彼女との出会い
教室の席の最後列、その左端から僕は対角に座る君の後ろ姿を見つめる。シワ一つ無いカッターシャツに、蛍光灯を柔らかに反射するボブカットの黒髪が眩しい。
「眼福だ……」
僕は思わず心の中でそう呟く。教室の中で最も遠い席同士の距離からでもそう思えるほどに僕は彼女、藍澤有紗に心を惹かれていた。
彼女と初めて話したのは、一年の十月の文化祭の片付けの時だった。文化祭の熱気は未だに教室を包んでおり、その場にいるだけで疲れていくような感覚を覚えた。
文化祭の間は人混みをさけ、吹奏楽部の友人と図書室で過ごしていた僕は、せめて最後だけでもクラスの手伝いをしなければと思い、クラスの出し物の小道具を一人で解体していた。
手先が不器用なため、酷く手間取っている様を見ていられなかったのだろうか。彼女は僕に近づき、
「このペースじゃ帰りのホームルームに間に合わないよ」
そう言って、小道具の一つを手に取り解体し始めた。
近づいてきた時、文化祭の間、クラスの出し物の手伝いしていなかったことを責められるのではないかと思っていた僕は拍子抜けした。
驚きながらもありがとうといったつもりだったが、周囲の喧騒の中でかき消され彼女には届かなかったかもしれない。
小道具を真剣に解体する彼女の眼差しは真っ直ぐで優しく、言葉では表現できないほどに美しかった。
その眼差しを僕にも向けてほしい、その瞳に僕を映してほしい、そう思った時には自分自身が彼女に既に恋に落ちているのだと悟った。
あまりにありきたりな一目惚れだと自覚はあったが、それを否定する術はなかった。
それから八ヶ月が経った二年の夏休み直前の現在まで一度も話せていない。この八ヶ月、僕はずっと彼女を見つめていた。
側から見たから、不審に思うほどだったかもしれない。彼女が冬服の下にカーディガンを着込むようになった日も覚えているし、マフラーをつけ始めた日も覚えている。
もちろん、夏服に変えた日もその夏服に透けるブラジャーのバリエーションも把握している。カバンのキーホルダーが週毎に違うことに気付いているのも僕だけだろう。
彼女はただそこにいるだけで、僕の退屈だった日常を吹き飛ばしたのだ。
彼女と二年でも同じクラスになり、こうして彼女の姿を見つめることができるのは、僕のこれ以上ない幸せだった。
ただ、一方で危機感も感じていた。このままでは彼女と一言も話すことができないまま夏休みを迎えてしまう。これまでの一年の冬休みと春休みを迎える前も、彼女と一度も話せないまま過ぎていった。
そして、休みの間を彼女に話しかけられなかったことを後悔しながら過ごしていたのだ。そのような思いをこの夏休みの間まで感じていたくはない。
しかし、彼女の周りにはいつも友人たちの明るい輪ができている。クラスでいつも一人でいる僕がそこに入ることなど到底できるはずがない。
悶々と日々を過ごしているうちに終業式を迎え、結局話すことができないまま帰路についていた。
自身の意気地の無さに半ば絶望しながら歩いていたその時、大通りの反対側に彼女が珍しく一人で歩いている姿が目に飛び込んだ。
――これを逃したらもう話す機会はないだろう。
この時は本気でそう思った。僕は信号が完全に青になるのを待ちきれず、交差点に飛び込んだ。
刹那、強い衝撃が全身を駆け巡り、道路に激しく体を打ち付けた。頭から生温かい液体が流れ出るのを自覚する。最後に考えたのは彼女、藍澤有紗のことだった。
彼女と話したかった。親しくなりたかった。できるならば、自分のものにしたかった。
――そして、僕は意識を失った。