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それでも愛してると言いたかった  作者: 和菜
三章 不安
12/45

前を向く

 

「どうしたの、ぼーっとして」


 物思いに耽るなんて珍しいじゃない、なんて、からかいつつも何処か労わるような口調で言いながら、咲は窓枠に寄り掛かって外で降り頻る雨をぼんやり見つめる幸三郎に寄り添った。


「いいの? 主役がこんなとこでつまらなさそうな顔をしてて」


 淡いピンクのドレスに身を包む咲は、普段一緒に出掛ける時と違って、立派な令嬢の姿であり、普段より一層美しく見えた。

 対する幸三郎も、髪の色こそ赤いままだが、きちんとした正装を身に纏い、普段の派手な格好ではなく立派な紳士の姿だった。

 過去に馳せていた思考を現実に戻す。

 聖人が悲痛な胸の内を幸三郎に打ち明けてから、一週間後の今夜。

 幸三郎と咲の婚約披露パーティーが橋谷の屋敷で行われていた。

 始まってすぐ二人は壇上にて正式に婚約者同士としてお披露目され、暫くの間参加者から次々と祝辞の言葉を貰い続けた。


「やっと解放されたんだ、暫く息抜きさせてくれ」


 あからさまにため息交じりに言えば、咲は可笑しそうに笑う。


「それより、咲こそいいのか? 絢子お嬢さんと話してたんだろう?」

「大丈夫。綾子様と聖人さんは今、それどころじゃなくなっちゃったから」


 咲が指差す方を見遣れば、フロアの中でも一際目立つ男女のペアの姿があった。

 招待したあちこちの会社の重役や、その令嬢、子息が残念なような喜ばしいような、様々な表情でその二人を取り囲んで話し込んでいる。

 幸三郎と咲の婚約披露パーティーなので当然招待された二人は、主役の二人より注目を浴びていた。


「絢子様、何だか前よりまた一段と綺麗になったみたい。それに、何だかとても幸せそうっていうか」

「……そうだな」


 嬉しそうな咲の言葉に、幸三郎は何となく気のない返事をした。

 恋をすると女は綺麗になる、なんて言うけれど、確かにその通りだ。

 実際、絢子も咲も、自分や聖人と恋仲になる以前に比べたらずっと綺麗で、得も言われぬ色気が増した。

 見ると絢子は本当に幸せそうだった。

 聖人の腕に腕を絡めて、時折、二人顔を見合わせて笑い合っている。

 次の婚約披露はあの二人だろう、なんて、あちこちで囁く声が聞こえた。

 だが幸三郎は、絢子と微笑み合う聖人を、笑って見つめることが出来なかった。

 長い付き合いだからなのか、あんな話を聞いたせいなのか……聖人の微笑みが、とても苦しそうに見える。

 見ているのが辛くて不安なのに、目を離してはいけないような、そんな、焦りにも似た気持ちになる。


「……どうしたの?」


 難しい顔で二人を見つめる幸三郎に咲が声を掛けるけれど、幸三郎は答えない。

 その時、幸三郎の視線に気付いたのか、聖人が一瞬幸三郎と目を合わすと、周りの人に断って絢子と一緒に歩み寄って来た。


「こんばんは、幸三郎さん」

「――こんばんは、絢子お嬢様。今宵はお越し下さり、ありがとうございます」

「私達の大切な友人の婚約披露ですもの。来ない訳ありませんわ。ねえ、聖人さん?」

「……此木も、来てくれてありがとう」

「ああ。二人が正式に婚約して、俺も嬉しい」

「次は貴方方の番ですか? って皆さんに言われてしまったわ。皆さん、聖人さんと幸三郎さんが友人なのをご存知なのね。

 財界の二大カップル、とまで言われて」


 照れながらも満更でもない様子で言う絢子だったけれど、彼女がそう言った刹那、聖人の瞳が仄暗く揺れたのを、幸三郎は見逃さなかった。




 パーティーがお開きになる時間になっても、雨は降り続いた。

 招待客の誰もが、見送りに出た幸三郎達への挨拶もそこそこに、運転手や執事に傘を差し掛けられながら迎えの車に乗り込んでいく。


「じゃあ、またな、此木」

「ああ」

「絢子お嬢様も、お気を付けて」

「ありがとう。またお会いしましょう」


 聖人と絢子は、ごく自然に此木家の車に一緒に乗り込んだ。

 気を付けて、なんて言ったけれど、二人はあのまま此木の屋敷に一緒に戻るんだろう。

 それがどういうことか分かった幸三郎は、此木の車が見えなくなるまで、じっと見送った。




 賓客の見送りが済んだ後、幸三郎は父に呼ばれ、書斎に向かった。

 入ると、これまで見た事もないくらいに父は上機嫌な様子で椅子に座り、パーティーで何処の誰にこんな祝辞を貰った云々と饒舌に語った。

