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それでも愛してると言いたかった  作者: 和菜
六章 哀しき愛の残骸
21/45

雨だれの再会

 

 その日は、警報が出される程の大雨だった。

 行き交う人々は半ば身を縮こまらせながら、普段よりずっと遅いスピードで歩き、手荷物が濡れないように抱える人も見受けられた。

 自然、電車やバスといった公共の乗り物は利用客が増え、乗り込む乗客達の表情は鬱々と暗いものだった。

 そんな中、聖人は学校帰りに本屋に立ち寄っていた。

 雑誌を立ち読みする女性客、漫画本を何冊も手に持ち、コミックコーナーを行ったり来たりしている若者、それらの脇を通り過ぎて、文芸書コーナーへと迷わず進む。

 わざわざ店に出向かずとも、父の取引先の出版社に手配してもらえば、いつでも綺麗な本が最速で届けてもらえるのだが、聖人は本屋で本を選ぶ時間がとても好きだった。

 文芸書や文庫やら、一度に最低でも五冊は購入していく聖人に、「買い過ぎじゃね?」と幸三郎はよく引き攣った笑みを零す。

 今回も聖人は、以前から読みたかった文芸書を三冊と、文庫本を六冊まとめ買いをする。

 紙袋にずっしり入れられた本を抱えて、聖人は店を後にしようとした、けれど。


「――きゃっ」

「っと」


 店を出て傘を開いた瞬間、横から走って来たのだろう誰かと盛大にぶつかってしまい、相手は無残にもコンクリートの上に転んでしまった。


「失礼。大丈夫ですか? お怪我は?」


 店の軒先とはいえ、警報が出されている程の豪雨である。

 幅の小さな屋根は雨を凌ぐにはもはや役割を果たせず、相手は濡れた床の上、更には雨曝しとなってしまっていた。

 聖人は慌てて身を屈めて、転んだ相手に手を差し出した。


「わ、私こそすみません……! ちょっと慌ててて……――、」


 ――だが、言いながら相手が聖人の方を振り仰いだ瞬間。

 聖人も、相手も、互いに目を瞠って息を呑んだ。


「――……一ノ瀬……」

「此木、君……」


 人通りの多い場所であることも忘れ、二人は、互いに互いの名を呆然と呼び合い、唖然とする。

 そう、それは……かつて、聖人の親友が愛した(ひと)、一ノ瀬三葉、だった。




 雨は降り続く。

 川の氾濫を警告するエリアメールが鳴り響き、余計に気分が重くなる。

 あの後。

 ずぶ濡れだった上に聖人とぶつかってしまったせいで服が汚れてしまった三葉を連れて、聖人は家の車で屋敷に戻った。

 メイドに命じて三葉を風呂へ案内させ、汚れた服の代わりを至急用意させる。

 部屋で待つ間、聖人はじっと窓の外を眺めていた。

 雷雨にこそなっていないが、風が強い。

 あんな中を何故傘も差さずに走っていたのかと問うと、友人達と昼食に立ち寄ったファミレスで、誰かに盗られてしまったのだという。

 ビニール傘だったから間違われたんだろう、と三葉は笑っていたが、それならそれでその友人の誰かに代わりの傘を買って来てもらうなりすれば良かったのに。

 しかし当の本人は、そんなこと思い付かず、どうせバスに乗るからと友人達の心配を振り切って、なるべく屋根の下を走っていた、らしい。

 バスに乗っても、降りた後はまたずぶ濡れである。

 半ば呆れたが、「一人暮らしの庶民はね、数百円のビニ傘でも痛い出費なの」と不貞腐れたように言った。

 それで濡れて帰って風邪を引いたら、傘代以上の医療費がかかると思うのだが、と思わず言えば、「……相変わらずね」と言い放たれた。

 聖人と三葉は、幸三郎繋がりで一応の友人関係にあったが、実際は互いに好きでもないし嫌いでもない、という何処か冷めた関係だった。

 ごくごく一般的な家庭で育った彼女と、財閥の跡取りというレールから外れたことのない聖人は、考え方や物の見方に決定的な溝があった。

 互いに理解出来ない部分が多く、だが決して相容れない、という訳でもなかったために、二人は自然と必要以上の交流はしないままだった。

 そんな二人が、どういう偶然か街でばったり出くわして、かつては一度も招いたことのない自身の屋敷に招くことになるなど、あの頃誰が想像しただろう。

 それも、元恋人の幸三郎ではなく、その友達の聖人の方だなんて。

 半ば嘆息していると、不意に、自室のドアがノックされた。


「失礼します。坊ちゃま、三葉様をお連れ致しました」

「ああ、入れ」


