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それでも愛してると言いたかった  作者: 和菜
二章 狂う歯車
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そうして彼らは愛に狂う

 

 食事は割と楽しい時間だった。

 当たり前と言えば当たり前だが、絢子はテーブルマナーも完璧だし、程好く会話を振ってくれたりして、堅苦し過ぎずラフ過ぎずリラックスして食事が出来た。

 絢子は甘い物が好物らしい。

 今夜のためにシェフが取り寄せた、某有名高級菓子店のケーキがデザートに出て来た瞬間、明らかに目の色が変わった。

 自覚してるか否か、一口口に運んだ瞬間に至極幸せそうに微笑んで、聖人も無意識に一つ笑みを零してしまった。


「本当にどれも美味しかったですわ。シェフや料理人の方々に、よくお礼を伝えて下さい」

「ええ、勿論です。こちらこそ、お嬢様のお口に合って良かったです。でも、お嬢様が一番嬉しかったのは、最後のケーキだったのではありませんか?」

「え、あら、やだ……どうしてお分かりになったんですの?」

「ケーキが出て来た瞬間、目をキラキラさせてらっしゃいましたので。甘い物がお好きなのですね」

「まあ……。恥ずかしいですわ。子供みたいと呆れました?」

「いえ。愛らしかったですよ。いつかのパーティーの時と違って、気取ってないお嬢様の姿はとても好感が持てます」


 半分本音、半分世辞。

 だが、良くも悪くも思った通りの言葉の羅列は、絢子の胸を高鳴らせるのに充分過ぎる威力を持っていた。

 頬を染めてはにかみながら、絢子は少し俯き加減になる。

 聖人は、絢子の背後の壁に立つ時計に目を遣った。

 時刻はあと五分で十九時半。

 どんなに遅くてもあと三十分から一時間の間に、絢子を帰らせないといけない。


「あの、聖人さん。折り入ってお願いがあるのですけど」


 このままここで会話をするなら、適当な時間で適当な所で切り上げよう、と密かに段取りを考えていた時、絢子が少し控え目にそう言い出した。


「はい、何でしょう?」

「もしよろしければ、書庫を見せて頂けませんか? 聖人さん所有の」

「書庫、ですか?」

「ええ。こう見えて私も本を読むの好きなんです。以前聖人さん専用の書庫があると聞いた時から、是非一度拝見したいと思っていました」


 意外な申し出に、聖人は思わずきょとんとしてしまった。

 どうにもパーティーの時の絢子の印象が先行し過ぎているのか、本を読む絢子の姿が想像出来ない。


「構いませんが……少し散らかっていますよ?」

「いいんです。是非、拝見させて下さい!」


 絢子は、わくわくした様子で半ば身を乗り出して言う。

 聖人は暫し逡巡したが、特に断る理由もないし、「分かりました。ご案内します」と言って席を立った。




 書庫はちょうど応接室の真上だった。

 いつも持ち歩いている鍵をズボンのポケットから取り出して、二つある鍵を解錠する。

 両開きのドアの、片方を全開にして絢子を招き入れると、絢子は壮観な光景を目の当たりにして感嘆の声を上げた。


「凄い……! これ全部、聖人さんが所有なさってる本ですか!?」

「はい。幼少の頃より集めた本を全て、この部屋で保管しています」


 頻りに凄い凄いと言いながら、絢子は一番側の棚に駆け寄った。

 読んだことのある本、気になった本があればすぐさま手に取って、パラパラとページを捲り始める。


「よろしければ、気になる本があればお貸し致しますよ」


 その台詞は、自分でも内心驚く程自然に、唇から滑り落ちた。

 絢子は心底嬉しそうな満面の笑みで、「本当ですか!?」と言って、益々本棚に目を走らせた。

 会えば会う程に意外な一面が見える。

 距離が縮まっているのかもしれないと思うと、急に心許ない気分になった。

 ゆっくりとお選び下さい、と誤魔化すように言って、聖人は窓の方へ向かった。

 本棚と本棚の間の壁にあるその窓から外を覗くと、見事な満月が浮かんでいて。

 ふと、紫音もこの月を見ているのだろうか、と思った。

 ここからは雑木林は見えないし、無論蔵も見えない。

