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それでも愛してると言いたかった  作者: 和菜
一章 籠の鳥
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諦観と覚悟

 

 将来の日本を担う有望な人材ばかりが集う名門大学。

 と言えば相当敷居が高そうに聞こえる上、庶民が入るには莫大な金と相当な学力、果ては権力やコネが必要そうに見えるけれど、入ってしまえば普通の大学と変わらない。

 学食があり、サークルがあり、世間の流行の話題で盛り上がり、時には授業をサボる生徒も大勢いる。

 留年している生徒も、勿論、ゼロではない。


「よう、此木」


 空き時間を利用して、学食で課題に取り組んでいた聖人に、気さくに話し掛ける青年が在った。

 振り向けば、髪を赤く染めて首や耳や指にアクセサリーを多く付けている、一言で言うとチャラい男が一人。


橋谷(はしや)か」


 ため息交じりに名を呼べば、彼は断りなく聖人の向かい側にどかりと座り、鞄の中からパンやらお菓子やらを机の上に並べ始めた。

 名門校に通う権力者の息子、とは思えない程のチャラさとガサツさだが、こう見えて彼は、此木財閥と肩を並べる程の財力を誇る、橋谷財閥の跡取り息子である。

 橋谷幸三郎(はしやこうざぶろう)

 どちらかといえば和風な名前だが、外見のせいで完全に名前負けである。

 此木家とは、互いの祖父が若年の頃から交友があり、聖人とも社交界の場で出逢った。

 特に共通の趣味がある訳でもなく、性格も正反対だったが、何故だか二人は気が合った。


「授業は?」

「サボった」

「……お前な……」

「嘘だよ。休講になったの。先生が風邪だってよ」


 パンの封を破り、大きな口を開けて齧り付きながら、怠そうな調子で言う幸三郎に、聖人は小さくため息一つ。

 見た目はかなりチャラいが、それでも良い家の息子故か妙な所で真面目な彼は、これまで授業をサボったことはない。

 そんな彼が休講だと言うならそうなのだろう。


「ところで、どうだった?」

「どうだった、って、何が?」

「絢子お嬢様の誕生パーティー。呼ばれたんだろ?」

「うざかった」

「、……容赦ねえなお前」


 率直に思ったことを短く答えれば、幸三郎は引き攣った笑みを浮かべた。


「橋谷は呼ばれなかったのか?」

「呼ばれたよ。でもちょうど祖父(じい)さんの三回忌でな。親父と一緒に会社行かないといけなかったんで、断った。

 まああのお嬢様は、此木にさえ来てもらえりゃあ後の奴らはどうでもいいみてえだけど」


 羨ましい奴だ、と、聖人は失礼な事をちょっと思った。

 幸三郎のように、絢子に見向きもされない、立場と建前上招待されるだけ、という程度の扱いの家と男だったらどんなに楽であろうか。


「なあ、此木」


 短い沈黙の後、ふと、幸三郎がいつになく真剣な声で聖人を呼んだ。

 彼が手にしていたパンは、既に平らげてしまったようだった。


「俺さ……今度見合いすることになった」


