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それでも愛してると言いたかった  作者: 和菜
七章 逃亡
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君のためならば

 

「……全く。俺よか頭良くて要領良いくせに、そっから先は策なしかよ」

「……悪かったな」

「だから最初から俺を頼れば良かったんだよ。ほんと、頭良くて要領良くても、俺がいなきゃ全然駄目だな」

「さっきから同じ嫌味を繰り返すな」


 呆れたような、けれど何だか勝ち誇った様子の幸三郎に少々むっとして応えると、不意に、幸三郎がソファから立ち上がった。

 そうして、上着の内ポケットからスマホを取り出し、聖人に手渡した。


「明日、十三時発の沖縄行きの飛行機を押さえておいた。急だが、それでお前ら沖縄に飛べ」

「なに……?」

「沖縄県のある離島に、もう一軒俺が所有する別宅がある。そこならここより安全だ。

 航空券の予約番号とか、そこへの行き方は全部そのスマホにメモってあるから」

「橋谷、お前……」

「自分の力だけではその子を守れない。そう分かってたから、俺のこの別荘を選んだんだろう? なら、とことん使わせてやるよ。どうせ、暫く使ってねえしその予定もねえからな」


 満面の笑みを浮かべて言う幸三郎に、聖人は目を瞠った。

 それは正しく、下手を打てば彼の幸せを脅かす行為そのものだった。


「しかし、橋谷……こんなことしたらお前は……!」

「言ったろ。お前のためなら、どんな事だってしてやるって。

 どうなったってもう、絶望なんかしねえし、誰も恨みもしねえ。ましてや後悔なんざ絶対にしねえよ。

 それで、お前を守れるんならな」


 強い決意と優しさを秘めた瞳に、聖人は胸の奥が痛くなる。

 親友だと思っている。

 幸三郎に何かあれば、聖人とて絶対に助けてやろうと決めている。

 けれど……


「それは……俺ではなく、咲お嬢さんに向けられるべき優しさ、だろう……何故、俺なんかのために……」


 少なくとも三葉の時は、助けてやれなかった。

 今回だって、何も言わず、捨ててさえ来てしまって、そのくせ都合のいい部分だけ都合のいいように利用していたのに。


「何故、ってそりゃお前……」


 だが幸三郎にとってはそんなの当たり前だった。

 幼い頃、初めてパーティー会場で言葉を交わしたあの瞬間から。

 聖人に、親友を捨てる事を躊躇わせないくらいに想われている紫音に、軽く嫉妬さえ覚えてしまう程度に。

 幸三郎は、聖人が好きなのだ。


「お前は俺の、初恋の相手だからな」

「は!?」


 とんでもない誤解を生む言い方に、案の定聖人は素っ頓狂な声を上げた。

 あ、言い方間違えた。


「お、お前……昔はそういう嗜好、だったのか……? というか、そういう目で俺を見ていたのか……!?」


 人間性に初めて惚れたって事だって――と言い直そうとしたが、聖人の動揺ぶりが可笑しくて、ついからかいたくなる。


「黙っとくつもりだったんだけどな……実は俺、お前のあーんな姿やこーんな姿を想像して興奮した事があるくらいには、結構マジな時期があってだな……」

「な!?」

「何だろうなぁ……あのパーティーで初めて話した時から、此木の一番は俺じゃなきゃやだ! と思いながら過ごしてたりもしたし……分かんねえもんだよなぁ、人生って」


 ここへ来て神妙な顔でとんでもない事を平然と告げる幸三郎に、もはや聖人は絶句した。

 親友にそんな目で見られていたのだということが発覚して、さっきまでの冷静さは何処へやら。

 顔まで真っ赤にして視線を泳がせている。

 そういった感情への偏見がなかったり、至極真面目に受け取って狼狽する辺り、本当に生真面目で、気の優しい男である。

 内心面白がる一方で、幸三郎は何だか急に、無性に、淋しくなった。

 恋愛的な意味で惚れていたというのは勿論嘘だが、そうでなくても幸三郎は、本当はずっと聖人と共に肩を並べて歩きたかったのだ。

 共に家を継ぎ、切磋琢磨して、互いに生涯より良い関係を築きたかった。

 どちらの会社も、スタッフや使用人の誰もが幸せになれる会社にしたかった。

 きっとそれはもう、叶わない。

 明朝、別れてしまった後は、次にいつ会えるのかさえ、分からないのだ。


「……あのな、橋谷。気持ちは、嬉しいのだが、俺は、その……恋愛対象は昔から異性だけで、今はこの紫音が居るので……」

「――ぷっ」

「、……?」

「ははは! んなマジに返すなよ。冗談だよ冗談! 確かに惚れちゃいると思うが、それはそういう意味じゃなくて、人間性にって事だよ!」

「な……! ……貴様、こんな時に人をからかったな!?」

「悪い悪い! お前のその狼狽えぶりがめちゃくちゃ面白かったんで、つい……!」

「あのな……!」


 ――くすっ。

 堪らず今度は聖人が幸三郎に掴み掛ろうとした、瞬間。

 思わぬところから、笑みが零れた。

 二人共同時に目を瞠って振り向けば、口元を押さえて、紫音がくすくす笑っていて。


「あ……ご、ごめんなさい……でも……

 二人、見てると、楽しい……」


