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創生の彼女  作者: 須磨 奏
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記憶





アインスの里


 夢を見る。

 僕の暮らす世界とはまるで異なる世界で暮らす少年の人生の夢を見る。彼の暮らす世界にはあまりに多くの人々がいた。あまりに高い建物が立ち並んでいた。

 その世界は酷く暮らしにくい世界だと思った。彼はいつも狭い部屋に多数の人間と共に閉じ込められているようだった。

 多数の人間に顔はなく、ただ潮騒のような音を立てていた。

 

 その中に一人だけ、顔のある少女がいた。夢の冒頭はいつも彼女と一言、二言、言葉を交わす情景から始まる。

 彼女の声は木漏れ日のように暖かだ。彼の声は小さく、会話と言えたのかも疑わしかった。彼はいつもその少女を目で追っていた。

 そのため、僕は夢の間中、延々と彼女の姿を眺めることとなる。

 彼女の目は真っ直ぐで優しく、美しかった。鼻は小さく、口元には常に柔らかい笑みが宿っていた。髪は艶やかで肩までの長さで揃えられていた。その立ち姿は希望に満ち、春の初めの新芽を思わせた。彼は彼女に恋をしているようだった。


 ――夢は彼が鉄の魔物に轢かれることで幕を閉じる。

 夢というにはあまりに生々しく、それはもはや記憶のようだと思った。

 ――違う、これは記憶なんだ。

と、確信を持ったのは最近のことだ。

 同じ夢が繰り返されるうち、それは段々と現実味を帯びてきた。夢と現実の境界線が曖昧となり、僕はかつて、彼で在った、という不思議な実感が湧き上がる。

 その実感は正しいのだと頭で、心で理解する。僕は彼と同じようにその少女、藍澤有紗に恋をした。

 いや、正確には僕自身が彼、納谷創一となったのだ。僕は段々と彼女ともっと言葉を交わしたい。もっと近づきたい。触れ合いたい。できることならば、自分のものにしたいと思うようになった。


 


 しかし、現実はそれを許してはくれないようだった。僕は五日後には成人の儀を迎える。

 成人の儀とは十七歳を迎えた者が、隣の里であるノインの里に住む同じく十七歳を迎えた異性と契りを交わす一連の儀式のことを指す。


 なぜそのような儀式を行うのかと、幼い頃の僕は父に尋ねたことがあった。父は困ったような顔しながらも、やがて穏やかな、けれども真剣な声でこう言った。

 「俺たちの里はいまでこそ平穏だけど、魔王がいて、魔物がいる限り、それは永遠じゃないんだ。

 俺たちは限りある時間の中で命を次の世代へ確実に繋げていく義務がある。だから、命を繋ぐ手段を迷ってたらいけないんだ。少し難しいかもしれないけど、そのために儀式があるんだよ。

 俺と母さんも儀式で結ばれたけど、そのおかげでお前に会えたんだ。幸せだよな?母さん」

「ええ、そうね」

 僕は両親に愛されていることを実感した。幸せな記憶だ。


 しかし、僕は記憶の中の彼女に恋をした。会うことが叶わぬ彼女に、どうしようもなく恋をしたのだ。この恋は両親への、命を繋いでくれた人達全てへの裏切りだろう。

 

 儀式はもう目の前まで迫っている。僕は相手の女の子を愛せるだろうか。答えの分かりきっている問答を繰り返す。それが不可能なことは、記憶が物語っている。

 それでも、両親を裏切りたくはない。相手の女の子を傷つけたくはないのだと僕の良心は叫ぶ。僕は解決しようのない葛藤を抱えながら、とうとう成人の儀、当日の朝を迎えた。


 


 当日は僕を含めた十七歳を迎えた者と引率の大人が里の中心の広場に集まることになっていた。僕は前日から一睡もできないでいた。その様子に気づいた、幼なじみのフリッツが口を開く。