 それまで、ノートにペンを走らせながら話を聞いていた聖人は、幸三郎のその一言で手を止め、神妙な面持ちで幸三郎の顔に目を遣った。

 重大な報告をされたような気がするのに、幸三郎はポッキーを口に咥えて両腕を頭の後ろに組み、ぼんやりと天井を見上げていて。


「……誰と」


 短く問えば、「大善寺(だいぜんじ)の二番目のお嬢さん」と、やはり短い答えが返って来る。

 大善寺家は、橋谷財閥の傘下にある大手企業の社長だ。

 此木家とも交友があり、聖人も、幸三郎の言う“二番目のお嬢さん”が誰かはすぐに思い当たった。


「あの気の強いお嬢さんか」

「そう。多分、見合いしたら即行結婚コースだろうよ」

「誰が言い出したんだ? その見合い」

「俺の親父だよ。向こうは会社守るために嫌とは言わねえからな」

「当のお嬢さんは何て?」

「さあ。聞いてないから知らねえ」

「……橋谷は?」

「別に。分かった、って、そんだけ」

「……いいのか」

「いいも悪いもねえっしょ。あのお嬢さんの事は嫌いじゃねえし」


 行儀悪く口だけでポッキーを食べつつ喋る姿は、とても高貴な血筋のお坊ちゃんだとは信じられない姿だったが、天井をぼんやり見つめる瞳は、何処までも静かで感情がなかった。

 生涯、飢えることも、物がなくて困ることも、結婚相手さえ、不自由しない家柄。

 花道でしかないように見える人生だけれど、そこには代わりに、人としての意思も、尊厳も、実は存在しない。

 そのことを、幸三郎はいい加減な身なりとは裏腹に、よく理解していた。


「だが橋谷、お前は……」

「……此木」


 だがそれでも、聖人は少しだけ苦し気に、言い募った。

 しかし幸三郎は、制するように苦笑交じりに聖人の名を呟いて。


「いいんだよ、もう。終わったことだよ」


 と、力なく言った。


「見合いは今度の週末、親父の行きつけの老舗料亭でやるらしいよ」


 何処か他人事のように、どうでも良さそうな口振りで言いながら、幸三郎は、


「髪黒くした方がいいんかなぁ。結構気に入ってんのになぁ……」


 などとちょっぴりずれた心配を口にする。

 聖人はそんな彼の顔を、複雑な気分で眺めた。

 幸三郎が決めて受け入れたことだ。聖人がどうこう言う筋合いはないし、何か言える言葉もない、けれど。


「――努力、しねえとな。色々」


 聖人の心配を汲み取ったかのように、幸三郎は、妙に優しい、でも淋しそうな微笑みでそう言った。

 過去はもう過ぎた事で。終わった事だ、と己の中でちゃんと区切りを付けたのだと、彼自身が自分に言い聞かせるような、笑みだった。



 □□□



 屋敷内に設けられた、聖人専用の書庫。

 そこで、聖人は本を読みながらも、幸三郎のことを考えていた。

 幸三郎にはかつて、恋人が居た。

 街で立ち寄った書店で、本棚の高い位置にある本を取ろうと懸命に手を伸ばしている彼女を見兼ねて、その本を取ってやったのが出逢いだった。

 笑顔でお礼を言った彼女に、幸三郎は一目で恋に落ちた。

 会計を済ませて店を出ていく彼女を追い掛けて、幸三郎は半ば必死の形相で名前とメールアドレスを聞き出し、そこから、二人は交流を始めた。

 一ノ瀬三葉(いちのせみつば)