 ――三葉の時は、目の前のこの父を恨んだりもした。

 そんなことをしてまで守らなきゃならない会社なら、大きくしないといけない会社なら、いっそ潰れてしまえと呪った。

 けれど、過去を乗り越えて前に進めた今、父が喜ぶ姿は素直に嬉しかった。


「式の日取りの候補を挙げた。咲さんと相談していつが良いか決めておけ」


 満面の笑みで、父は幸三郎に三枚程の紙の束を渡した。

 日程の候補だけでなく、式場の候補まで書き連ねてあって、思わず苦笑が漏れる。

 しかもその日程の候補というのが、まだまだ先の幸三郎達が大学を卒業する年だったから、尚更だった。

 ついでに、婚約を披露したからには明日からこれまで以上に仕事を手伝ってもらうことになるぞ、と釘も刺される。

 咲をちゃんと自分の恋人にして、自分の妻にすると決めた時から、自身の将来について色々覚悟は決めておいたけれど、それらがいよいよ現実味を帯びて来ていた。


 そのまま自室に戻ると、咲が幸三郎のベッドを占領していた。

 バスローブを来て、髪も下ろした無防備な姿を見るに、パーティーが終わってすぐ入浴したんだろう。

 ドレスを脱いでしまえば、やはり咲は何処か令嬢らしさが欠けていた。

 ベッドの真ん中に大の字になって寝転んで、完全に寝入っている。


「ったく……俺の寝るスペースねえじゃん」


 あからさまにため息を吐いて文句を言いながらも、そんな咲を見つめる幸三郎の瞳は優しい。

 とりあえずベッドに腰掛けて、子供のような寝顔で眠る恋人の頬を突いてみる。

 起きない。

 今度は指先で額を弾く。つまりデコピン。

 でもやっぱり起きない。

 ……一旦起こしてどっちかに寄ってもらいたかったが、仕方がない。

 幸三郎は身を乗り出して、今度は咲が起きないようかなり気を付けながら、彼女の体を抱き上げた。

 そのまま、膝立ちで布団の上をそろりそろりと移動して、咲の体を左側に移動させる。


「んー……、」


 布団を掛けてやったところで、咲が小さく声を上げながら目を開けた。


「……あれ、(こう)。戻ってたの……」

「ああ。悪ぃな、起こしちまって。今日は疲れたろ。そのまま寝てろ」

「……んー」


 幸三郎の言葉に、咲はもぞもぞと体を捩り、掛けられた布団を首の辺りまで持ち上げる。

 かと思えば、片方の手を持ち上げて幸三郎のスーツの裾を掴んだ。


「どした?」

「……こんな幸せな結婚になるなんて、思わなかったなぁって思って……」


 未だ目をとろんとさせたまま、不意に、咲がそんなことを呟いた。


「最初は貴方の事、いい加減でちゃらんぽらんな人だと思ってたのよ?」

「それを言うなら俺だって、お前の事、気が強い高飛車女だと思ってたよ」

「お見合いも結婚も、父と会社のための生贄の儀式みたいに感じていたわ」

「……俺も、そんな感じだったよ」

「分からないものね、人生って」

「人生語る程、長くも生きてねえけどな」


 くすくすと互いに笑い合い、どちらからとなく指を絡め合う。


「貴方が私とデートするようになってからも、手を繋ぐこと以外何もして来なかったのには驚いたけど」

「こう見えて硬派なんだよ、俺」

「手が早い男だと思ってた」

「失礼だな、おい」

「あんなチャラい格好してたら、仕方ないでしょう」


 空いている方の手で蝶ネクタイを緩めて、上着を脱ぐ。

 咲も横向いていた体を仰向けにすると、自然と幸三郎は咲の上に覆い被さった。


「ねえ、後悔、してない?」


 戯れのように頬に唇を落とした後、咲が、ほんの少し、不安と労りが混じったような声で言った。


「……私を好きになって、後悔、してない?」

「何だよ、急に」

「……私は、本当に貴方が好きよ。でも、貴方がほんの少しでも、私を誰かと重ねたり身代わりにしてたりしてるんだとしたら……すぐ、止めて欲しい」

「――、!」


 見上げる目が、いつの間にか微睡みから不安と切ない熱に揺れていた。

 幸三郎の胸板に乗せられた手が、ほんの微か、震えている。


「ごめんなさい……お父様が、貴方の過去を調べたの。

 私と出逢う前、貴方が普通のご家庭の娘さんと交際していたことと、貴方のお父様に、その人との仲を裂かれてしまったことも」


 思い掛けない告白に、幸三郎は思わず瞠目した。

 そして、幸せの最中(さなか)で、すっかり失念していた事実を、思い出す。