 ドアの向こうから聞こえたメイドの声にそう答えると、ゆっくりとドアが開かれ、その向こうに薄青のワンピースを着た三葉とメイドの姿があった。

 メイドに促され、三葉が室内に入ると、メイドはお辞儀をして去っていく。


「さっきはすまなかったな。怪我はしていないか?」

「……大丈夫。ていうか、あれは私の不注意なんだから、此木君のせいじゃないよ。それより、この服……」

「先程のメイドの私服のようだな。今、一ノ瀬の服はクリーニングさせているから、終わるまで待っているといい。

 どの道、まだ雨も降り止みそうにないからな」


 言って再び窓の外に視線を移す。

 すると、三葉を連れて来たメイドが、温かいお茶を持って再び聖人の自室にやって来た。

 テーブルの上に置いてメイドが出て行ったところで、先程から何処か所在なさげにしている三葉に、座るよう勧める。


「冷えただろう。遠慮せずに飲め」


 更にそう言えば、三葉はこくんと頷いて、運ばれて来た紅茶を口に含んだ。


「……美味しい」


 三葉は呟いて、穏やかな息を零す。

 そんな彼女に小さく微笑んで、聖人も紅茶に口を付けた。


「――元気にしていたか?」


 やがて、短い沈黙の後、聖人が何処か手探りで言葉を紡いだ。


「……うん。元気だよ。此木君は?」

「俺も、変わらずだ」

「そう……」


 当たり障りのない、無難な会話はいとも容易く途切れる。

 元々一緒に居る時も会話の少ない二人だったから、時を経て改めて、それも自宅の自室で二人きりという状況に、どうしても緊張してしまっていた。


「……あの、人、は……」

「ん……?」

「あの人……幸三郎は、元気……?」


 途切れた会話の後、三葉が意を決したように紡いだのは――やはり、幸三郎のことだった。


「ああ。あいつも、相変わらずだ」

「……そっか……」


 ちらり、と聖人は三葉に視線を遣る。

 痛みを耐えるように瞳を揺らして、だが、すぐに振り切るように笑みを作って、室内を物珍しそうに見回した。


「……何だか不思議な気分ね。あんまり友達付き合いらしいことして来なかったのに、いきなりお家にお邪魔しちゃうなんて」

「……緊急事態下の不可抗力だ」

「何よ、その超不本意そうな声は。嘘でもちょっとくらいそわそわしてくれたっていいのに。 一応私、女の子なんだから」

「……これでも、少しは狼狽えている」

「そう? そうは見えないけど」

「当たり前だ。友人とは言え、風呂上がりの女を前にして意識せずにいられる程、俺は鈍感ではない」

「……、」


 ため息交じりに答えた時、三葉は何故か酷くびっくりした顔で聖人を見つめた。


「何だ?」

「いや……友達だって、思ってくれてたんだ、私の事」

「勿論だ。あの頃からずっと俺はそう思っていたが……一ノ瀬は違うのか?」

「そういう訳じゃないけど……此木君は、ずっと私の事、ただの知り合いの知り合いだとしか思ってないんだと思ってた」

「まあ確かに、それこそ、それらしいことはしたことがないからな。互いの連絡先も知らなかったし」


 会う時は決まって幸三郎も一緒だったし、何処かで擦れ違っても挨拶を交わす程度で、友達というより、知り合い、と言った方が確かにしっくり来る間柄だった。


「ほんと……すっごい偶然よね。そんな二人が、今こんな状況になってるなんてさ」


 不意に、三葉の瞳に過去を懐かしむような、淋しそうな色が浮かぶ。


「此木君は何というか……色気が増したね」


 かと思えば、唐突に変な事を口走り始めた。


「これでお互いお風呂上りだったりしたら、結構色んな意味でやばかったかもね?」

「何の話だ、何の」


 流石に呆れ交じりに言えば、三葉は尚も声を上げて笑う。


「……でも、たとえば本当に、ここで私達が間違いを起こしちゃったら……幸三郎は、どうするだろうね」


 だがふと笑みを止めて、何処か投げ遣りな口調でそんなことを言うから、聖人は思わず眉を顰めた。


「……どうもしないさ。橋谷には、婚約者がいるからな」

「……婚約者? それって、親同士が勝手に決めた、政略結婚ってやつ?」

「形式上はな。だが橋谷は相手の女性に惚れて、相手の女性もまた橋谷を好きになった。

 今や、誰もが羨む鴛鴦夫婦(おしどりふうふ)予備軍だ」

「……そうなんだ」


 呟いて、三葉は何処となく淋し気な顔で俯いた。



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