 だけど一度向いてしまった思考は、勝手に絢子や本から紫音一色に緩く染め変える。

 そういえば、紫音は本は好きだろうか。

 一度しかまともに喋ったことのない相手に想いを馳せて、聖人の口許は無意識に緩く弧を描いていた。

 だけどその時。


「聖人さん?」


 呼び掛けられる声に、思考は一気に現実に引き戻された。

 はっとして振り向くと、本を二冊程両腕でしっかりと抱えた絢子が、何処か心配そうに聖人を見上げていた。


「ああ、どの本にするか決まりましたか?」

「はい。この二冊をお借りしたいんですけれど」

「構いませんよ。どうぞ、お持ち下さい」


 言いながら聖人は紫音の事を思考から追い遣り、いつもの当たり障りのない笑みを浮かべた。

 腕時計を見遣り、時刻がもう二十時過ぎていることに気付く。


「もうこんな時間ですね。そろそろお帰りになった方が良い。送らせます」


 そうしてそう言うと、聖人は絢子を促しつつ、書庫から出ようと歩き出した。

 ――けれど。


「……!」


 彼女の脇を通り過ぎようとした、瞬間。

 唐突に。

 絢子に腕を掴まれて、引き留められた。




「……絢子お嬢様?」


 流石に驚いて見下ろせば、もう絢子の顔にはにかんだような笑みは浮かんでいなかった。

 もう片方の腕で本を抱えたまま、俯いて、聖人の袖を手をぎゅっと握っている。

 前髪の隙間から見える絢子の表情は、今にも泣き出しそうな、思い詰めたような表情だった。

 戸惑いつつ名を呼ぶと、絢子は、ややあって意を決したように顔を上げて、聖人を真っ直ぐ見上げた。


「――女性を家に招いておいて、何もせずに家に帰すなんて。そんなに、私は貴方にとって魅力のない女かしら?」

「、……!」


 挑発とも取れる言葉だった。

 けれど、急に砕けた口調と言葉遣いとは裏腹に、絢子の瞳には微かな、しかし確かな必死さと決意が揺らめいていた。


「分かっていて応じた女の覚悟を、無下になさる気?」


 ふ、と、絢子が眉尻を下げて瞳から色を消す。

 持っていた本を足元にわざと落として、掴む聖人の手を、両手で自分の胸元に誘った。


「……っ」

「はしたない女だと呆れられても構わないわ。

 でも……愛してるの。本当に、心から。

 たとえ貴方が私の事を何とも思ってなくても。

 結婚を拒まない理由が、家やお父様のためでも……私はそれでも、構わない。

 だから、どうかお願い……今夜は、私を、帰さないで」


 それは……身勝手な、懇願だった。

 どんなに望んでも手に入らないなら、与えてくれなくていい。

 けれど、与えることを拒む気がないのなら、虚しい熱でも、虚ろな温もりでもいいから欲しい、と言う。

 ただ、自分は確かに聖人を愛しているから。

 その彼が、何の感情もなく与えるものでも。それでも確かに、与えてくれるもの、で、あるのなら。

 呆然と自分を見下ろす聖人に、絢子は彼の手を胸元に当てたまま、彼に身を摺り寄せた。

 わざとその手の平に、豊満で柔らかなその感触を、教え込ませるように。

 背中がぞくりと粟立つ。

 果たしてそれは、(さが)ゆえに決して逃れることの出来ない、高揚だろうか。

 息を呑んだ聖人を見逃さず、絢子はしっかりと彼と目を合わせたまま、ゆっくり、ゆっくりと踵を持ち上げ、顔を寄せた。

 ――拒む、理由は、ない。

 どんなに気乗りしなくても、どんなにタイプに合わなくても。

 聖人は、此木財閥の跡取り息子で。

 絢子もまた、長谷川財閥の跡取り娘で。

 当人達の気持ちがどうであろうと、互いの家のため、会社のため、未来のために必要な婚礼だというのならば。

 そのために、今のうちから体も心も距離を縮めていかなければいけないことは、分かっていた筈ではないか。

 その上、絢子自身がそれを望むというのならば。

 たとえ、こちらの“気持ち”が伴っていないのだと、しても。

 いつまでも……躱し続けては、いられない。

 何より聖人は、この件に関してはとっくに諦めて……前向きな気持ちで臨もう、と心に決めていたのだから。


「……――、」


 薄いピンク色の口紅を引いただけの唇は、思いの外小さくて、柔らかかった。


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