放課後のネコ耳男子
◇
夕日の差し込む教室の中、
「ははは、あれはケッサクだったな、な?ソードダンサー様」
ソードダンサーと様づけで呼ばれた少年――上尾彼方は、机に突っ伏したままの顔を持ち上げ、恨みがましい目つきで見やる。
「あーもー、悔しい。なんで、あのタイミングで……絶好の稼ぎどころだったのに!」
そう憤る彼方の頭に生える黒毛のネコ耳をわしわしと弄ぶ少年――東海高陽は、可笑しくてたまらないと風情だ。
「くくく、あれ以上ないタイミングだったよな。さっすが、いたずらウサギちゃん」
言いながらも更にわしゃわしゃとネコ耳を弄ってくる高陽の手を払いのけようとする。
が、ヒョイと躱され、空中で手持ち無沙汰になってしまった右手に目をやりながら愚痴る。
「ぐぬぬ。一体、何回目だ……くそぅ、次あったらオシオキしちゃる」
「期待出来そうにねぇなぁ。んで、次の『フロンテ』はいつだっけ?」
「今夜あるんじゃないかな。予報はまだ出てない?」
「見てねーよ。俺らファータは待つだけでいいからな」
――妖精。それはファータ・モルガーナで活動をする者の総称だ。
ファータ・モルガーナとは幻で出来た異界――空に勝手に現れて、勝手に消えていく、今なお原因不明の現象のことだ。
そこで活動をする者は、その幻と同質の存在でなければいけない。その同質の存在こそ、ファータと呼ばれる思念体であり、それを生みだし精神を同化出来る能力者もまたファータと呼ばれている。
そのファータが戦うことで成り立っているファータ・モルガーナが前線だ。
戦うといっても何かの脅威があるとか死人が出るといったことはない。ゲームのようなものだ。
RPGでよくあるような世界を模したインスタンスダンジョンと言うと近いかもしれない。
何が起こるか誰もわからない、このゲームのような世界はショービジネスとして急激な勢いで発展した。
その主役であるファータが注目され持て囃されるのは当然といえる。
そのファータは動物の体の一部が現れるという特徴が一般人との最大の違いだ。偽装できる者も少なくないのだけど。
彼方は荒らされたネコ耳を両手で整えながら、傍らに立つ高陽の頭から足まで見下ろしていく。
どこからどうみても一般人だ。
顔を机に横たえ、気の抜けた声を吐き出す。
「高陽はいいよね。どこにでも自由に行けて」
「おやー、ソードダンサー様はどこかいきたいところがお有りで?」
「……ないよ。あとそのソードダンサーっての止めろ」
「はいはい、じゃあティティスたんで」
「っ!」
反射的に顔を上げ、高陽をキッと睨む。
「はは、わりぃわりぃ、彼方。でも有名税みたいなもんだ。第一、ティティスのことは気に入ってるんだろう?」
「そりゃ……そうだけどさ」
――ティティス。
彼方がファータ・モルガーナで活動するときのファータだ。ソードダンサーなんて呼び名もついていたりする。
ファータの容姿は本人の精神の影響を色濃く受ける。だからこそ、自身のファータを嫌いな者はいない。
問題になるのは人気のほうだ。彼方は目立ちたくない。
強いファータは人気が高い。当然だ。強者というのはいつだって人気者だ。
そして、ティティスは強い。ランキング上位の常連――すなわちランカーなんだから当然ではある。
加えて、可愛らしい容姿とその見た目にそぐわない大胆かつ苛烈な戦い方。
大技での決着を好み、特にラストアタックでのフィニッシュにおいては右に出る者はいないと言われる戦闘スタイル。
そんな戦闘スタイルだからこそ、そこを狙ってくる者がいるわけだけど、肝心なとこで隙を見せてしまっている脇の甘さも実は人気の要因だったりする。本人は気付いていないが。
結果、ティティスはファータ・モルガーナにおいてトップクラスの人気を誇ってしまっている。
それがどれほどの物であるのかは彼方は調べてもいない。知るのが怖いのもあるし、知ったところでどうにも出来ない問題だからというのもある。
「でも、ホント行きたいとこがあんなら付き合うぜ、彼方」
人気があるのはティティスだとは言っても、その中の人である彼方を放っておいてくれるわけもない。
手で触ることが出来てもネコ耳は幻だ。帽子を被っても帽子から突き出てしまう。物理的に隠すことが出来ないのだ。
そんなわけで、お忍びというやつが出来ない。だからこそ、人目につく場所に行くときに、一人なのか二人なのかというのは大きな差が出る。
実際、高陽には何度も助けられているし、こういったところで気が回るこの友人に感謝は絶えない。
「大丈夫、本当に今はないんだ」
「そっか。ま、何かあったら言えよ。俺に出来ることなら力になるぞ」
「……ありがと」
珍しく自然と感謝の言葉が出る。なかなか素直になれない気難しいお年頃なのだ。
「を、その素直な反応。もしかしてデレ期きた?」
「来てないよ!」
……気遣われてるんじゃなくて、からかわれてるだけな気もしてくる。
「そりゃ、残念。でも、あんま時間ないぞー、どうすんだ?」
出し抜けに放たれた曖昧な問い。
だけどその意図はわかる。
内心の動揺を伏せて、とりあえず曖昧に返す。
「どうって……何が?」
「ど・う・す・る・ん・だ?」
繰り返された。
逃げ場を塞がれたようで、高陽から目を逸らす。
見透かされてるんだろう、誤魔化すことは諦めて正直に告げる。
「わからない。どうするかなんて考えてない、今はまだ」
「そうか、そうだよなー、俺も参ってるんだよな。パーティーを組めとか」
パーティー。今までファータ・モルガーナでは単独活動が基本だった。
それが近い将来、3人編成のチームからなるパーティー制が導入される告知が前回あったばかりだ。
彼方は、『フロンテ』ではぼっち属性全開であるし、ピーキーな戦闘スタイルゆえに共闘するのが難しいという問題もある。
困った、困ったとさして困ってるようにも見えない様子の高陽を見て思う。
高陽がファータ・モルガーナにおいて、どのファータで活動をしているのかを、彼方は知らない。でも、高陽なら……
「俺はお前にあっちでの正体を明かす気はないぞ」
釘を刺された。読心術でも習得してるのではないかと疑ってしまう。
「それにだな、新婚カップルの愛の巣に乱入するなんて俺にはできん」
「新婚カップルってなんだ。結婚もしてな――」
会話を遮るように、バァンと景気のいい音を立てて教室の扉が開かれる。
「話は聞かせてもらった!!」
その唐突な乱入者に、彼方と高陽の視線が向かう。
ひらめく白衣。
こちらに向かって突き出される手。
眼鏡の奥に決意に満ちた瞳を覗かせた長身の美女がのたまう。
「ティティスたんを嫁にはやらん! じゃなかった、結婚式は私に任せろー!!」
――彼方は再び机に顔を伏せると、ネコ耳を塞ぐように頭を抱えたのだった。