 楽しいというより、嬉しそうに言うから。

 聖人も幸三郎も何となく互いに顔を見合わせ、やがて。

 同時に、笑い出す。

 割と呑気にしてる場合ではない状況なのに、まるで三人で何処かに遊びに来たみたいな雰囲気になって、三人共それぞれ気持ちが楽になっていく。

 一頻り笑った後、幸三郎は一つ息をゆっくり吐き出して、改めてスマホを聖人に差し出した。


「まあ、初恋の相手ってのは語弊があるが、俺が此木聖人って人間に惚れてるのは、本当だよ」

「……、?」

「誰も彼も同じ笑顔貼り付けて笑い合い、その笑顔の下で腹を探り合い、労いや労わりの言葉を掛け合いながらその実、裏では相手の事なんてどうでも良くて。

 あのパーティーの時だって、そうだった。実際俺は、俺に挨拶に来てくれた大人達の事も、お前の事さえ分からなかった。

 けどお前は――違ってた」


 まるで昨日の事のように、その記憶は鮮明だった。


「大人にも媚びず、凛としてて、無茶苦茶格好良くて、面白い奴だと思った。

 俺の事を、ちゃんと憶えててくれた。だから俺は……お前が凄く好きなんだよ」


 その感情は、多分、説明しようとすればする程、言葉は陳腐になり、安くなる。

 理屈じゃない、という点に於いては確かに、恋愛と似ている。


「だからよ、此木。今度こそだ。今度こそ……何かあったら、連絡して来い。

 どんな事だってしてやるから。何処に居たって、飛んでってやるから」


 ――ああ、そうか。

 聖人は、唐突に理解する。

 幸三郎のこの想いは、この思いやりは。

 聖人の紫音に抱く想いと、幸三郎が咲に抱く心と。

 違うけれど、同じものなのだ、と。

 その気持ちをもう、ちゃんと理解出来る聖人に、彼の言葉を否定する事も、その理由も、ない。


「――分かった」


 しっかりとスマホを受け取って、今度こそ、迷いなく答える。

 今別れたら、次はいつ会えるか分からない。

 それでも。

 きっとこの絆は消えない。

 その確信が、二人の中にある、未来への不安と恐怖を、優しく包み込んでいた。




 明朝、少し早い時間に三人は出発するべく揃って家を出た。

 丘を下りれば幸三郎は実家に、聖人と紫音は沖縄へ飛ぶため空港へ、それぞれの道を行くことになる。

 昨夜、同じ部屋で眠った三人は色々な話をした。

 それはまるで修学旅行で眠れない学生のようであったし、初めてお泊り会をする友人達の一夜のようでもあった。

 だがそれら以上に楽しい夜だった。

 今まで心の何処かで息衝いていた不安さえ束の間忘れて、三人は終始声を上げて笑った。

 朝を迎えれば、もう、次はいつ会えるか分からない。

 特に幸三郎は、その淋しさを懸命に紛らわせようとしている様子が、僅かに窺えて。

 けれど気が付けば、紫音が眠りに就いていた。

 すっかり安心し切った顔で無防備に眠るあどけない姿を見ているうちに、幸三郎も聖人も、次第に眠りの世界に誘われた。

 そうして目が覚めて――三人は、一緒に幸三郎の別宅のドアを潜り、外に出た。

 ――これが今生の別れという訳じゃない。

 会いたいと思えば、会えなくもないのだ。

 分かっているのに、別れるのが何となく不安だった。


「……橋谷」


 その時がそこまで近付いているのだと実感して、無意識に幸三郎が俯いた瞬間、聖人が幸三郎の手を取った。


「本当に、ありがとう。この恩は一生忘れない」

「……おう」

「らしくない顔をするな。昨夜の鬼みたいな形相が嘘みたいだぞ」

「うっせ……」


 紫音も倣って、幸三郎のもう片方の手をそっと握る。


「けど、お前も忘れないでくれ。お前が俺を大事に想ってくれているように、俺も、お前をとても大事に想っている事を」

「……、!」

「お前も、何かあれば俺を呼べ。その時は必ず、俺が助けるから。どんな事でもするし、何処に居ても、飛んで行くから」

「……私も」


 包み込むように握られた手に、力が込められる。

 ――だったら……いっそ何処にも行かねえでくれよ。

 堪らず、ずっと仕舞っておくつもりだった本心の片鱗が、零れ落ちそうになる。

 だが幸三郎は、それを噛み砕いてしまうように唇を一瞬強く噛み締めて、いつもの笑みを浮かべた。


「そん時は、覚悟しとけよ? こき使ってやる」


 それでも堪え切れなかった滴が一つ、瞳から落ちてしまったけれど。

 淋しさを振り切るように言い放たれた言葉に、三人は互いに笑みを零し合って。

 今度こそ、前を向き、一歩を踏み出した。




 ――だが。


「――漸く見付けたぞ。この恥晒し共が!」


 温かく優しい空気が、その怒号と共に一変する。

 家の周りに生い茂る木々から、次々と黒い影が躍り出て、あっという間に三人を、幸三郎の別宅を取り囲んだ。

 咄嗟に三人は身を強張らせ、寄せ合う。


「っ……父、上……!」


 どれも見覚えの顔ばかりが並ぶ包囲網の中、その中心から殺気さえ纏わせて近寄って来る男の姿があった。

 心臓が、はち切れんばかりに鼓動を刻んだと同時に、聖人は掠れた声で血を吐くように相手の名を呟いた。


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