脱兎の白兎
◇
目を開けると石造りの壁が飛び込んでくる。
(『本戦』開始と……)
ティティスはそのまま周囲を探ろうとする。
右手側から呼吸音。
弾かれたように振り向く。
そこにいたのは牛頭の怪物。
ミノタウロスだ。
既に獲物を降ろ下ろさんとしている。
(剣は間に合わない――)
瞬時に迎撃を諦め回避を選択する。
間一髪で戦斧が鼻先を掠めていく。
戦斧が床の石材を砕いて動きを止める。
(今――)
戦斧の刃を手で押し、その反動も利用して一気に後ろに飛び退る。
戦斧とミノタウロスを視界に収めながら叫ぶ。
「ティテン! ティトン!」
ティティスの左右に広げた両手に剣の重みが伝わる。
戦斧が床から浮き上がり、そのまま横薙ぎに振るわれる。
二本の剣をクロスして、戦斧と一瞬だけ鬩ぎ合う。
左手の剣だけスライドし、力のベクトルを変える。
弾き飛ばされるように、戦斧を飛び越える。
(あんな脳筋と真正面から打ち合ってられない――)
着地の勢いを殺さず、ミノタウロスの背後に回り込むように駆ける。
しかし、ミノタウロスも体の向きを変え、背後を取らせない。
構わずミノタウロスの周囲を旋回する。攻撃を誘うように。
ミノタウロスが攻撃を仕掛ける。
比較的小さいモーション。
ティティスの進行方向を塞ぐ軌跡。
(かかった!)
一気に方向転換し、ミノタウロスに向け直進する。
気付いたミノタウロスに迎え撃つ間を与えず、戦斧の間合いの内側に入る。
(ボクの距離だ!)
巨体のミノタウロスの持つ戦斧が中距離ならば、小柄なティティスの持つ双剣は近距離だ。
「ヒートクリムゾン」
カラーピースを消費して魔法陣が現れる。
ティティスの右の瞳が紅い輝きを放つ。
両手の剣が炎に包まれる。
ネコ耳がピンと立つ。
(一気に決める!)
前傾になり、持ち上がったしっぽがブワッと膨らむ。
次の瞬間、猛然とミノタウロスに斬りかかり、ティティスの攻撃が始まる。
右から左から燃え盛る二本の剣を次々叩き込んでいく。
切り刻まれ、焼け焦げていくミノタウロス。
苛烈に攻めるティティスも無傷とはいかない。
戦斧の柄や拳での打撃は受けている。現実世界でなら致命傷だろう。
でも、フロンテでなら見た目と耐久力は一致しない。そういったところはゲームに近い。
つまり、戦斧の刃でクリーンヒットしなければ、一撃で致命傷になるようなことはない。
ミノタウロスの動きの鈍ってきたこともあって、ティティスの一撃がクリーンヒットする。
苦悶の声を上げるミノタウロスに機を見たティティスはラッシュをかける。
――ミノタウロスが倒れ、地に伏すまでそう時間はかからなかった。
「ふぅ、やっとひとごこちついたぁ」
光の粒子となって消えるミノタウロスを前に緊張を解く。
「出現地点に敵が待ち構えてるとか――でも、幸先は悪くないか」
手近な石造りのオブジェクトに腰を掛け、周囲を見渡す。
壁も床も天上も石造りの部屋だ。天上が光源となっているようで淡く光を放っている。
部屋はそれなりに広い。なんだかよくわからないオブジェクトが点在していて障害物にもなれば盾にもなるだろう。
――長柄の戦斧を持ったミノタウロスと大立ち回りを演じる上で最適な環境に感じる。
(おあつらえ向きってことか。遠距離の人は苦労しそうだなぁ)
奥のほうに通路が見える。
あの先がどうなっているかはわからないけど、工夫次第でやりようはありそうだ。
そこまで確認したところで、残存する戦力をチェックする。
(カラーピース残り6、ポーションは3本。HPは8割ってとこかな……)
HPはヒットポイント。ゲームで体力や生命力なんかのことを指すパラメーターと同じ意味で使っている。
