしていることを知っているので、余程急ぎの用でもない限り話し掛けては来ない。

 けれどその日、申し訳なさそうな顔をしてメイドの一人がテラスに入って来たのは、一杯目の紅茶を飲み干して、二杯目の紅茶を注ぎ足し、菓子を一つ口に運んだ時だった。


「失礼します。お寛ぎのところ申し訳ありません」

「どうした?」

「それが……旦那様が、すぐに自室に来るように、と」

「……父上が?」

「はい」

「分かった。すぐに行く」


 そこで初めて、聖人は父の宗一が今日家に居ることを知った。

 唐突な呼び出しに眉を顰めたが、聖人は素直に応じて読んでいた本を閉じ、ティーセットを片付けておくようメイドに命じてテラスを後にした。


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