 「どうしたんだよ、アルベルト。今日はせっかくの晴れの日じゃねぇか!今にも死にそうな顔しやがって!」


 「なんでもないよ。フリッツこそ緊張してんじゃないの?」

 

 アルベルトと呼ばれることに少し違和感を感じた。僕は記憶を手に入れるまでは、アルベルトでしかなかったが、現在は納谷創一でもある。不思議な感覚だ。だが、不快だとも感じなかった。

フリッツは右の眉を少し吊り上げて、


 「そんなわけねぇだろ!」


 と声を張った。嘘をつくときに眉を吊り上げる癖は昔から変わらない。その姿を見た時、僕は心なしか安心することができた。


 出発の時間となり、僕たちは里の出口に向かって、列を組み歩き出す。出口に続く道の脇には成人の儀を迎えた子の親が見送りに集まっていた。

 

 視界の端に父と母を捉える。僕に向かって手を振っている。僕も軽く振り返す。

 途中、何か言ったようだったが、上手く聞き取れなかった。恐らく、気を付けてという意味を含む言葉であったと思う。

 本来なら、成人の儀は七日で終わり、里の往復のにかかる日数を考慮しても、十日後には会えるはずである。

 しかし、この時僕はもう二度と父と母には会うことはないのだろうという予感がしていた。


 門を抜けて、しばらくはぽつり、ぽつりと続いていた会話も止み、僕らはただ目的地へと歩みを進めた。

 日が昇るころに出発した僕らは、なんとか夕日が沈みきる前には目的地である、ノインの里へと辿り着いた。

 途中、フリッツに成人の儀で契りを交わす女の子の理想像を長々と聞かされた気がするが、ほとんど覚えていない。昼食に食べたパンの味さえよく分からなかった。

 

 それほどまでに僕は葛藤していたのである。父と母、引率の大人、フリッツに至るまで、僕が成人の儀をきちんと済ませ、相手の女の子と共に生まれ育った里へ帰ることを望んでいるだろう。

 僕も頭ではそうすべきだと理解しているが、「藍澤有紗」、彼女へのどうしようもない思いは断ち切ることが今に至るまで出来ずにいる。


 僕らはノインの里の長に、歓迎の挨拶を受けた。そして、歓迎のために用意をした食事を召し上がるようにと広い食堂へと通された。給仕係以外は誰も居なかった。

 皆が徐々に卓の側の椅子に腰を下ろす。僕はフリッツの隣の椅子に腰を下ろし、まだ靄がかかった気持ちのなかで、歓迎のために用意された料理を食べようとする。

 

 料理の内容はといえば、滋養強壮に効果がありそうなハーブを存分に使った鳥の丸焼きや、スープなどこれでもかというほどに今後の展開を考えたメニューばかりであり、葛藤の中にある僕をさらに追い詰めた。

 

 当然、料理は喉を通ろうとしなかった。一方で隣ではフリッツが人一倍、その料理たちを食べ進めていた。僕があまり料理に手をつけていないことに気づくと、


 「どうしたんだ?体調でも悪いのか?」


 と、真剣な顔をして尋ねてくる。僕は、


 「大丈夫。少し疲れているだけだよ」


 と、誤魔化した。フリッツがたまにみせる優しさは他にはない暖かさがある。

 僕はフリッツを傷つけたくないと思う。出来ることなら、誰だって傷つけたくはない。

 しかし、僕の葛藤の中にある選択肢は多くの人を傷つけることになるだろう。そのようにして、食事の時間は過ぎた。


 

 僕らは、異性の待つコテージへ案内される。これらのコテージで今までに何組の男女が契りを交わしたのだろう。僕が案内されたコテージは里の最北端にある、緑の屋根のコテージだった。

 周囲は夜の闇に包まれ、窓からは暖色の灯りが漏れている。どんな女の子が待っているのだろう。

 それはこれから僕がどんな行動をとることになったとしても、考えずにはいられなかった。


 ――僕はコテージへ、足を踏み入れた。


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