 それが、その日彼の携帯のアドレス帳に追加された、初恋の相手の名前だった。

 それから幸三郎と三葉は毎日のようにメールのやり取りをした。

 他愛もない、とりとめのない話ばかりだったけれど、二人は感性がよく似ていて、同じものに感動したり悲観したり、共感することが多かった。

 付き合って欲しい、と幸三郎が三葉に告白したのは、出逢ってから半年後のこと。

 これまで告白されることは何度もあったが、自分から告白したのは彼にとってそれが初めてだった。

 そこから二人は恋人になり、幸せな日々が続いた。

 多分、自分は三葉と結婚するんだろう、なんて。

 この年頃のカップルなら誰でも思う夢物語を、けれど幸三郎は本気で思っていた。

 しかし。

 二人は、幸三郎の父親によって、無惨にも引き裂かれた。

 幸三郎が財閥の跡取り息子なのに対し、三葉は何処にでも在る、一般的なサラリーマンの娘だった。

 そんな娘と自分の息子はあまりに不釣り合いだと、幸三郎の父親は強引に二人の交際を辞めさせた。

 交際を辞めなければ、三葉もその家族も社会的に居場所を排除する、という半ば脅しさえかけて。

 当時の幸三郎には、何の力もなかった。

 愛した人を守ることも、家を捨てて生きる力も、術も、何も……。

 己の無力さと無能さを突き付けられ、絶望に打ちひしがれ、結局成す術なく、幸三郎は三葉と別れるしかなかった。

 家の言いなりになることこそが、三葉を守ることになるのだと、それ以外、守る術がないのだと、思い知って。

 以来、幸三郎は三葉とは会っていない。

 けれど、聖人は、知っている。

 幸三郎が未だに、三葉のことを忘れていないことを。


 ――誰にも干渉されず邪魔されない夜のこの時間、思う存分読書に耽ることが出来る筈なのに、本のページは先程から一ページも捲られていなかった。

 ため息を吐いて、聖人は読み掛けの本の、昨日と全く同じページに栞を挟み、閉じて本棚に戻した。

 幼い頃からあらゆる英才教育を受けて来た聖人だが、幸三郎は逆に、親に習わされた一切のものを好まない質だった。

 聖人もつまらないと思ったらそこそこで辞めてしまう子供だったけれど、幸三郎は最初から受ける気もなく逃げ回っていたらしい。

 最後には両親の方が音を上げて、やりたい事だけを習わせよう、という結論にまで至ったというから、彼は筋金入りの天邪鬼体質なんだろう。

 そんな彼が、親に言われるまま見合いを決めて、結婚する将来も受け入れた――。

 他人事じゃない。

 聖人もいつか……幸三郎のように、好きでもない、あるいは会ったこともないような相手と見合いや婚姻を強いられる。

 幸三郎のような思いは、正直したくない。

 出来ればこのまま、人を好きになることなく、“その時”を迎えたい。

 誰かを本気で愛したところで、幸せになど出来ないし、ともすれば不幸にするだけだ。

 一ノ瀬三葉のように。

 そう悟ってしまったからこそ、きっと、幸三郎も。

 何となく遣る瀬無い気持ちを抱えて、聖人は、彼しか持っていない書庫の鍵でドアをしっかり施錠し、そのまま庭に出た。

 自然と、彼の足はいつかの雑木林に向いていた。

 その更に向こう、祖父が建て、遺した蔵に向けて、彼はゆっくり歩を進める。

 そうして林を抜けて現れた蔵を見上げて、聖人は息を吐いた。

 蔵以外に何がある訳でもない。

 試しに近付いてドアを調べてみたけれど、鍵が掛かっているのか、年月が経ち過ぎて錆びたか歪んだかして開かなくなってしまっている。

 それでも、どうしてか聖人は、ふとした時にここのことを思い出すのだ。

 見上げるだけでとても懐かしい気持ちになるのは、ここが、記憶の彼方にしか存在しない、祖父の息遣いを感じられる場所だからだろうか。


 暫く無心で蔵を眺めていた。

 いつかと同じように、少し強い風が吹いて、聖人の心を現実に引き戻す。

 そろそろ、屋敷に戻ろう。

 でないとまた修三が捜しに来る。

 そう思って、小さなため息と共に目を伏せ、くるりと蔵に背を向けた、けれど。


 ――がたん。


 突然。

 背後の蔵で、少し大きな物音が響いた。

 驚いて咄嗟に振り向いたけれど、特に変わった様子はなかった。

 相変わらず古く年季の入った立派な建物が、そこに儚くも濃厚な存在感で建っているだけ。

 何かの弾みで、蔵の中の本が誤って床に落ちてしまったのだろうか。

 封鎖された区域、人の出入りなどない蔵だし、大方そんなところだろう。

 一瞬でも狼狽えてしまった自分に内心苦笑して、聖人は今度こそ蔵に背を向けようとした――その時。


「……!!」


 次に聞こえた音に、今度こそ、息を呑み足を止めた。


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