要は攻撃を受ければ減るし、無くなればゲームオーバーで今回の『フロンテ』は終わりだ。
ゲームとよく似た仕様を持つ『フロンテ』は、ゲームで使われる表現がよく流用されている。
ゲームと違う点は、ステータス表示やアイコン等のゲーム的ユーザーインターフェースを持たないところだろう。
じゃあ、HPはどうやって把握してるのかと言われると、ファータ本人は自身のHPは感覚でわかる。人間のように肉体的ダメージが激しい痛苦となって現れはしないのだけど、なんとなくわかる。感覚的な話なので説明は難しい。
ティティスは自身の体を見下ろし、ところどころ衣服の破れている箇所を見て溜め息をつく。
ファータ本人以外はどうやって確認するのかと言えば、その衣装の破損状況で判断できる。
アーマーブレイクと言われる、初期の頃にはなかったけれど、後から追加された非常に頭の悪い仕様である。
……外見上はファータのほとんどが美女やら美少女であることが、何を意味するかを考えれば必然の流れとも言える。
全裸になるようなことはないし、見えちゃいけない部分がポロリすることも絶対にない。HPを回復すれば何故か衣装までもが修繕されるけど、問題視されることもない優しい世界――
結局、バカバカしいと思いつつ、ティティスは観客が望んだ結果でこうなっていることはよく理解していた。
そろそろ出発するかと立ち上がりかけたティティスを、暖かな光が包む。
HPが僅かながら回復していくのを感じる。
「!?」
すぐさま立ち上がり、周囲を警戒するティティス。
背後に真っ白いヒト型のシルエット。
既に逃走体勢に入っているその人影が顔だけ振り向く。
白い顔の中で一際目立つ濃いオレンジの瞳に視線が吸い寄せられる。
そして、いたずらっぽい笑みを浮かべたかと思うと、駆け出す。ティティスと反対方向に。
「ま、待て!」
一瞬止まった白いのは振り返るとウインクだけ残し、また駆ける。
あからさまな挑発にティティスの頭に血が上る。
「にっがすかー!」
ツインテールが流れるように舞い、猛然とダッシュをかけたティティスを追う。
白いの――フォセッタを視界に収め、ガッチリとロックオンする。
白いローブにローブ端から見える白い肌、白い髪にやはり白い垂れたウサ耳としっぽが走りに合わせて揺れる。
扇情的にも感じるその姿を追いながら、まったく距離が詰まっていないことに気付き、心の中で舌打ちをする。
(くっそ、速い、追いつけない)
ティティスは全力で駆けているのに対してフォセッタには余裕が感じられる。
ティティスが速度を落としたのを見て取ったフォセッタはニヤリと笑い、杖を振るう。
再びティティスの体が光で包まれる。回復魔法だ。
完全におちょくられている。
(見てろ)
カラーピースのチャージを開始する。
走る速度に緩急をつけ揺さぶりをかける。
しかし、フォセッタは付かず離れずの距離になるようにコントロールしてくる。
しばらくそんな追いかけっこが続く。
そんな追いかけっこが続くと思えた頃――ティティスが仕掛けた。
フォセッタが体ごと後ろを向いたタイミングに合わせてダッシュをかける。
慌てず正面に向き直るフォセッタ。
「ハンティングレッド」
機を逃さず、囁くように唱える。
魔法陣が展開され、双剣の先から一本ずつ、地を這うような炎の一撃がフォセッタに迫る。
追いすがる炎に気付いたフォセッタが、手近な障害物の影に隠れる。
(そんなんじゃ、防げないよ)
やっと一矢報いたと心の中でガッツポーズをしたティティスが次の瞬間に見たものは――
――自らの放った炎が床ごと粉砕される姿だった。