 自分が生まれた世界は、そういう、常に互いが互いの弱みと粗を探り合いながら、笑顔の仮面を貼り付けて立ち回っている場所だった。

 恐らく、家の者を使って調べさせたんだろう。

 幸三郎が昔、一般市民の女子と付き合っていたことを。

 地位も名誉もない、ただの社会の、日本の歯車のネジのうちの一本でしかない親の元に生まれた、何の取り柄もない女の子のことを。

 そしてそれを、咲は父親に知らされた。


「そっか……知られちまったか。別れ方が別れ方だっただけに、要らねえ心配や誤解させちまったらいけねえと思って、言い出せなかったんだが……」


 咲は令嬢でありながら、一般人に近い場所で、一般人と同じものに感動し、共感する人だ。

 幸三郎の元彼女が普通の家の娘だったからと言って、時代遅れな差別的言動をするような姑息な女じゃないと分かっていた、けれど。

 こつん、と幸三郎は咲の額に自分の額ををくっつける。


「……まだ、一ノ瀬三葉さんのこと、忘れてないんでしょう?」

「どうしてそう思う」

「女の勘」

「ここへ来て、すげえアバウトな根拠持ち出したな」

「何よ。けどそれだけじゃないわよ。気付いてないでしょうけど、幸、たまに私を見てない時がある。

 思い出を見つめてる時がある」

「……、」

「私は……幸を愛してる。そして幸も、私を愛してるって言ってくれた。私はその言葉を信じてる。

 だから、まだ僅かでも三葉さんが幸の心の大事な所に居座ってるなら、すぐに追い出して欲しいのよ」


 真剣な声音は、それだけで幸三郎の心を粟立たせた。

 このお嬢さんは、今自分がどれだけ威力抜群の殺し文句を口にしているか、自覚がないのだろうか。


「……お前がこれまで見て来た橋谷幸三郎という男は、そんな不誠実な奴なのか?」


 何はともあれ、彼女が物凄く可愛らしい嫉妬と歯痒さに焦れているということだけは、よく分かった。


「お前を好きになったことを、後悔したことなんて一度もない」


 だから幸三郎は、しっかり咲の目と目を合わせて、きっぱりと、言い放った。


「けど、咲の言う通り、三葉のことは忘れない。

 俺のせいで傷付いた人が居たって過去を、俺は、男としても、いつか財閥の家を継ぐ者としても、絶対に忘れちゃいけねえと思うから」


 それは未練ではなく、“責任”

 過去は、消せない。

 無かった事にも、してはいけない。

 あの時確かに、自分は愛した女を、傷付けてしまった、その事実を背負う責任が、きっと幸三郎にはある。


「守れなかった分、あいつには、俺以上に良い男と出逢って、幸せになって欲しいっていつも思ってる。

 だが咲、お前には俺以外なんて許さねえ。自分が誰かの身代わりだなんて思うのも許さねえ。誰の身代わりでもない。誰とも重ならない。

 ……俺は確かにお前を、咲だけを、愛してる」


 欲張りだな、とは思う。

 過去の苦い恋の記憶は決して忘れないけれど、それを抱えたまま尚も咲を愛していると宣い。

 そして咲には、過去の苦い恋の記憶を、己が責任として忘れず抱える心ごと、自分を愛せと宣って。

 だけど咲は、熱情を隠しもしない幸三郎の瞳に、嬉し泣きのような表情を浮かべて、幸三郎を抱き寄せた。


「――我が儘でチャラくて、なのに誠実な人だなんて。

 私、何だか凄い人を好きになっちゃったみたいね」


 ――初めはお互い気乗りしない見合いだった。

 けれど、互いの父の会社のための無機質なだけだった筈の縁談は、二人を幸福へと導いた。

 その幸福を確かめ合うように。

 幸三郎と咲は唇を重ねた。


「、あー……なんかやべえかも」

「え……何が?」


 気付いたら幸三郎は咲のバスローブを剥ぎ取っていた。

 全身がぞくりと粟立って、熱が一気に上がっていく。

 けれど、これを果たして“欲情”という言葉で表していいのだろうか

 “触れたい”、と、全身が叫んでいる。

 抱きたいけど抱きたいんじゃなくて、体を重ねたいけれどセックスがしたいんじゃなくて。

 ただ“触れて”、閉じ込めておきたい、と、思う。


「変だな……やることは、変わんねえのに……」


 確かに欲情である筈なのに、そうではない得体の知れない熱に浮かされ支配されているようで、思考が上手く働かない。

 すると咲は、酷く優しい微笑みを浮かべて。


「私も――多分、一緒」


 と、囁いて。

 幸三郎を、自身の腕の中に自ら誘った。


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